第3話 ドリーム・オン・小夜香。夢のじい&テンちゃん登場





 小夜香は、勤める会社から四駅離れた自宅、今借りているアパートメントに戻って来た。

 玄関のドアの前で彼女は、キーを使い鍵を開け。更にその後、右手の親指の指紋で施錠を解除して、玄関を抜けて、見た目ワンルームだが、部屋の中央にはアコーデオンカーテンがパーティーション(間仕切り)のようにあって、食事を作る時は箪笥たんすの衣類や部屋の中のものに匂いが移らないようにと閉めて調理をする。

 彼女は、常にすれ違いだった父親の許から離れ、今の会社に勤めるために都会に出て来て七年が経つが、このアパートが三ヶ所目の転居となる。

 初め借りていた処は、桐生京平と付き合い始めて彼が偶に泊まりに来て、その部屋が小さかったのと、彼がその頃に彼女に似合う手ごろでなかなかいい物件だと薦めてくれ、そこに移った。そして、そこで四年の甘い生活を送っていたのだが、彼が来なくなった部屋は彼女にとって無駄に広く、何より彼の匂いや想い出があって、その部屋の何処を見ても彼の残像としてのこる記憶に涙で毎日を過ごしたのだが、三ヶ月頃前から何処にいても無性に誰かの視線を感じ、今は誰も自分のことを護ってくれる人もいないから、とセキュリティーを重視して選び、今のこの部屋へと移って来て二ヶ月が経つ。

 彼女は、服を脱ぎ、着ているものをハンガーに掛けベッドの足元の壁側に付いてあるフックに吊るし、キッチン側のトイレとバスが一緒になったドアへと入って行き、二十分程してパジャマを着、髪にバスタオルを巻き出て来て、帰る途中コンビニに寄って買ってきたベリー系の缶のカクテルを開け、一口つけ飲んだ。

 思わず「フゥー」っと息が洩れる。彼女は、心の中で考える。『何だろう。さっきまで有希さんと、あのお店で美味しいお酒を、私は結局彼に三杯も作ってもらい飲んだのに、今飲んだお酒の方が強くアルコール感を覚えるのは……』しかし、それ以上考えるのを彼女は意識的に止めた。それは、有希に『余りにも君は物事をなんでも深く考えてしまう』っていわれたからだった。

 彼女は、ベッドの縁に腰を預け、床のカーペットに尻をつけ座って、目の前のテーブルにあったリモコンを使いテレビの電源を入れた。すると、画面は丁度十一時になったばかりで、ニュース番組のタイトルコールの曲が流れ、キャスターが挨拶と共にトップ記事の内容を伝え始めたが、小夜香は夜遅くに髪を洗ったのを後悔しながらタオルで乾すのに夢中になった。彼女は、ドライヤーを持ってはいるが、十時以降に使うには、やはり隣にも迷惑を掛けるのは心情としても嫌だった。

 彼女はまた、今日、有希が話してくれた桃子ちゃんと女詐欺師のことを考えた。『私なら、やっぱり人に迷惑を掛けてまで、自分の幸せを取るなんて出来ないだろうな。本当に、彼がいっていた桃子ちゃんはそんな人になって仕舞ったんだろうか、幾らなんでも彼の心理学を用いた推理だからと言ってもそれは信じられない』と、彼女は自然と頭を振って『幾らあの桃子ちゃんだって女詐欺師になんかなるはずはない』と思いを打ち消した。

しかしその時、小夜香の耳に[木野きはら原桃子]という声が聴こえてきた。その声は、テレビからだった。小夜香は、思わすリモコンを手に取りテレビの音量を上げ、彼女は画面の映像に釘付けとなった。

 画面の中には女の人の写真が映っていて、その顔は昔小夜香が視た桃子ちゃんの顔ではなかった。目は一重で細かった筈だが、パッチリと大きく、鼻も低く横に拡がったものが、スラっとしていて、しかし、有希がいっていたようにテレビの中の写真の顔は小夜香が視て、やはり桃子ちゃんとしか思えない風貌がそこにはあった。

