分け合いたい、その重み

 「人生で最も幸福だったのはいつですか?」


 もしも誰かにそう質問されたのなら、僕は間違いなく「今です!」と、答えるだろう。


 月見里やまなしさん。


 成績優秀、スポーツ万能で人当たりも良い。文武両道、才色兼備、眉目秀麗、花顔柳腰。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花。いずれ菖蒲か杜若……は、違うけど、とにかくなんでも備えたみんなの憧れ。それが月見里さんだ。


 彼女の多すぎる魅力を語りつくすには四百字詰め原稿用紙が二百枚程度は必要になるだろう。つまりはちょっとした文庫本サイズ。

 僕としては彼女の好きな所をふんだんにこれでもかと書き綴った小説でも書きたいところ――というより、実際に昨日の夜テンションが上がりすぎて原稿用紙三枚分程度書いてしまったのだが、朝になって我に返ったらあまりにもキモ過ぎた。思わず奇声を上げながら丸めた原稿用紙を全てゴミ箱に叩き込んだ。その後、ベッドの上でのたうちまわっていると、隣の部屋から妹がやってきて「うるさい!」と一言、僕の頬をグーパンしていった。


 いや、そんなことはどうでもよくて。


 とにかく、そんな魅力溢れる月見里さんがなんとこの度、めでたくも僕の彼女になった。


 彼女だ、彼女。友達ではなく、彼女。つまり恋人だ。僕の妄想や夢じゃない。それは昨日小説を書きながら何度も頬をつねったから間違いない。念のため、無理を言って妹に一発殴ってもらったから更に安心していいはずだ。


「まさか、さっきのグーパン癖になったの……?」


 と、妹にガチでドン引きされ、おかげで僕の兄としての威厳は失われたが、そんなことは些細な問題だ。そもそも元から威厳なんてないし。

 妹、いつもありがとな。こんな兄だけどこれからもよろしく。


 僕と月見里さんの出会いは一年前、高校に入学してすぐの頃だった。なかなかにテンプレで、言ってしまえば面白みのない出会いだったような気もするが、人生には山も谷も必要ない。テンプレのベタベタの王道こそが至高なのだ。

 それに、あれもこうして恋人になるために必要なイベントだったと考えれば感慨も一入、どころか一万入くらいある。


 桜が全て舞い散って、春が終わっていく季節。放課後に校内をぶらついていると、遠くに月見里さんの姿があった。


 その時の僕はまだ入部する部活を決めかねていて、というよりも九割方入る部活は決めてはいたのだが、諸事情あって踏ん切りがつかずにいた。

 放課後の校舎をぶらついていたのも、まとまらない考えを整理したかったからだ。


 月見里さんのことはすぐに分かった。なにせ彼女は当時で既に話題になっていたから。入学試験トップの優等生で、新入生代表挨拶という本来なら聞き流す人が大半であろう催しで、皆の清聴を搔っ攫った風鈴のような声。そしてその華やかなルックス。注目されるのは当然のことだった。


 月見里さんは、職員室から一つ角を曲がった渡り廊下の手前でしゃがみこんでいた。周囲には大量のプリントがぶちまけられていて、転んでしまったのだろうということは察しがついた。

 慌ててプリントの山を拾おうとしている彼女の元に、僕も慌てて駆け付けた。


「大丈夫!? プリント、拾うの手伝うよ!」


 そう声をかけると彼女は「うん、ありがとう」と、申し訳なさそうに顔を歪めた。


 幸い、プリントはすぐに集め終わった。


 山のように積みあがったプリントを横目に、月見里さんはスカートの裾に付いてしまった埃を払っている。やがて、一段落ついたのか、


「やっぱり二人で拾うと早いね」と、目尻を下げた。


「ありがとう。助かっちゃった」


「いやいや、この程度でお礼なんて」


「ううん、ありがとうだよ。いやぁ、先生に教室までプリントを運んで欲しいって頼まれたんだけどね。だいぶ重くて、転んじゃった」


 恥ずかしい限りです。と、月見里さんがはにかむ。

 そんな彼女の手元のプリントは、拾っている最中にも思ってはいたが、かなりの量だ。とても一クラス分とは思えない。


「随分多いけど、これ全部君のクラスのプリントなの?」


「ううん、一年生全クラスの分だよ」


「いや、それ、どう考えても一人で運ぶ量じゃないよね」


 自分のクラスの分ならともかく、なぜ他クラスの分も月見里さんに運ばせているのか。これを頼んだ先生に対して少しばかり怒りが湧く。

 しかし、月見里さんはそんなことは気にも留めていないようで、


「先生も忙しいみたいだったし、私もどうせ暇だったから、いいかなって。まあ、結局、職員室を出て数メートルでこのザマなんだけどね」


 と、自嘲するように肩を落とす。


「私、昔から非力でねぇ。しょっちゅうこんな感じなんだぁ」


 まあ、たしかに見た目からして華奢で、お世辞にも力持ちという感じではないけど、そんなに気にすることかな?


