第2話 カクテル、スペシャル・ハート・バーニング・・・
2、カクテル、スペシャル・ハート・バーニング・・・
甘く囁くようなジョンのサックスの音色が、お洒落なカクテル・サロンの店内に流れている。
曲は、ジャズの中でももっともポピュラーなセイ・イットだ。
このお店はちょっとした劇場を思い浮かべさせるような造りで、広さもそれなりにある。
カウンターを中心に半放射状にしてテーブル席が囲むようにし、カウンター奥の壁には様々なお酒のボトルが、色とりどりにディスプレーされ。また、その上には大きなスクリーンが、天井のプロジェクターから南の海の映像を映し出していた。更に、此処には二階席もあり、その映像と一階の半分程のテーブル席が目に入る。店内は、平日の水曜日とあって客は
しかし、その中のカウンター奥近くの壁側に、ただ独り椅子に腰掛け、テーブルの上にはスクリュードライバーを目の前にして菊川小夜香は、夢野有希の来るのを待っていた。
彼女は、一度だけスクリュードライバーに口を付けた。しかしもうその飲み物が来て十五分は経つのだが、彼女は余りお酒を飲みたいという気分ではないようだ。それはそうだろう。小夜香は、その日の彼女のランチタイムに勝手に現れて訳も分からずじまいの内に有希に一方的に約束を押し付けられてしまった、という思いと、まして周りを眺めれば幸せそうなカップルたちがいて、小夜香は場違いな処に迷い込んだ心境でいるのだ。
小夜香は、手持ち無沙汰に眺めていた店内へ目での散策にしても、彼女が見る情景は色の無い、モノトーンの世界で、カウンターの壁に置かれた
小夜香は、声のする右の席に目をやると、
「クックク、小夜香さん……今の君らしいですねえ。前はあんなにカクテルが好きで、その頃は確かベリー系のものが好きだったのに……今は、もう昼間のお弁当といい楽しく飲んでいたお酒の味まで忘れてお仕舞いですか? アアーア、お酒や食べものは君に何も悪いことはしてないのに、悪いヤツは桐生京平だよ……京平だからね」
小夜香は、彼の言葉に嫌味を感じ眉を
「もういいです……それより、貴方がどうしてもこのお店に来て欲しいといったことの訳を教えて下さい。どうして、私を此処へ来させたのですか」
有希は、小夜香から目を離し彼女の奥に観えるカウンターを見た。
「アッ! アレッ……今日は水曜日でこの店のオーナーの具志堅さんの顔が見えないなぁ。チェッ、仕方ないなあ……まぁいいや、先ずは小夜香さん、君の心の扉を少し開けるための儀式をするとしましょう」
「エッ! 儀式って、セレモニーってこと?」
「う、うんそう、セレモニーってこと……小夜香さん、君の失くしてしまった数々の色たちは、君が知らずしらずに心の中に閉じ込めて仕舞ったから、主人である君に見せることが出来ないでいるんだよ。可哀そうだよねえ……その色たちが一つひとつが輝きたい筈なのに、それが出来ないなんて……」
「そんなもの……そんなものって、ある訳ないわ。有希さん、貴方が勝手に創ったお話でしょう? そんなもの、ある訳ないわ」
有希は、彼女に向けていた目を軽く閉じ、頭を振り。
「ウウーン、いいんだよ……それでも、いいんだ。幾ら、それが例え僕の作り話だったとしても、小夜香さんが心を少しでも開いて、その中で安めてくれるのなら……僕は、それでもいいんだ……僕は、ただ小夜香さんの笑顔が見たいだけだから……ただそれだけだよ」
有希は、さっきまで笑っていた顔を失くし、下を俯き話を続け、さらに語尾を荒げ小夜香に訴えるような口調になった。
「だから、いいじゃあないか……小夜香さん、君は自分でも迎え入れたくない辛い思いをしながらも酒に頼ったり、何処か知らない異性に身体を預け
と言い、肩を振るわせた。
「ゆ、有希さん……ごめんなさい。で、でも……わ、私は、何もロボットみたいにみんなの言いなりになってはいないわ。なっては、いない、つもり……」
「ホラ、ごらんよ……全然確信もないくせに、そうやって人との接点を誤魔化し離れ、またそうやって自分自身居心地の好い独りの世界に逃げ込もうとしている。折角、小夜香さん……君は、未だこの世にいるんだよ。あの世に逝っちゃえば、君が好きな分、果てしなく時をなくして思う存分、自分の世界に浸れるのだから……あのね、小夜香さん、君は小さい時、もの心がついた頃に、家では明るいのに、内弁慶なのかなあ。外ではもの怖じして、傍から視ているとおしとやかでいい子。そんな、小さかった君は、或る同級生の女の子のことを見て、どうしてあの子はみんなに顔は可愛くない、と言われながらも、傍にはいつも男の子たちがいるのだろう、と思っていたよね」
