第5話 やさしさと甘い想いを・・・
5、
小夜香は、帰宅し早々にテーブルの前の床にペタリとつき、大きな袋をテーブルの上で開けて、中の物を取り出した。勿論、それはあのおもちゃ屋にあった天使の人形だ。
彼女は、天使の人形に「おかえり」と言って抱き締めた。
「テンちゃん、おかえり……とても寂しかった。やっと、戻って来てくれたのね。もう何処にも行かないでね……これからはずっと私の傍に居てね」
彼女は、一時間ほど人形に話し掛け時を過ごした。その時の彼女は、まるで小さい頃に戻ったかのように天使の人形を相手にその頃のままの幼な言葉で、お人形遊びに興じていた。
「テンちゃん、そろそろ私、お腹空いちゃった。テンちゃん、買ってきたハンバーガーを一緒に食べようね? うん、それじゃあ、今お湯を沸かせて来るね。スープを入れるから、待っていてね」
彼女は、そう言いカップにインスタントのスープを入れて来て、天使の人形のテンちゃんを前にハンバーガーを頬張った。
食べている間も彼女は人形遊びに夢中だったが、頭の片隅におもちゃ屋のおじいさんのことを思い返していた。
彼女は、帰る間際に如何して私の顔を見ただけで、私の名前が判ったんですか、と問うと、そのおじいさんが言ったのは……。
「それは、小夜香ちゃんのお顔がお母様のお顔そのままで、私も見た途端、吃驚して、まさかそのお母様が来てくれたのかと思いました。しかし、私は、小夜香ちゃんのお父様の菊川様に、小夜香ちゃんのお母様は、貴女の小さい頃にお亡くなりになられたと、耳にしておりましたので、小夜香ちゃんのお顔を拝見した時は信じられないくらいに、それはもう吃驚致しましたです」
と言い。更に、こういうことも話してくれた。
「先程、私は、貴女様は確かに此処へは初めてです。と言いましたが、しかし、それは確かでは御座いません。正確に云えば、小夜香ちゃんは本当は確か二度目です。貴女は、お父様とお母様、そして小夜香ちゃん、貴女は未だお母様のお腹の中に居られ、私から見ても小夜香ちゃんのご両親はとても幸せそうで、お腹の子は本当に幸せ者だと思いましたよ。その時は……しかし、まさか、あんなに綺麗なお母様が若くしてお亡くなりになるなんて、分からないものです。でも、小夜香ちゃんは驚く程、お母様に似て居られる……善かったですね。美人にお育ちになられて、私の胸の中の小夜香ちゃんも想像でしかなかったのですが、貴女のお母様のお顔を勝手に思い浮べて居りましただけに……それが、まさか、私の想像のままにお姿を目の前にして、私の驚きはもうまるでマリア様を目の前にした心持でした」
そんな話をしながらおじいさんは、何度もハンカチで涙を拭きながら、そのハンカチで鼻を啜っていたのを、小夜香は暖かい想い出として心に仕舞った。
彼女とおもちゃ屋さんのおじいさんとの
テンちゃんの側に措いて置いた携帯電話がバイブと共に、あの懐かしい”サーカスのファンファーレ”の曲がオルゴールの音で鳴り出した。メールの差出人は夢野有希だった。
件名〔こンばンは……!?〕
本文〔驚いた? 突然の懐かしい音色に!?。
実は、今日の昼間に君が夢中になって夢の話をしている間に僕は、ちゃんと君に、小夜香さんの携帯を貸してって云ったンだけど、君は余りにも話に夢中で無意識のままに僕に携帯を渡していたみたいで、それもそれで面白いかなって……思って!?。
それで、偶々僕は小夜香さんが話していた夢の話の中のサーカス・ファンファーレの着メロを持っていたから、僕のメアドの着信音に入れて措いたよ……やっぱ、驚いた?!。
ちなみに、小夜香さんは今、何しているの?!〕
とあって、小夜香は勿論驚いたことと会社から家に帰る途中の出来事、あの夢で貰った天使のお人形が現実にあって、そのお人形は今までこの私を待って居たし、それにこのお人形を渡してくれたおじいさんはなどという細かいことまで彼女はメールで、有希に明日また逢うまで待ちきれないのか、長々とした長文のメールを一気に打ち込み、彼に向け返信をした。
