10「巨獣の丘 1」

 巨大な首長恐竜がのしのしと歩いている。サイのような鼠色の肌をしていた。しかし肌の表面はサイのざらざらした印象のものとは似ても似つかず、見るからにつるつるとテカっていた。


「でっけー」


 最初は驚いていたエスタも、そいつが大人しいので、すっかり見とれている。


「おーきー!」


 アーシャが指をさして、またいつものようにはしゃいでいる。

 ユウも言葉には出さないが、素直に大きいなと思っていた。かつて自身が刃を交えた龍よりも、サイズで言えば数倍増しである。丸みを帯びて盛り上がっている背中も相まって、まるで山がそのまま動いているかのようだった。

 ユウは振り返った。ちょうどこの水晶のような鉱石の壁が隔たりとなって、その前後で生態系が分かれてしまっているのだろうかと推測した。そのような推測をしたところで、何かあるわけでもないが。


「ねー、ゆう」


 アーシャがユウの袖をちょいちょいと引っ張った。最近の彼女は何か言いたいことがあるとき、そうするのが好きなようだ。


「どうした?」

「あれ、のる!」


 マジか、とユウは思った。危ないんだけどなあと思いながら、まじまじと彼を見つめる顔を見つめ返す。

 目が。輝いている。宝石のようにキラキラしている。


「のるー!」


 かわいい。なんてかわいいんだ。守りたいこの笑顔。

 ユウはリスクと彼女のご機嫌取りを天秤にかけ、とうとう根負けして、飛行魔法を使うために女に変身した。当然エスタも来たがったので、一緒に抱きかかえて空へ浮かび上がる。

 やがて盛り上がった背中に辿り着いて、そこでユウは二人を降ろした。

 背中からの眺めは、絶景だった。今は夕日と同じ色をした恒星が、一面に広がる草のカーテンを紅の海のように燃え上がらせている。爽やかな風とひんやりとしたおいしい空気が、ユウをリラックスした気分にさせてくれた。特に今日はずっと薄暗い洞窟にいたものだから、気持ちも良かった。

 首長恐竜が一歩歩くごとに、足元がぐらりと揺れる。地震みたいで、エスタもアーシャも面白がった。


「おれ一人じゃ絶対こんなところまで来れなかったよ」


 ユウを見て、エスタが嬉しそうに言った。ユウもにこりと頷いた。


「ゆう!」


 声がした方を見上げると、ユウは驚いた。

 いつの間にかアーシャは、恐竜の首をよじ登っていたのである。彼女は二人に向かって手を振っていた。


「きゃー!」


 首を滑り台代わりにして、彼女は滑り降り始めた。そんな遊びが出来るくらい恐竜の肌は滑らかだった。

 黄色い悲鳴を上げて楽しんでいる途中、恐竜の首が横に動く。勢いの付いていた彼女は、止まることが出来ずに宙へ弾き出された。


「あー!」


 勢いのままくるりと回転し、頭から落ちていく。


「うわ」


 ユウは慌てて飛行魔法で追いかけ、逆さになっているアーシャの足を掴んだ。彼女に負荷をかけないようにゆっくりと減速する。安全にぴたりと空中で静止して、ユウはほっと一息吐いた。


「ふう。危なかった」

「あはははは!」


 薄いピンク色の綺麗な髪を風に揺らして。逆さ吊りになったアーシャは、何事もなかったかのように笑っている。何かあってもユウが助けてくれると悟っているのだ。

 鋼の心臓の持ち主というか、怖いもの知らずというか。ユウもただ一緒になって笑った。


「おれもおれも!」


 今度はエスタが同じように恐竜の首によじ登っていた。恐竜からしたらいい迷惑である。


「たあっ!」


 第二陣が出撃した。今度は、首長恐竜が気分で首を下ろしたので、少年は本来滑りたかった方向とは逆にごろごろ転がり始めた。そして彼もまた宙に投げ出された。

 ユウはやれやれと肩を竦めた。


「もう一人助ける子が増えたね」

「ふえた!」


 エスタを空中で拾い上げると、ちょうど恐竜と目が合う位置になった。


「ごめんね。うちの子がやんちゃで」


 ユウは何となく恐竜に話しかけた。恐竜は、答える代わりに鼻息を噴き出した。

 エスタとアーシャは日が沈むまで恐竜の背中で遊び続け、ユウはそれを見守った。



「今日は大変だったね」


 日没後、三人は転移魔法で水晶壁の手前まで帰ってきていた。あの丘は素敵なロケーションではあるが、あんなところで野営をすればいつ踏みつぶされるかわかったものではない。しばらくは壁の手前が拠点となるだろう。


「たー」

「ん?」


 例によって魔法で作った食卓に頬杖をついているアーシャは、何か言おうとして、頭を捻らせている。ユウは彼女を静観した。


「のーしー」


 一音ずつ確かめるように発音して、そこで彼女の顔がぱっと明るくなった。


「かった!」


 ちゃんと言えて、アーシャは嬉しかった。満面の笑みで、テーブルの下に投げ出した足をばたばたさせる。

 

