13「白砂の海岸 1」

 エスタは、遥か地平線までずっと広がる青に、すっかり心奪われていた。


「きれい~!」


 日の光を浴びてキラキラと水面が反射しているのを、アーシャはわあっと見とれている。ユウはじっと静かに佇んで、潮の匂いを感じている。

 やがて思い出したように、指差してユウに問いかけた。


「ねえユウ。あのでっかい水たまりはなに?」

「海だよ。あれが海」


 実際には馬鹿に広い塩湖の可能性もあるが、とりあえずユウはそう言った。その方がエスタも喜ぶだろうと思って。


「海……本当に、あったんだ……おじさんの言ってたことは、本当だったんだ!」


 エスタが飛び上がって、雪のように白い砂浜を駆けていく。走る後には、くっきりと小さな足跡が続いた。アーシャもエスタを真似して追いかけるように走り出した。ユウはそんな二人に目を細めて、自分も追いかける。

 一番乗りはエスタだった。波打つ水面に恐れなく足を踏み入れた。ひんやりとした水の感触が、彼には気持ち良く感じられた。


「うわあ~!」

「おみずいっぱい!」


 アーシャはもっと大胆だった。いきなり全身から水面に飛び込んでいく。バシャーンと大きな水しぶきが舞い上がり、数秒後元気にざばっと顔を出して一言。


「しょっぱい!」

「はは。海の水はしょっぱいんだよ」


 水面の一歩手前で立ち止まったユウが、アーシャに笑いかける。


「うー」


 アーシャは顔をしかめて、ぺっと水を吐き出した。目にしみたのか、くしくしと手で目をこすっている。

 ユウは女に変身して、念のため手で水を一掬いし、成分解析魔法をかけてみた。


「ただの塩水か」


 ほっとする。間違って彼女が毒でも飲んでいたらえらいことだと思ったが、杞憂のようだった。男のときに周囲を警戒してみたが、近くに大きな生物もいないようだし。ユウは提案した。


「せっかくだし、ここで泳いでみる?」

「およぐ?」

「うん。気持ちいいよ」


 首を傾げるエスタに、ユウは微笑んだ。泳ぎ方を覚えておけば、どこかで役に立つこともあるだろう。


 十分後。エスタとアーシャは水着に着替えて並び立ち、同じく着替えたユウに倣って準備体操を済ませていた。ユウは上下に分かれたピンク色の水着(「私」も泳ぎたいと言ったので、感覚の共有出来る女の身体で泳ぐことにした)、エスタは縞柄の海パン、アーシャは水色のスポーツ水着である。


「じゃあいってみよっか」


 ユウが二人の手を引いて海へ入っていく。二人の足が付くか付かないかくらいの深さで止まり、まずは浮くことから始めることにした。


「身体の力を抜いて。足を離してみて」


 素直で恐れ知らずな二人は、かつて幼少時散々苦労したユウとは違い、いとも簡単に海に身を任せてみせた。


「わあ。浮いた!」

「おー」


 二人とも、ふわふわする感じがたまらなく楽しかった。どうやら地球の海よりも塩分濃度が濃いのか、かなり浮きやすいようだ。下は冷たくて、照り付ける陽射しがぽかぽかして、エスタはこのままふわーっと漂っていたい気分になった。

 ユウは早くも大事な第一関門をクリアした二人に、拍手を送りたい気持ちだった。


「さすが飲み込みが早いね。浮けるんだったら、あとは手足を使って前に進むだけだよ。最初はちょっと難しいかもしれないけどね。エスタ」

「ほあい?」


 日向ぼっこから我に返ったエスタに、ユウは手を伸ばした。


「掴まって。足をバタバタする練習しよう」


 まずエスタから、ユウが手取り足取り指導を開始した。ユウが手を引きながら、エスタに足を動かさせる。ユウは簡単なバタ足から入るつもりだった。少しそうしてから、一度手を離してやらせてみるが、さすがのエスタもすぐには上手くいかないようだった。もう二三回やらせて、そろそろアーシャに代わろうかとユウが考えたところで。

 エスタが頑張る様子を横から見ていたアーシャが、不思議そうに指をくわえて言った。


「およぐ、こう?」


 アーシャは顔を水に付けた。そして足を砂底から離し、バタバタ一生懸命に足を動かした。遅いながらも、自力で前に進んでいるではないか。


「すごいすごい! ちゃんと泳げてるよ!」


 ユウが驚きに沸いて、エスタがびっくりして目を見張る。顔を上げたアーシャは、得意満面の笑みだった。


「アーシャ、およげた!」

「すっげえな!」


 エスタがもう何度目になるかわからないすっげえなをアーシャに言った。素直に称賛しつつも、しかし彼にはどこか悔しい気持ちが芽生えた。彼は男の子なのだ。


「ユウ! おれもすぐ泳げるようになる! 早く教えて! ねえ、はやく!」

「わかったわかった。うん」


 エスタの熱意に押されて、ユウは付きっきりで教えることにした。アーシャはすぐに出来るようになりそうだから、ちょっと悪いけど後回し。


 それから、しばらく二人きりで練習して。エスタは一回のチャレンジで数メートルは進むようになってきた。


「楽しいけど、中々難しいね」

「大丈夫。ちょっとずつ伸びてるよ」

「だよね。おれちょっと上手くなってきたかも」

「うんうん。息継ぎがちゃんと出来るようになればもっと――」

「およぐ、たのしい!」


 少し横に目をずらすと。いつの間に身に付けたのか、アーシャはクロールと息継ぎで器用に泳ぎ回っていた。それもかなりのスピードで。エスタはどこか呆れた口ぶりで言った。


「……なんかもう普通に泳いでるのがいるんだけど」

「……あの子は天才肌だから、気にしちゃダメだよ」


 その後、ユウの丁寧なマンツーマンの指導の甲斐あって、日が沈むまでにはエスタもそこそこ泳げるようになった。



 海岸の夜は冷える。白かった浜も闇に隠れて、静かに波の音ばかりが繰り返される。

 ユウはテントを立て、中で温かいスープを振る舞った。エスタもアーシャもずっと泳ぎ続けて疲れたのか、ご飯を食べて風呂に入るとすぐに寝てしまった。


 船旅、か。ここから先に進むのは、ちょっと骨が折れそうね。


 二人が寝静まった後、ユウは夜の海を前に佇み、そんなことを考えていた。

 小船程度ならすぐに魔法で作れるが、まともに航海するためにはより大きくしっかりした造りの船が必要となるだろう。それを無から直接作り出すには、残念ながらこの世界では魔力許容性が足りない。

 よってどこかで材料を調達し、加工しなければならないが、転移魔法で緑針樹の群生する森まで戻り、伐採するのが良さそうだ。一度では足りず、何度か往復する必要はあるだろう。食料も「心の世界」には保存してあるが、こちらでさらに確保するに越したことはないし、二人を海の環境に慣れさせるためにも、あと数日は欲しい。

 せっかくだから、この辺りで少しゆっくりするのもいいだろう。急ぎの旅ではないし。魚の取り方でも教えてあげようか。

 ユウは、そんなことを考えていた。彼女の艶やかな黒髪を照らす月明かりが綺麗だった。

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