有希は、にたりとだらしなく表情を崩し、テーブルにのせた肘の両手に顎を預け、小夜香の顔色を
「そ、そんなあ……そんな風に、私は桃子ちゃんを見ていなかったわ。エッ!?……アッ、違うわ……違うの」
「ウン、ウン……唯、君はその子のことが羨ましかっただけだよね。分かるよ。その桃子ちゃんって子、君はどんな時だって可愛くないとか、ブスでデブだとか、口も悪いし、下品で……」
「有希さん、も、もういいです……それ以上、もう言わないで下さい。まるで、本当に私がそのように思っているみたいに聞こえますから、止めて下さい。でも、貴方が最初言ったように、私は彼女、桃子ちゃんのことが羨ましいって思っていたのは事実です。って、どうして? どうして、そんな昔のことまで有希さんは知っているんですか」
「アッ! エッ? どうして……って、言われると……ウッ、ウン、そう、僕は小説とか本が大好きで、特に推理小説が大のだい、大好物で、本当は将来小説家か刑事になろうかと思っていたんだよ。だからね。心理学も一通り勉強したからね……だからだよ。それでね。小夜香さんの性格とか、今の君の人格形成に至る幼児期はこのようなものだったんだろうなぁ……なんてねっ。アハッ、アハハ……」
「有希さん、凄いんですね。そんな風に、言い当てられるんすから……でも、その笑い方、なんか
「エッ! 嘘?……ホント? じゃ、じゃあやめる……普通にする で、でも、小夜香さん、僕のマスクって、僕の顔が可愛って本当に思っている? ウン! そうだよね。小夜香さんは嘘の言えない性格だから……ってことは、やっぱし? なんだか、妙に嬉しいって言うか、照れるなあ……エヘッ・エへへへ……」
「だから……もう、有希さん、その笑い方……その笑い方はやめて下さい」
「アッ! エッ? ウ、ウン、分かりました。これでいいですか……エッ! まだ?……ウーン、急には心の整理がつかないなあ。まあ、まあいいです。僕が言いたいのは……さっきの続きですが。この世での生き方です。例えば、容姿に自信がない。このまま生きていても私を好きになってくれる男の人は現れないと悲観のまま生きていくのは、なにより辛いですよね。だからって、そのままでいいのでしょうか?……駄目ですよね。嫌だと思うなら、その性格を変えましょう……その桃子ちゃんのようにね。どうして、桃子ちゃんの周りにはいつも男の子たちがいて、小夜香さんが見る彼女は、中学高校と常に彼氏がとっ換えひっ替えいたのか小夜香さん、君には分かりますか? ウーン、やっぱり分からないようですね。それはさて措き。それじゃあ、これからセレモニーを始めましょう……ンッ! エッ? アッ、大丈夫。桃子ちゃんの話なら、儀式をしながらでも出来るから、ご安心を……」
有希は、小夜香にウインクをした後、席を立ち、カウンターの向こう端に行き、あろうことか勝手にカウンター内に入って行き、これまた勝手にその場を歩き回りボトルなどを物色しカクテルを作っているようだ。
しかし、不思議なのは周りにいるバーテンダーたちは有希のことを黙認しているのか、視て見ぬ素振りでいる。信じられないと、彼の動きに目を奪われ続けていた小夜香の許に、有希は何食わぬ顔で両手に同じカクテルを持ち戻って着て、一つを彼女のテーブルの手元に置いた。
「ハイ、僕特製の名付けて”ユアーズ・オープン・ハート……ウェルカム・トゥ・シーズ・アー・スイート・ドリームズ”、飲んでみて……美味しいよ。絶対、気に入る筈だから……何んせ、小夜香さんの大好きなベリー尽くしのスペシャル・カクテルだからね」
有希は目を煌めかせ、小夜香がカクテルグラスに口を付けるのを待っている。
小夜香は、テーブルのグラスを引き寄せ眺めて、有希の顔と交互に行き来を何度か続けたが、それに痺れを切らし有希が説明を勝手に始めた。
