16「三人の旅路」

 それからも三人の旅は続いた。わずかな文明の手がかりを信じて、どこかに人間の暮らす場所がないかと探し求めた。一方で、三人は旅を楽しむことを一番大切にした。


シーン1 霧の湿地


 三人は霧の漂う湿地を歩いていた。数メートル先までしか見通すことが出来ず、膝元まで冷たい水に浸かっている。大きな生き物の影はなく、音も全くしない静かな場所だった。


「はぐれないように気を付けて」


 ユウから離れないように、エスタとアーシャは彼にぴったりとくっついて歩いていた。

 やがて、エスタが何かを見つけた。


「ほら。あそこ。仲良く泳いでる」


 エスタが指差した先には、水鳥の親子がいた。親鳥を先頭に、子鳥が四羽列を為して水面を進んでいる。


「かわいい」


 アーシャは興味を持って、水鳥の列に近づいていく。親鳥は突然の来訪者にも慌てるそぶりを見せず、優雅に泳いでいる。子鳥も親鳥のすぐ後を健気に泳いでいた。

 もっと見ていたいと思ったアーシャは、子鳥のさらに後ろに並んで歩き始めた。なので、ユウとエスタも水鳥の親子についていくことにした。

 そのうち、一番後ろの最も小さな子鳥が水草の多いところに引っかかって動けなくなってしまった。親鳥は子鳥を助けるでもなく、黙って立ち止まり様子を見守っている。

 子鳥はもがき苦しんでいた。


「たいへん! たすける!」


 アーシャは手を伸ばして助けようとしたが、ユウが静止した。


「黙って見ていよう。これも試練なんだよ」

「しれん?」

「そう。あの子が成長するためのね」

「アーシャのべんきょう、いっしょ?」

「うん」


 子鳥はばたばたと羽や足を動かし、必死に自然と戦っていた。


「がんばれー」「まけるなー」


 エスタとアーシャが口々に声援をかける。祈りが通じたのか、子鳥は懸命にもがいて、どうにか絡み付いた草から脱出することが出来た。親鳥はそれを見届けると、また何事もなかったかのようにすいすいと前へ泳いでいく。

 三人はそこで親子を見送った。エスタとアーシャは一つの親子愛の形を心に刻み付けていた。


シーン2 菌の森


 三人は紅葉茂る薄暗い森を歩いていた。辺りには目に見えるほどの大きさの粘菌がべったりと木に張り付いていたり、ふわふわと色とりどりの胞子が浮遊している。ユウは胞子を吸い込むことによる危険性を警戒し、念のため自分たちに《不適者生存》をかけておいていた。


「あ、きのこ!」


 アーシャが指を差す。そこには、足の親指大の茶色のきのこが群れを為し、わらわらと「歩いていた」。それら全てに小さな手足と豆のような目が付いている。きのこと言うよりは、普通の生物のようである。


「ほえー。ちっちゃいのが生きてるんだ」

「歩いてるきのことか、初めて見たよ」


 エスタとユウが口々に感心する。興味からエスタが近寄っていくと、蜘蛛の子を散らすように逃げ出してしまった。


「ああもう! おれ何もしないよ!」


 エスタがあたふたする中、アーシャは人差し指を口にくわえて、ユウに尋ねた。


「食べられそう?」


 言われてユウは、これを食べるのかと言いたくなったが、とりあえず逃げるうちの一匹をさっと摘み上げてみた。よく観察してみる。成分解析をしたところ、毒はなさそうであるが。

 しかし目が合った。うるうるしていた。とてもうるうるしていた。


「……いや。やめておこう」

「そうだね。食べても美味しくなさそうだし」


 エスタも追随する。つぶらな瞳に気が咎めてしまったのである。アーシャは一人だけ、なぜか涎を抑え切れなかったが、確かに可哀想かなと思いここは我慢することにした。

 実はこのきのこ、焼くととても美味なのであるが、三人に知る由はない。


シーン3 巨大熊の洞穴


 洞穴を探索していた途中、三人は巨大熊が寝ているところを横切ることになった。


「今は気持ち良く寝てるみたいだから、静かにね」


 起こしたら戦いになってしまうかもしれない。勝てない相手ではないだろうが、ユウとしては無駄な戦いは避けたかった。


「「しーっ!」」


 アーシャとエスタは示し合わせたように、満面の笑顔で指を口元に添えた。

 そろりそろりと、抜き足差し足で慎重に歩を進めていく。気分はユウのお話に出てきたニンジャである。

 別にそこまでしなくてもいいんだけどなと思いながら、ユウは仲良く楽しそうに歩く二人をどこか懐かしい気分で見つめていた。自分にもあんな頃があったかなと。


シーン4 大雪山


 海より新大陸へと上がってから、さらに数か月が経っていた。ユウに残された時間も、あとわずかとなっていた。

 どうやらこの旅は成果なしに終わってしまうかもしれないと、この頃ユウはそう考えるようになっていた。ただ救いなのは、エスタとアーシャ当人はこの旅を心から楽しいと思ってくれていることだった。

 ユウたちは今、険しい雪山を登っていた。

 高度はおそらく既に数千メートルにも達している。ユウが持つ数々の力のおかげで辛うじて登れているものの、生命というものが暮らすにはあまりにも厳しい環境であった。

 小さな身体の二人にも、等しく猛吹雪は叩き付ける。一寸先も見えず、耐えず吹き当たる風と雪のせいで、目を開けるのも難しいほどだった。


「大丈夫か?」

「なんとかね!」

「アーシャもへーき!」


 約一年に渡る世界を知る旅は、二人の子供を一回りも二回りも成長させたようである。

 エスタは色々な知恵を学び、見聞を広げた。自分で一通りの暮らしが出来るまでに成長した。背も随分伸び、筋肉も付いて、身体つきも次第に逞しくなってきている。

 アーシャも少しずつ語彙を増やし、常識を吸収していった。今ではもうほとんど普通に会話が出来るまでになっている。背が伸び、肉付きも柔らかみを帯びて、胸も膨らんできている。線の細くみすぼらしかった少女は、逞しく美しい身体を持つ女になろうとしていた。

 これまで、ピンチになったことはたくさんあったが、何とか無事にここまで旅をさせることが出来た。それが自分の役目だと、ユウはそう考えて力を尽くしてきた。

 もし二人だけになったとしても、きっとやっていけるだろう。出来るだけのことは教えたと、ユウも自負している。


 ――別れの日が近づいている。また次の旅が始まる。


 そう割り切るには、あまりにも密度の濃い一年だった。楽しい一年だった。本当に、ずっと三人だけでやってきたのだから。

 血は繋がっていなくても、家族のような関係になっていた。いや、これが家族なのだと、ユウは胸を張って言える。

 とても温かい旅だった。幸せな旅だった。

 その日はもうすぐやってくる。避けることは出来ない。


 不意に、視界が晴れ上がった。


 とても不可思議で、壮大な場所が開けていた。

 三人は、ただ立ち尽くしていた。あまりの光景に、立ち尽くすしかなかったのだ。

 これまで目にしてきた何よりも、何よりも、大きくそして深い谷――


 そこには、世界の裂け目が広がっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る