おぼろ

おぼろ



「……これ、誰?」


「……俺?」


「……マジ?」



ハタノから渡された生徒手帳の中の写真にいるのは、黒髪の素朴な少年だった。



3年になってから新しく渡された手帳だから、長く見積もっても大体2・3ヶ月前の写真だよね?



案内されたハタノの部屋は広かった。


肩書きだけ考えると社長の家の子になるわけだから当たり前なのか?


そんな広い部屋にあるソファーに座ってジッと手帳を見ていた。



「中学入学しても半分ぐらいは同じ小学校だった奴らだったし……人間関係をアッサリやり直せるほど俺も器用じゃなくてさ……憂鬱になって数ヶ月後に学校行かなくなった」



少しずつ、自分の勘違いが修正されていく。


なんで同じクラスで見かけなかったのか……



はじめからハタノは教室に来ていなかったんだ。



早起きだったり礼儀正しかったり……ハンカチまでキッチリ持っていた。



髪色だけで不良って決めつけていたんだ。



「ずっと行かなかったら学校的にやっぱりマズイからとりあえず来い…来たら卒業させてやるって言われた」


「……―っなにそれ!?」


「日本の義務教育なんてそんなもんだろ」



そう言って笑ったハタノは妙に大人びていた。


「それで一年の途中から時々保健室登校をするようになったんだ」


「……そうなんだ」


「登校して何かをするってわけじゃないけど、行くってだけで少しは気は楽になった」


「そういうもん?」


「……やっぱ親の視線って息苦しいじゃん?」


「……うん、わかる」



心配だろうと怒りだろうと……どんなもので私を見守ってくれていたのか真実はわからないけど“学校に行けていない”ってことの時点で、それだけで親と話すことが苦しかった。


私の親は比較的、柔軟な方だったのかもしれないけど……それでも申し訳ない気持ちになったんだから苦しいに決まってる。



「保健室でもうちの両親は満足できていないのがわかっていたけど、その時の俺の精一杯がそこまでで……。それにじいちゃんがいたしな」


「おじいちゃん?」


「『学校行かんでも、男は自分の腕一本ありゃあ食って生きていける!』って」


「ずいぶん豪快なおじいちゃん」


「大工してんだよ。『俺がお前ぐらいの時は学校行かないで親方にしごかれた』って。ザ・職人気質って感じだけど、意外に寛容でさ。俺はじいちゃんがそう言ってくれたから精神的に参ることはなかったな。じいちゃんが仕事中の時はばあちゃん家でばあちゃんと一緒にいたり……ともかく引きこもらないで、外に出ようとしてた」



ハタノが少し苦笑いした。



「俺も、危うく心が腐って死ぬとこだったから」


「……うん」


「そんな感じでなんとなく毎日過ごして、保健室登校だって行ったり行かなかったり……だから、」



ニヒルでも苦笑いでもなく、ハタノは今度はちゃんと笑った。



「シミズの話を聞いたのは本当にたまたまだったんだ」



急に私の話になって、なぜか少し緊張した。



「保健室で寝てたら同じクラスで学校に来なくなった奴がいるらしいって、タムラ先生とヨーコ先生が話しててさ……それが聞こえてきたあの時…急に目が覚めた」



ハタノは私の手から生徒手帳を取って、過去の自分を見つめていた。



「俺……気付かないうちに、悲劇のヒーローみたいに悲しみに酔いしれてたのかなぁ……って」



静かに言ったハタノの表情にかける言葉が思い浮かばなかった。



「心のどっかで、なんで俺ばっかって。皆は幸福に普通に過ごせてていいなーって。いつか俺も……いつかは……って」


「……うん」


「でも本当は普通に過ごせてるヤツなんていないよな。人生に何の障害もない人間なんて……少なくとも……そのクラスメイトは何かに傷付いてるって知って、俺は一人じゃないって思って……急に視界が拓けたんだ」



過去の自分を見つめていた瞳は私の目を捉えた。



「だから迎えに行った」



頬が熱くなったけど、私もハタノから目が離せなかった。



するとハタノは照れくさそうに「へへっ」と短く笑った。



「変わりたいと思って…学校行けなくなったクラスメイトを変えてやりたいとかも思って……でも急に俺は変われるわけがなくって…急に迎えに行っても変に思われたら怖いな……って」



……


……そこまで考えてたなんて、そんなヘラヘラの笑顔の裏を気付けるわけないよ。



「……で、迎えに行くって覚悟決めたその夜、髪染めてやった」


「え!?」


「うん、思い切って金髪にしてやりましたよ」


「な……なにその思い付き!!」


「ははは、いや~自信ある男に生まれ変われるかなって」


「……意味がわかんない」


「じいちゃんが金髪に染めてるんだ。」


「わ……若いおじいちゃんだね」


「白髪誤魔化すだけだけどな。でも俺は……」



ハタノは自分の毛先をつまんで嬉しそうに微笑んだ。



「こんな些細な変化で勇気が出たんだ」



薄めた視界でも良く見えた髪。


日の光でキラキラとしていた髪。



その勇気は私へと繋がったのだ。



「迎えに行くことが出来ただけで俺は良かったんだ。不登校のクラスメイトがそのあと学校に行こうが行けまいが……ぶっちゃけどうでもよくて、俺にとってはそれだけで変われた気もするし、これから良い方向に変わっていけるような……前向きな気持ちになった」