「今の君には、寂しいことにこの煌びやかなとても綺麗な色彩はないんだろうね。でも、ご安心を……僕の作ったこのカクテルは、君の失くして仕舞った色たちを呼び起こすためのウェルカムドリンクだから……アッ! 嫌、分かり易く言えば、本当は僕が君の人格を様々な角度から推測しての判断の元に作ったモノです。小夜香様、貴女が、ひと口付ければきっと『美味しい』と忘れていた笑みさえも、吐息と伴に出ることでしょう。だから、ソレ……ホラ、飲んで……ウーン、美味しいのにぃ……もう、まだ? いけずぅー……」
一向に飲まない小夜香に、痺れを切らしっぱなしの有希は、折角彼女のために作ったカクテルを押し売りをするかのように、矢鱈と茶々を入れバーゲンさながらのディスカウント紛いに
「違うの……違うの。有希さん、ちょっと待って、この匂いなんだか懐かしくて想い出していたの。だから、もう少し私に思い出せるまでの時間を……この余韻に触れていたいの、だから……」
「ウン、ウン、分かる……分かるよ。人は、過去の記憶を見つける切っ掛けは感触や、目の前にある景色だったりするけど、五感の中でも結構一番は嗅覚、匂いだからね。その人が、過去に嗅いだ時の想い出が……」
「有希さん、だから……だから、もう……有希さんが、お喋りを続けるものだから、折角貴方が作ってくれたカクテルに、私は全然浸れないじゃあないですか……」
「アッ、ごめんなさい……どっ、どうぞ。
アーア、もう早く飲んじゃえばいいのに……飲んだ後からだって、僕は浸れると思うのになあ……アッ! どっ、どうぞ……(はいはい、僕のお口はチャックと・・・)。アッ! 飲んだ・・・やっと僕のスペシャル・ハート・バーニング・ハート、アッ! またハートって同じ言葉を入れてしまった。エッ、えーとスイート・メモリーと後は……ンー? もう何でもいいや……ってヤツを、小夜香さんが、飲んでくれた」
小夜香は、グラスに一口付け、香りの中にあった仄かな甘さが口の中で拡がっていくのを心地好く感じ、彼女はいつしか目を閉じその中の余韻に身を措いた。有希の作った飲みものは、小夜香の白い喉をつたい腑へと堕ちて行き、また全身へと軽い痺れのような波紋が伝わっていく。
彼女は浸る甘い余韻の中で、不思議な感覚を覚えた。それは彼女自身、心の中といえばいいのか、そこから”ポン・ポン”ととても小ささな炸裂音がして、脳裏には数え切れない程の無数の小さな箱たちがポプコーンのように弾け、舞い踊りながら蓋が開いていくような映像が思い浮かぶ。彼女のそのさまを、有希は椅子の背に深く背を預け右足を上に組み、腕さえも胸元で組んで目を細め、笑みを湛え小夜香を見守っている。
小夜香は、全身の痺れるような刺激にも慣れ、一息”フーッ”と息を吐き目を開けると、有希が待っていたかのように彼女に、ゆっくりと話し掛けて来た。
「小夜香さん、やっと飲んでくれましたね。これで、僕もひと安心です」
「有希さん、このお酒は……なに?。何だか、私の中で、今まで張っていたモノが取れたと言うか、今は身体中の力が抜けたみたいで気持ちが好いわ」
「そうでしょう……それは、今まで小夜香さんが心の奥底に無理やり押し込めていたあらゆる想い、君のセンシティブル、まあ簡単にいえば君の封印していた感情たちといえばいいかな。それに、そのお酒はさっきも言ったように、スペシャル・ハート・バーニング・アット・ハート……アッ! また間違った。もういいや。そのお酒は、これから迎える君のスペシャル・スイート・ライフタイム、始まりのウェルカムドリンクだよ」
小夜香は、有希が言っていることを上手く飲み込めなくフリーズ状態で、焦点も合わないまま彼を見詰めた。
「ウフフ、君って、面白いねえ。何か驚いたり、解からないことが目の前に遇ったりすると、放心状態っていうか……君を見ていると、まるでウサギさんを見ているみたいだよ。ところで、僕の作ったカクテルは気に入ってくれた?……そうぉ? それはよかった。それじゃあ、乾杯をしようよ」
有希は、そう言ってグラスを傾けてきて、小夜香もそれに応じた。逆三角形の
そんな彼女が。
「美味しい……」
と、一言いったのに、有希はしたり顔であったが、未だ満足には達していなかったのか。
「ウウーン、美味しいのは当たり前……未だ、小夜香さんからのアプローズとは行かないようだね」
「アプローズ? アプローズって何のこと?」