「も、桃子ちゃん……なんで……?! どうして、ニュースなんかに桃子ちゃんが出ているの?!」

 男性キャスターが、伝える内容は、こうである。「一年程前から、都内に住む三十五才男性、田中さんの行方が不明のため、田中さんの御両親が警察に行方不明の捜索願いを提出していて、警察の方も多方面からの捜索に、別件の行方不明者三名の件とも重なり捜査線上に浮上してきた木野原桃子容疑者をマークして、事件として捜査していたところ、容疑が固まったとして今日午後8時に身柄確保に至った」とのことだった。

「桃子ちゃん、どうして……どうして、桃子ちゃんは……そういえば、午後八時って丁度あのお店で、有希さんが桃子ちゃんの話をしていた時間だわ。それにしても、どうして桃子ちゃんは……」

 また、テレビではキャスターが内容を伝えた後、ゲストの心理学専門のコメンテーターに意見を求めた。

「どうですか、心理学上この手の事件は、やはり金銭目的の単純な犯行動機ということで考えてもいいので有りましょうか。それとも先生には、他に何か視得るものがありましょうか」

「そうですね。私の方でも、動機に関しては、至って単純なものでいいと思いますが、しかしこの件の面白いのは、どうしてこのような結婚を誘い文句にする詐欺事件には不思議とテレビドラマのクライムストーリーではお決まりの美人詐欺師を思い浮べますが、大体のリアル、ノンフィクションの事件ではなぜか我々の想像を裏切りますよね。そこが、私でも何故か毎回またか、と言う思いがします」

「又か、と先生は仰いましたが、そのまたかと言うのは、やはり木野原容疑者の容貌を言ってのことなのでしょうか」

「ええ、そうです。この事件に関しては以前から関係各位からのリーク等があり、私は独自に調査しておりまして、今回の田中さんを含め四名の方のプロフィールを眺めておりましてね。やはりか、やっぱり今回の被害者たちも女性に対しての免疫がないというか、女性経験が乏しい境遇だったとしか思えないのです。最初の被害者の、今は未だAさんとしか言えませんが、そのAさんに至ってもご両親の保護の許、45歳にして世間との接点もなくニートで、早い話、パラサイトシングルなんですよ。木野原容疑者は、そこにつけ込んでの犯行なんでしょうね。それで、この容疑者の風貌の彼女でも取り入るところがあったのだと思います」

「やはり、先生もそう思いますか。私も何故に、今回の事件に巻き込まれた被害者たちは、このような木野原容疑者のような見た目の好くな、ク・ク・ク……アッ! 嫌え、この容疑者に騙されたのか……」

「アッ! 足立さん(キャスター)、貴方もその点では、そのように思っていたんですね。いやー、このご時世ですから、このようにこの木野原容疑者みたいな福余ふくよかというか、ぽっちゃりな体系を好む方たちもいるのも確かですからねえ」

「そうですか? でも、私から視れば、この容疑者はぽっちゃりというには……し過ぎって感じですが……」

「嫌えいえ、足立さん、そうじゃないですよ。私の知り合いで、そのスジの、デブ専の人に言わせれば、抱き心地が、特にアノ時の感触は何とも言えないそうです……もう、その時は肉と肉に包まれ窒息しそうなほどに危険な感じが堪らないのだとか……エヘへ、エヘへ」

「エェー、そうなんですか? ウーン、何だか想像すると、気持ちが好いような怖いような……これは、是非一度体験してみないと判らないですねえ……デヘへへ」

 二人は、テレビの番組中というのも忘れ、終電も諦めた居酒屋での中年同士の下品な話に夢中になり。その最中、テレビの画面を黒い影が突然横切り、デレクターらしきテレビスタッフが台本を手に、その台本を丸めキャスターとコメンティターの頭を思いっ切り殴って、画面はコマーシャルに切り換わった。

 小夜香は、桃子のことが心配でコマーシャルが終るのを待ったが、流石にテレビ局の方では大騒ぎなのだろう。いつもより長くコマーシャルが続き、やっと番組に戻ったところ、キャスターは女性に代わっていて、他の短いニュースと天気予報で終ってしまった。

