9「水結晶の洞窟」

 翌日からユウはアーシャに教育を始めた。心の世界を通して、物事の意味や言葉のニュアンスを彼女の心に直接伝えることで、通常の学習よりも遥かに効率良く学ばせることが出来た。一緒に、エスタにももう少し高度な知識を教える。

 数日が経った。アーシャは、ほんの少しではあるが言葉を喋れるようになっていた。彼女自身が熱心で協力的ということもあったが、それにしても驚異的な成果である。

 赤土と岩に覆われた山はさほど標高はなかったようで、気力強化をかければ子供の足でも難なく登破することが出来た。エスタもアーシャも、元々自然の中で育ってきたためか、見た目の貧弱さほどやわではないようだ。

 そして、山を乗り越えた先に待ち受けていたものは。

 三人は、圧巻のスケールにただしばらく立ち尽くしていた。

 壁。天を突くほどに高い、一面の絶壁である。

 再び色は変わり。水晶のように透き通った青色の鉱石が、でこぼこと壁にびっしりと張り付いて、自らの形を成していた。

 前方は隙間なく塞がっていた。揃って見上げてみるも、上の方はもやがかかっていて全く果てが見えない。左右の側にもどこまでも伸びている。エスタとアーシャはほえーと口を開けていた。

 ユウは試しに飛行魔法で可能な限り飛び上がってみた。が、途中で限界を感じて降りてきた。この世界はさほど魔力許容性が高くないため、最後まではとても魔力がもたない。もし切れてしまってもユウ一人ならば崖登りをするという手もあるのだが、さすがに子連れでそれをするのは無茶がある。

《パストライヴ》を連続で使って無理やり上がっていく手も考えられたが、いくら心の世界に負担がかからないと言ってもあまり何度も使うと体力を消耗してしまう。登り切れるとは限らず、とても賢明な選択とは言えない。

 どうやら行き詰まりである。引き返すか。一応保険として転移魔法のマーキングはしてあるが……

 ユウが女のままあれこれ考えていると、アーシャがちょんちょんと袖を引っ張った。


「ゆう」

「なに?」

「あな!」


 アーシャが指差したのは、崖の中腹にぽっかりと口を開いた洞窟であった。考え事をしていたので、見落としていたようだ。


「ユウなら行けるんじゃない?」


 エスタは冒険の続行に乗り気だった。アーシャは単純にわくわくしているようだ。目が好奇心に輝いている。

 しかし洞窟か。

 ユウは迷った。一般に洞窟というのは、ゲームのダンジョンのような生易しいものではない。危険極まりない場所である。段差や穴だらけであったり、滑りやすかったり。天井も足場もいつ崩れるかわからない。酸素がないことや、毒ガスが充満していることもある。明かりも道しるべも当然何もなく、道もどう分かれているかわかったものではない。道に迷えば死が待っている。

 だがユウには転移魔法がある。危険があっても安全な場所まで戻ることは出来るが……

 決断を下す前に、ユウは入り口まで飛んで行って下調べをしてみた。

 風は通じている。向こう側にも出口はあるかもしれない。硬い青色の鉱石がそのまま足場になっていて、しっかりしてはいそうだ。しかもこの不思議な鉱石はどうやら自ら光を発しているらしく、奥も明かりが必要ないほど見通しが良かった。

 これならば。油断は禁物だが、行ってみる価値はありそうだとユウは思った。


【反逆】《不適者生存》


 念のため、自分と二人に保険をかけておいた。レンクスから学び取ったこの技をかけておけば、少なくとも環境のせいで死ぬことはない。


「行ってみよう」

「「おー!」」


 音もなく静かで、幻想的な場所だった。中はひんやりとしていて、肌寒い空気が三人の身を包む。角ばった鉱石が、キラキラと青い輝きを湛えていた。まるでサファイアのように綺麗である。道中生き物の姿はほとんど見当たらず、奇妙な形をした地味な色の羽虫がぱたぱた飛び回っているのが目に付くだけだった。アーシャが「むし!」と喜んではしゃいでいる。