「……私なんかがお役に立てて……良かった」


「良くないよ」


「は?」


「良くなくなったんだよ」



長いソファーで少しキョリをとって隣に座っていたハタノが私のところへ詰め寄った。



「しばらく迎えに行っても全然出てこないし……もう諦めようかとも思ったんだ?でも…どんな奴なのかってのはやっぱ気になって、最後はせめて顔だけ見ようって」


「へ?」


「……まさか裸だったとは思わなかったけど」


「あの時か!?」


「……俺も無茶したなぁとは思ったけど」


「そういう問題じゃないでしょ!?」


「……いや、本当にあの時はマジごめん」



ハタノが私から目を反らすことはなかった。



「あの時から少しずつ、俺の気持ちが変わっていった」


「……え?」


「名前も知らない、男か女かもわからなかったクラスメイトを迎えに行くこと。学校に行けない俺の勝手な親近感で始めたこと。結末がどうなろうと、俺が気まぐれに……したくてやったこと。誰でもいいから一緒に学校行ける仲間がいたらいいなって……なんとなく思ってたことだけど……」



ハタノの言葉に突然勢いが無くなる。



「だけど……今は……」



真剣な眼差しに心臓が痛いぐらい鳴った。


心なしかハタノの瞳が潤んでいるように見えた。



「今は、シ…シミズと一緒…行けたらって」


「……」



言葉をつっかえらせたハタノを見て、自分も上手く言葉が出なかった。




「誰でも良かったけど……俺はもう、シミズのこと…知ってしまったから」


「…………私のこと?」


「うん。顔とか声とか……怒ったり泣いたり傷付いたりしてるシミズを見て……どうでも良くなくなったんだ。シミズにも……世界を変えてほしくなった」



世界を変える?



「だから…だから俺、俺がシミズとまた学校行きたい…って思うんだ」


「そん……なこと」


「だから学校行かないとか言うなよ」


「……」


「学校で何か嫌なことあってもすぐに言ってくれたら、俺もどうにかなんないか一緒に考える!!諦めるってこと、俺はもうしたくない!!」


「な……なんでそこまで……」


「なんで……って」



近くまで来ていたハタノの顔が赤く染まって、私から少し離れた。



「……なんとなく。……俺もよくわかんねぇ……」


「なんとなくって」


「理由なきゃ、迎えに行っちゃ……ダメか?」


「……」



なんで私一人がこんなしんどい思いをしないといけないのかとか、なんで私一人に辛い出来事がふりかかるのかって……悲劇の主人公に酔いしれてたのは……私もだった。


勝手な思い込みでハタノを部外者に感じていたけど、ハタノだって傷付いていたし、もしかしたらヨーコ先生やミキ達だって何かと戦っているのかもしれない。



私が知らないだけ。


ワケのない人間なんて……いないのかもしれない。



でも……


世界を変えるって……どういうこと?



「……シミズ、行かない日もあってもいいけど……全部を諦めんなよ。道を全部断ち切らないでほしい」


「……」


「だから……」


「……」


「明日もシミズを迎えに行っても……いいか?」



私は……



自分の思いを伝えようと一回深呼吸をした。



「……ハタノ」


「もう窓から勝手に登らないし!だから──」


「いい」


「え?」


「……来なくていい」


「……」



私はもう一度深呼吸してからハタノの顔を見た。



「わざわざ……私の家に来るとか、ハタノが大変じゃんか」


「そんなことない!俺は気にしな……」


「ハタノがしなくても、私は気にする」


「……」


「河辺。……今日の昼に行った」


「河辺?」


「私の家とハタノの家の間」


「……え?」


「そこで待ち合わせた方が……早いし、効率いいよ」


「シミズ」



私は……私の気持ちは……



「明日、そこで待ち合わせてから……そこから…一緒に学校行こう」



学校が行きたくなったわけじゃないけど、もう少し……ハタノと一緒に過ごしてみたいと……思った。


ハタノは目をパチパチとさせて、私を見ていた。



「な…んで?」


「理由は……私もわからないけど、本当は学校休みたいけど……でも、それでもいい?」


「…………うん」


「本当に?まだまだ弱虫だし、強く生まれ変わったわけでもないし、また学校がイヤになって、ハタノに八つ当たりしたり、引きこもったりしたり……うだうだ泣いちゃうかもしれないけど……」


「うん」


「それでも、明日……一緒に行ってもいい?なんとなく…行ってもいい?それでもいい?」


「うん、いいよ」



ハタノが笑った。


世界が変わる。


違う。


もう変わっていた。



それはハタノの話を聞いたからか


泣いたからか


カーテンで守ってくれたからか


なんだかんだで学校に一歩入れたからか



ハタノと手を繋いだからか……



違う……もっと前から?



アメをもらったから


花をもらったから


ハンカチを借りたから


引っ張ってくれたから


怒って殴って



ハタノが窓まで登って、目が合ったその瞬間から



始まっていたのか。


ハッキリと『ココから!』って線を引くことは出来ないけど、どこでもいいんだ。



これからもきっと変わり続ける。



だから……とりあえず、なんとなく……



「……ハタノ、ありがとう」



きっと、明日もなんとか、なるのかな。

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