12「巨獣の丘 3」

 また別の日のことである。ユウたち三人を執拗に付け狙うイエローハウンドとの戦いも、いよいよ佳境に入ろうとしていた。

 イエローハウンドたちは、狙った獲物であれば、どんな巨大獣であろうと必ず仕留めてきた。彼らにすればほんの豆粒でしかないユウたちに、しかし彼らは幾度となく退けられてしまった。誇りを傷付けられた彼らは、群れのボスを筆頭に総攻撃を畳み掛けてきたのである。

 背後を守るユウを最後尾に、エスタもアーシャも、きゃーきゃーわーわー楽しそうに悲鳴を上げて逃げていた。二人とも既に、ユウの《マインドリンカー》と気力強化によって身体能力の引き上げがなされている。二人はユウに対して心を開いている上に自らも進んで開こうと協力するので、効果も非常に高かった。

《マインドリンカー》の効果は、人数と、何より各人がいかにユウと心を通わせているかに著しく依存する。使用者であるユウ本人に最大の効果がかかり、それよりやや倍率は劣るものの、親密度に応じてエスタとアーシャにも三人分を足し合わせた強化効果がかかる。これにより、本来の実力に圧倒的な差があっても、ユウと協力すれば、あまり遅れを取らないような動きが出来る。

 一般に、フェバルほどの実力者であれば、各世界の現地人は塵のようにか弱い存在に映ってしまう。どう取り繕ってみたところで、実際は「足手まとい」になってしまうものだが、ユウの力の使い方は「足手まとい」を極力作らない。あくまで現地人と対等に触れ合おうとするユウが編み出した、優しい力の使い方である。

 ユウは走りつつ、後方に手を突き出して構えた。


《気断掌》


 掌から、さながら衝撃波のような見えない波動が生じる。

 生命エネルギーのみでなく、心の世界の力も合わせて気力として用いれば、距離の制限を受けずに気力を飛ばすことが出来る。エスタとアーシャの分の力が上乗せされているので、威力も申し分なかった。

 波動は追う獣のうち数体に直撃し、その全てを昏倒させた。

 ユウは、立て続けに《気断掌》を連発した。一発放つごとに、何匹もの巨体がなぎ倒されていくが、そいつらを乗り越えて次々と群れが迫って来る。その数と執念は凄まじいの一言であり、やがて単純なスピードに勝る獣に三人は周囲を隙間なく取り囲まれてしまった。

 こうなった場合でも、ユウが《気断掌》などを使って一点突破することや、あるいは魔法を使えば突破することは可能であるが、中途半端な高さの魔力許容性の関係で、一気に打ち倒すまではいかない。またじきに取り囲まれてしまうだろう。このままでは埒があかないと判断したユウは、二人に呼びかけた。


「エスタ、アーシャ。もっと力を借りるよ。協力してくれ」


 快く返事をした二人は、ユウに力を貸そうと気持ちを集中する。それだけでユウは実際に力が湧いてくるのだった。

 試しだ。この実戦でやってみるか。

 ユウはあえて集団戦に向く女に変身せず、男のまま、左手を開いた状態で前に突き出した。腕を伸ばしたまま、大きく円を回すように動かし、水平方向に軌跡を描いていく。一見何でもないような動きではあるが、その実は掌に気力を集中させて、なぞる軌跡に従って強力なエネルギーの塊を宙に作り出していた。照準は、今にも総攻撃を仕掛けてきそうな全方向の獣たちにぴたりと合わせている。


「二人とも伏せて」


 以心伝心でエスタとアーシャがさっと伏せたタイミングで、痺れを切らした猛獣が三人へ飛び掛かる。ちょうどそのときを、ユウは狙い澄ましていた。

 相手が攻撃を最も避けにくい瞬間。それは相手が攻撃に意識が向いた刹那である。

 ユウは一度腕を引き、力強く拳を握った。気合を込めて、掛け声と共に手を再度前へ突き出す。

 周囲に展開させてあった気力が、一斉に解き放たれた。


《気断衝波》


 全方位に対して、不可視の衝撃波が飛ぶ。

 猛然と飛び掛かるイエローハウンドに、同時に衝撃は炸裂した。巨体が宙であり得ない方向にのけぞり、まるで風にでも吹かれるように、彼らは向かったはずの方向と真逆に跳ね飛ばされた。その勢いのまま、後方に控えていた猛獣たちに激突し、さらに数百体もが巻き添えを食らってふっ飛んだ。