小夜香は、有希にメールを送った後、自分自身の思いを送れる相手が居るということの幸せを思うと、昨日までの自分が如何に薄幸の中に居たのかを感じ、目の前のテンちゃんに。
「私には、テンちゃんも居るしね……」
と、テンちゃんの額に口づけをして、テーブルに彼を戻し見詰めていると、小夜香は彼の両脇に手を添えていたが、突然無表情だった彼の顔が微笑み、両手を振り出して、彼女に話までして来た。
「こンばンは……小夜香ちゃン。もう、そろそろ、夢の世界に行く時間ヨ! 今日も、僕とたくさン遊ぼうネ!?」
「エッ! 夢の世界って? いつの間にか、私って寝ていたの?」
「そうだよ……小夜香ちゃン、早く行かないと、昨日みたいにアッと言う間に朝になってしまうヨ!。
だから、早く行こうヨ!・・・早くぅ、夢のじいも『小夜香ちゃン早く来ないかなあ』って気をもんで待っているヨ!」
「ウ、ウン! それじゃあ、テンちゃん行きましょうか」
小夜香は、そう言うと玄関に向かおうとしたら、彼女の手を掴みテンちゃんが待ったをかけた。
「小夜香ちゃン、駄目だヨ! 現実の小夜香ちゃンは、見てヨ! テーブルに寄り掛ったまま、これじゃあ風邪を惹いちゃうヨ!」
見ると、
「テンちゃん、あそこに居る私を、私は如何すればいいの」
「簡単だヨ! 小夜香ちゃンが、あの体に戻ってベッドに入って、風邪を惹かないように布団をかぶってもう一度出ればいいンだヨ!」
小夜香は、彼に言われた通りにしその後、現の体から抜け出ると、テンちゃんが彼女の手を取って引っ張り出した。
「ちょっとちょっと、テンちゃん、貴方は背中の羽があって飛べるけど、私はそう早くは走れないわ」
「もう、嫌だなあ……小夜香ちゃン、自分の姿を観てご覧ヨ! そう言う小夜香ちゃンだって、昨日と同じ小さい時からのお気に入りだった不思議の国のアリスと同じ白いドレスを着ているじゃあないか? 小夜香ちゃン、僕たちが今居るこの世界は夢の中だヨ! だから、小夜香ちゃンも床を強く蹴ってごらンヨ! 飛べる筈だし。なンだったら、小夜香ちゃンも羽を作っちゃえば?」
「エッ! 私も羽を? こ、こうお?」
「ウン、小夜香ちゃンの背中にも羽が生えてきたよ。ドレスと似合って、とっても真っ白で、綺麗な羽だネ! 僕のより断然大きいネ? 羽の先が、床まで届いているヨ!」
「さあ、テンちゃん、往きましょう。お店で、じいも待っているわ」
小夜香はそう言い、引っ張られていたテンちゃんの手を握り返して、彼女自身も背中の羽に強く気を送り、羽を一振りバタつかせた。その刹那、彼女は体を浮かせ前へと床を蹴り出し、握っていたテンちゃんの手を今度は彼女が引っ張っていた。
小夜香は、驚いたことに羽の一かきで一気に玄関の扉前で、彼女は空いている腕で顔をガードする体勢をとったが間に合わず……しかし、ドアに体当たりを覚悟した彼女の体はその扉をすり抜けていた。玄関の扉を通り抜けた小夜香の視界には、昨日見ただろうネイビーブルーの
「テ、テンちゃん、嗚呼、もう私死んじゃうかと思ったわ……嗚呼、もう本当に怖かったわ。ね、ねえ、テンちゃん、後は如何すればいいの?」
「ウン、後はネ!……後は、これから
「ウン、テンちゃん、ありがとう。それじゃあ、テンちゃん行くわよ……ついて来てね」
彼女の目の前には、視界の隅まで大地が広がる世界で、先程まで居た部屋とは違う。今度は、この身を
しかし、小夜香は
右利きの小夜香は、背中の羽の扱い方にバランスを上手く伝えきれず、何度も体を回転させ
「小夜香ちゃン、大丈夫? 慣れないのに百パーセントに近い力を羽に使うなんて、僕なんて百二十パーセントの力を使っても追い付けなかったヨ!」
放心状態の小夜香は、『心配してくれてありがとう』と声も出せずにただテンちゃんに向い頷くだけだったが、しかし彼女は何かに気付き疑問が口を吐いた。
「アッ! アレッ、私、羽を使っていないのに、なんで宙に浮いているの? まさか、テンちゃん、私は羽がなくてもそのまま飛べるってこと?」
「ウン、そうだよ! 初めに僕は小夜香ちゃンに、床を強く蹴ってごらンヨ!って言ったじゃあないか……唯、羽が欲しいのなら、って思ったから、小夜香ちゃンも羽を付けてみれば、って言ったンだけど……ごめンネ! 小夜香ちゃン、僕が言っちゃったから……」
