4「緑針樹の森 3」

 緑針樹は、月の光を受けてぼんやりと輝きを放っている。この木々のおかげで、夜になっても視界が閉ざされることはなかった。

 最初、ユウにとっては感動的な情景であったものの、さすがに何日と経てばもう慣れてしまった。元からこの森に暮らすエスタにとっても見慣れたものである。

 ユウは、魔法で二人分の椅子と寝袋、それからテーブルを作り上げた。いわゆる属性魔法ではなく、実際の物を魔法で作り上げるというのは至極大変なことなのだが、完全記憶能力を持つ彼女ならば完璧にイメージして構成することが出来る。

 エスタはユウが次々と変なものを取り出すので、びっくりしている。


「なにそれ!?」

「椅子とテーブルと、寝るときに使うものだよ。大抵のものならちょちょいってね」

「すごいんだね。ユウって」


 目をキラキラさせるエスタに、ユウはふふ、と少し得意気に微笑んだ。魔法が普通に使える世界というのは、やはり便利なものである。

 追加でフライパンと食器を作ってから、ユウは席についてエスタを促した。


「そこに座って。夕飯にしよう」

「はーい」


 言われるまましゃんとテーブルにつけたエスタは、改めて向かいのユウをきょろきょろ見回した。

 何だか見たこともない服を着ていて。見たこともない物をたくさん出して。よくわからないけどすごいとしか、彼には感じようがなかった。

 ところで、夕飯にしようとは言ってくれたものの、彼女は手ぶらで何かを持っている様子はない。そこで彼は、背負っていた布袋に手をかけつつ言った。


「おれの木の実、分けてあげるよ」

「ああ。いいの。大丈夫だから」


 ユウはエスタを優しく制止してから、フライパンの上に手をかざした。

 すると何もないところから、動物の赤肉がぱっと現れて鉄板の上に乗った。朝にユウが狩って血抜きをしておいたものだった。

 エスタは目を真ん丸にして驚いてしまった。彼女は特に説明することもなく、ただにこにこしている。


 今のユウは、心の世界に直接物を保管するようになっていた。

「彼」の師であるイネアが与えてくれたウェストポーチを、エルンティアにおける戦いの最中で喪失してしまったことがきっかけとなった。

 エルンティアに平和が戻った後、リルナと共に、ユウは自らの厄介極まりない能力と向き合い、どうにかして使いこなすべく模索した。時に暴走しかけたこともあったが、リルナの協力で抑え込んでもらいながら、ユウは数か月をかけていくつか新たな能力の利用法を開発することが出来た。


 心の世界にはユウが体験した世界事象がそのままの形で蓄積されていき、蓄積された事象は任意で利用することが出来る。

 この性質は、従来は受け身で使われてきたものであった。だがこれを能動的に利用して、心の世界を容量無制限のストレージとすることをユウとリルナは思い付いた。

 実在の物もまた事象の一種である以上は、心の世界に取り入れること、そして取り入れたものはそのまま取り出すことが出来る。

 例えば目の前のある物に対して、ユウが「しまう」ことを選べば、現実世界から心の世界に所属が移動し、「取り出す」ことにすれば、心の世界から現実世界に所属が移動する。このように単純に物を出し入れするだけならば、心の世界に与える影響もほとんどなかった。

 こうしてユウは、ある世界の事物を保管し、また別の世界へと持ち越すことが出来るようになった。母から譲り受けた魔力銃ハートレイルを始めとして、エルンティアで役に立ちそうな装備はあらかた心の世界に入れてある。

 さらにもしものときのために、水や食料も大量に備蓄してあった。心の世界ではそのままの形で保管されるため、取り出すまでは永遠に腐ることはない。


 同じ原理で、もう一つの強力な利用方法として、《アシミレート》と《ディスチャージ》を編み出した。

《アシミレート》は、相手の攻撃を、当たる瞬間に心の世界へ吸収することで無効化してしまう技である。体術による直接攻撃こそ防ぐことは出来ないが、例えば銃弾や光線、大抵の魔法に対しては問題なく通用する。

