恋する気持ち
第5話.5 穂香さんの部屋
◇◇◇◇
兄貴の本を見せるために穂香さんの家にお邪魔したのは、意外と早くて約束した日の二日後だった。
「あれ?二人は付き合ってないの?」
穂香さんが用意してくれたお菓子とお茶をもらいながら喋っていると、穂香さんが謎の誤解をしていることがわかった。
「ち…違います違います!ゆずとはそんなんじゃないです!」
焦って否定する玲二。
ま…いーんだけどさ、
いーんだけど……
いーんだけどね。
穂香さんは不思議そうに私達を見た。
「えーっと、じゃあなんで玲二君も一緒に来てくれたの?てっきり、ゆずちゃんが心細いかなんかで彼氏連れてきたのかと……」
どちらかと言えば私が連れてこられた側だ。
だからなんでって聞かれても困るし。
玲二を横目で見た。
つーか、玲二はなんで穂香さんに心臓移植のこと言わないんだろう?
「ゆずと俺は遠い親戚のような……仲間?相棒!?……うん!!相棒的な!!ね?ゆず!!」
玲二がニコニコと笑って、私に聞いてくる。
……まぁ、玲二がそう言うならそれでいいけど。
「……穂香さんの部屋、片付けられててキレーっすね」
私はナイスに話を反らした。
こないだのゼミと違って部屋らしい部屋。
透明のテーブルにレースのクロス。
フカフカの座布団に座る私達。
私と兄貴が住んでいたアパートよりも洋って感じでオシャレ。
須藤家よりも小さいけど。
でも一人暮らしなら当たり前か。
「片付けてるというか、家をあんまり使ってないっていうのが正しいかも。長期の休み以外は大学に入り浸りがちだから。片付け自体は得意じゃないの、実は」
穂香さんは自分のいい加減な欠点を恥ずかしがるようにちょっと笑った。
でもきっと、兄貴はこの人のこういう所を可愛いって思っていたのかもって考えると可愛く見えてくる。
「あ!言ってた本、持ってきました!!」
玲二はウキウキとした様子で持ってきた紙袋から本を取り出した。
「本当?嬉しい!見せて見せて!」
私は表紙からして『ゲッ、読みたくねぇー』と思う本を穂香さんは本当に嬉しそうに笑った。
頭良い人って変な人多いんかも。
穂香さんは玲二の手にある本を見ようと、身を乗り出した。
「へー『細胞の変化と未来』?」
髪を耳に掛ける仕草で玲二との距離が縮まる。
穂香さんは明るくパッと顔を上げた。
「他にはどんな本があるの?」
二人にはどんな感覚なのかわからないけど、私には二人の顔がめちゃくちゃ近いように感じた。
しかも玲二が少し戸惑ったようにアゴを引いて、わずかにノドを鳴らしたのを見逃さなかった。
やっぱり近い。
玲二が穂香さんから視線を反らした。
「あ……あと、他にも、い…色々……まだまだ沢山本があったから、今日のは選んだ少しで、だから、…みたいな」
玲二さん、日本語ヘンですけど大丈夫?
穂香さんは玲二のヘンに気付かないし、玲二は私の冷たい目に気付かない。
「そういや本以外にも今日は満さんの論文も持ってきたんだよね」
嬉しそうに期待の目で穂香さんがコッチを見た。
その隣の玲二の笑顔に何故かカチンときた。
「持ってきてない」
「へ?」
玲二はビックリした顔をした。
「え……だって、出る前に穂香さんにも見せようって…」
「用意しようとして、忘れた。兄貴の論文は家に置いてきた」
私は自分の隣に置いてあるカバンをギュッ握った。
兄貴の論文が入っているカバンを。
「そっかー……見てみたかったな、戸田くんの論文。私達もそろそろ卒論書くし」
穂香さんは残念がるようで、責めることなく笑った。
そして玲二から本を受け取り、兄貴の本を開きだした。
「穂香はどんな論文を書くの?」
「え?」
「え?」
私は玲二の足を叩いた。
「穂香“さん”!」
「……え?……あ……あぁっ!!」
玲二は私の注意で自分の言ったことに気付いた。
……バカか。
「ご……ごめんなさい、俺…」
「アハハ、いいよ。ビックリしたけど。 玲二君はフレンドリーなんだね」
穂香さんはなんてことないようにやっぱり笑う。
玲二は申し訳なさそうに穂香さんを見る。
「ごめんなさい……なんというか…」
「うぅん、大丈夫だよ」
「そうじゃなくて、『穂香』って……良い名前だと思う!すごく!!」
ど……
どうした、玲二!?
突然の玲二の意味不明発言に私はビビったけど、穂香さんはキョトンと首を傾げただけだった。
玲二は真っ赤な顔で一生けんめいに喋る。
「だから、その……『穂香』って呼んじゃダメですか?」
マ……マジで何言ってんの?
突然なに!?
中学生が大人に向かって、一体何のお願い?
いや…もう高校生か?
いや、違う……くもない?
くそっ、わけわからん!
どうでもいいことで頭を混乱させてる間に穂香さんが笑った。
「あ、え……うん。いいよ、それぐらい全然。好きに呼んで?」
穂香さんは快くそう答えた。
思ったのは……大人って心広い。
すげぇ……
私なんて見ず知らずの年下にいきなり馴れ馴れしく名前呼ばれるの拒否ってたのに。
理一さんがよく言う大人ってこういうこと?
