深き森の主と少女
WA龍海(ワダツミ)
暗き森の一角獣
夜空に静かに浮かぶ満月の光が、森を薄く銀色に染めている。木々の間を抜ける風音が夜の静寂を破り、森そのものが夢の中であるような不思議な雰囲気に包まれていた。
そんな森の奥深く、誰も近づくことのない場所に古びた泉があった。
この泉には、かつて伝説の一角獣、ユニコーンが住んでいたと言い伝えられている。ユニコーンは森の守護者であり、彼が姿を現すときは、必ず森に奇跡が起こるという。
しかし、誰もその姿を見た者はいない。森の奥は禁じられた領域とされていたからだ。
ある夜、幼い少女が森に迷い込んだ。彼女は村に住む孤児で、普段はひっそりと孤独に暮らしていた。しかし、その日はなぜか夢に誘われるように森の中へと足を踏み入れていた。
森の空気は冷たく、むせ返るほどの緑の匂いが身体を包み、夜露が足元を濡らす。普通であればそのどれもが不安に駆られるものばかりなのだが、少女は不思議と安心感を覚えていた。
風音が耳を撫でる度、何かが自分を呼んでいる。そう感じた彼女は導かれるように泉へと向かって歩みを進めた。
泉にたどり着くと、静かな水面に満月が映っていた。丸く大きな月を見たその瞬間、少女の胸は高鳴った。
まるで身体の内側から戸を叩くかのような不思議な感覚に、彼女は誰かが自分を呼んでいるのだと知覚した。
「誰か、いるの?」
彼女が呟くように虚空へ問いかけると風が一瞬止み、静寂が広がった。すると、泉の向こうから柔らかな光が現れた。それはまるで流れ星の欠片が集まったような輝きで、次第にその輪郭が形を成した。
光の中から現れたその姿は、純白のユニコーンだった。
少女は目を見張った。ユニコーンは静かに泉の向こうに立ち、その目は深い悲しみの色を含んでいた。少女はただその美しさに見蕩れて、言葉を発せずにいる。
「あなたは……ユニコーン?」
少女はどうにか口を開き、震える声で尋ねた。
ユニコーンは小さく頷き、静かに少女へと歩み寄った。彼の足音はまるで風のように静かで、地面に触れているのかすらわからない。少女の目の前にたどり着くと、ユニコーンは彼女をじっと見つめた。
「どうして、そんなに悲しそうな目をしているの?」
少女が問いかけると、ユニコーンはしばらくの間、何も言わずに立っていた。しかし、彼の目には確かに言葉にならない想いが溢れていた。やがて彼は一つの深いため息をついた。その冷たい息は風に乗って森全体に広がり、夜の空気を震わせる。
「私は長い間、ここに閉じ込められているのだ」
「かつてはこの森を自由に駆け回り、すべての命を守ってきた。しかしある日、人々がこの森からあらゆる物を恵まれていたことへの感謝を忘れ、欲望に駆られて自然を傷つけ始めた。それからというもの、私はここに縛られてしまった。もう二度と、自由に歩むことはできない」
少女は胸が締め付けられるような感覚に襲われた。ユニコーンの悲しみが彼女の心に伝わってきたのだ。少女はどうにかして彼を助けたいと思った。
「どうすれば、あなたは自由になれるの?」
「それは……純粋な心を持つ者が私を解放してくれる時だけだ。だが、もう何百年も、誰もここへ来ることはなかった。人々は自分たちの欲望に囚われ、自然の声を聞かなくなってしまったのだから」
少女は静かに頷くと、心の中で一つ決心した。
「あなたを助けたい。何をすればいい?」
強く胸を打つような思いを口にする彼女の瞳をユニコーンは静かに見つめた。その瞳には、微かな期待と希望の色が含まれている。
「一つの願いを込めて、私の角に触れてくれ。ただ、それだけで良い」
少女は言われるままそっと手を伸ばし、彼の角に触れた。その瞬間、眩い光が周囲を包み込み、少女はその中に吸い込まれるような感覚を覚えた。思わず目を閉じ、そして目を開けた時……彼女は泉のほとりに一人で立っていた。
辺りを見回すも、ユニコーンの姿はどこにもない。
しかし、少女は感じていた。彼は自由になったのだと。そして彼女の胸の中に暖かい光が宿った。彼女はもう一度森を見回すと、満月に向かって微笑んだ。
それから森は再び静けさを取り戻したが、風に乗ってどこか遠くからユニコーンの息吹が聞こえたような気がした。それは冷たい悲しみのため息ではなく、こちらへ微笑むような暖かな吐息だった。
その後少女は村へと戻り、いつもと変わらぬ日常を過ごしている。しかし彼女はもう孤独ではない。
いつか出逢った一角獣の心が、彼女の中で生き続けているから――。
深き森の主と少女 WA龍海(ワダツミ) @WAda2mi
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