第5話.8 兄貴を否定


マンション下で玲二を見つめながら、疑問が頭をよぎる。


あのあと、玲二はどうしたんだろう?


穂香さんは何て答えたんだろう?



「玲二こそ……」


「ん?俺?」


「穂香さんところ行くんじゃなかったの?」



自分でもビックリするほど白々しい質問。


玲二は紙袋を無意識なのか何なのか……ギュッと握った。


穂香さんから借りた本が入ってるだろう袋を……。



「あー、うん。まぁ、……行ってきたよ。……うん」



ムカムカする。



「なんで?」


「……え?」


「なんでそんな穂香さんのとこ、行きたがるの?」


「なんでって……」


「穂香さんだって、忙しいだろうしさ!玲二みたいなガキの面倒見てるヒマなんてないじゃん!?」



違う。


玲二に会って言いたかったのは、こういうことじゃない。


こんなんじゃない。


理一の相談とか……まずはそこからなのに。


なのに全然軌道修正できない。


勢いのまま喋る。



「玲二は、穂香さんのことが好きなの?」


「そ……れは、」



玲二は戸惑うように詰まらした。


違う違う。


こんな風に責めた言い方がしたかったんじゃない。


私がやりたかったイメージからドンドン離れていく。


なんで……


どんどん……ドツボにハマっていく。



「だから、玲二は穂香さんのことが好きなのって聞いてんの」


「そんなの……俺だってよく、わかんねぇ…し、つーか何でゆずにそんなこと聞かれなきゃなんねぇんだよ」



当たり前だ。


玲二に問い詰める権利、私には無い。


なのに口が止まらない。


いつもなら、人のテリトリーに入るなんてメンドーなこと聞いたりしないんだ。


私、ホントにおかしい。


玲二は戸惑うのを止めて、まっすぐと私を見た。



「俺はただ……なんか、寂しそうに遠くを見たり、無理しておどけて笑って、我慢しながら泣いてるあの人が……なんだかほっとけないんだ!!」



一体いつ、穂香さんのそんな表情を見たんだろう。


きっと同じ空間にいても、私はもしかしたら穂香さんの表情の意味に気付かなかったと思う。


穂香さんのことを考えながら見ないとわからないこと。


だから玲二は気付けたっていうの?



「そんなことより、ゆず……なんかあったの?」



玲二は私の頭に手を乗せる。


心配そうに覗き込む。


それがムカついた。


兄貴みたいなことがムカついたんだ。



「やめて」


「え……?」


「玲二、わかってるの?」



頭にある玲二の手を払いのけた。


そして玲二に向かって顔を上げた。



「こんなんして、意味ないんだから!」


「意味?」


「穂香さんにしても、兄貴の代わりになる意味なんて……穂香さんを好きになる意味わかんないし、本当かどうかわかんないし」


「ゆず?え?……なんかあった?」



もう一度撫でられそうになったから、玲二を睨んだ。


無意識に息を吸い込んだ。



「玲二は……玲二は、兄貴じゃないよ!」



自分の声とは思えない大声が響いた。



「兄貴とは、違うんだから!!玲二に、兄貴の代わり……出来るわけないじゃんかっ!!いい加減にして!兄貴面しないでよ!



玲二は、兄貴じゃない!」



キンと……響いた。



美人の夕暮れなのに……、その光に照らされてる私達の間が凍った。



「俺は……」



なぜかビクッと震えた。



「満さんじゃない」



玲二の顔は、



「穂香さんにとっての満さんになることも……ゆずの兄貴の代わりにもなれない……わかってるよ」



泣いているような、怒っているような、どっちとも表現しにくい感じに顔を歪ませていた。



「……わかってる」



どちらなのかわからなくても、これだけはわかった。


それは傷付けたってこと。



「ゆず、ごめん」



歪めたまま、玲二が笑うから……胸が苦しくなった。



私はそのまま言葉を失っているうちに、玲二が背中を向けた。



「──ッッ」



何か声を掛けるべきなのに、何にも思い浮かばなかった。



玲二はマンションから離れていった。


追いかけるべき?


でも……どうしたらいいのか、全然わからない。


苦しい胸を落ち着かせるように長い息を吐いた。



なに、このグチャグチャ……。


こんなはずじゃなかったのに……。



……きっと、なんとかなる。


……まぁ、いっか



まぁ、いっか

まぁ、いっか

まぁ、いっか

まぁ、いっか



心ん中で何度もそう言い聞かせたのに、胸の苦しさは全く無くならなかった。


仕方がないので、マンションに戻る。


……玲二はどこ行ったんだろう。


……帰ってくるよね?