 時間にしてわずか数瞬のことであるが、その後、状況は一変していた。

 折り重なるようにして仲良く倒れている獣たち。彼らが圧倒的優位で取り囲んでいたはずの円の中央に、健気に伏せる二人の子供と、ただ一人二の足で立つのはユウだけだった。

 ユウは突き出した掌そのままの体勢で、新技の確かな手応えに満足した。


「よし。これで男のままでもまとめて相手が出来るようになったぞ」


 ゆっくりと腕を下ろす。目を瞑って伏せていたエスタとアーシャが立ち上がり、周囲の状況を見て感嘆の声を上げた。


 すると、奥からただ一頭だけが、ユウに向かって戦意を向けたまま歩み寄ってきた。

 他よりも一回り大きな体と、滲み出る威厳。群れの視線が彼に注がれている。間違いなかった。


「お前が群れのボスか」


 ボスはユウの攻撃に巻き込まれ、既に手負いだった。対するユウは、ほとんど無傷である。

 もはや勝敗はほぼ見えているが、しかし目の前のこの相手を倒さなければ、この戦いは終わらないとユウは理解していた。ボスにとっても、群れの長として譲れない誇りと意地がある。互いに引けない一線だった。

 ユウはエスタとアーシャを庇うように前へ進み出た。ボスもさらに進み出る。

 他の連中が円を取り巻いて見守る中、ユウとボスが睨み合い、対峙する。野生の戦いに無駄な前口上はない。

 ユウが左拳に気力を集中させる。手負いのボスが足に力を溜める。

 先に仕掛けたのは、ボスの方だった。牙を突き立てて、ユウを亡き者にせんと迫る。

 対するユウは冷静だった。獣の牙をすれすれのところで見切り、かわす。隙だらけになった相手の懐に潜り込んだ。

 どいつの目にもはっきりわかるように、直接殴り倒す。ユウは地面を蹴って飛び上がり、ボスの顎に強烈なアッパーを見舞った。

 もろに一撃をくらった獣は、悲鳴のような鳴き声を上げて空高く舞った。宙で何度も錐揉み回転する。

 彼が背中から痛そうな音で地面に叩き付けられるのと、ユウがエスタとアーシャに向けてピースサインをするのが一緒だった。


「道を開けてもらおうか」


 ユウが群れに向かって呼びかける。もう邪魔をする奴はいないだろうとユウは考えていたが、ここで彼にとって予想外の反応が起こった。

 イエローハウンドたちは邪魔をするどころか、まるで犬のように従順に伏せてしまった。しかも尻尾まで振っているではないか。


「あれ。急にどうしたんだ」


 あまりの変貌ぶりに戸惑うユウに、あ、とエスタが思い当たった。


「もしかして、ユウが新しいボスになっちゃったんじゃない?」

「え。そういうことってあるのか?」


 実際そのようである。健気に新ボスの沙汰を待つ群れを前にして、ユウはどうしたものか困ってしまった。

 そこに、先ほどから何やら考え込んでいたアーシャが良い考えを思い付いた。わくわくした気分で獣を指し示して、言った。


「アーシャ、のる!」


 エスタもその提案には賛成だった。


「楽しそう!」


 ユウもまあいいかという気分で頷いた。ついでに閃いた。


「せっかくだから元ボスに乗っけてもらおうか」


 治療を施して、ユウは元ボスに声をかけた。


「この丘を抜けたいんだけど、道案内してくれるか」


 自分の能力を使って、元ボスの心に語りかける。獣が相手でもニュアンスくらいなら伝わるだろうと思ってのことだった。元ボスは小さく唸り声を上げた。問題ないという意である。


 イエローハウンドの背中に揺られて、三人は軽快に進んでいった。三人の乗った元ボスに、大名行列のようにずらずらと手下の獣がついていく様は中々に壮観だった。エスタはちょっと自分が偉くなった感じがして、得意な気分に浸っている。