 彼女は、このままでは眠れないと桃子のことを自分のことのように心配で、どうしていいのか分からずに得意の思考がフリーズし、放心状態となった。そこへ、掛けてあった通勤用の白いハーフコートのポッケトの中の携帯のメール音がした。彼女は、その音に反応をしたが、未だ動揺は抜けずに立ち上がる動作もぎこちなく、よろめきながら携帯を取りメールを開いた。

 今日、お酒を一緒に飲んで、帰り間際にメールのアドレス交換をした有希からの送られたメールだった。

 件名〔こンばンは、小夜香さン。未だ起きてるよねえ?〕

 本文〔ニュース、見た?。

 まさか、こンなに早く事件が表に出るとは、僕にも思っていなかったよ!。

 小夜香さン、君は、さぞかし彼女のことが心配で、なにをして善いものやらと気をンでいる事なのでは?。

 でも、ご心配なく!。

 桃子ちゃンのことは、検察側が落ち着いた頃合いをみて、それから彼女、桃子ちゃンの処に行って直に本人と逢うことにしようね!。

 小夜香さン、桃子ちゃンに逢えるよう僕の方でちゃンと手配をしておくから、今日は心を安めて夢の世界へと行って楽しンできてね!?。

 小夜香さン、僕からのアドバイスです……夢は裏切らない……信じる心が有れば、夢は開かれン!?〕

 小夜香は、彼からのメールを読んで、桃子ちゃんにどういう風にして私を逢わせるのとかと疑問が浮び、質問のメールを送り返そうかと思いはしたが、又も彼女の中に有希からの『余りにも君は物事をなんでも深く考えてしまう』が頭をもたげた。

 彼女に取って、有希は不思議な人……自分の思考を素早く察知し、彼女本人でも知らない自分のことを彼は知っているかのよう、いくら彼のことを彼女なりに詮索しようとしても、何も視得てはこない。しかし小夜香は、何故か何かことが起こったとしても、彼がいれば大丈夫、任せても安心だという想いが、しつしか彼女の中に芽生えていた。かと言って、彼女に取って不思議だが、彼に対する想いは恋ではないことを何故か知っていた。彼、有希は自分より歳下で、なのに彼女に対する態度がなにか横柄で、それはなに? と問われると、如いていえば自分のことを『君』ということに、彼がいうことの大体が当たっていても意地悪そうに自分のことをからかい気味に喋るとことか……そのくせ、彼自身はおっちょこちょいで、人のことをああだこうだ言いながら、自分は直ぐ感情を表に出す。そこが可愛ゆく、憎めないと言うか、小夜香にすればまるで幼い子供をみているような気になってしまう。

 小夜香は、気を取り直して彼にメールを返信した。内容は。

 件名〔もう寝ます!〕

 本文〔今日は、ありがとうございました!。

 美味しいお酒もご馳走になり、楽しかったです!。

 それと、桃子ちゃんのことくれぐれも宜しくお願い致します!。

 私のことを心配してくれて、ありがとう!。

 有希さん、貴方にお任せ致します!。

 これで、私は安心して床に就けます……ありがとうございます!。

 有希さん、おやすみなさい!〕


 小夜香は、寝静まった真夜中のこと、夢なのか不思議な体験をした。

 それは、夕暮れ時なのか黄昏に染まるセピア色の薄暗い中で、小夜香が気が付くと、彼女は今住んでいるアパートの門の前にいて、目の前の通りの向こうの建物たちが一揆にグューンと離れて行って、その先がもう見えないほどに地平線の彼方へと消え去った。

 小夜香は、心細くなり部屋へ戻ろうと後ろを振り返ると、そこにはあった筈の彼女の住んでいるアパートの建物さえなくなっていて、そこも果てしなく水平線の広がる世界となっていた。

