彼女、その2

第5話.4 彼女、その2


◇◇◇◇


「良かったらどうぞ」



整理整頓されていない部屋の隅にあるのは、ちょっとずつ破れているソファー。


そこに玲二と並んで座っていたら、穂香さんが紅茶を出してくれた。



「ありがとうございます」



そう言うと、私達の前に穂香さんも座った。



「こうして面と向かってお話するのは初めて……だから、はじめまして…だね?はじめまして、一条穂香です」



穂香さんに自己紹介されて曖昧に頭を下げた。



なんか……高校の時、先生に呼び出されたのを思い出す。


多分部屋が似てるから。


職員室とは違って、ラフな感じだけど生活感に欠けた資料室とか準備室の間みたいなところ。


結局はいつも、先生が入れたお茶飲みながら先生と一緒に駄弁ってたけど。


彩花とよく入り浸ってたよな。



でも今はあの頃みたいに説教されるわけじゃないのに、あの頃の先生の部屋より居心地悪い。


穂香さんと一緒にいた友達は、同じ部屋のまた別の方でテーブルに集まって何かの論議している。



チラリと玲二を見た。


玲二もちょっとソワソワしている……ように見える。



「えっと…ゆずる……さん?」



穂香さんが遠慮がちに私をそう呼ぶと玲二がすぐに顔を上げた。



「そんな固くなくていい。ゆずでいいよ。俺もそう呼んでるし」



玲二、お前が言うことじゃねぇだろ。


だけど自分もそう思ったし、玲二に何か言うのもめんどくさいからそのまま頷いた。



穂香さんはほんのちょっと微笑んで、私達を見た。



「ありがとう。じゃあ『ゆずちゃん』って呼ぶね。それからえっと……」



穂香さんは玲二をチラッと見たから、今度は私が紹介してやった。



「こっちは玲二」


「うん、ありがとう。玲二くんね」



若い感じだけど上品で柔らかな印象だから兄貴よりも落ち着いて見えて大人に見える。


兄貴より年上か?


