第3話 静寂の森と秋の嘆き

 秋の日差しの中、赤いスポーツカーが、その美しいフォルムとは似合わない林の中を走っている。

 運転しているのは、もちろん持ち主である嵐だった。

 舗装はされているが、秋らしく落ち葉やらが散らばっているここは、車好きを自任している嵐にとっては、好ましくない場所だ。だが、他に適当な移動手段はなく。

 せめてもと本来の用途とは似付かない、ゆっくりとした速度で走る。


「君、見た目に似ず運転は上手かったんですね」


「……吉良警部は俺をどんな目で見ていたんですか」


 助手席に座っている左京はのほほん、と景色を眺めていた。


「いえ、前任者の愛車が偶然にも君のと同じだったのですが、運転は乱暴で。失礼ながら、君も同類ではないかと。神戸君には悪いですが彼の運転は僕には、いささか刺激が強すぎましたからね」


「はあ」


 それを適当に相槌を打ち、嵐は車窓から延々と続く緑の景色を眺めてみる。


 一応は地方都市。しかし、県境に近づいたこの地域には高層ビルなどあるわけがなく、さながら森の中に迷い込んだような印象をあたえる。


「まさかこんなところに来るなんて」


 本日、何度目かもわからなくなったため息をついて、ゆっくりと車は前へと向かった。


 ◇◇◇


 どうしてもと懇願する嵐を憐れんでか、丸山がくれたのがこの仕事だった。小間使いである。巷で話題の詐欺事件の被害者から、事情を聞いてほしいというお使い。


 ただ、証言の重要度は低く、組対としてもこんな辺鄙へんぴな田舎に人をやるほどではない。むしろ、近隣の所轄に頼んだほうが効率はいい。


 結局は無理やり嵐が頼み込んだから仕事をくれた、そういうことであった。

 仕事をしないでいると魂が錆ついていきそうな嵐にとっては、そんな仕事でも何でも良い。


 よかったはずだったのだが、そう思っていたはずだったのに、こんな田舎にくることになるとは思わなかった。


「いい天気ですねえ」


 左京が助手席で空を見ながらつぶやく。いい天気であった。秋晴れである。


 ただ一つの問題は、この吉良左京までついてきたことだった。いつもの様子から、てっきりあの部屋に残るものかと想像していたのに。気が付くと助手席に座っていたのである。


 この空気の読まなさ加減というか、何をやるか分からない感じはチェイスを思い出させたが、左京と比べるのは妹たちに失礼だと思い直した。


「はあ、そうですね」


 そんな招かれざる客の呑気な声には気がなく、うなずくしかない。


 これがプライベートであれば、ドライブは楽しかっただろうに。

 大好きな車に乗り、隣には美人の彼女。さぞかしロマンチックだろうな、と叶わぬ願いを頭に浮かべる。


 だが、現実は非情であり、嵐は嫌味な上司と林道をのんびり走っていた。


 数十分ほど林の中を移動すると、ようやく町へとたどり着く。町というにはこじんまりしているが、平成の大合併の折に周囲の小さい村が集まって町となったのだとか。


 そして、町の中心に当たるのだろう、市役所や小さな商店が立ち並ぶそこに、白い派出所は存在した。


 二人を出迎えたのは沢村という、年老いた巡査だった。もうそろそろ定年が近いだろうに、足取りはしっかりしていて、力強さすら感じさせる。ベテランの風格というのだろうか、嵐にはまだ出せない雰囲気だ。


「いやー、こんな辺鄙な町に県警の刑事さんをお迎えになるとは思いもしなかったです。あ、町名産の芋をつかった羊羹ようかんです。こんなもんでしかおもてなしできず、申し訳ない限りです」


「いえいえ、事件解決のためでしたらどこでも駆けつけるのが警察官の務めですから!」


 もう一つ、嵐を知っているのか知らないのか。どちらでもいいのだが、大江戸グループの関係者などと騒がれなかったのも嬉しかった。そう言ったわけで嵐は久しぶりに何処か気分がよくなっていく。


「いや、県警の刑事さんともなると立派なもんです。私はここで長いですが、この町でのんびりとやっているだけですから」


 照れ臭そうに言う沢村巡査に、無駄に気合を入れて返事をする嵐と、いつも通り、微笑んでいるのだかよくわからない表情を保ったまま座る左京。


 どこかのんびりとした町の空気が影響したのか、警察の仕事だと思えないほどに穏やかに仕事の話は進んでいった。


「キクさんでしたら、ここからすこし離れたところで娘さん夫婦と暮らしております。ただ、御年九十歳の婆さんなもんで、ちょっとボケが進んでます。警部さん達が必要な証言が得られるかどうか……」


「そうですか。ですが、詐欺事件の立件のためには一人でも多くの方の証言が必要です。一度伺ってみたいと思うのですが」


「はあ、立派なことです。警部さんがそうおっしゃるなら、これから向かうとしましょうか」


 地方都市にあっても山村といっても過言でないここは、主に農業を中心として成り立っている。町役場をはじめとする町の機能中心が集まったところは、先に述べたように商店もちらほらと見られ、しかし、そこから少し離れると、すぐに建物が無くなり、畑が広がっていく。民家はそんな畑の中に点在しているだけだ。


 昔ながらの日本の原風景というのだろうか。都会の現代生活になれた嵐からすると逆に物珍しい光景だった。

 そんな道路をのんびりと歩いていると、農道の端にふと目が奪われる。そこには、


『ゴルフ場建設反対!!』


 などという古臭い看板がボロボロのまま道端に打ち捨てられていた。


「あれは、20年ほど前、バブル期のころに起きた騒動の名残ですわ。当時は村でしたが、その時の村長が強引に森を拓いてゴルフ場を作るなどと言い出しまして。住人総出で廃案に追い込む、ということがあったんです」


「当時、日本のあちらこちらでそう言ったものの建設が進められていましたからねえ」


 沢村巡査は遠い昔を思い浮べているのか、ふと笑みをこぼして話を進める。


「一警察官としては、住民同士の争いほど難しいものはないです。あるいは行政の味方をすべきか、市民のそばに立つべきか。日和見だなんだといわれることもありましたが、今では良い思い出です。

 小さな町ですが、それもあってみんな家族みたいなもんで。最近は住人トラブルもほとんどなく、警察官として、こんな平和が続いていくことを願っとります。

 そうそう、その当時の反対団体を率いていた北川さんが今の町長でしてね、まあ、町からしたら英雄ですわ」


「英雄……ですか」


「ええ、まあ、時間がたつにつれて変わることもありますがね……。それでもみんな尊敬しとります」


 嵐にはそうつぶやいた沢村の顔が少し寂し気に感じられたが、その後は町の名産物やらの話を聞きながら、件のご老人の家へと向かうのだった。


 近所の子ども達の成長や町唯一の小学校の運動会の話、昔に町を出た娘が結婚して帰ってきてくれた、なんて。沢村巡査はそんな話を嬉しそうに聞かせてくれた。


 赴任してから長いというだけあって、住人全員のことを想いやり、見守っているのだということを進ノ介は言葉の端々から感じ取る。


 出会って数十分だが、この巡査に対する尊敬の念は不思議と高まっていくばかりだった。





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