 彼女の視る世界は、いよいよセピアの色を濃くして暗さを増してきた。しかし、彼女の目にそらからオーロラのようにクネクネと七色のとばりのようなものが下りて来た。その光は次第に輝きを増し、それと同時に地平線の向こうから、霧のようなものが立ち込めて来た。

 霧は、七色の光が当ってか、それ自体も同じような色でほのかに輝いていた。そして、小夜香は、その中に彼女が幼い時、昔、聴いたことのある懐かしい調べの曲、オルゴールの音を耳にした。その音は、彼女がその幼い頃に、父親に貰ったピエロの人形が可笑しな動きをし、踊って見せる七色のカラフルなサーカスのファンファーレの調べ、オルゴールの箱のものだった。小夜香のお気に入りのそのオルゴールは、いつも優しい母と伴に箱を開け聴いていた、懐かしく彼女自身をやさしく包んでくれる母の記憶が、此方においでと誘っているようだ。

 これは、彼女自身が夢の中だと気付いている。それは、今朝、会社の自分のPCに届いていた”ポエム”というタイトルの招待状を、彼女は貰ったから……しかし『そうなのかしら?』彼女の中で疑問が浮ぶ。『本当に、私は、お招きを頂いたから? 嫌え嫌え、ポエムを読んでしまったからこそ、今このような夢を見ているのではないか?』と……又も彼女は、頭を振った。『私としたら、また夢の中でも考えてしまっているわ。どうせ、これは夢の中で、私がすることは唯一つ。ポエムの招待状にあった通りに、私はこの霧の中に聴こえる懐かしいオルゴールの導きに身を任せるだけ……』小夜香は、そう思うと自然と心細さもなくなり、余裕さえ感じる。

 そして、小夜香は一歩を踏み出した。霧の中に聴こえるオルゴールを頼りに歩き出すが、やはりこれは夢だと思えるのは、彼女にはまったく重力などは感じられない。不思議な感覚だ。自分は、この地を踏んでいるのか、それとも空を歩いているのか、もしかすると、逆さになって進んでいるのでは、と彼女は考えると楽しく思えてくる。

 しかし、又も小夜香は『おやっ、どうして?』と考え、立ち止まってしまった。

 それは、彼女の着ている服が真っ白いワンピースのドレスで、自分のものではないが、彼女には見覚えがあった。彼女の記憶には、幼い頃に絵本の”不思議の国のアリス”を母に読んで貰い小さかった小夜香は、母にアリスと同じドレスが欲しいといったら、父が知り合いを通じ手に入れてくれて、それ以来、幼い彼女のお気に入りだったのに……時に、時は残酷だ。幼かった彼女は、絵本のアリスと同様に成長と共に身体が大きくなり、その服は一年も足らずに着れなくなった。それが今、彼女はその服を着ている。小夜香は、大人になった体で、その服を着ている。

 自然と彼女は、幼い頃、その服を初めて着た時のように、今は亡き母の前でドレスの裾をつまみながらステップを踏みゆっくりとクルクル舞って見せ、その場をスキップし、オルゴール音を頼りに向かった。

 彼女には、全く歩いた距離感もなく。どれ程の時間をまたいたのだろう、と彼女の心細く考える時の癖で両肩を手で押さえる仕草を取った時だった。ぼんやりとではあるが、遠くに明りが見得る。小夜香は、童心に戻ったように、いつしか歩を早め、そして走っていた。

 そこに着くと、霧は晴れていて、そこは森の中にポツリとただ一軒だけのお店のようだった。

 彼女は、意を決するように心の中で、ある言葉を唱えた。『駄目元。それに、思うは難いが行なうはわりと易し』そして、彼女は、お店のガラスの引き戸をガラガラとひいて開けると。

ようこそ、来て頂きました。小夜香様、お待ちしておりました」

 小夜香を待っていて、声を掛けてきたのは、丸いメガネと紳士然とした凛々しい口ひげが特徴な、小夜香の目にはおじいちゃんに映る黒いチョッキを着たお店の主だった。目はとても穏やかに笑みを浮かべて、声にも見かけより低いが威圧感がなく、やさしさを感じさせる。そのやさしいメガネの奥の眼のお見せのひとが、笑みを湛えたまま……。

