第43話

 原稿のことを言ったら、純にも迷惑かもしれない。

「泣いてなんかない」

 大きく開いた目はたぶん真っ赤で説得力ゼロだけど、彼の目力に負けじと見つめ返した。

「今日は、ほんとうにありがとう。もう夕方だし、あたし、帰るね」

 扉の裏から出ていこうとした腕をもっと強い力で掴まれる。

「言うまで離さない」

 仕方なく向きなおる。

 彼の目は真剣だ。

 ダンスの稽古中に負けないくらい。

「……原稿、控室に荷物と一緒に置いておいたら、間違えて捨てられちゃったみたいで」

 鋭く吐き出された息を感じて、こんなときにも心臓がざわめく。

 漆黒の髪をぐしゃぐしゃっとかきみだすと、純は頭を下げた。

「悪かった。なんとしても探し出す」

 あたしは首を横にふった。

「いいの。置きっぱなしだったあたしが悪いんだから」

「ばか」

 ぴしゃりと放たれた言葉。

「プロの作家志望なら、大事な原稿をぞんざいに扱われたら抗議しろ」

 その言葉にはっと息をのむ。

「オレが見こんだ小説だ。誇り持てって何度言ったらわかる」

 責めるような言葉の中にあるたしかな激励に、知らず背筋が伸びる気がする。

「書きつづけろよ。これからも」

 最後にそう言ったあと、純はようやくこの腕を離した。

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