でも学生みたいだし。


年齢不詳。


個人的に穂香さんの年がビミョーに気になるな。



ごちゃごちゃとどうでもいいことを考えていると、穂香さんが改めて私達二人を見た。



「それで、今日はどうしたの?」


「え?」



紅茶を口に持っていく穂香さんが小首を傾げるようにもう一度聞いてきた。



「私に会いにきてくれたのよね?何かあったの?」



玲二を見た。


玲二も困った顔して私を見た。



いやいやいや、見られても。


お前が言い出したことだろ。



玲二が何もなければ私だってココにいる意味がわからず困る。


いや……意味ないことは、ない…多分。


私は気になることをストレートに聞くことにした。



「兄貴と付き合ってたってホントですか?」


「ぇえっ!?」



穂香さんは声が裏返り、隣の玲二が「ぶはっ!」と紅茶に咳き込んだ。



そんな玲二に穂香さんがすぐに立ち上がった。



「わ…大丈夫!?」



傍にあったティッシュ箱を取って、玲二の近くでしゃがんだ。



「熱かった?」



紅茶がこぼれた玲二の手に穂香さんがティッシュを渡した。



「――っえ…」



私と玲二、ほぼ同時に小さな声が出た。


ティッシュ越しで穂香さんに手を握られた玲二は途端に顔を真っ赤にさせたのだ。


穂香さんはすぐに玲二から手を離し、立ち上がった。



「台拭きも持ってくるから、待ってて。そこのティッシュ使い切っちゃってもいいからね」



穂香さんはきっと玲二の変化に気付かなかった。



穂香さんの背中を見たあと、玲二を見た。


玲二は穂香さんが行った先を見つめたまま固まって、そしてやっぱり顔が真っ赤だった。



……なんだ、その反応は。



急に部屋の埃っぽさが肌を撫でるとか、太ももの裏が痒くなってきたとか……


さっきまで全然気にならなかった嫌悪感が一気に押し寄せてきた。



真っ赤…耳と顔。



なんだその反応。


なんだその反応。



急に気になる嫌悪感のせいか、胸がムカムカする。



「えっと、なんだっけ……戸田くんと私のことだよね?」



穂香さんがサッとテーブルを拭き終わって話を改めた時には、玲二も咳は収まっていた。



私の中の謎のムカムカはまだ未解決だけど……なんだこれ。


だけど穂香さんの話も気になるから、耳を傾けた。



「私と戸田くんは、付き合ってたって言うんかな……よくわからない」



穂香さんは楽しそうな恥ずかしそうな笑顔でフフッと声を漏らした。



今度は私が首を傾げる。



「わからない?」


「うん、わからない」



穂香さんは思い出に浸るように、やっぱり楽しそうに笑う。



「私、浪人しちゃってこの学校に入学したから……だから同学年よりも講師の戸田くんとのが年が近かったような感じだったから、かな?」



兄貴は確かストレートで合格してたっけ……ますます穂香さん、何歳なんだ?


頭の中で無意味な計算をしている間も穂香さんは話を続けてくれた。



「他の先生よりも若いから皆から『戸田くん』って呼ばれてて、人気もあったから講義以外の時間も皆で質問しに行ったりしてた。そんな中、私は特に戸田くんとよく論争して……」


「論争?」


「ことあるごとに戸田くんとは考えが違って、だから口論になったな。あはは、ひどいときは喧嘩になるんじゃないかってぐらい。お酒飲んで、止められないぐらい言い合った時もあったな」



私が知らない兄貴の時間。


ふと玲二を見た。


玲二なら、そんな出来事も知ってるんだろうか。



「特に臓器に記憶が宿るのか……ってことは最後までお互いの考えを譲れなかった」



あ……


心臓がドキッとした。



「……すとれーじ?」


「あはは!うん、そうそう。心臓にも記憶装置ストレージがあるって言ってた。彼は天才でありながらロマンチストだったのね……いや、天才だからこそ有り得ない発想を信じられたのかな」


「ありえないんですか?」


「医学的に考えればね。心理学的にはそうした糸口があることも無きにしもあらずって感じだけど、医学の研究してる人の発言とは思えないわね」


「……『ありえない』ですか」


「仮にも教える側の立場にいる戸田くんがそれを信じてるなんて腑に落ちないというか、私は異論を唱えてたけど……」



紅茶を飲んでいた穂香さんは思い出し笑いでクスッとした。



「フフッ、彼もムキになって私に反論して」


「へー」


「戸田くんって、急に子どもっぽくなる時あるよね」


「あー…それはよくわかります」



兄貴はいつも少年みたいな人だったから。


穂香さんは目を伏せて、口元を微笑ます。



「たくさん話して、結構一緒にいた。だから仲良くなった。私と戸田くんは…多分、それだけ」



それだけ?


穂香さんを見つめる玲二の赤い顔をチラッと見た。



……“多分、それだけ”とは思えないんだけどな。


なんとも言えない心持ちでいると、穂香さんは笑顔で話題を変えた。



「ねぇ、ゆずちゃんと玲二君はさ」


「はい?」


「二人ならさ、信じる?臓器移植によって、記憶や人格が残される……って」



私も玲二もお互いの顔を見合わせて黙っていた。



玲二の心音が何故か聞こえた気がした。



玲二のことは穂香さんに言っていいのかな?