 アーシャが勝手に走り出さないか心配だったので、ユウはよく言い聞かせてちゃんと手を引いていた。エスタはアーシャとは反対側でユウにぴったり張り付くようにして歩いている。

 しばらく歩いていく。元々一番大きいユウが立って歩けるほどには広かったが、奥の方はさらに広がっていた。


「はな!」


 アーシャがぴょんと跳ねた。自分で覚えた言葉を使うだけで楽しいようだ。

 見ると、そこだけ光が少し強くなっていて、彼女の言う通り小さな白い花がびっしりと群生している。


「こんなところに花が咲いているなんてね。綺麗」

「アーシャに摘んできてあげるよ」


 エスタがお兄ちゃんらしいところを見せて、花に近づいていく。

 ユウも微笑ましく眺めていたが、注意深く観察すると、近くに例の羽虫の死骸が散乱しているのに気が付いた。嫌な予感がした。


「危ない」


 ユウは慌てて屈もうとしていたエスタの肩を掴み、ぐいと引き寄せた。

 それとほぼ同時に、花弁から一斉に、ぴゅっと勢い良く緑の液体が飛び出した。物が溶けるようなおぞましい音がする。

 実際に液体は鉱石を溶かし、穴を開けてしまった。強酸だった。


「こうやって栄養を稼いでいるのか」

「ひえー」


 間一髪のところで助かったエスタは、おっかなびっくりしていた。


 気を取り直した一行は、さらに進んで行く。

 すると、途中で三つに道が枝分かれしていた。ユウは転移魔法のマーキングを付けてから、風魔法を使って空気の流れを測った。どうやら真ん中の道が向こう側に繋がっているようだ。

 また進む。洞窟は日の光がないため、時間の感覚が失われてしまいそうになる。ユウはおおよその時間を頭で測っていた。そろそろ日が傾き始めてきた辺りだ。もう少し進んで出られそうになければ、適当なところでワープポイントを設定して、一度外に飛んで夜を過ごそうかと考えていた。


 そのとき、ぴくりとユウの眉が動いた。

 何か来ている。

 ユウは警戒を強め、男に変身する。下手をすれば崩れる可能性もある洞窟の中で、あまり魔法は使用したくなかった。


「ちょっと下がってて」


 ユウは手を引いた。彼の真剣な様子を感じて、エスタはアーシャの手を引き、庇うようにして壁際へと引き下がった。

 ぬるりと、音もなく何かが向かってくる。


「わああああーーー!」「あー!」


 二人が叫ぶ。姿を現したのは、蛇のような軟体動物だった。身体は太く長く、後ろが見えないほど巨大だった。体表はなめくじのようにぬめぬめしていて、目はない。見た目にもグロテスクで、気持ち悪い姿だった。

 ユウは感心していた。気配を消していたのかと。動物にしてはほとんど完璧な反応の消し方だった。ここまで綺麗に消せるのは珍しい。そのため、気力感知のない女の姿でいたユウは、かなり接近するまで気付けなかったのだ。

