#8 ウミガメのスープをした

 ある日の放課後、日常部の部室――。


 今日はまださくらと雪乃しか来ていない。


 雪乃は読んでいた漫画を閉じると、自分の定位置で数学のプリントと睨めっこしながら、右手でクルクルと器用にペンを回しているさくらに声をかけた。


「……ねえ、さくら。私、これを読んでちょっとわからなかった事があるのだけど……」


「ん? ああ、楓先輩が置いていったやつですね……。それで? わからなかった事ってなんです? まあ、私に答えられるかはわかりませんけど」


 さくらは手にしていたペンを机の上に放り投げながら返事する。プリントの問題を解くことは諦めた。数学は苦手なのだ。


「このシーンなのだけど、なんでこの子は突風で髪がグシャグシャになっただけで、こんなにも落ち込んでいるのかしら? たかが、髪型が少し崩れただけじゃない」


 そう言って、雪乃がさくらに見せたページには、ヒロインの女の子が意中の子とデートの待ち合わせ中に、突風が吹いてセットした髪が崩れてしまってショックを受けるというシーンが描かれていた。


 そんな雪乃の質問に、さくらは思わず「ええ……」と声を漏らした。


「……雪乃先輩、本当に作家なんですか? 恋愛小説とか書く時どうしてるんですか?」


「私、恋愛小説は書いたことないの。自分に興味がないものは書けないもの。これを読んでいるのも、楓がすごい圧で布教してくるからだし」


「あー、そうなんですね……えっと、恋愛しているとですね、好きな相手に一番可愛い自分を見せたいものなんですよ。この子がショックを受けているのは、その為に気合入れてセットした髪がグシャグシャになってみっともない感じになってしまったからなんです」


「うーん。あんまりピンと来ないわね。ちなみに、あなたはそういう経験はあるのかしら? もしあるなら、ぜひいろいろと話を聞かせてもらいたいのだけれど」


「あー、えっと……」


 さくらが返答に困っていると、ガラガラと教室の戸が開いた。


「……お疲れー」


 部室に楓が入って来た。その声はどこか元気が無い。


 そんな楓の姿を見てさくらは目を見開いた。頭に包帯がぐるぐると巻かれていたからだ。


「……どうしちゃったんですか、楓先輩。その頭は……。朝、会った時はしていませんでしたよね?」


「何でも無いよ。気にしないで」


「気にするなって言われても……。怪我したなら、部活なんて出てないで病院に行った方がいいですよ」


「……いや、別に怪我した訳じゃ無いんだよ。でも、理由を話せないの」


「は?」


 怪我をしていないのに頭に包帯を巻いているなんて、どういうことなのだろう。


 楓の言葉に、さくらは首を傾げた。


「ウミガメのスープの問題みたいね」


 さくらと楓の会話を横から聞いていた雪乃が、どこか楽しそうな笑みを浮かべながら言った。


「日常部の部員が怪我をした訳でも無いのに、頭に包帯を巻いてきた。そして、その理由を話す訳にはいかないという。なぜでしょう……問題にするとこんな感じかしらね」


 一人満足げに頷くと、雪乃は二人に尋ねた。


「ねえ、二人はウミガメのスープってゲームを知っているかしら?」


「うん、知ってるよ」


「私は知らないです。何ですか? それ」


「ちょっとした推理ゲームね。出題者の出した問題に対して、解答者は『はい』か『いいえ』で答えられる質問をする。その回答を手がかりにして、真相を当てるってゲームよ」


 雪乃は軽い笑顔を浮かべながらゲームのルールを説明した。


「なるほど。でも、何でそのゲームの名前がウミガメのスープって名前なんですか? ウミガメ関係なくないですか?」


「このゲームで一番有名な問題にウミガメのスープが出てくるからそう呼ばれているらしいわ。さて、楓。今からあなたが頭に包帯を巻いてる理由を問題にして、このゲームで遊んでみたいと思うのだけど、どうかしら?」


