第4話 霊長類最強の弟子

 そして、諸事を済ませた夕刻。今から帰ると危ないということで、沢村巡査は宿をとってくれていた。外はもう真っ暗闇。好んで山道を走りたいわけでもない。その好意を受け取ることにした二人は、少しばかり広めの客室でくつろいでいた。


「結局、まともな証言は得られませんでしたね」


「仕方がありません。沢村巡査がおっしゃっていた通り、認知症も進んでいらっしゃる様子でしたから」


 嵐は体を伸ばしながら、左京は窓辺で本を読みながらのんびりと話す。


 贅沢は言わないが、部屋は別々がよかった。とは、ひとまず顔に出さず。ただ、こうした大自然の中にいると、窓辺で座っている左京の姿も、どこか様になっているようで不思議と不快にはならなかった。


 一足先に入ってきた露天風呂からは、澄み切った星空が見えた。とても都会だとは思えない。食事に出されたのも、渓流からとれるイワナやニジマスといった川魚だったが、どれも絶品だった。


 一方で、仕事の方はというと、被害者であるキクさんは沢村巡査が話した通り、認知症が進行しているようで、犯人からの電話や、お金を振り込んだときの記憶などがはっきりしないという、散々たる結果である。


「まあ、でもいいかー。久しぶりに仕事したし……。上手い料理は食べれたし……」


「君のような若い人には、こういった場所は退屈かと思いましたが、ずいぶんと気にいったみたいですね」


「ずっと住んでいたいかと言われると、ちょっと迷いますけど、一休みするならこういった所も好きですよ。沢村さんも良い人でしたし」


 嵐は町の昔話を始めると止まらないあの老巡査のことを思い出す。市民を守り、市民に慕われる。その人生に派手さはないのかもしれないが、その姿勢は嵐が理想とする警察官の在り方でもあった。


「まあ、少し気になることもありましたけど」


「ほう?」


 左京はそう言うと読んでいた小説をおいて嵐へと目線を向ける。時折、彼はそう言った行動をする。監視、というほどではない。ただ、嵐を試すような、見定めようとしているような。嵐も当初は若干の息苦しさを感じていたが、今ではあきらめた。


 古武道の弟子として鍛えられた闘いの勘というものか、敵意の類は感じなかったからだ。


「あの、一瞬すれ違った派手な車」


「ええ、一目見てわかる違法改造車。プレートも外し、騒音も相当のものでした。何ともこの町には似つかわしくないものでしたね」


 自分がパトカーに乗っていたら、迷わず検挙していただろう。だが、あいにくの徒歩だった二人には遠くへと走り去っていく車を見送ることしかできなかった。


「あれが、例の町長の息子とは」


 沢村巡査が話すには北川人志きたがわ ひとしというのがその息子らしい。英雄的な活躍をしたという岡田町長と比べて、どこを間違えたのか不出来に育った彼は、五年ほど前に都会から戻っては好き放題に遊んでいると聞いた。


「町の権力者の放蕩息子。そんな小説のような出来事があるんですね」


「そうですねえ、本当に大財閥の息子というものも存在するのですから。そういうこともあるのでしょう」


「……それ、俺への皮肉ですか?」


「めっそうもない」


 ただ、と左京は一拍を置き、


「小さな町です。人の出入りも少ないここは確かに住み慣れたものには良いかもしれません。ですが、変化のない場所には往々にしてよくないものもたまってしまう。ここがそうならなければいいのですが」


 話によると、人志ひとし氏の行動で被害を受けている住人は多いそうだ。村の奥にある、町長が与えた別宅からは昼夜問わず音楽がけたたましく鳴り響き、注意するとしつこいほどに怒鳴り散らしたりと嫌がらせを行う。


 そんな環境を改善するために、町で唯一の小学校の校長である武田氏をはじめ、近隣住人は、警察への訴えを行っているが、各地のご近所トラブルよろしく、明確な手を打ててはいない。

 町長自身も放蕩息子には手を焼いているという。だが、あるいは家族であるための温情か、弱みでもあるのか、息子に対して強く出ることができないようなのだ。


 仲のいい町の唯一のトラブルの種。彼をめぐって町長と件の校長達は大喧嘩となったという。


「沢村さんの言う通り、町人みんなが仲良く過ごしてくれたらいいんですけど」


「中々うまくいかないのが、この社会なのでしょう」

 ふと、外を見上げると雲が夜空を被っていくのが見える。そういえば、今日は雨の予報が出ていた。

 翌日、十分に休んだ嵐と左京を宿の前で待っていた沢村巡査は、たっての願いということでとある民家を訪ねてほしいと訴えた。


 二人とも、自他ともに認める暇人であり、一宿一飯の恩がある。詳しい話を聞きながら、その家へと向かった。


「本当にありがとうございます。こんな老いぼれの願いを聞いてくださって」


「いえ、ここがその少年の家ですか?」


「ええ、瑠詩亜るしあ君といいます。元々おばあさんと住んでいたのですが、彼女は少し前に体を壊して入院してしまい……。瑠詩亜君もそれ以来、外にも遊びに行かなくなってしまったんです。私も少しでも力になりたいと思い訪ねているのですが」