「ウッウーン、テンちゃん、心配してくれてありがとう。なら私は、羽を使わない」
「ウン、そうだネ!。その方がいいヨ! ホラ、霧が出て来たみたいだヨ! 小夜香ちゃン、もう大丈夫?」
「テンちゃん、ありがとう……それじゃあ、往きましょうか」
小夜香は、テンちゃんに手を握るように差し伸べた。その手を、テンちゃんは握り背中の羽をパタパタとばたつかせ、辺りをたちこめて来た霧の中へと入って行った。その中を小夜香は、手を引っ張られ背中の羽は使わず、白いドレスの裾を広げ漂うように聴こえ出してきたオルゴールの音のする方へと向かっていった。懐かしいオルゴールの音と、七色にキラキラと輝く霧の中に身を浸していると、彼女はまるで自分自身に
その大切な時を越えていくと、ややあって彼女たちの目の遥か先に
その声に、テンちゃんは振り向き。
「エヘへ、夢のじいは多分『小夜香様、待って居りました。それはもう、千秋の思いで居りました』って小夜香ちゃンに言うンだろうけど、僕には遅かったじゃあないかこのボンクラ天使って言うんだろうなあ……」
「ウフフ、駄目よ。テンちゃん、じいのことをからかちゃあ……でも、じいのその光景が目に浮ぶようね」
光の許に近付いて行くと、オルゴールの音が止んだ瞬間小夜香たちふたりを目の眩む光が身を包んだかと思いきや、今度は暗転し辺りは真っ暗になった。
暗い中に、ホウホウと
「さあ、小夜香ちゃン、早く行こう。この道を辿って行けば、夢のじいの待つ夢のお店だヨ! 早く行かないと、じいが本当に遅いじゃあないかこのボンクラ天使め、って僕が言われてしまうヨ!」
テンちゃんが、小夜香の手を引っ張って誘う道を彼女が見ると、そこには木々の間を小さな
小夜香は、その花たちが見送る中をテンちゃんに手を引っ張られ付いて行くと、昨夜見た夢のじいの居るお店の前に辿り着いた。
「さあ、小夜香ちゃンから入ってヨ! 僕から入ると、じいのことだから又、このボンクラって……ネ! だから小夜香ちゃン、お願い……」
テンちゃんはお店のガラス戸の前で、彼女に両手を合わせ
小夜香は、テンちゃんの心情を察して優しく微笑み頷いて、お店の扉に手を掛けガラガラと音を発てゆっくりと開き中へと入って行こうとしたが、思いっ切り大きな音を発てて扉を壊してしまった。
「オウオウ、小夜香様、お背中の翼がおいたを致しましたな……コラ、なんで小夜香様の羽を畳むか、引っ込めるように一言いわないのだ。このボンクラ天使め。小夜香様、大丈夫ですか……痛いところとかはないですか」
「アッ! じい、ありがとう……私は大丈夫ですが、ごめんなさい。お店の扉を壊してしまいました」
「ああ、大丈夫ですよ。こんなもの……唯、小夜香様、お願いで御座います。小夜香様、ひとつお目めを閉じられて、お店の扉を頭に描いて見て下さい。そうするだけで……嫌、それは見てのお楽しみに……ムフフ」
小夜香は、言われるままに目を閉じてじいの云うことを思い浮べて、
「まさか……まさか、なんで、小夜香ちゃンは、何でこンなモノを……」
小夜香が振り向き見たものは、そこには銀行の金庫の鋼鉄の扉のようなものがお店の扉としてあった。
「嗚呼、
「アッ! 小夜香様、大丈夫で御座いますよ。なに、私たちも急にこのようなもの見てしまったから驚いた迄で……さあ、小夜香様、もう一度、このお店に合った扉を想い描いて見て下さい。出来れば、私は見慣れた前の通りにして貰えると嬉しいのですが……」
小夜香は、もう一度目を閉じ、昨夜初めて彼女が来て最初に目にしたガラス戸の扉を想い描いた。
すると、彼女の耳に「オオー」と言う声が、彼女の顔の先に居るじいとテンちゃんの声が聞こえてきて、小夜香は目を明け扉の方へ目をやると、そこには昨夜のままの扉があった。
「オオー、オオー、小夜香様、アッパレ! 天晴れですよ。いやー、もうお見事……前と寸分違わずな見事さでご座いますよ」
「アッ! アレッ、じい……よく見てヨ! 前のガラスには、こんなもの入ってなかったけど……これ、これをよく見てヨ!」