「アプローズって、それは賞賛のこと。僕が欲しかった君の笑みが自然と零れ出るのかと、期待していたから……君の封印してしまったものたちは、かなりその胸の奥底に閉じ込めてしまったんだね。ンッ!?、そうか……ウン、そうだ、量が足りないんだ。それじゃあ、小夜香さん、僕とオールの乾杯をしましょう……はい!」
「エッ! オールの乾杯って……ごめんなさい、私つい全部飲んじゃった」
そう言い、小夜香は空になったグラスを有希に向けて傾けた。
「アッ! そ、そうなんだ。それじゃあ、もう一杯作って来るね。今度は、ブースター系のヤツを……君の想いに火を点け、感情のピークに加速し行くほどの情熱的な、ウーン、ローズ系かなっ。作ったことなどないから、ちょっと難しいけど、待っていてね」
有希は、そう言うと自分のグラスの中のものをゴクリと飲干し、席を立って行ってしまった。
また小夜香は、ひとり残され、ただ彼の試行錯誤の思案顔での奇行を、目で追うしかなかった。しかし、彼はというと、最初は小夜香が独り退屈だろうと気遣い手を振ったり、いつものように親指を立ててグッドのポーズをしていたが、途中から上手く思うものが出来ないのか、彼女への気遣いを忘れ夢中になってカクテル作りをしているが、十五分程の時を費やし戻って来た。
今度は両手に、先程の物より大振りのカクテルグラスを持っていたが、彼が小夜香の前に置いたモノは真っ赤なバラの
「はい、小夜香さん、お待たせしました。どうぞ、時間は掛かったけど、僕なりには結構自信作だと思うよ」
小夜香は、グラスに顔を近付け匂いを嗅ぐと、脳裏いっぱいにバラの花が一斉に咲き乱れた。
しかし、小夜香は胸の奥、彼女自身知らずしらず意図的にかなり深くに沈み籠めていた想いが、この香に目覚めたのか、それはゆっくりと浮上しはじめた。
「小夜香さん、どうしたの? どんな想いも今日は思い起すといいよ。それが、どんなに忘れたい想いでも……泣きたくなったら、今日は僕の胸の中で泣いてもいいよ。だって今日は、小夜香さん、君の感情たちを呼び起こして解き放つための儀式……そう、セレモニーのために、この店に来ているのだからね」
有希は、優しく言葉を択びながら、ゆっくりと小夜香に話し掛け、笑みを作った。
小夜香は、今日の遅いランチタイムに、目の前の有希と遇うまでの今までの彼女だったら、このままこの場を今直ぐにも離れ居心地の好い自分の部屋へと逃げ込んだのだろう、と思う。だが、今は彼が彼女のために作ってくれた先程のカクテルを飲み、そのせいか何か彼女の中に芽生えてゆくものがあったが、彼女にはそれを今は知らない。
「小夜香さん、さっきは君の仕草を目にした僕は、ウサギさんだといったけど、ことを起こす行動はまるでカメさんだね。童話の世界だと、お互い相反するもの同士なのに、君の中ではとても仲のよいお友たちなんだね。ふたりは仲よくカメさんの頑丈な甲羅の中で、自分たちを虐める世界から逃げ込み、お互いの身体を労わって居るようだよ。小夜香さん、君は文才があるからそれを素に童話作家になるといいよ。クッ・ク・ク、新しいカメさんとウサギさんのお話……子供たちに夢と希望を与える筈のお話が、とても希望なんてなく、暗くて、全てがネガティブな内容なんて失恋を
有希が熱く語るのを、小夜香はただ目の前のグラスを視ていたが、彼の言葉が彼女の心に届いたのか思わず口を開いた。
「有希さん、それって、その試練を乗り越えれば彼のこと、京平さんのことを忘れることが出来るの?」
彼女の言葉を聞いて有希は、意地悪くにんまりと笑みを作り、さも楽しそうに小夜香の質問に答えた。
「さあー? さあね。それは、僕にも分かんないなあ。でもね。でも、小夜香さん、君はそれを飲まないってことは、今のままだよ。小さい頃から引っ込み思案で、恋に対しても経験が、君と同じ年頃の女の人に比べると全然で……失恋に対しての免疫がまるでない。だから、君はあんな京平如きに、いつまでもメソメソして……アッ! そうだ。桃子ちゃん。桃子ちゃんのことを、未だ続きを話していなかったね……聞きたい?」
有希は、小夜香の顔を覗き込むと、彼女は彼の視線をかわすように小さく頷いた。
「ウン、分かった。しかし、手短に話すね。何せ、折角作った僕のカクテルが、
