六話

兄貴の恋

第6話.1 兄貴の恋1


─六話─



『ゆずを一人にしないから!』



嘘つき


バカ兄貴……。



結局私は……泣いては止めて、泣いては止めてを繰り返しているだけ。



だから今度こそ、強くなりたいっていつもいつも思うのに……私はまた繰り返す。


泣く場所を変えて……



涙のピークを過ぎて、少しだけ落ち着いた時に気付いた。



……理一さんと抱き合っている。


すごい状況であることに気付いた。



握っていたシャツの背中をパッと離した。



その動きに理一さんもハッとした反応で私からガバッと離れた。



1メートル離れたキョリで私達は呆然とした感じで立ち尽くして見つめ合った。



「えぅ……あ、ありがとうございました!!」


「あ…あぁ。泣き止んだのなら……良かった」


「……」


「……」



気まず過ぎる空気に無言が続く。


まだ冬の名残を感じる春なのに、変な汗をかく。


おかげで涙は止まったけど……



「……」


「……」



すっごく変な感じになった。


これは……何?


何か喋らないといけないのか?


それともお礼を言ったんだから、さっさとこの場から出ていくべきか?


その時



「ただいま~」



玄関から玲二の声がした。



私達二人は同時にビクッとした。



玲二が帰ってきた。



玲二……と言えば




――――『玲二は兄貴じゃないっ!』

――――『わかってるよ』



さっきまでマンションの下でひどい言葉を言ってしまったままで……



私は完全にパニックだ。


私がここを帰る場所として選んだのだから……玲二のことにしても、理一さんのことにしても、私に逃げ場所は無い。


どうすれば……


迷っている間にリビングの扉が開いた。



一体どんな顔して玲二と会えば……



頭が真っ白でオロオロして、それでも逃げたい気持ちで無意識に足を一歩ずらそうとしたら……



「ゆずるさん!!ダメだ!」


「へ?」



あ……ガラス。


すっかり忘れていた床に割れたコップの破片がまだそこにあって私はそれを踏む──



「ーッッ危な」



──前に、理一さんの手が伸びてきて……



「きゃ!?」



理一さんに引っ張られるまま二人で大袈裟に床に倒れ込んでしまった。



「…~痛ぅ」



キッチンから飛び出る形で床に転がった私達は、



「…………二人、何…してんの?」



目をめちゃくちゃ見開いている玲二に見下ろされていた。



気付けば抱えられるようにして理一さんの上に倒れている状況にハッとなる。



「これは…っ、」



両手を付いて急いで上体を起こした。



ものすごく気まずいこの状況に言い訳したい気分だけど、バカな私には言葉がすぐに出てこない。


ガラスが…その…としか、思い付かない。


だから私よりもそういう説明が上手い理一さんに助けを求めるように理一さんを見た。



理一さんはまだ私の下にいる。


私が覆い被さっている体勢で間近で目が合い…



理一さんが失神した。



「えええぇぇぇぇぇぇぇっ!?」


「に、兄ちゃんっ!?」



おいおいおい!


さすがに理一さんの限界を越えてしまったらしいけど……今!?今さら!?


さっきまで抱きしめられてたのに?



つーか、この状況で気を失わないでほしい。


遅すぎるけど、立ち上がって理一さんの上から退く。


玲二と目が合い、気まずさ3割増し。



「……」


「……」


「ゆ……ゆず、とりあえず冷えピタ!」


「お…おぉ!」



玲二に状況をゆっくりと説明出来たのは、理一さんをソファーまで運んでからだった。



…──



「だから…理一さんはただ私をガラスから庇おうとしたら、なんか転けちゃって…」



ソファーでちょっとだけうなされてる理一さんを見守っている玲二に、なんとか説明を終えた。


多分、ちゃんと伝わったと思う。



「……」



でもいつもの弾んだ会話にならない。



「玲二」

「ゆず」



お互いの名前を呼んだのが同時すぎて……



「……」


「……」



また無言になった。



玲二に背中を向けて、電話を取りにいった。



「今日は……出前…にしようかって、理一さんが言ってた」


「あ…そうなの?」


「うん」



白々しい空気


って思ってるのは私だけかもしれないけど。



誰かと喧嘩とか気まずい感じになっても、一度家に帰って次の日会うと少しはマシになってる…って時もある。


お互いに一人で落ち着ける時間が出来るから。


でも一緒に住んでたら、そんなことも言えない。


嫌でも顔を合わすし。


どうしたらいいのか……。


忙しい兄貴としか暮らしてこなかったから、対応方法が全然わからない。



「俺……」



玲二が喋り出したことにドキッとした。


言葉の続きがなんだか恐かった。



「出前……なんでもいいから。それまでちょっと部屋で……休んでる」



視線を反らすように玲二はリビングから出ていく。


避けられた──ってわかるから、ズキッとする。


中途半端に上げた電話受話器が空しい。


取り残されたリビングで深呼吸を繰り返した。


やることはわかってる。


だから受話器を戻して、追いかけた。


玲二が部屋に入ってすぐに、その部屋をノックした。


当たり前に扉の向こうから「え?」と戸惑う声がする。


玲二にかまわずドアを開けてやった。



「玲二」



部屋に入ってすぐだっからか、玲二はすぐその場で立っていた。



「え?どうした?」



困ったように不思議そうに玲二が瞬きをする。


私が選んだのは、



「ごめん」



早い解決法だった。


この空気のまま家にいるのは耐えられないと思った。


だから、とりあえず謝った。



「その、玲二……さっきはごめん」


「……」


「ごめんね」



玲二は泣きそうに顔を歪めたのに、笑った。



「うん」



笑って、そう返事をした。


解決方法……のはずだったのに。



さっきよりも胸が苦しくなった。



「ねぇ、ゆず」



玲二が私の手を取った。



「……何?」



少し黙ってから、玲二はやっぱり笑った。



「うぅん、何でもない」


「…………そう」



玲二はいつもの表情に戻った。



「あ、ゆず!穂香さんの漫画読んだ?」


「え…あー、うん」


「また返す時言って?俺も行くし!!」


「……そう」



私も戻らなきゃ……謝って解決させたんだから……戻らなきゃ。



グルグルと頭の中がゴチャゴチャになっていたら、玲二に手を引かれた。


そのまま引っ張られるように玲二の腕に包まれた。



え?



いつもの突然のスキンシップに頭が真っ白になった。


なんで動揺してるの、私?



「……玲二?」


「うーん……なんつーか、さっきは本当にビックリした」


「何が?」


「ゆずが兄ちゃん押し倒してた光景が」


「……だから、違うの!」


「わかったんだけど……なんつーか、……ねぇ?」



玲二の抱き締める力がキュッと強まった。



「俺はシスコンだから、ゆずのことが心配になっちゃうんだよ」


「……」



……妹か。



「だから違うっつの」


「わかった。ガラスあったから事故で一緒に倒れ込んだんでしょ?」



違う。


私は妹じゃない。


玲二は兄貴じゃない。


私が……玲二を“兄貴”とは思えなくなってきている……のだ。


ズキズキと胸が傷み続ける。


その場限りの『ごめん』は何も解決しない意味がようやくわかった。


最低で最悪、上部だけのとりあえずの『ごめん』


本当のことから逃げ出しただけに過ぎないのに、謝ってしまったのだから、もう向き合うことも許されない。


なんで『とりあえず』なんかで薄っぺらい『ごめん』なんか、口にしてしまったんだろう。


自分のバカさ加減に胸がずっと痛み続けた。

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