テンちゃんが、指を指すガラスの四隅にゴールドの唐草模様がさり気なく施されていた。
「ごめんなさい……テンちゃん、それにじい、余分でした? こういうモノがあれば、少しはシックで落ち着いていて、綺麗かなって思って……わたし」
「アッ! 嫌え嫌え、小夜香様、まさかそんな……小夜香様の仰る通り、シックでモダンで私は一目で気に入りましたです。嫌ぁー、てっきり私としたことが、この方が好過ぎて最初から目にしていものかと思う次第で……はい」
「小夜香ちゃン、僕だって、この方が断然大好きだよ! だって、綺麗だもンネ!」
「あ、ありがとう。テンちゃん、それにじい、ホントにこれでいいの?」
小夜香は、二人の顔を『本当は嫌じゃあないの?』っと云う顔で見ると、ふたりは両の手の指を組み口先に当て、目をウルウルと潤ませて彼女とガラス戸を交互に目をやり……まるで夢心地のよう……夢の世界で、夢心地? ンッ? なんのことだろう……?!。
そんな二人に、小夜香がパンパンと軽く手を叩いた。
「もういいでしょう? それ以上のお世辞は嫌味になってしまうから、おふたりはこの辺でもういいでしょう?」
「嫌々、小夜香様、私たちが驚いたのはそれだけではあません。なんと言うか、そのう、小さい時から見慣れている私たちの目の前の貴女様は、昨日を期に見事な程の変わられようで、私たちは唯々嬉しいのですよ。小夜香様の幼い頃から見ている私たちの知っている貴女様は、なんと云うか引込みがちで、ご自分が出来ることでさえ他の人にさせてお仕舞いになるおひとだったのに、こんなにご自分のためさりたいとして思いを創るオリジナリティー、そうその個性とは各々が持つアイデンテティーです。嗚呼ー、嬉しいです……この喜びは私の知る術もないのですが、ヴィーナスの誕生以来です……はい」
小夜香は、『また、じい、言い過ぎよ』っと云い掛けたが、余にもじいが涙をポロポロと流しながら彼女の顔を見入っているようなので言えずに、テンちゃんに助けを求めて彼を見たら、じいと同じく彼もまた泣いていた。
「アッ、違うのよ。これは、ただ今朝、お花屋さんに寄って花を見ていた時に、キレイだって思って、このお花たちを他の私の知っている人たちにも見せたいと思って分けてあげたら、とても喜んで貰えたから、だから私はその時思ったの、誰かのためにして上げたい、と願うことは思っているだけでは駄目だと云うことを……有希さんも云っていたわ。思うより
「ンッ? 小夜香ちゃン、思ったより茄子は安かったって……八百屋さんでの話のこと?」
「ウーン、コラッ馬鹿
じいはそう言うと、カウンター奥のドアの向こうに消えて行った。
小夜香は、懐かしいケースの中の品々を一つひとつ記憶を辿りながら見入った。傍では、テンちゃんがパタパタと羽を使い体を浮かせ彼女と顔を並べ、小夜香の邪魔にならないように彼女の視線に合わせ彼も目を這わせた。
「アッ! テンちゃん、見て。アレ、覚えている? お母さんがお買い物に行って、私が独りでお留守番をしていた時に、決ってテンちゃんとお
「ウンウン、僕も覚えているヨ! 僕は、その時、小夜香ちゃンに上手に描いて貰おうと思って、思いっ切りおめかし顔で居たのに出来上がったのが全然駄目で、終いには小夜香ちゃンやけくそになって僕の絵の顔にキバを付けたりツノを付けたりして、出来上がったのがまるで天使ではなくチビの鬼になってしまったンだよネ?」
「エッ? そうだった……チビ子の鬼だった? 私は、子犬のワンちゃんのつもりだったのに……違うかったかしら?」
「あのねえー、小夜香ちゃン、犬にはキバはあるけどツノはないヨ! それにねえ……」
そこへじいが、戻って来た。手には、ティーポットに三つのティーカップを大きなトレイに乗せ、それをカウンターに置いた。しかし、じいはふたりの顔先で人差し指を立て、少し揺すって『ちょっと待って居てね』と云う仕草を見せ、また奥へと行き。戻って来た両手にはミルクポットとシュガーポットを持って来た。