「その瑠詩亜るしあ君が好きなのが、推理小説ということですね」


「自分でも書くほど熱中しとります。県警の刑事さんとも話すことができたら、なんか役に立つこともあると思うんです」


「それじゃあ、早く行きましょう!!」


 その話を聞き、嵐は前のめりに言う。久しぶりに人の役に立てる仕事だと思うと嬉しかった。

 そして、インターホンを鳴らし、しばらく待つと、小柄な少年が出てきた。少しやせて、線も細いが、眼鏡も相まって文学少年という言葉がぴったり当てはまる。


「巡査さん、どうしたの……って、え……」


 瑠詩亜少年は少し呆然とすると、進ノ介を凝視しながら、一言つぶやく。


「霊長類最強の女、潮来由利子いたこ ゆりこの愛弟子 ! 」


 


 嵐はその言葉を聞いて、ぎゅっと胸の奥が締め付けられたのを感じた。



 その名前は自分の誇りであり、けれど、刑事ですらない自分が名乗っていいのか分からない名前。

自分や弟妹たちの育ての親にして古武道の師匠。


けれど、驚きから次第に笑顔に変わっていく大樹少年を見ていると、そんな羞恥にも似た感情は途端になくなった。小さな少年の目に浮かぶ感情は間違いなく尊敬のそれで。


 霊長類最強の女の愛弟子……せめて、少年の期待に応えることくらいは許してほしいと、嵐は久しぶりにその名前を誇り高く名乗った。


「ああ、潮来圓明流、大江戸嵐だよ」


 そう言って、嵐は力強くサムズアップした。


◇◇◇


「これは、なかなか立派なものですねえ」


「そう、かな? 小説とか、漫画とか真似してるだけだよ」


「そうかもしれませんが、君独自の表現をよく研究しているのが見て取れます。ここだけの話、僕も学生時代には推理小説を書くことに熱中したものです。ですが、小学生の頃はここまで立派な文章は書けなかったですねえ。

 ほら、嵐君、この文章を見てください、情景描写が巧みですよ」


「そうなんですか? 俺、あまり文章書くの苦手ですから。まだ小さいのに、すごいなあ」


「なんか、意外。霊長類最強の女の愛弟子って何でも出来る人だと思ってた」


「うーん、そう言われると期待裏切るみたいで申し訳ないな。けど、俺が霊長類最強の女の愛弟子になれたのも、子供の頃から由利子オバサンと一緒に暮らしていたおかげだし、俺がスゴい訳では無いんだよな。 人には得意不得意あるっていうのも、きっと良いことなんだと思う」


 そういう嵐を瑠詩亜少年はじっと見つめている。


 瑠詩亜少年は潮来由利子の試合をテレビで良く見ていたらしく、しきりに握手だったりサインだったりを求めてきた。


「将来は小説家に成りたいんだ。あんまり、他の友達みたいに体動かすのも好きじゃないし、計算も苦手だし、」


「小説は継続して書くことが何より大事ですからねぇ。それが、意外と難しい。 それを君はできている。その点で将来有望だと僕は思いますよ」


 一方の左京はどこか面白いものを見つけた子供のように部屋の中をせかせかと歩きまわり、瑠詩亜少年の書いた本が置かれた本棚の前でしばし止まっていた。

 瑠詩亜少年は古いパソコンで書きつづった小説を紙のファイルに挟んで管理しているようで、かなりの冊数が棚におかれていた。少し、ひしゃげたファイルから表紙とタイトルが顔をのぞかせている。


 左京は、ほおほおなどと言いながら、それらを一つ一つ指さし、するとまた部屋を見回し始める。足取りは何処かぴょこぴょことしていて、年不相応に落ち着きがなかった。

 幾ら左京が傍から見れば英国紳士然とした男であっても、嵐からは奇人の類にしか見えない。


「あの、吉良警部は何してるんですか?」


「ああ、僕にはお構いなく」


「はあ……」

 そう言われると追及しようもないのだが。

 ひとしきり話をしていると、小一時間ほど経ってしまった。もうそろそろ帰らなければいけない時間だった。





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