第8章:予期せぬ夜

# マニュアル外の恋愛事情

第8章:予期せぬ夜


龍野十四郎は、いつもより早く出社していた。


今日はここみが合コンに行く日だった。


(気にするな。関係ないことだ)


そう自分に言い聞かせながら、彼は仕事に集中しようとした。


「おはようございます、龍野部長」


ここみの明るい声に、十四郎は顔を上げた。


「ああ、おはよう」


「あの、今日早めに退社してもよろしいでしょうか?」


十四郎は、一瞬言葉に詰まった。


「ああ、構わない。合コンだったな」


ここみは少し驚いたような顔をした。


「え? どうしてご存知なんですか?」


「噂というものは広まるものだ」


十四郎は、そっけなく答えた。



龍野十四郎は、広いオフィスに一人取り残されていた。


窓の外では、東京の夜景が煌びやかに輝いている。しかし、その光景も彼の目には虚しく映るばかりだった。


「はぁ...」


深いため息が、静寂を破る。


(なんてお人よしなんだ、俺は)


ここみを合コンに送り出してから、既に3時間が経っていた。机の上の書類は、手つかずのまま積み重なっている。


十四郎は椅子から立ち上がり、コートを手に取った。もはや仕事どころではない。


エレベーターを降り、ビルを出ると、冷たい夜風が頬を撫でる。


繁華街を歩きながら、十四郎の頭の中はここみのことでいっぱいだった。


(今頃、楽しんでいるのだろうか...)


その時、にぎやかな声が聞こえてきた。


「ねぇ、ここみちゃん、大丈夫?」


(ん?)


声のする方を振り向くと、そこにはここみたちのグループがいた。


ここみは、明らかに様子がおかしい。頬は上気し、足取りもおぼつかない。


「じゃあ、この子よろしくね〜」


ここみに仕事を押し付けた女性が、男の一人に言う。声には、どこか不穏な響きがあった。


「私たちは、もう一件行っちゃおう〜」


その言葉に、十四郎の眉間に深い皺が寄る。


男がここみの腕を引っ張り、ホテルの方へ向かう。ここみは抵抗する様子もない。


(まずい...!)


十四郎の足は、考える前に動いていた。


「待て!」


厳しい声が夜の街に響く。


男が振り返る。「なんだよ、お前」


酔いに任せた乱暴な口調。十四郎は、冷静さを保とうと深呼吸した。


「彼女を放せ」


低く、しかし威圧的な声。


「うるせぇな。彼女が行きたいって言ってんだよ」


「嘘を言うな。彼女は明らかに嫌がっている」


十四郎は、ここみの曇った目を見つめていた。


突然、男が拳を振り上げる。


しかし、十四郎の動きの方が速かった。


ひょいと身をかわし、男の腕を掴む。そして、一瞬の間に男を地面に叩きつけた。


「くっ...!」


男が呻く。


「俺、柔道部だったんだ」


冷たく言い放つ十四郎。その姿に、男は恐れをなして逃げ出した。


「ここみ、大丈夫か?」


十四郎がここみに近づく。


「部長...?どうして...ここに...」


ここみの声は、か細く震えている。


(これは普通の酔い方じゃない。薬か...?)


十四郎は一瞬躊躇した。ここみを自宅に連れて行くのは適切だろうか。しかし、この状態で一人にするのも危険だ。


「ここみ、病院に行こう」


十四郎は冷静に判断した。


「い、いえ...大丈夫です...」


ここみは弱々しく首を振る。


「じゃあ、俺の家で休め。そこなら安全だ」


十四郎は慎重に言葉を選んだ。


「...はい」


ここみはかすかに頷いた。


...


十四郎のマンションに着くと、ここみはほとんど意識がなかった。


「水を飲め」


差し出されたグラスを、ここみは一気に飲み干した。


「シャワーを使うか?着替えも用意できるが...」


十四郎は戸惑いながら言った。


「い、いえ...眠い...」


ここみの言葉は途切れがちだ。


「分かった。ベッドで休め。俺はリビングで寝る」


十四郎は、ここみをベッドに寝かせた。


「おやすみ...部長...」


かすかな声と共に、ここみは深い眠りに落ちた。


十四郎は、リビングのソファに座り、頭を抱えた。


(なんてことだ。もし俺が気づかなかったら...)


夜が明けるまで、十四郎はほとんど眠れなかった。


...


朝日が差し込む部屋で、ここみがゆっくりと目を開けた。


「ここ...は?」


戸惑いの声に、十四郎が部屋に入ってきた。


「目が覚めたか。気分はどうだ?」


「部長...?」


ここみは混乱した様子で周りを見回した。


「ゆっくり思い出せ。昨夜のことを」


十四郎は静かに言った。


ここみの表情が、徐々に変化していく。


「あ...合コンで...それから...」


突然、ここみの顔が真っ赤になった。


「す、すみません!こんな迷惑を...」


十四郎は深いため息をついた。


「気にするな。大事に至らなくて良かった」


ここみは、恥ずかしそうに顔を伏せた。


「でも...部長に助けていただいて...本当にありがとうございます」


その言葉に、十四郎は胸が熱くなるのを感じた。


(俺は...ここみのことを...)


しかし、その想いを口にするには、まだ早すぎると十四郎は判断した。


「朝食を用意したぞ。食べられそうか?」


「は、はい...ありがとうございます」


二人は、なんとも言えない空気の中で朝食を取った。


これからの関係がどうなるのか、二人とも予想できなかった。


しかし、何かが確実に変わり始めていることは、感じ取っていた。


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