「此方へ来るのには、小夜香様……お見受けしたところ、そのお顔でしたらさぞかし迷いもなく、楽しく来られたのでしょうね」

「エッ? ええ、なんだか夢のような……アッ! 私ったら、なっ、何を言おうとしているのかしら……」

「ええ、小夜香様。此方は貴女様の夢の中、夢の世界ですから……ですから、小夜香様が日頃、特に最近の貴女様は何かと気を病まれて……アッ! 申し訳御座いません。小夜香様はなにかとお気をお使いになられ、有希とか申される者に逢うまでは気を張りお続けで、さぞ大変でしたでしょう。ですが、今宵はこのお店の中のものたちを見て行って下さいませ。此方には、小夜香様にご招待状をお送りし、ご説明した通り、貴女様のためにとそろえて措いたものばかりで御座います。このように、これらのものたちは早く小夜香様の許に帰りたいと願い喜びふるえ、我先にとアピールをし輝いて居ります」

「アッ、あのう、すみません。貴方は、有希さんのことを知っているのです。かそれに、私は貴方のことを……嫌え、貴方のお名前を教えて下さい」

「私の名前で御座いますか? 私は、ただ……小夜香様。私はただ貴女様の夢の中の住人で、このお店の唯の主で御座います。それに、貴女様のご友人の有希とかいう者のことに至っても、私は貴女様の意識の中で生きる者……ですから、小夜香様。貴女様のすべてのことは、私は知って当然のことなのではないでしょうか」

「アッ、そ、そうですね。ですが、お名前がないということには……私は、貴方のことを何てお呼びすればいいのかしら……」

「そうで御座いますねえ。アッ! それでしたら、どうせ私は夢の中の人ですから、ゆめのじいとでも御呼び下さいませ。私はそれで結構です……嫌え、その名が気に入りましたですよ」

「わ、私が、貴方のことをじいっていうのですか。嫌え嫌え、それは、ちょっ、ちょっと……私なんだか、偉そうで……」

「よいではありませんか。貴方様は、元々この夢の世界の女王様ではありませんか……なれば、よいのではありませんか。私は、その方がしっくりきます……小夜香様。私は、貴女様にじいと呼ばれて光栄至極に御座います」

「エッ! ええ、そうですね、元々、これは私の夢の中の出来事……私が、どのような振る舞いをしても構わないということなのですね」

「はい、そう言うことです。夢の中の時間は短いものです。それは、お眠りに就いたと思ったら、アッと言う間に朝が来るようなほどに短いですよ。ですから、早く此方に並んだものたちを見てやって下さいませ」

 そう言うと、ゆめのじいは手で小夜香の視線を誘い、棚のものやショーケースに並んだもの等を見せた。小夜香は、その居並ぶものたちを視て驚き、目を丸くした。

「こ、これって、私が小学生の頃、とてもお気に入りで、いつも使っていた花柄の下敷き……だっ、だけど、隆志たかし君に折られ、それでもセロテープで張り直し使っていたけど、何処に行ったんだっけ……でも、この下敷きは新品なまま、キラキラと輝いているわ。アッ! それに隣には、下敷きと一緒に使っていた花柄のシャープペンも……アッ! 私がお小遣いを貰い貯めていた花柄のお財布……嗚呼、懐かしい。みんな私が小さい頃使っていたものばかりだわ。アアー、私の一番のお気に入りの天使のお人形だわ。私はこのお人形といつも寝てたの……だけど、何度も手や足が千切れ。その度にお母さんに直してもらいながらも大切にしていたのに、お祖父ちゃんが『こんなボロ切れのようなもんは……』と、勝手に新しい大きなくまさんの縫ぐるみを買ってきて、その時に私の天使のお人形がいなくなって仕舞った。それから、私は小学校を卒業するまでお母さんの傍でないと眠れなかったのに……しかし、お母さんは、私が卒業をするまで待ってはくれなかった。そのお母さんまでが、私の前からいなくなってしまった……ウッ・ウッ・ウッ」