有希は、小夜香の顔をテーブルに両肘をおいていた手で顎をあずけ、意地悪そうな顔で微笑みながら彼女のリアクションをみていた。
「しかし、生島玲子、彼女は後者の方を常套手段として、やっていたよ。京平のヤツに、後者の見え視えのチープなアプローチを掛けて成功を手に入れたんだ。信じられる? 彼女は、京平が来るのを分かっていて、わざと自分から廊下の角の出会い頭のハプニングを装ってぶつかり、大袈裟に転び、持っていた書類などを辺りに大ぴっらにばら撒き、彼の気を
有希は、そう言い小夜香に手元にあるカクテルを飲むのを進めた。
「ウフフ、ウンウン、乾いた喉には美味しいでしょう。ウン、話の続きね……あのう、桃子ちゃんの現在ね。今の彼女はというと、お金にも相手が変る毎にステップアップするが如く懐は厚くなって行ってね。彼女は、小さい頃から嫌いだった自分の顔を
「エッ? ええ、でも、有希さん、貴方は何故こんな話を私にしてくれたの……まさか、貴方は私にその人たちみたいに詐欺師の人になれと勧誘のために、わざわざこのお店に来させたのですか。この私を……私は、そのような人たちのようにはなりたくはないわ。人を騙してまでして、自分の幸せを掴むなんて私はしたくありません」
「嫌えいえ、小夜香さん、僕は君にそうなってもらうことを望んではいません。逆です。間違っても、僕が君にそれを望んだ、としても、君は断るでしょうね。それと、上手く君を騙してそのようなことをさせようとしても、君には到底無理だ。君は
小夜香も気を直して、ふたりは軽くグラスを傾けて合図を送り合って、それを飲んだ。
その時、彼女は最初、自分が飲めないとしていたバラと甘い記憶の香のカクテルを飲んでいるのに気付き、彼女は空になったカクテルグラスを擬視し、視線が固まってしまった。
「エヘへへ、やっと気付いて仕舞ったんだね。始めは、あんなに嫌々を言っていたのに……ウフフフ、思うは難く行なうは易し。真さに、それだね。君は、何をするにしても君の行動には、小さい頃からのよい子でいなければという良心が余りにも強いせいで、それが重い足枷となって君自身を縛っているんだよ。だから、君の飲みたくないというカクテルの注意を
「ウフフ、いいんですよ。有希さんの作ったこのカクテル美味しかった。それに、貴方が話してくれたお話は、私の中には考えたこともないものだったので、後でゆっくり整理してみますけど、今は飲み込めてはいないような感じですけど、有希さんはお話がとてもお上手ですね。私は、何故か意味もなくただ素直に面白いから、ツイ有希さんのお話に聴き入って仕舞いました。おかげで、無意識に苦手だと拒んでいたものまで克服してしまたかのように、今は京平さん、彼のことが今後は少しずつ吹っ切れていけるような、そんな心境です。有希さん、今日は私のために本当に有り難う御座います」
有希は、目を見開いたまま小夜香を直視して、彼女の言葉を聞いていたが、口を何事かいう訳でもなく唯パクパクと喘ぎ、右手の人差し指は小夜香の顔を指していた。
「どうしたの、有希さん、私の顔に何か付いているの……?!」
「エッ! い、嫌ーえ、確か小夜香さんが少し”ウフフ”って笑った……笑ったような。い、嫌、笑った。確かに笑った。僕は見た。小夜香さんのウフフって笑う声も確かに聴いたよ」
「エッ! うそです。また有希さんは、私をからかおうとして、そんな有りもしないことを言って……私は、笑ってはいないです」
その時、店内に流れていた曲が替わり、小夜香はその曲に誘われるように辺りを観回し有希に、次のようなことを告げた。
「私、この曲を知っている。確か、オール・オブ・ミーって曲で、私が小さい時、亡くなったお母さんの大好きな曲で、いつもお母さんは口づさんでいたわ。この曲は、スティーブ・マーティンっていう俳優さんが出ていた映画のタイトルにもなったもので、その映画を私はお母さんの膝の上で顔を乗せて、ビデオで家のテレビで観た記憶があるの……」
「ウフフ、小夜香さん、僕も観たよ。確か、主人公の男の人と或る女の人の魂っていうか、意識が入れ替わってしまうコメディーで、最後は心が温っかくなるようなストーリーだったよね」
「ウンウン、そうそう、あの映画で、私ね……、……
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