 ――非力だなんて、可愛いだけだと思うんだけど。


 そんな言葉が微妙に口から出かかって、すんでのところで踏みとどまる。

 危ない危ない。こんなセリフを初対面の女子に投げかけた日には、次の日からは渾名が「勘違いナンパ野郎」とかになってしまう。卒業間際ならともかく、一年の春からそんな不名誉な呼び名を拝命するのは避けたい。いや、卒業間際だって嫌だけどさ。

 とにかく、僕はもうあんな失敗は繰り返さない。そう心に誓ったんだ。くそう、思い出したら泣きたくなってきた。


「ところで、君は?」


 過去の苦い思い出に滅多刺しにされて、少し俯いていると、いつの間にか月見里さんが覗き込むようにしていた。

 ちょっとビックリして、大仰に顔を逸らしてしまう。


「君は……って?」


「いやね、まだ名前聞いてなかったなぁって」


 君は、どこの誰さん?


 月見里さんが小首を傾げながら質問を投げかけてくる。その小動物のような所作に少しばかり胸に疼痛を覚えつつ、そういえばまだ名乗っていなかったことを思い出した。

 僕は、改めて彼女の方に向き直り、名乗る。


「ええと、僕は若狭わかさだよ。一組の。同じ一年生」


 僕の簡潔な自己紹介を聞き、月見里さんは、「若狭くん、若狭くんだね」と、復唱する。それから、「一年生かぁ、ふふふっ」と、笑みを零した。


「なんで笑ってるの?」


「だって、同級生だって知らなかったのに、今まで普通にタメ口で話しちゃってたから。若狭くん、年上って感じしなくて、無意識に同級生だって思い込んじゃってたよ」


 先輩だったら危なかったぁ。そう楽しそうに笑う月見里さんに対し、僕は苦笑いで返す。だって、それは、


「それは……僕が幼い顔ってこと……?」


「ううん、可愛い顔ってことだよ」


 同じだろ、それは。同じ意味だよ。

 まあ、自覚してるからいいけどね? いいよ別に? 別にいいもん……

 つい一月前までガキンチョ中学生だったのは事実だしね。ちなみに今はガキンチョ高校生。成長しないんだ、僕って奴は。


「あれ? でも、『同じ一年生』ってことは、若狭くん、私のこと知ってるの?」


 そう指摘されて、ギクリ、としてしまう。失言だっただろうか、という思いが一瞬よぎるも、いや、別に月見里さんのことを知っているのは不自然でもなんでもない。あんなに噂になってるんだし。と、結論付ける。

 大丈夫。初対面でなんで名前を知ってるの? とか思われたりはしない。渾名が「ストーカー野郎」とかになったりもしない。卒業間際ならともかく、一年の春からそんな不名誉な呼び名を拝命するのは――いや、もういいよ。そんな悲しい過去は振り返るな!


「うん、知ってるよ、月見里さんでしょ?」


「おお~、ホントに知ってる」


「むしろ、月見里さんのことを知らない人の方が少ないんじゃない? ほら、新入生代表挨拶してたしさ」


 内心ちょっとヒヤヒヤしつつ、なんとか平静を保ちながら月見里さんの質問へ返答する。

 彼女は僕の内心など知りもせず、


「なるほどね? たしかに私、ちょっとした有名人だしねっ」


 へへん。と、冗談めかして笑った。けっこうお茶目で可愛い人だ。


「ではでは、改めまして、若狭くん。これから同級生同士、よろしくお願いします」


「ああ、これはこれはご丁寧に……? こちらこそよろしくお願いします……?」


 妙に畏まった挨拶を交わし、二人で笑う。

 ひとしきり笑い終わると、月見里さんはプリントの山に手をかけた。


「では、そろそろ行きますかね」


「あ、じゃあ、僕も」


 立ち上がろうとしている月見里さんに、僕は手を伸ばす。彼女が抱えている、プリントの山。そこから半分ほどを手に取る。


「運ぶの手伝うよ。また転んだら大変だし」


「え、いいの? 悪いなぁ、ありがとう」


「いえいえ、これくらいはね」


 プリントをしっかり腕に抱え、立ち上がる。彼女も同じように立ち上がる――けど、


「おっ、とっとと」


「……」


 半分の重さになってもまだ、彼女の重心は安定しない。体がふらふらと右へ左へ揺れ、今にもプリントをぶちまけそうだ。

 よくこれで全部持っていこうとしてたなぁ。かなりのチャレンジャーじゃないか。というか、先生もこんなふらふらしてる子に任せるなよ。


「ほら、もっとプリント寄越して。危ないよ」


 僕は容赦なく月見里さんのプリントを奪う。彼女のプリントがみるみる減っていき、彼女の重心もみるみる安定していく。

 結局、最終的には五分の四ほどのプリントを僕が持つことになった。これだけの量になると、さすがに重い。


「えっへへへ、恥ずかしいなぁ」


 少なくなってしまった手元のプリントを見て、月見里さんは笑う。照れくさそうに、ニッコリと、天使のような表情で。


 あまりにも日常な、当たり前の、なんでもないやり取り。だけど、


「――」


 その瞬間、その顔が、僕の網膜に焼き付いて、剝がれなくなった。


 あれから一年経っても、未だにずっと、あの笑顔が色褪せないでいる。

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