好きだ、バカ

第6話.6 好きだ、バカ


◇◇◇◇



「玲二!走って!!」



私に引っ張られる形で玲二も走った。


少し時間に遅れそうで、走った。


バスは待ってくれない。



いくつかの停留所を過ぎて二人で走った。


意外に人が多い。


旅行なのか、出張とかなのか……それとも…


穂香さんのように留学するのか。


わからないけど、意外に人が多かった。



トランクを転がす人もいれば、その見送りっぽい人もいる……私達みたいな。


待ち合わせ場所のエントランスでようやく走るのを緩めた。


私にムリヤリ連れてこられた玲二は何とも言えない顔でずっと黙っていた。


電工掲示板には空港行のバスの出発時間が流れる。



「玲二」


「ん?」


「……本当に会うだけでいいんだね?玲二は何も言わずにお別れだけするつもり?」



私をチラッと見てから、玲二はまた俯いた。



「……俺は、何を言うべきか……わからないから」


「わからないって……」


「だってそうだろ?」



玲二は少し声を張り上げた。



「だって……」



でもすぐに小さな声になった。



「満さんの時間は止まったままだ」


「……玲二?」


「俺が何かしたって、何を言ったって……満さんは穂香にもう何も出来ない」


「それは……」


「一番のライバルなのに……一番勝てないのに……俺はズルをするみたいだ」



胸が苦しい。


玲二が言いたいことはわかる。


でも何か違う気がする。



「…………穂香さん、抱き締めてたくせに」


「…………え?」



玲二はキョトンととぼけた声を出したけど、すぐに目を見開かせた。



「ええぇぇっ!?」


「何」


「み……見っ!?見てたの!?」


「……」



あ……言っちゃった。


慌てる玲二を見て、まぁいっかとか思った。


玲二を睨みつけ、顔を上げる。



「兄貴を言い訳にしないで!」


「……っ」


「兄貴は……」


「……」


「“ある人”は……」


「え…」


「好きな女の人がいて、その人に避けられても…諦めなかったって!」



私の知らない兄貴の男の人の部分。


でも兄貴らしい一面。



「……“その人”の想いが最後まで言葉にされることはなかったけど」


「……」


「他にも自分の気持ちから逃げてた人が向き合おうとした時に相手を失ったって人も知ってる」



涙を流していた穂香さん。


今となっては何が正解だったなんて、わからない。



「両思いでも……タイミングやほんの少しの価値観の違いでスレ違った人も知ってる」



それでも理一さんは言った。

『無駄とは思っていない』って。



「だから玲二!」


「……」


「頑張れ!!」



玲二は少し目を開かせて「……ゆず」とだけ呟いた。


無責任な言葉かもしれないけど、私に出来るのはきっとこれぐらい。



「頑張れ、玲二」



いつも手をひいてくれた──玲二の背中を押してあげたい。



「タイミングを失ったら……何もしなかったら、きっとこれからも…苦しいよ」


「……」



自分の気持ちに言い訳ばっかは悲しいよ。


玲二の肩越しでひとつの影。



「……玲二」



服を引っ張って玲二を呼んだのは、こっちに向かってきている穂香さんを見つけたから。