 さらに、吸収した攻撃を保管しておいて、任意のタイミングで《ディスチャージ》、放出することが出来る。

 この使い方では、本来食らうはずの技の性質や威力の分に応じて心の世界が活性化してしまい、暴走のリスクが常に生じる。そのため滅多なことでは使えないが、いざというときに役に立つ切り札だった。


 心の世界の利用は大変な危険を伴うものではあったが、それを承知の上で積極的に克服しようとし始めたことで、ユウは実力を飛躍的に向上させつつあった。

 とりわけリルナの存在がユウにもたらしたものは計り知れない。彼女との繋がりがユウの心の支えとなって、影から大きな力を与えてくれていた。


「すっげー。ユウって、食べ物も出せるんだ。何でも出来ちゃうの?」

「そんなことないよ。これは朝のうちに狩ってしまっておいたものを取り出しただけだし」


 さすがに生物の肉までを魔法で作り出すことは出来ない。


「ちょっと待っててね。すぐ作っちゃうから」


 ユウは、肉を風魔法で手頃な大きさにスライスした。スパイスを適量かけ、火魔法を使って炒めていく。ここは彼女の腕の見せ所だった。

 ユウにはかつて修行で培った一流のサバイバルスキルと料理スキルがある。どんな過酷な環境に放り出されても、今なら満足に生き延びられる自信があった。この程度の森ならば、彼女にとってはもはや朝飯前である。

 他にも、その辺りで採っておいた草やきのこを心の世界から取り出して焼いていく。これらについては、事前に成分解析魔法を用いて毒のないものをしっかりより分けてあった。

 まさしく魔法のような手際に、エスタはただただ圧倒されるばかりだった。ユウが料理を進めていく様子を、心奪われたまま見つめている。美味しそうな匂いが漂ってきて、よだれが止まらなかった。お腹もぐうぐう鳴ってくる。

 彼が待ち遠しい思いで待っていると、やがて真っ白なお皿に整然と料理が盛り付けられていった。最後に水魔法でコップに水を注ぎ、皿の横に置く。


「はい。出来上がりっと」


 フライパンを魔法解除して、ユウもエスタの向かいの席に着いた。頬杖をついて、彼と向き合う。

 スライスされた動物の肉に、野草ときのこが程良く彩りを添えて。もうもうと湯気を立てている。鼻から湯気を吸い込めば、芳醇な肉の香りと野草の香ばしさ、それからきのこが放つ独特の匂いが混じり合って、食欲を刺激する。