「んー……いや、どうしようかな……まあ、いいか。でも、最初に言っておくけど、この真相は大して面白くないよ?」


 そんな訳で、突然ウミガメのスープが始まった。


 質問はさくらと雪乃が交互に行う。


 絶対に、解いてみせる。包帯を巻いている理由が気になるし。


 そう決意して、さくらは思考を開始した。


 まず、確認しておきたいことは……。


「じゃあ、まず私の質問から……質問、本当に怪我した訳じゃ無いですか?」


「はい……本当に怪我した訳じゃないんだって」


「良かった。ちょっと心配だったので。怪我してないなら、安心です」


「そうか。ごめんね。心配かけて……」


「じゃあ、次は私の質問ね。質問、その包帯はファッション?」


「いいえ。そんな中学時代の雪乃ちゃんみたいなことはしないよ」


「あなた、さらっと人の黒歴史を穿り返さないでくれるかしら……」


 楓の言葉に雪乃は苦笑いを返した。


「雪乃先輩、中二病だったんですか? ちょっと気になるんですけど。その時の写真とかないんですか?」


「いや、さくらもこの話題広げなくていいから……ほら、次はあなたが質問する番よ」


 この話題を一刻も早く変えたい。そんな気持ちを露わにしながら、雪乃はさくらに次の質問を促した。


「えーっと……質問、その包帯を巻いていること自体に意味はありますか?」


「はい」


 怪我をした訳でもなければ、ファッションという訳でもない。けれど、その包帯を巻いていることにはきちんと意味がある。これは大きなヒントかもしれない。


「質問、その包帯を巻いている理由は何かを隠す為?」


「……はい」


 雪乃の質問を、楓は何かをためらいながら小さく肯定した。


 その様子から、包帯の下に余程見られたくないものがあるようだ。なおさら、さくらはそれが何なのか気になってきた。


 ここは、包帯の下にあるものを挙げていけば答えに近づけそうな気がする。


「質問、その包帯はおでこを隠す為に巻いていますか?」


「いいえ」


 ということは、おでこにニキビができて、それを隠しているという訳ではないな。


「質問、その包帯は眉毛を隠す為に巻いている?」


「いいえ」


 雪乃もさくらと同じことを考え、包帯の下にあるものをあげた。その質問の答えから、眉毛を剃りすぎたから隠しているという訳でもないことがわかった。


「質問、その包帯は前髪を隠す為に巻いていますか?」


「はい……。というか、それが正解でいいよ。包帯を頭に巻いてるのは前髪を隠すためだ。今日の昼休み、前髪が少し気になってね。ちょっとだけ切るつもりだったんだけど、切りすぎちゃって……そういう時は紅葉にやってもらってたんだけど、そろそろ自分でもできるかなって、挑戦したら、こんなことに……」


 トリックを見破られた殺人事件の犯人のように、楓は息を吐いた。雪乃は、その言葉を聞いて、不思議そうに首を傾げた。


「いくら前髪を切るのに失敗したからって、頭に包帯を巻いてまで隠すことないじゃない。さくらも心配していたし、私もちょっと驚いたわよ……というか、そんなにおかしな髪になったの? ちょっと、見せてくれるかしら」


 純粋にどんな髪型になっているのか気になった雪乃が、楓の包帯に手を伸ばそうとした時、


「やめておきましょうよ、雪乃先輩。普段、あんまりこういうの気にしなさそうな楓先輩がここまでするってことは、相当なんですよ、きっと」


 さくらは、そう雪乃を制止した。


「だからこそでしょうに……。でも、まあ、楓が本当に嫌ならやめておきましょう。遊んだら、喉が渇いたから自販機に行ってくるわ」


「あ、私も行きます」


 今度こそ自力で狙いのジュースを手に入れてみせるわ、と意気込む雪乃。


 やれやれと言うようなほほ笑みを浮かべながら着いていくさくら。


 と、さくらが楓に振り返って尋ねる。


「あ、楓先輩は何か飲みますか?」


「えっと……じゃあ、コーヒー。ブラックで」


「了解です」


 さくらと雪乃が去っていき、部室には楓だけが残った。

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