あした

あした


初夏の日の保健室。



「あつー」



ハタノがシャツのえりぐりを掴んで、自分のシャツの中に新しい空気を送るようにパタパタと扇ぐ。



「暑いって言われるともっと熱くなるから黙ってて」



私は不機嫌に課題に取り込む。



来週には期末テスト。


ハタノと一緒に保健室で受ける。



それが終われば夏休みだ。



隣で同じ課題をしているハタノは暑い暑いってうるさい。



「ヨーコ先生!俺、麦茶が欲しいです!!」


「生徒を甘やかさない!これ、私の教育方針!!」


「えー!?」



私はヨーコ先生にニヤッと笑った。



「じゃあさ!この課題が終わったらお茶ちょーだい……ってのはどう?」



私もなんだか最近保健室登校に慣れてきて、ヨーコ先生とも仲良くなれた気がする。


ヨーコ先生は微笑みながらため息をついた。



「もう……しょーがないなー。終わったらだよ?」


「やった!」


「シミズ、ナイス!!てか、先生の教育方針どこ行ったんすか?」


「うるさい。ハタノくんにはあげない」


「なんでだよ!」



三人で笑う。


保健室登校してから数週間。


保健室で楽しい空間を知る。



「あ……シミズ、そこ違う」



右側にいるハタノがペンを持つ右手で私のノートまで伸ばすから、急にハタノとの顔のキョリが近付く。



「ここ……式の途中で入れ換えるの、忘れてる」


「あ……う、うん。そう…なんだ?」



ハタノが注意してくれたところからもう一度問題を解く。



「ハタノって頭…いいんだね?」


「ま……元々は真面目でしたから」



プリンだった頭をまた染め直したハタノの金色の髪は夏に似合っている。



ハタノはペンを回しながら私からまた離れた。



「そういや君達さー、」



ヨーコ先生の声にビクッとして、問題集に目を戻す。



「進路どうすんのさ?」


「進路?」


「受験生でしょ?もう夏休みなっちゃうし」



……どうするんだろ?


学校に来るだけで精一杯の私なのに。



……高校生か。


答えることも出来ずにペンを走らせる。


無言の私に対して、ヨーコ先生は無理に答えを聞きたかったわけじゃなかったようで、立ち上がった。



「じゃあ私はちょっと職員室に顔出しに行くけど、誰か来たら適当に言っといて。帰ってくるまでに課題終わらせたらお茶を用意してあげるから〜」



……本当にテキトーな先生だな。



でも、だから息苦しくないんだけど。



「……ハタノは進路考えてるの?」


「うーん、まぁちょっとね」


「そうなんだ」


「シミズは?」


「わかんない」


「そっか」



そこで進路の話題は終わったけど、話が終わることはなかった。



「そういや昨日シミズが言ってた動画だけど」


「あ、どうだった?面白いでしょ?」


「見つからなかった」


「なんで!?」


「検索かけても、なんかエロい動画ばっか出てきた」


「サイテー!」


「いや、俺が出したわけじゃねぇぞ?」



ハタノとはいつもこんな感じでどうでもいいことをたくさん喋っている気がする。


課題をしながらハタノと喋っていると、扉が開く音がした。


誰か生徒が入ってきたのだ。



「あ、シノオカ先生なら職員室に……」



言いかけたところで私は固まった。



女子達4人。


全員の顔がわかった。



……ミキ達だ。



4人の表情で4人とも私に気付いたのがわかった。



「……は?ヒカリじゃん?」



ミキの威嚇に似た、大きく張った声を聞いて、自分の口の中が一気に乾いた。



「学校来てたの!?いつから?」


「……」



汗が背中に流れるのがわかる。



今、ハタノの顔が見れない。



居合わせたくないメンバー。


最悪なシチュエーション。


ハタノと学校に来てからのこの数週間。


可能性があったのは、わかっていたのに……学校に来てからミキ達と会うことがなかったから……油断していた。


覚悟をしていなかった。



心臓がずっと嫌な感じにドキドキとうるさくて、震える。



「なにしてんの!?意味わかんないんだけど!?」


「……ミキ、」



……


……あれ?