「小夜香様、そのお母様だって、どんなに貴女様の許を離れるのが辛かったことか、私めにも……私めにもウッ・ウッ・ウッ。し、しかし、ここは歯を喰いしばってでも……ウッ・ウッ・ウッ、小夜香様はよくぞこんなに立派な大人になるまで堪えて来られました。偉いですぞ。え、偉い。クウー・ウッ・ウッ」

「じ、じいや……あ、有り難う。こんな私のために一緒に泣いてくれて……」

「アッ! 私としたことが。こんな時こそ、あ、あれです。小夜香様、ちょっとお待ちを、今お持ち致しますから……」

 じいは、そう言い。奥の棚から掌ほどの箱を出してきた。

「小夜香様、この箱を開けてみてください。きっと、開けてみれば分かります……きっと」

 そう言って、彼女にそっと箱を手渡した。

 その箱は、木曽の木の模様細工柄のように幾重にも模様が組み合わされていて綺麗だった。小夜香は、じいの顔を一度視て、じいはそれに笑みを重ね軽く頷いた。

彼女が、その箱をゆっくりと開けると、箱の中から小夜香の心に届く言葉があった。『小夜香ちゃん、貴女は良い子。とても可愛くて、世界中の中で一番可愛い笑顔の似合う子。貴女は、私たちの掛替えのないもの……小夜香ちゃん、貴女のことを誰よりも愛しているわ……いつまでも……』

 小夜香は、その声を聴き、その場に崩れ肩を震わせ泣いた。

「嗚呼、小夜香様。貴女様がお泣きになると、このじいまでもがウッ・ウッ・ウッ……」

「アッ! ごめんなさい……私はもう大丈夫。もう大丈夫ですから……唯、懐かしいお母さんの声を聴いたから……じい、ありがとう」

 「ウンウン、いいんです、いいんですよ。私は、この時を唯ずっと待っておりました。そして、やっとこの時となって、小夜香様、貴女様が来てくれたのですから……アッ! こうしてはおられません。もうそろそろ朝がやって参ります。早くこの中から、ひとつのものお選び下さい……それと、これをお持ち帰り下さい」

 じいは、そう言って奥の棚から又もう一つの箱を、小夜香に手渡した。

それじゃあっと、小夜香は迷わず天使の人形を指差した。すると、じいはニコッと笑みを見せた。

「やはり、そうくると思っておりました」

 そう言い、ショーケースから天使の人形を取り出し、それも彼女に手渡し、深く一礼した。

「小夜香様、今宵は楽しんで頂けましたでしょうか……明日の夜も、是非、又のお越しを私めは……」

 その時だった。小夜香の抱える天使の人形が、突然口を開いた。

「駄目だヨ! じい、駄目じゃあないか! 小夜香ちゃンに、一番先に渡さないといけないものを、じいは忘れている! 早く渡さないと、一番大事なことなのにぃ……」

 小夜香は、余りの突然すぎる自分が抱き抱えていた唯の人形だと思っていたものが、声を出してきたことに驚き、思わずその人形を放り出してしまった。しかし、彼女の手から放れ人形は、一瞬弾かれたかのように飛んだが、背中の小さな羽をバタつかせ小夜香の廻りを一周して、彼女の前で宙に浮いたまま。

「ごめンネ! 小夜香ちゃン、突然僕が声を出してしまったから驚いちゃったネ? ホントにごめンなさい!……この世界では、僕は声も出せるし、ちゃンとお喋りも出来るンだよ!」

 天使の人形は、ゆっくりと下降してショーケースの上のガラスの板に足を着けた。それを、小夜香は不思議そうな目で見ている。

「小夜香ちゃンは小さい時、いつも僕にたくさンの言葉をくれたよネ? お父さンやお母さンに怒られた時や、お友達にいじめられたりした時にだって、僕に話し掛けてくれて、その度に小夜香ちゃンは言ったよネ? 僕に『テンちゃん、貴方がお喋り出来たらどんなに楽しいでしょうね』って、言ってくれたよネ? 僕は、その時毎に小夜香ちゃンに向けて沢山の言葉を送っていたヨ! それは、届かなかったけど、でも今は僕の想いが叶って喋れるンヨ!」