「うわあ! これ、ほんとに食べていいの!?」


 だらしなく口を開けてよだれを垂らす少年に、ユウは頬杖をついたまま頷いた。


「もちろん。召し上がれ」


 いただきますを言う習慣も、食器を使う習慣もないようだ。エスタは熱々の料理をものともせず、手づかみでがっついた。

 ユウの頬杖がずれた。困ってしまったが、まあいいかと思い直して彼の様子を見つめる。

 もぐもぐと口を動かし、ごくんと飲み込んで。

 少年を、電流が突き抜けた。調理というものが醸し出すハーモニー。今まで味わったことのない衝撃。

 彼は声を失ったまま、とにかくわけのわからないほど感動していた。やや遅れて、感動は喉の奥から言葉となって溢れ出した。


「おいしい! すっごいおいしいよ!」

「ふふ。よかった」


 それだけ言うと、もう夢中になってかぶりついていく。空腹に困っていた身体に、痩せ細った血肉に、一口一口が染み渡っていくようだった。

 ついユウの分まであっという間にぺろりと平らげて、彼は大満足だった。


「こんなの、初めてだよ!」

「そんなに喜んでもらえると作った甲斐があるよ」


 手と口をべたべたに汚している。見かねたユウは、エスタのところへ回って綺麗に拭き取ってあげた。


「今度一緒に手を汚さない食べ方を覚えようね」

「うん」


 エスタにとって、ユウに初めて振る舞われた食事の味は、忘れられないものとなった。


 近寄ってみると、ユウはずっと洗っていないであろう彼の土汚れと体臭がとても気になった。


「それにしても。身体の方もひどく汚れちゃってるね」

「そうかな」


 汚れている自覚の全くない彼は、きょとんと首を傾げた。元々集落に暮らしていたときも、時々気まぐれに近くの小川で水浴びする程度で、そういったことには無頓着だった。

 そこで、ユウが提案する。


「よし。お風呂入ろうか」

「おふろ?」


 また聞いたこともない単語に、エスタは首を傾げた。


 ユウは魔法で風呂桶を作り、すぐ冷めないように熱めのお湯を沸かして入れた。それから、さすがに女のままで入るのはまずいと考えて、男に変身した。


「また変わったね」

「まあ気分だよ。服脱いで。そこに出したシートの上に置いて」


 エスタは、素直に従って服を脱いでいく。冷たい夜風がむき出しになった肌に当たって、身震いした。

 ユウも一緒に服を脱いでいく。細身ながら無駄なく全身を鍛え上げられた筋肉質の身体が露わになった。

 お互い何も隠すものがなくなって、平気で立つユウとぶるぶると寒がるエスタは、熱々の湯気を立てるお風呂の前に並び立った。


「思い切って飛び込んでみろ」


 寒くてたまらなかったエスタは、ユウに言われるとすぐにぴょんと風呂桶の中へ入って行った。

 

「あちちち!」


 途端、彼は未体験のお湯の熱に身体をばたばたさせ出した。ユウは面白がって笑うと、後に続いた。


「熱いよ! ユウ!」

「すぐに慣れるって」


 エスタはしばらく熱がっていたが、段々身体がお湯の温度に慣れてきた。もう頬を蕩けさせて、肩まで一杯浸かっている。


「ふわあ~。あったかい」

「な。気持ち良いだろ」

「うん!」


 人懐っこいエスタは、ユウの方へ近寄っていく。彼は何となくユウの腕に興味を覚えて、触れてみた。

 ボディービルダーのような一目でわかりやすい力強さはないが、指の腹で押してみると、硬く弾力のある感触が返ってきた。

 ユウの肉体は、過酷な旅と長時間の戦闘に耐えられるように、極めて実用的な鍛え方がなされているのだった。


「硬いんだね」

「鍛えてあるからね」


 エスタは自分の貧弱な腕を見下ろす。力こぶしを作ろうとしてみたが、何も出来なかった。死んだおじさんやユウのようにはいかない。

 単純に気になって、エスタは尋ねた。


「ねえ。どうしたらユウみたいに強くなれるの?」


 ユウ自身は自分をあまり強いと思ったことはないのだが、それでも彼からすれば雲の上のような存在だろう。ユウは自分の思っているところを素直に答えた。


「まず気持ちが大事なのかな。強くなろうって心に決めて。強くなるためにはどうしたらいいかを考えて。一歩ずつ出来ることをやっていくんだよ」


 結局は当たり障りのないの答えになってしまうのだが、それが事実だった。ユウも何の力もないところから地道に鍛錬を続けて、ようやく行く先々の世界の人々から一目置かれる程度にまでなったのである。