穂香さんはトランクを引きながら、笑顔でこっちに手を振ってくれた。


玲二がグッと緊張したのが、痛いほど伝わった。


だけど私は玲二の服を掴んだまま、引っ張って歩き出した。



「行くよ」



チケットを買いに行く人の邪魔にならないように、自然と私達三人は壁側に移動した。



「わざわざ来てくれてありがとう」



穂香さんは柔らかな笑顔と穏やかな声でそう言ってくれた。


旅立つ人の姿なんだろう。



私は玲二の背中を思いきり押して、一歩前へ進ませた。


玲二は「え?」と私を見下ろしたけど、私はそのまま玲二の背中を支えて真っ直ぐに穂香さんを見た。



「玲二から穂香さんに言いたいことがあるみたいです」



私が出来るお節介はここまで。


穂香さんは小首を傾げて玲二を見上げた。


玲二は戸惑って視線がキョロキョロした。



「あ……あの、」



そして玲二がようやく言葉にした。



「穂香、えっと……借りてた本は……」


「あ、大丈夫。玲二くんが預かってて?」


「そっ……か」


「うん!言いたいことってそのこと?」


「あ、……あの!」



玲二はキョロキョロするのをやめた。



「……これは……“ある人”の話なんだけど……」


「え?」


「その人には、好きな人がいて……でも他にも守りたい人もいたんだ」



唐突に始まった話だけど、穂香さんは黙って聞いていた。



「タイミングを失って……そして不運も重なって……『好き』ってこと……最後まで伝えることは出来なかった」


「……そう…なんだ」


「穂香」


「うん?」


「穂香なら……その想い…教えるべきだと思う?たとえ……」


「え?」


「たとえその人とは違う人間の口からでも……」


「……人伝……ってこと?」



穂香さんは考えるようにゆっくりと瞬きをした。


玲二はジッと穂香さんの返事を待った。


そして私も。


しばらくして、穂香さんはゆっくりと、そしてしっかりと笑顔を作り、首を横に振った。



「私……戸田くんが……いなくなってから……『もしも』をたくさん、考えたけど」



穂香さんは噛み締めるようにゆっくりと「でも」と言葉を続けた。



「でも、その『もしも』の話……私は反対だな」


「……人伝では、聞きたくない?」


「きっと聞けたら、救われることもあるけど……私なら聞かない」



泣きそうな儚い笑顔だけど、穂香さんはひとつも涙をこぼさず、ハッキリと言った。



「大事な想いなら『その人』からきちんと知りたいと思う。『その人』も自分で伝えたかったはずよ。たとえ、録音越しでも……手紙だろうと……玲二くんは…どう思う?」


「……うん」



玲二は少し笑った。



「俺も……そう思う」



泣きそうになったのは私の方だった。


我慢して、持ってきたカバンをギュッと握って堪えた。



「じゃあ穂香!」



玲二のその声はいつも玲二に戻ったような明るい無邪気なものだった。



「日本帰ってきたら、教えて!借りてた本はその時に……そしてまた、」



玲二は私を見下ろしてもう一度笑った。



「また、ゆずと三人で遊ぼ?」



穂香さんは嬉しそうに頷いてくれた。



「きっとよ?」



玲二も…穂香さんも笑っている。


私が思っていたベストな形でなくても、バカな私はそれだけで充分に思えた。