「なにせ、ミルクティーですから、ミルクにお砂糖は欠かせませんよね。それに、大人になられた小夜香様には紅茶の茶葉を濃い目にしておきましたから、味の方は多少違いはしますが、それでもより深く懐かしい想いに
そう言って、じいは三つのカップに紅茶を注ぎミルクポットの取っ手を小夜香の方へ向けた。小夜香は、ありがとうと言い掛けてカップを手に取り紅茶の香を吸い込んだ瞬間、思いが幼い頃へと行き。心の中には母と伴に三時のおやつ、母にとってはティータイムを、部屋の中に流れていた母の好きだった”オール・オブ・ミー”……その時、決って母のセリフは「お母さんの一番大好きなひとは、お父さん。でもね。お父さんとお母さんの一番大切なひとは小夜香ちゃん、貴女。ふたりにとって世界中で一番大切な私たちの子なのよ」だった。その刹那、小夜香の胸をフッと過ぎるのは、『如何して、お母さんは一番大好きなものと一番大切なものさえ置いて、ひとり逝って仕舞ったの』と云う想いだった。
「さ、さあ、小夜香様、ミルクとお砂糖をお入れ下さい。苦いだけの想い出に、やさしさと甘い想いを混ぜてやらねば、心を痛めます」
じいがそう言い、シュガーポットの蓋を開けて角砂糖にシュガートングを挿して小夜香に向けたが、じいの目にも、涙が見える。
小夜香は、深い想いの香のカップにやさしさと甘い想いを淹れ、ティースプーンで掻き混ぜ出来上がった自分に合った等身大の受け入れられる想いの香に安堵し、カップに一口付けた。
彼女の口の中を
「
アッ! いけませんね……もうこんな、時間も深くなってしまいました。さあ、小夜香様、今宵も貴女様のご所望とされるひとつの品をお持ち帰り下さい」
その日、小夜香がじいに告げたものは、彼女の傍で目を輝かせ絶対落書き帳だ、と思っていたテンちゃんの想いを裏切り、昨夜見た花柄のセルロイドの下敷きだった。
「さあ、小夜香ちゃン、もう帰っちゃう? この店の扉を開ければ、小夜香ちゃンはベッドの中で目を覚ますヨ!。 また、明日の夜に僕とこの店に来ようネ! それまでは、僕は小夜香ちゃンの言葉は聴こえても応えるは出来ないけど、小夜香ちゃンの傍に居るからネ!」
そう言い、テンちゃんは小夜香の胸元にパタパタと飛んできて、彼女はその彼を両の手で抱え、じいに目で『また明日来ます』と言葉を送り、振り向き扉に向かって行き、ガラガラと音を発てて戸を開いた。
すると、扉の向こうから眩い光たちが津波のように、開いた扉の間から大波となり溢れ出し、その光の波は彼女を包み、彼女の体は光の中に飲み込まれ、彼女自身の意識が薄れて行く。
小夜香は、ベッドの上で目を覚ました。彼女の置く頭の枕の傍には、テンちゃんが彼女の顔に向いて『僕はいつだって小夜香ちゃンの傍にいるヨ!』と言っているような顔でいる。
彼女は、上半身を起こし大きく両手で伸びをして、膝元の布団に転がっていた小さな箱を見付け手に取り、蓋を開けた。すると、彼女の意識にこの前と同じ亡き母の声が聴こえて来た。
「おはよう、私たちの大切な可愛い小夜香ちゃん。ミュウも小夜香ちゃんの起きるのをお腹を空かせて待っているわよ。この子(ミュウ)だけではなく、小夜香ちゃんの周りに居る人たちにも貴女のやさしい、
彼女の意識の中で聴こえる母の声の傍で、昔飼っていた毛がムクムクのチンチラシルバーの猫のミュウの鳴き声がしていた。彼女の掌の上の箱は、ミャーミャーと鳴くミュウの声を彼女の意識に残し、ポンッと煙と供に消えた。
その刹那、彼女ははっとして昨日と同様に二度目の目覚めをし、又も上半身を起こし辺りを見回し目に入ったのは、テーブルの上の天使の人形のテンちゃんだけだった。
「ミュウ……お母さんだけではなく私はミュウにも逢いたい。ミュウ、貴方は今、もしかしてお母さんの傍に居るの……」
彼女は見得ぬ者に声を掛けるが、応える筈がなく。聴こえてくるのは、窓の外の未だ暗い中、朝がもうじきやって来るのを待ちきれずに、未だ視得ぬ朝日に向かって声を掛け続ける鳥たちの声だけだった。
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