それにしても玲二のヤツは何なの?
いつもの人懐っこい感じがバージョンアップしてる。
穂香さんは本をサラッと目を通して、玲二がそれを見守っている。
「あ……この先生の講演会こないだ行ってきて、本読んでみたいなーは思ってたんだ。戸田くん持ってたんだ。この先生が注目され出したのって最近なのに…早いなぁ…」
「その本は俺も好き!」
「え?玲二君、これ読んだの?」
「うん。面白かった」
「そうなんだ。こういうの興味ある?」
「……ッッうん!!」
「そっか!じゃあ私からも何か貸そうか?興味ある本持っていっていいよ」
「本当!?」
……こういっちゃなんだけど、
興味ないことで盛り上がられても……超絶につまらん。
マジつまらん。
今日、私来る必要なかったんじゃねぇの?
紅茶を口に含む。
私1人が、紅茶の減るペースが早い。
「ゆずちゃん」
突然呼ばれてハッとした。
「え……あ……何ですか?」
「ゆずちゃんも何か好きなのあったら読んでいいよ」
ここは素直に興味ないって言えばいい?
……いや、なんか空気悪くするみたいでムリだ。
彩花に何故か『鈍感』って言われる私でも、そんぐらいなんとなく感じる。
「えっとー……その、まあー何と言いますか……私、兄貴に似ずに頭良くないんで」
「映画とかは?好き?」
「映画?」
「こないだ『ラブ・トラブルメーカー』見たんだけど、面白かったから原作も買っちゃった」
「え…マンガの?」
私の反応に穂香さんはニコッと笑って立ち上がった。
「ちょっと持ってくるね」
穂香さんは寝室っぽい隣の部屋へ行ってしまった。
……嫌味じゃない感じにもてなされてるのが、わかる。
やべ。
あの人、いい人。
兄貴の本をパラパラと捲る玲二を見た。
「玲二」
「うん、何?」
「穂香さん、いい人だね?」
私が言ったことに玲二は自分のことのように嬉しそうに笑った。
「だなっ!!」
なんだか気持ちがモヤモヤし続ける。
そうしてしばらく何気ない話や難しい話、映画の話と話題を変えながらお茶を飲んだ。
わかったことは、穂香さんは儚げなクールビューティーな見た目とは裏腹に意外に声に出してよく笑う。
それだけで楽しい空気が生まれる。
夕方前になると穂香さんは「ごめんね」と申し訳なさそうに眉毛を下げた。
「今日ゆっくり出来るのはあと少しなんだ。毎回時間取れなくてごめんね」
どこかに出掛けるんだろうか。
「デートですか?」
何気にない好奇心でそう言うと穂香さんは目を大きく開き、玲二も勢い良く私の顔を見た。
玲二のリアクションに目を向ける前に穂香さんがまた笑った。
「あはは、違う違う。大学に寄らなくちゃいけなくて」
さりげないその笑顔に、兄貴がいつも勉強や研究や講習、講義とバタバタとやることがいっぱいあるのに笑顔だったのを思い出した。
本当は今日も忙しいのに、無理に時間を空けてくれてたんじゃないんだろうか。
だからすぐに立ち上がった。
「玲二、帰ろうか」
「え……もう少しはゆっくりでも大丈夫だよ?」
「いえ。穂香さん、今日はありがとうございました。玲二、行こう」
私の言葉に玲二は「あの……」と穂香さんを見た。
「本は……いつ返せば?」
「え……あぁ!いいよ。いつでもいいから!ゆずちゃんも漫画、いつでも大丈夫だから」
私もちゃっかり借りたマンガをカバンに入れて、頷いた。
すると、玲二がまだ言った。
「明日!……は、ダメですか?」
はあ?
さすがに私も声を少し大きくした。
「玲二、穂香さん忙しいんだからそんな迷惑なこと…」
「ね?ゆず、明日はゆずも空いてる?」
「明日はバイト!玲二、いい加減に――」
少し言い争いになりかけた時、穂香さんが間に入った。
「ちょ…ちょっと、ストップ。二人ともストップ!ゆずちゃん、私は迷惑とか思ってないから。むしろ大学以外の子達とこうして時間過ごせるの楽しいから」
穂香さんの柔らかい笑顔にこれ以上何も言えなくなった。
そのあと穂香さんはゆっくりと玲二を見た。
「玲二くん、明日もゼミの研究があるから、今日みたいな時間を取るのはちょっと難しいかな」
「……すみません」
「あ、うぅん。そうじゃなくて、もし玲二が興味あるなら夕方から大学においで?」
私も玲二も「え?」と声をハモらせた。
「今日みたいな本…大学でもいっぱいあるから、いつでも読みにおいで?家に帰る往復時間はないから今日みたいなのは無理だけど、大学に来てくれるなら、夕方からだったら私も時間作れるし」
玲二はすぐに答えた。
「行きます!」
「うん、春休みだしね。せっかくなんだし、休み利用して興味あることに勉強するのは良い事だよ」
なんていう発想!
頭良い人の考え方ってありえない!!
休み利用してまで勉強とか、私にはまずない。
遊ぶもんだろ!
っていうか、玲二は本当に本に興味あんの?
「玲二、だから明日は私…」
「ゆずちゃんも時間ある時、気にせずまた大学遊びにおいでね?嬉しいし」
あ……れ?
これは……もしかして、明日は玲二1人が遊びに行く流れ?
知らない間にカバンをギューッと握ってしまった。
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