「穂香さん!」



私はやっとカバンを握っていた力を緩めることが出来た。


そして穂香さんに渡したかったものをカバンから出した。



「これ、穂香さんに」


「え……これ…は?」


「兄貴の卒論です」



少し分厚くて、端がちょっぴり折れていて、私達みんなを繋げた言葉がたくさんつまっている何枚もの紙。


正式に発表した紙に更に、兄貴の手書きのメモがたくさんたくさん書かれている。


論文前のノートもある。


深呼吸して、穂香さんの目をしっかりと見た。



「穂香さんにあげます」


「えっ!?」



穂香さんだけじゃなくて、玲二も驚いた様子で私を見たのがわかったけど、私はかまわず穂香さんに言った。



「留学して向こうの研究の何かに役に立てるのなら……正直私には何を書いてるのかワケわかんない論文だし」


「……でも、」


「穂香さんがいらないとか……兄貴のもの持ってるのが辛いってなら、無理には押し付けませんが……」



だけど私は穂香さんに向けて、腕を伸ばして卒論を差し出す。



「でも穂香さんに持っててくれた方がいいと思う。少しでも役に立てるなら私も嬉しいし、それに穂香さんに持っててもらえたら……兄貴も嬉しいはず!」



私は玲二に向かって「ね!」と言った。



ビックリしていた玲二もゆっくりと笑顔に戻って「うん」と言ってくれた。



「研究に役に立たなくても、ゴロゴロと読んでるだけでも心が落ち着きますよ?私も去年とかその論文のおかげでなんとかやっていけた時もあるし」


「ゆずちゃん……」


「眠れない夜はその論文読んでたら兄貴の声が聞こえる気がして、よく寝れた。……それは私には難しかったせいもあるけど」


「そんな……これはゆずちゃんにとって、大事な…戸田くんの形見なんじゃないの?私なんかに……」


「いいんです」



私は笑顔で首を振った。


振ることが出来た。


そして私は玲二の背中の服を握った。


強く


やさしく



「兄貴が私に残してくれたのは……ちゃんとありますから」



大事に


大事に


想いを込めて玲二の服を握っていた。



「兄貴が残してくれた……大事なものを……ちゃんと守っていきます」



兄貴が残してくれたもの


それは、記憶だけじゃなくて、こうして玲二と出会えたキッカケ。


こうして出会うはずもなかった人と隣に過ごせるキセキ。



兄貴の卒論がなくても…きっときっと、私は大切に出来るはずだ。



玲二の『すとれーじ』も。


玲二自身も。



「だから穂香さん……受け取ってもらえますか?」


「ゆず…ちゃん……」


「わたし、穂香さんの研究…応援してますから!」



穂香さんはやっと手を伸ばし、受け取ってくれた。


論文を胸に抱きしめ、笑ってくれた。



「ありがとう…ありがとう、ゆずちゃん」



良かった。


渡せて、良かった。



「さっそく飛行機の中で読むね?」


「はい。……ねぇ、穂香さん?」


「うん」


「もうひとつ……『もしも』話してもいい?」


「え?何?」


「もしも……」



私は穂香さんの腕の中の論文を見た。



「もし、兄貴の論文通り……『すとれーじ』が……たとえば兄貴の『すとれーじ』が残っていたら……穂香さんはどうしますか?」



どうしますか?