「ずっと電話無視するしよ!」



お昼の間は、実は電話線抜いていたりしてた。


怖かったから。


……怖かったのに。



「そういや、今あんたの机どうなってるか知ってる?」



一人クスクスと笑うミキ。



一人。


後ろの三人は何にも言っていないのに、気が付いた。



ミキしか笑っていないんだ。



その光景が、妙にしょぼく見えた。


ハタノに顔を向けてみた。


私と目が合ったハタノは「ん?」と微笑んでくれた。



……なんだ。



……なぁんだ。



私はミキに返事もせずに課題の続きを始めた。



「お前、何シカトしてんだよ!?」



後ろで「……ミキ、もういいじゃんか」という声も聞こえてきた。



だけどミキはやめない。



「てか、見てよ。教室にも来れないで保健室で隠れるようにして学校来てんだよ?ウケる」



そう言ってミキは笑った。



そうか……きっとミキ達からしたら、私って負け組。



でも


……恐くない。


どちらかと言えばムカッとした。



教室に入れなかった。


入るのが怖かった。



でも嫌々、保健室に仕方なく登校しているわけではない。



ここが楽しい。



「ウチらが恐くて教室入れないんだよ?こいつ」



きっとミキ達にとって世界は教室だけなんだ。



学校で、教室で、椅子に座り、教室で勉強し、教室で決まったグループのメンバーと話をする。



その中で自分の価値を確認するんだ。



だから教室から逃げた私は価値の無い存在。


……でもそれってすごく狭い世界だな。



その狭い世界の中の楽しさも私は知っているけど、


無くしてしまったけど


悲しくてしんどかったけど



私はもう……大丈夫なはずだ。



「だからヒカリは……」


「ねぇ」



ミキ以外に喋り出したのは、ハタノだった。


それには予想外で私もギョッとハタノを見てしまった。


多分ミキ達も話しかけられるとは思わなかったみたいに目を見開いた。



「何しに来たの?怪我?」



淡々と聞いてくるハタノは真顔だった。



「話がしたいならこっち来て座れば?そんな立ってわざわざ見下ろさなくても」



今度はニヤッと笑ったハタノにミキは顔をしかめた。



「…………うざ。みんな、行こ」



ミキの言葉に皆がノロノロとまばらな感じで保健室を出ていった。



……内一人のミホコだけ振り返った。


何かを言いたげに私を見たけど、何も言わずに保健室を出ていった。



それはもしかして私に対する心配の視線だったのかな……。


そう思えるってことは、私もずいぶんポジティブになれたなぁとしみじみした。



教室から逃げた私だけど、今は教室に行く必要を特に感じないだけ。


行っても行かなくてもどっちでもいい。


選択肢が増えただけだ。


そう思える。



自分の意思で選んでいる。



なんだか弱虫の自分を正当化している考え方かもしれないけど……



「シミズ」



ハタノの顔を見たら『まぁいっか』と思えた。



「シミズ、大丈夫?」


「あぁ……うん。平気」



自分への嫌味や悪口を聞き流せるのはハタノの存在があったからかもしれない。



適当にしておけば、私へのイジメはいつか無くなるだろう。



ミキ以外に笑っていなかったミホコ達の様子を見てそう思えた。



人を蔑むのって優越感で一時的に楽しいかもしれないけど、ずっとずっとするには、やっている側も疲れてしまう。


続いたとしても、周りがついて行けなくなっちゃう……いつかは。


ましてや、卒業を迎えて、いつかは終わってしまう小さな世界なんだから。



本当の一人になってしまう前に、ミキにも気付いてほしい。



「シミズ、本当に大丈夫なのか?」


「うん大丈夫だってば」


「でもさっき女子達が色々言っても、シミズ何も言わねぇしさ」


「あー、あれは言う必要ないかなぁって。怖かったっていうか、どちらかと言えばムカついた」


「そうなんだ?」


「私に絡んでるヒマがあんなら、勉強すれば?って言ってやろうかと思ったもん」


「あはは」


「……言っても向こうの気分悪くさせるだけで、ムダなケンカにもなりたくなかったからガマンして黙ってたけど」


「おー、シミズさん大人ー!」



ハタノは笑いながら、私が本当に大丈夫だってわかったみたいでノートに視線を戻した。



「……ハタノ」


「ん?」


「……ありがとう」


「うん」



下を向いているハタノを見ていた。


なんだかその金髪に触れてみたい……とか思った。



「……私も髪染めようかな?」


「は?なんで?」


「気分的に。それにハタノみたいに思いっきり変えたら、すぐにミキ達も私って気付かないかなーって」



私が仲間と勘違いしていた男子達はハタノと同じ小学校の人達だっただけみたいだけど、見た目が変わると不思議と声を掛けられづらいのかもしれない。



「染めただけで気付かないってことはないだろ?」


「うーん、でも……」


「……シミズの髪、綺麗なんだから染めなくてもいいよ」


「……」


「……」


「自分で言っといて、照れるのやめてよ」


「……うるさい」



私の顔を見ないように勉強するハタノにプッと笑ってしまった。


教室の地獄もいつか終わってしまうのと同じで、こうして過ごす楽しい時間も卒業していつか終わっちゃうんだよな。


小さな世界って苦しくて愛しくて……あっという間だから、儚いな……。



ペンを握り直して、ノートに目を戻した。



「……シミズ」


「何?」



文字を書く涼しい音をお互いに鳴らしながら、会話だけは進める。



「高校……具体的にどこっての決めてないけど、やっぱ近くがいいなって考えてんだ」


「うん。いいと思うよ」


「……シミズも行く?」



…………え?


意味がわからなくて顔を上げる。



「高校、同じところ受けねぇ?」


「……」


「シミズが良かったらだけど」


「…………うん」


「え?」


「……いいよ、別に」


「そんなあっさり決めんのかよ」


「言い出したのハタノじゃん」


「まぁ、そうだけど」



ハタノの自分の頭をクシャッと掻いた。


あっさりって自分でも思ったけど……明日になっても夏が過ぎても、答えは一緒の気がするって思ったから。



自分で自分が少し可笑しくなって笑ってしまった。



「何笑ってんだよ」


「何でもない」


「何でもなくないじゃん」


「ハタノこそ何釣られて笑ってんのよ」


「シミズが笑うからじゃん」



なんで笑っているのか、わからないのに私もハタノも笑った。



よくわからないけど、楽しい。


一緒にいたら笑顔になる。



一緒にいれたら何でもいい。



まだハッキリと決まっていない明日だけど、とりあえず生きてたら、なんとかなる。



おぼろ道な明日をキミと生きる。



―fin―

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