「おれも楽しかったよ。ちょっと怖かったけどね」

「そっか」


 感想を聞いて、ユウも満足していた。危険もあったが、二人が楽しかったならそれが何よりである。


 今日も三人は入浴した。エスタとアーシャは毎日汚れだらけになるし、ユウも今日は激しく動いたからべとべとだった。

 エスタに引き続き、アーシャも自分で身体を洗うやり方を覚えようとしていた。ぎこちない手つきで泡を付けていく。自分で触った方がくすぐったくなかった。デリケートなところや、仕上げはまだユウが洗ってあげた。

 三人とも頭と身体を洗い、綺麗になった。肩まで気持ち良さそうに湯船に浸かっている。


「数を教えてみよっか。百まで数えたら上がってもいいよ」


 入浴がてら数を学ばせようというユウの提案だった。エスタは頷き、アーシャはよくわからないけど楽しそうにしている。


「いーち」

「「いーち」」


 ユウの発音に続いて、聞いた真似で二人が続ける。


「にーい」

「にーい」「にー」


 二人とも口をいーっとして、真面目にやってくれた。ちゃんとついて来ていることに安心したユウは、この調子で百までゆっくり続けた。


「のぼせたー」

「うー」


 真っ赤になった二人は、ぐでんぐでんになってテーブルに突っ伏している。


「ふっふ。まだまだ鍛え方が足りないね」


 寝巻の上にタオルを巻くという出で立ちで、頬を紅潮させさっぱりした顔のユウは笑った。


「ユウはどうして平気なんだよー」

「だよー」

「私の生まれたところはみんなお風呂好きなの」


 お風呂大国日本で過ごしたユウには、この程度の長風呂は朝飯前だった。

 ユウもテーブルの二人の反対側につけて、何となく二人と同じようにくたーっとなってみた。おっぱいがちょうどテーブルに乗っかって、やや横乳が強調される。


「そう言えば、ユウの生まれたところってどんなところなの?」

「なのー?」


 エスタが気になって尋ねる。アーシャも後ろだけ真似っ子した。ユウはちょっと考えて、微笑んだ。


「後で寝ながら話そうか」


 しばらくまったり寛いでから、ユウは寝袋を出した。少し窮屈なくらいのサイズで、三人が入ると、肌が密着して温かかった。エスタは、顔を近付けるとほんのりと漂ってくるユウの甘ったるい匂いが好きだった。

 ユウが地球の話を、かつて母親にそうされたように、おとぎ話っぽくして語り聞かせる。二人ともわくわくして楽しそうに聞いていたが、途中でアーシャは力尽きてぐっすり眠ってしまった。エスタも眠くなったが、何とかくらい付いていた。


「ユウはさ、どんな子供のときを過ごしてたの?」

「うーん。昔のことだからね。あんまりよくは覚えてないんだ」

「そっかあ。ふあーあ」


 エスタが、大きくあくびをした。とうとう限界のようである。


「おやすみ」

「おやすみ」


 おやすみをして、エスタもすぐに眠りに落ちた。


 二人が寝静まった後、ユウは一人で考え事をしていた。

 子供時代、か。

 能力の特性上、ユウが覚えていないわけはない。別に話せないことではなかったのだが、しかしとても話のしにくいことではあった。ユウ自身、あまり整理の付いていないところがあるからだ。


 ユウには、かつて大切な親友がいた。

 ミライとヒカリ。

 けれど二人は、突然いなくなってしまった。何も言わずに。

 いや、本当に何も言わなかったのだろうか。今はそれすらもわからない。

 地球にいた誰もが、なぜか二人のことを覚えていない。

 ケン兄に話しても、親戚に話しても、クラスメートに話しても。誰も覚えていない。

 自分だけしか、二人があの町に暮らしていたことを覚えていない。

 自分だけしか、二人の思い出を持っていない。

 あのときユウは、どうしようもなく怖くなった。

 自分と親しい者は、みんな自分の前からいなくなってしまう。何かを思い返しても、ただ「綺麗だった思い出」しか返って来ない。そこに今の自分はいない。

 その思い出は本当に確かなものか。誰も二人を知らない。それすらもわからない。

 誰にも自分を受け止めてもらえない。誰にも自分を曝け出せない。そんな人が出来たとしても、またいなくなってしまうのではないか。

 ユウは本当の友達を作るのが心底怖くなった。どうしようもない孤独を抱えて、上っ面だけをどうにか誤魔化して生きていた。

 あのときユウの心はとっくに弱り切っていて。ぼろぼろだった。ウィルがほんの少し突けば、それだけで折れてしまうほどに。

 だから、初めての異世界で確かな友情を受け取ったとき、ユウはどんなに心救われたことだろう。

 エルンティアで確かな愛情を受け取ったとき、ユウはどんなに心満たされたことだろう。

 地球で失ったと思っていた大切なものを、ユウは旅の中で確かに受け取っていた。やはり目の前からいなくなってしまうのだとしても、決して色褪せることのない大切なものを。

 そして、今も受け取っているのだ。

 ユウは、自分にすり寄る二人を温かい目で見つめた。

 たくさん受け取ったのだから、今度は自分からも何か与えていければと。ユウはそう思った。

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