 口を大きく開けて三人を呑み込もうと飛び掛かる化け物に、ユウはあくまで冷静だった。

 素の気剣のままで十分。

 左手に剣を構えると、彼は地面を蹴り出して相手の側面に回り込む。化け物には捉えることの出来ない素早い動きだった。

 至近距離から一歩踏み込むと、力を込めた斬り上げを打ち込む。

 蛇のような頭は、胴体から綺麗に切り離された。ずずんと重たい音がして、化け物の巨体が沈む。

 ほとんど何事もなかったかのように戦いは終わった。この程度の相手なら、ユウは魔獣ハンターをやっていたときに何度も戦ったことがある。

 締めに気剣をさっと一振りしてしまったユウに、ほっとしたアーシャとエスタが抱き付いてきた。


「ユウ~!」「ゆうー!」

「よしよし。怖かったね」


 かなり怖い思いをさせてしまった。大分疲れただろう。今日はもう一旦帰って休もうか。

 そんなことを考えていたユウを、息を吐く間もなく違和感が襲う。

 なんだ。気が急に膨れ上がって。

 化け物の死体がびくんびくんと蠢いた。まさか、頭を落としたというのにまだ生きているのか。

 そうではなかった。死体の内側から、肉が膨れ上がって。破れた。

 湧いて出てきたのは、「蜘蛛」のような生き物であった。実際は蜘蛛ではないのだが、ユウにはそれに近いものに見える。

 親指の先ほどに小さいが、何より数が異常に多かった。しかもどんどん増えていく。

「蜘蛛」たちは、自らが生まれ出たところの肉塊を一生懸命喰らい始めた。 

 ユウはぎょっとした。エスタも同じ反応をして、アーシャだけはきょとんとしている。

「蜘蛛」は、常識ではあり得ない勢いで急成長を遂げていた。食べた肉の質量そのままに、瞬く間に一体一体が、人の子供程度の大きさまで膨れ上がっていく。

 ユウたち三人と、成長した「蜘蛛」の目が合った。ユウはぞっとするような危機感を覚えた。

 まずいぞ。こいつら、当然自分たちも食べるつもりだ。

 何百体、いや何千体いるかわからない。これだけの数を相手にするのは、さすがに末恐ろしいものがあった。


「掴まって! 早く!」


 ユウの声には焦りがあった。すぐに応じて、エスタがユウのお腹に掴まり、アーシャがユウの背中に掴まった。

 そうしている間にも、「蜘蛛」たちはわらわらと膨れ上がり、洞窟の隙間を埋め尽くすように数を増していった。

 ユウは走った。

「蜘蛛」たちはもちろん獲物を逃がさない。わらわらと押し寄せて来る。

 走りながら、ユウは女に変身した。


 火の玉。撃て。


《ボルケット》


 後ろ手に、牽制で威力を調節した魔法を数発放つ。等身大の火球に何匹かの「蜘蛛」が身を焼かれ、声にならない鳴き声を上げて死んだ。しかし大半は恐れを知らずになおも追跡しようとしてくる。いや、本能で動く蟲どもは、恐れという感情がないようだ。

 数が多い。キリがない。

 洞窟では、大規模な魔法を使うことは出来ない。囲まれてしまえば、ユウは二人を守って戦い切る自信がなかった。それに、無理に戦う必要性もない。

 こうなっては仕方がない。この洞窟は諦めて別の道を探すしかないか。

 そのとき、ユウは頬に風を感じた。気付く。

 しめた。出口が近い。

 ユウはもう一度男に変身した。


「よーく掴まってろ!」


 あえてユウは笑った。呼びかけに応じて、二人が掴む手にぎゅっと力を込めた。


「「にげろ~!」」「えろー!」


 エスタがどこか楽しそうに悲鳴を上げた。アーシャはきゃーと悲鳴を上げて笑っている。ユウはひたすら走った。一足地を蹴るたびに、ぐんと空間を置き去りにしていく。それでもこの場所は「蜘蛛」たちの得意とするフィールドであり、容易に引き離すことは出来ない。

 明かりが見えた。最後の一押しに、ユウは《パストライヴ》で飛び込んだ。何もない空へと三人の身が投げ出される。

 ユウは足に力を込めて、バンと華麗に着地した。

 どうやら無事に逃げ切ったようだ。穴を超えてまでは、「蜘蛛」たちは追っては来なかった。もし襲って来たとしても、この広さなら苦も無く焼き尽くすことが出来る。

 ユウはふう、と胸を撫で下ろした。


「ばいばーい!」


 獲物を取り逃がし、寂しそうに洞窟へ引っ込んでいく「蜘蛛」たちに、アーシャが笑顔で手を振っていた。


「うわあ!」


 するといきなり、エスタが情けない声を上げた。ユウが振り返ると、あわわわと腰を抜かしている。

 彼が指差すところを見上げたとき、ユウもさすがに腰が引けた。アーシャだけは相変わらずわあっと顔を明るくして、平気にしている。

 三人の目の前を、山のように大きな首の長い恐竜――ユウにはそうとしか表現のしようがなかった――が、悠然とした歩みで横切っていった。

 燃えるような夕焼けが、膝の丈まで伸びた草を赤く照らしている。命からがら洞窟を抜けた先に広がっていたのは――巨獣たちの暮らす丘だった。

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