 実際は環境であったり才能であったり、自分のように天から降って湧いたような能力や運命だったり、色んな要素が絡んでくるので、誰もが望む通りにはいかない。

 そうであっても、一人一人それぞれ出来ることを考えてやっていくしかないのは変わらないし、そういった心掛けや試みが大切なのだと、ユウは思っている。


「そっかあ。頑張るしかないんだね」

「エスタもまだまだこれから大きくなるから、きっと強くなれるよ」


 大自然の厳しい環境で過ごす年月は、彼を立派な男へと変えてくれることだろう。

 無事に生き抜くことが出来れば、であるが。

 自分がいなくなった後でも生き延びられるように、色々と教えてやらないといけないなと、ユウは考えていた。


「よーし。おれも強くなろう」


 エスタはやる気満々に意気込んだ。


 ところで仕方のないことだが、エスタから物凄い量の垢が浮き上がっている。

 ユウは心の世界からシャンプーを取り出して、掌に零した。


「さて。頭を洗おうか。いいって言うまで目瞑っててね」

「わかった」


 エスタは、素直過ぎるくらい瞼にぎゅっと力を入れて目を瞑り始めた。ユウはそんな彼を微笑ましいなと思いつつ、よく掌で泡立ててから、少年の頭を丁寧に洗っていった。

 砂の混じった髪は指に引っかかったが、ごしごししていると次第に解れていった。お湯で綺麗に洗い流すと、ささくれだった少年の黒髪にも幾分艶が現れた。


「どうだ。さっぱりしただろ」

「うん。なんかすーすーする」


 エスタは自分の髪を触ってみて、べたつかないのを気に入っていた。


 入浴後はまずユウが服を着てから、女に変身して魔法でエスタの新しい服を作ってあげた。元のぼろぼろの服では可哀想だと思ったのだ。

 エスタが上がってくる。ユウは彼の濡れた身体を丁寧にタオルで拭き、服を着せた後、髪は熱風の魔法で乾かしてあげた。


 二人はそれぞれ寝袋に入り、じっくり語り合った。冷え過ぎないように、ユウは持続する火魔法を空中に浮かべている。

 エスタは興味津々でユウの旅の話を聞いた。自分もまたおじさんと過ごした身の上話をたくさんした。

 まともな教育を受けたことがない少年の喋り言葉はやや拙いながらも、その語り口は明るく明快で、何より素直だった。なのでユウも楽しく彼の話を聞くことが出来た。


 やがて話疲れたのか、エスタがあくびをした。そろそろ寝ようかとユウが声をかけると、彼は急にわかりやすくもじもじし出した。何か言いたいが恥ずかしくて言えない。そんな様子である。

 察したユウは、寝袋を少し魔法で広げて隙間を開けた。そしてにこりと微笑んで脇を開けた。


「おいで。夜は冷えるから」


 エスタはぱっと笑顔を浮かべて、喜んでユウの寝袋に潜り込んでいった。

 肌を寄せ合って、身体を温め合う。エスタが嬉しそうに言った。


「あったかいね」

「そうだね」


 エスタは、ほっと安らかな顔を浮かべている。ユウも内心そんな気分があった。互いが身を寄せて孤独を埋め合っていた。

 寝るのに落ち着くポジションを探して、顔を突き合わせる形から、エスタは寝袋の下へ潜り込んでいった。

 すると、ユウのシャツの隙間から覗く柔らかな膨らみに目が付いた。彼の視線がそこで止まる。

 母性を求める本能がそうさせたのだろうか。エスタは、自然とユウの胸に顔を埋めた。

 ユウは思わずぴくっとしたが、子供に他意のないことはわかっているので、気にしなかった。引き離すようなことはせず、代わりに愛おしむように彼の身体を抱き締めてあげた。

 そうしていると、エスタは気分が安らかになって、満たされるような心地だった。


「ユウ、柔らかくていい匂いがする」

「うん」


 しばらくそのまま抱き抱えていると、エスタはすやすやと寝息を立て始めた。

 態度では平気そうでも、やはりとても寂しかったのだろうなと、ユウは思った。

 眠るエスタは、べったりと甘えるようにユウにしがみついている。


「おやすみ。エスタ」


 綺麗になった彼の髪をそっと撫でて。念のため周囲に魔法の防御を張ってから、ユウも眠りに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る