私の質問に対して、穂香さんは意外にも驚きもせずに私の顔を見ていた。



「うーん……どうするんだろうね」


「……どういうことですか?」


「『すとれーじ』を受け継いだのだとしても、その人の自由にしていいと思う」


「……穂香さんは……どうも思わないってことですか?」


「そういうのとはちょっと違うけど……うん、何もしないかも」



穂香さんは笑顔のまま、そう言った。



「受け取った記憶は、本を読んだような…映画を見たような……そうやって引き出しのひとつに過ぎないし、そうすべきなんじゃないんかな……って、私は思う」



私に向けていた笑顔は玲二へ流れた。



「それで人生変わっちゃっても、それ全てを人生の全てに変えちゃいけないわ。『すとれーじ』を受けとる前に過ごしてきた家族や友人だって大切に変わりないでしょ?」



玲二は穂香さんから目を離さず、黙っていた。



「記憶の人の代わりになる必要はなくて、その子自身の人生を……その子の自由に生きてほしい……。それでいいのよ。比べる必要も合わせる必要も……」



穂香さんはそして私達の顔を交互に見た。



「周りに遠慮したり、惑わされても…自分の一番譲れない大事なもの……それだけは見失わないで、二人とも」



そこで穂香さんはチラッと腕時計を確認して、最後だと言わんばかりの笑顔を見せた。



「私も……頑張ってくるね!!」



周りの人達もゾロゾロと流れていく。


バスへと乗り込んでいく。



時間だ。



トランクを引いて、穂香さんは手を振った。



「頑張ってください!!」


「頑張れ!」



私も玲二も遠ざかる穂香さんに向かって叫んでいた。



穂香さんは最後まで笑ってくれた。


兄貴の論文を抱き締めて。


そうしてバスに乗り込んでいくところまで二人で見送っていた。



「……ゆず」


「うん?」


「……もしかして穂香は、俺のこと……気付いていたのかな?」


「……どうなんだろうね?」



でも多分そうなんじゃないかって…私も思っていた。



兄貴との関係も。


玲二の秘密も。


玲二の抱いていた気持ちも。


穂香さんはわかっていたんだろう。



最後に穂香さんが言ってたことがもう一度頭に巡った。



自分の大事なもの。


私の大事なもの。



見失いたくないもの。



私はソッととなりの玲二を見た。


そこでドキッとした。



「玲二……泣いてるの?」



玲二は声を出さずに一粒一粒、涙を落としていた。



「なんでも……ない」



何でもなくない顔なのに。


一体、何のウソなのか。



だけど玲二の一粒一粒から目が離せなくて、息が苦しくなった。



「玲二は……結局言わなかったんだね」


「……ん?」


「……玲二の気持ち、穂香さんに」


「……うん」


「なんで?」


「穂香の心には一人しかいないの……わかったし、あそこで伝えるのは……なんか違うなって、思って」


「そ……っか」


「それに、俺の気持ちが本物だったのかすらわかんねぇしな!」



鼻を啜りながら、玲二は笑った。


……バカ。



「玲二」



私は気付けば玲二の手を握っていた。



「兄貴とか……関係なかったよ」


「……え?」


「私はそう思った」


「……」


「兄貴が穂香さんに対して、どんな感じだったのか私は知らないけど。玲二のその想いはただのコピーとか…そんなややこしくて、薄っぺらいものなんかじゃなかったと思う。行動も言葉も……全部、玲二のものだったよ。『すとれーじ』のせいじゃない」


「……うん」


「玲二はちゃんと……穂香さんのことが……」


「ゆず」



玲二の涙がもう一度、溢れた。



「言わないで」


「……」


「その気持ちは、俺のモノだから」


「……うん」


「今はまだ、他の誰かに言われたくない」


「……うん」


「だから、言わないで」



今はまだ……わかるような、わからないような気持ち。



玲二…



玲二……



今度は私の想いが溢れた。



「玲二、ごめん」


「……え?」


「この間は、ごめん」



瞬きするたびに涙を溢しながら、玲二はキョトンとする。


器用な奴。


握る手に力を込めた。



「こないだ…マンションの前で『玲二は兄貴じゃない』とか……わざわざ否定するようなこと言って……あの時はごめん」



今度はちゃんと言った。


その場かぎりの『とりあえずのごめん』じゃなくて。



もうあんな『ごめん』は二度とごめんだ。



もう玲二を傷付けたくない。



大事なものを見失わないために。



「玲二は玲二で……兄貴とは、違うけど……兄貴に敵わないってわけじゃない。だって、そのおかげで私はすごく救われたし」


「……うん」


「でもそれは兄貴の心臓なら誰でも良かったわけじゃなくて……ちゃんと…私にとって兄貴と同じぐらい……」



胸の中がキュッと狭くなった。



「同じぐらい……玲二の……ことが、」



繋ぐ指が、熱い。



「玲二が……大切だよ」



言葉にすれば、その想いは更に形となって大きく膨れ、そして溢れた。



私、玲二のことが……



その言葉の続きをようやく見つけられたんだから。


私の素直な言葉を聞いた玲二は、泣き跡を残して笑った。



「ありがとう」



玲二の手が、ギュッと私の手を握り返した。



「ありがとう、ゆず」



その笑顔に今度は私の目から涙が流れた。



「ふっ、はは!なんでゆずまで泣いてんだよ!!」



その笑顔がキラキラと眩しかった。


玲二はきっと穂香さんと違って、私の言葉の本当の意味をわかっていない。



バカ


バカバカ、



バカ



……好き。


好きだ。



玲二が……好き。



好きだ、バカ…



いつのまにか、年下の兄貴は私にとってかけがえのない人になっていたんだ。




─六話・完─

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