玄関のドアがいつもの何倍も重かった。



「おかえり。どっちだ?玲二か?ゆずるさん?」



キッチンの方から理一さんの声がした。



ゆっくりとリビングに入ると、私を確認した理一さんは眼鏡を押し上げて迷惑そうに目を細めた。


そして何かの洗い物の続きをした。



「返事ぐらいしてください。君だって俺にそう言ってただろう?」


「……」



誰の目から見ても、理一さんは私に慣れてきた。


でも今はそんなこと、どうでも良くて……。



「今日は忙しくて買い物に寄れなかった。申し訳ないが出前で済ませても…」


「理一さん……」


「ピザでも寿司でもラーメンでも…」


「理一さんは誰かを本気で好きになったことってありますか?」


「……──っはあぁ!?」



理一さんの手からガラスコップが抜け落ちた。


涼やかに割れた音が地面に響いた。



「な、なに、なななっ…………何を一体…い、な……は」



変な話、こうやって動揺してる理一さんのが普通に感じる。


でも、理一さんに動揺させたくて聞いたんじゃない。


本当に思ったこと。



「人を好きって、どんな感じですか?」



もう一回理一さんに聞いてみると、今度は騒がなかった。


でも口をパクパクさせている。


突然ワケわからないこと聞いて……また呆れられてるんかも。


なんか自分でもワケわからないと思って、耐えきれず思わず謝った。



「ごめんなさい」


「いや…コップは俺の不注意で……」



なんか微妙に話が噛み合ってないけど、いいことにする。


キッチンに回り込み、しゃがんでガラスの破片を集めた。



「い、いい!君はやらなくていい!!俺がやるから!!」



理一さんの注意を無視して、近くに落ちてた紙袋の中にとりあえず入れていく。


理一さんもしゃがんで一緒に片付け始めた。



「……ゆずるさん、」


「……」


「あー……えっとー……」


「……」



理一さんはため息をついたあと、言った。



「あるよ」


「…………え?」


「本気で人を好きになったこと、あるよ」



驚いて顔を上げると理一さんは淡々と片付けを続け、言葉もポツポツと繋げた。



「これから先、この人しかいないと思うほどの恋をした。……こんな俺でも。……笑えるだろ?」


「それって前に言ってた元カノですか?」


「数年も前の話だから今はありえないけど……有るか無いかで聞かれるなら、あるよ」



あるんだ……


私は…


今まで彼氏を作っても、この人だけと思えるほどの恋を私はしてきたのかな。


多分、ない。


だから玲二の気持ちをわかってあげれてない。


だからイライラするのかな。



「理一さん……余計なお世話でしょうけど…」


「何だ?」


「それほどまでの恋だったのに……なんで別れたんですか?」


「……」



なんか空気的に…ホントに余計なことを聞いてしまったかも。


自分のバカさ加減に『クソッ』と舌打ちしたくなった。


目の前のことに意識を切り替える。


残りの細かいガラスの破片はガムテープで……



「恋は人を狂わす」


「……は?」


「他の人は知らないが、俺はそう思う」


「狂わす……ですか」



立ち上がろうとした体はそのままフローリングに座って、目の前の理一さんを見た。



「新しい自分を発見してばかりだ。良くも……悪くも……自分をコントロール出来ない」


「……」


「それを歓喜と感じるか悲哀と感じるかは、また人それぞれになるが……」



立ち上がった。



「へ?ゆずる…さん?」



狂わして、自分をコントロール出来ない……。


きっと玲二もそう。


自分の想いを抑えきれなくて、会いに行ったり、話を聞いたり……抱き締めたり……




―――――『玲二は兄貴じゃない!』




玲二の兄貴のような優しさや支えによって……少なくとも私は救われてきたはずなのに…。


なんであんなことを言ったのか。


玲二の傷付いた表情が頭を過る。


なんで……ひどい言葉をぶつけたのか。


バイトを上がったばかりの時には、そんなことするつもりはこれっぽっちもなかったのに……


最近の玲二はおかしい。


最近の私も…おかしい。


玲二は恋を始めたから……



じゃあ、私は?


……私……も?



立ち上がって、すぐにキッチンから出ようと思っていたのに、間に合わなかった。



「ゆずるさん!?」



俯いたまま、声を殺して……そして涙が流れた。



ボタボタと涙をこぼした。



玲二の傍は安らぐ。


玲二の傍は苦しくなる。


玲二の傍は泣きたくなる。


玲二の傍は笑うことが出来る。



玲二は……玲二は……



謎の心不全。


なんで?


それとも……



『それとも……』の感情の続きを見つけてしまったのなら……。




『ゆずは妹だよ』


『それでも家族だと思ってる』



私が“それ”を認めるわけにいかない。


どう考えたって、不毛な始まりでしかない。


泣くことを止められない。


苦しいことから逃げるように、感情を溶かして誤魔化すように……次々に涙を流した。



「お、おい?……な…何が、……え?」



突然の泣き出しに理一さんは当たり前に戸惑っている。



俯いているから顔はわからないけど、視界に時々入る靴下は戸惑いをそのまま表すようにウロウロとオロオロとその場を歩く。


時々何かのタオルが見えたり、コップに入った水とかが見えたりしたけど、どちらも受け取らず泣いていると、床に見える足はやっぱり右往左往している。



理一さんをこれ以上困らせるわけにいかない。



「……ごめんなさい」



一歩下がった。


でもその離れたキョリは、迷うのを止めた足の一歩によって、意味を無くした。



後頭部に手を添えられ、頭を抱えられた。



ほんの少し震えている手は、意外な力でしっかりと私を包んだ。



「大丈夫……だから」



何が大丈夫なのか、理一さんが言ってる意味が不明だけど……泣いてもいいんだ、と余計に泣けた。



抱き締める手が玲二に似ている……かもしれない。


やっぱり兄弟なんだって思うのと同時に、ずっと私を守るために抱き締めてくれたその手は違う人を抱き締めていたんだと、また苦しくなった。



新しい自分を見つけてしまっても、苦しいだけなのだ。


私はまだ着替えていない彼のYシャツを握った。


そして泣いた。


理一さんの腕の中で泣いていた。


よくわからない

年下の少年に

恋するわけが……


恋するわけには、いかないんだ。


絶対に…



─五話【完】─

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