「はやーい!」


 アーシャは目をキラキラさせて、特に変わり映えするでもない草っぱらが流れていくのを見ては喜んでいた。

 ユウも戦いで疲れた体を獣の背に投げ出して、もふもふな毛皮の感触に頬を綻ばせていた。


 しばらくして、ユウは元ボスにこっそり尋ねてみた。


「ところで、俺たちの他に俺たちみたいな生き物を見たことはないか」


 しかし、この質問に元ボスは肯定の意を示さなかった。ユウの表情が曇る。

 元々こんな馬鹿でかい獣がうじゃうじゃいるような世界である。エスタとアーシャは、あの水晶のような壁が隔たりとなって、奇跡的に生きられていただけではないだろうか。あまり他の生き残りは期待は出来ないかもしれないと、ユウはこれまでの歩みを冷静に振り返って、そう考えるしかなかった。


「なあ。エスタ。アーシャ」


 ユウは正直に懸念を伝えた。これからも危ない旅は続く。命を落とす危険もあるかもしれない。森に帰って二人で過ごした方が良いのではないかと。

 しかし、二人は頑として首を縦に振らなかった。エスタは真剣な目で言った。


「おれね。もっと世界を見てみたいんだ」

「世界を見たい、か」

「うん。ユウがいないと、絶対こんなところまで来れなかったと思うから。今ね、とっても楽しいんだ。だからさ、ユウ。もっと色んなところに連れていってよ!」

「でも、もしかしたら、もう他に生き残りがいないかもしれない。それでもいいのか?」

「もしいなかったら、そのときはそのときだよ。アーシャだっているもん。もう一人ぼっちなんかじゃない」

「うん。アーシャ、いっしょ!」


 二人の凛とした瞳と覚悟を見て、ユウは改めて決意を固めた。二人が旅を望むなら。行けるところまでは、力の限り支えようと。

 すると、エスタはやや思い詰めた顔でユウに頼んだ。


「あとね、ユウ。おれに色んなこと教えて欲しいんだ。おれもユウみたいに、強くなりたい」


 彼にも彼なりの決意があった。いつも守ってもらってばかりで、アーシャよりも弱い自分をちょっと情けなく思っていた。今日の戦いぶりを見て、彼の燻っていた心に火が付いたのである。

 ユウは彼の気持ちを受け止めて、真剣に考えてから答えた。


「わかった。教えよう。でもね。君に教えるのは、ただ相手を打ち倒すための力じゃない」

「どうして?」

「君が本当に必要なのは、自分とアーシャを守れる力だよ。生きるための知恵だ。俺がいなくなっちゃった後もね」


 中途半端に戦う力を付けさせては、大型生物がうようよいるこの星ではかえって危険を生むだろう。それよりは、危ないものを見極めて強かに生き残る力を身に付けて欲しい。それがユウの考えだった。

 自分が勝てない相手に正面からぶつかって無理にでも勝たなければならない状況というのは、実は少ない。それよりも、正面からぶつからないように、そしてぶつかったとしても負けないために手段を尽くすことの方がずっとやりようがあり、しかも大事である。

 これから自分がこの世界を離れなければならなくなったとき、その後無事に二人が暮らせるようにしてやることが、自分がこの世界で果たすべき役割ではないか。ユウはそう考えたのだった。


「うん。そうだね」


 エスタは言われたことの意味をよく考えて、素直に頷いた。ユウの目を見つめて、真剣に自分のことを想っての答えだと察したのである。エスタもユウみたいにでっかい獣をやっつけられる強さには憧れるけど、本当に大事なのはそんな力じゃないことを、これまでの生活で肌身に感じていた。


「えーと。アーシャは」

「アーシャ、たび、すき!」


 心から旅を楽しむアーシャに、何も聞くまでもないかと、ユウは微笑んだ。


 それからの移動は、見違えるほど楽になった。日が落ちるまで獣の背中に乗って送ってもらい、夜は小屋に戻って休む。翌日にまた丘へ転移すると、従順なイエローハウンドたちはすぐにやってきてくれた。

 数日後、三人は巨獣の暮らす丘を抜け出した。

 丘の先は、獣たちの行動範囲を超える。ユウは元ボスに指揮権を「一時的に」預け(一生付いていきますみたいな顔をされたので)、自分のいないときもエスタとアーシャの言うことは聞くようにと念を押した。寂しそうに見送りをしてくれる獣たちに、アーシャはばいばいと手を振り続けた。

 

 そして、丘の向こうに待っていたのは、真っ白な砂浜と、澄み渡る青い海だった。とうとうユウたちは、陸の果てに辿り着いたのである。

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