 小夜香の目から涙が一滴零れた。そして、その目は微笑みを作った。

「アッ! 小夜香ちゃンが笑った!? 小夜香ちゃンが、僕の言葉に笑ってくれた! でも、じい早くあの箱を開けてよ!」

「お、おう、そうだった。あの箱を開けて、小夜香様の全ての念いを還してあげないと……私としたことが、小夜香様に逢った感激に一番大事なものを忘れておりました」

 じいは、背中の棚の沢山並んだ箱の中で、真ん中の箱を取り出して、彼女に向け手に乗せ突き出した。

「小夜香様、宜しいですか。これは、貴女様が、夢野有希の作ってくれたカクテルを飲んだ時に、ポンポンとプッポコーンのように音を発てて開いた数々の箱たちを……小夜香様はその時見られたでしょう。あの箱たちは、貴女様のとても大切な感情やら様々な想いに、今は薄くなって仕舞われた五感たちの箱です。ですが、悲しいことにあの箱たちは空になってしまって……でも、小夜香様、今夜、貴女様はこの箱たちの蓋をまた再び開けて下さったので、今この箱を開ければ、この箱のモノたちは、それぞれが還ることが出来るのです。さあ、小夜香様、ご用意はよろしいですか……ならば、今開けますよ」

 その声を聞き、天使の人形のテンちゃんは羽をバタつかせ小夜香の許に飛んで行き、それを彼女は両手で受け取り胸元に抱き、テンちゃんに目をやり「これで善い?」っと尋ねると、彼は深く目を閉じ頷いた。それを見た小夜香は、じいに目を移しゆっくりと頷いて見せた。

「小夜香様、分かりました……それでは開けます。しかしその前に、小夜香様、明日の晩も来て下さいね。此方に来て、未だお疲れの心を癒して下さいね。それでは、この箱を開けます……ソレ、お前たち、ご主人様、小夜香様の許へ還るんだ」

 じいが、その箱を開けると、箱の中から様々な色の光がこの店の天井に向い飛び出し、更に向きを変え、小夜香目掛け光のラッシュとなって降り注ぐ。

 滝のような光を、一身に受けて小夜香は、光に包まれ彼女自身が光となって行く。

「嗚呼、気持ちが好い。私が、私となって還って行く・・・」



 小夜香は、カーテンを閉め忘れて昨夜は眠ったのか、窓から朝の光を瞼に受け、目が覚めた。

「エッ! あれは夢だったの?……」

 彼女は、未だまどろみの中にいて、その目でベットの上、上半身を起こし手の上の箱に気付き、何気にその箱を開けてみた。

 すると、箱の中から。『小夜香ちゃん……おはよう。貴女は、世界中で一番可愛い私たちの子。今日も、貴女は素敵なその笑顔を忘れないでね……いつまでも、愛しているわ……』

 懐かしい母の声がした。

 彼女は、無意識に自分の意識に直接話しかける声に向け、返事をした。

「お、お母さん・・・あ、ありがとう……」

 その声と共に、彼女の手元の箱はポンッと軽い音を発てて煙となって消えた。

 部屋に、独り残された自分に小夜香は気付いたが、何故だろう、昨日までの彼女だったら、懐かしい母の声を聴けば、多分泣いていたんだろうが、自然と今の彼女は自分の置かれている境遇を迎え入れているようだ。

「お母さん、ありがとう。私は、大丈夫……だって、私自身の中には、小夜香の強い味方たちが付いているわ」

 ……!? 小夜香の頭は、未だ枕の上にあって、そこでやっと今、彼女は、自分の目が本当に覚めたのを悟った。

 不思議と彼女は笑顔となり、ぽつりと布団の中で呟いた。

「ありがとう、夢のじい、それにテンちゃん……ウフッ」







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