そこはちょっとまだわからない。


玲二も黙ってるし……。



本当に玲二が珍しくずっと大人しいから、仕方なく私がゆっくりと話し出した。



「私はバカなんで、科学的に医学的にあり得るとかあり得ないとかはよくわからないですけど……」


「うん?」


「私は『そうだったらいいな』って思います」



こないだ彩花が言ってくれたことが、今になって共感した。



「兄貴がそう言うなら、そう信じたいです」



私は何故か穂香さんの顔も玲二の顔も見れなかった。



でも兄貴の顔が目に浮かんで、ちょっと笑ってしまった。



「『人は何が起こるなんてわからない』ですから」



兄貴はいつでも楽しそうに語っていた。


兄貴は必要だからとか、仕方なくとかじゃなくて、本当に勉強や研究が好きだったんだよな。



突然、穂香さんが「あははっ!」声にして笑い出した。



「ゆずちゃん、本当に戸田くんと兄弟なんだね」


「え?」


「戸田くんみたいなこと、言うから」



私も思わず、笑った。


仕方無い。


だって兄貴の受け売りだし。



「まー、『すとれーじ』は私にとって子守歌ならぬ、子守話みたいなもんでしたので」


「はは、そっか」



兄貴が死んだあとも、論文を読みながら眠りについたりしてたから、あながち大げさな話でもないしね。


そういや引っ越す時、兄貴の論文はいつでも取り出しやすいように分かりやすく私の本と一緒に挟んで持ってきたけど……



「兄貴の論文の他にあった本とかって……どうしたっけ?」



玲二にそう話を振ると、玲二は突然話し掛けられたことにビックリしたのか、再び挙動不審となった。



「え……えっと、ちゃんと箱につめてマンションに持ってきてた……はずだけど」



兄貴の荷物は玲二に任せっきりだったから、正直覚えてない……つーか、私は全く読まない本ばっかだから、部屋のどっかに放置してんだろうな。



「え?本ってどんなの?」



穂香さんが身を乗り出して聞いてきた。


玲二は穂香さんに対して、シドロモドロに喋った。



「えっ……満さんが研究とかで参考文献にしてたやつとか、論文とか、研究内容のノート……とか、」


「本当!?わー、見てみたい!」



穂香さんは少女のように目をキラキラさせた。


それは少し兄貴に通じるものがあって、この人もやっぱりそういう研究が好きな人なんだって思った。


目を輝かせた穂香さんに見つめられた玲二は勢い良く立ち上がった。



「あ、あの、今度!良ければ持ってきますっ!」


「え!いいの!?」



より声を弾ませた穂香さんにそう言われて、玲二はこっちを見た。



「ね!ゆず!!」



……


……『ね!』って言われても……。


なんだ、さっきまで大人しかったのに急にイキイキと……


なんか今日の玲二は、何故だかムカつく……ま、別にいいけど。


私も頷いた。



「私は読んでもよくわからないので、穂香さんが興味あるなら」


「あるある!うわーっ、なんか楽しみ!」



儚げだった美しさから、花が開いたように穂香さんは可愛らしく笑った。


玲二は着席して紅茶をすするが、その紅茶は既に空っぽだし、顔を隠すための動作だったみたいだけど耳が赤いのが隠せてない。



……何なんだ、今日の玲二。



「じゃあ連絡先教えて!今度会う日決めよう?」



穂香さんの提案で私達はアカウントや番号を送り合った。


今更ながら、なんで玲二もこの輪に入ってるのか謎なんだけど。


だけど穂香さんも玲二も妙に嬉しそう。



「もっと話したかったけど、このあと用事が入ってるんだ。ごめんね」


「いえ、こちらこそ突然来て……」


「また連絡するね?ゆずちゃん」



私にニコッと笑った穂香さんは玲二にも顔を向けた。



「玲二くんも!」



玲二は小さく「……はい」と頷いた。



私は、どうしても胸のモヤモヤがスッキリしない。



“多分、それだけ”



本当に?


ゼミの部屋を出て、見送ってくれた穂香さんに振り返った。



「穂香さん、ひとつ聞いてもいいですか?」


「え?何を?」


「穂香さんは……」


「うん?」


「兄貴のこと……好きだったんですか?」


「えぇっ?」



一瞬目を見開いたけど、穂香さんはすぐに笑った。


赤い頬で


泣きそうな目で



「それは秘密」



そういって儚げに笑った穂香さんに、私も苦しい気持ちになった。


それだけで穂香さんの気持ちを覗けたような気がした。


玲二は一体どう思ったのか……それはよくわからない。



…――


帰りの電車。


まだ夕方でもない早い時間なのに、夕陽が見える錯覚が起こりそうなほどの脱力感と疲労感を何故か感じていた。


隣に座る玲二も黙っているから多分同じだったんじゃないかな。



電車に揺られ、玲二を見ることなく、真っ直ぐに前の流れる風景を見たまま話しかけた。



「穂香さん……キレイな人だったね、玲二」


「……そうだね」


「付き合ってたのかな…兄貴と」


「……どうなんだろうね」


「兄貴の記憶あるのに玲二もわからないの?」


「うーん……前にも言ったことあるかもだけど、満さんの記憶を自在に引っ張ることは出来なくて、フラッシュバックだったり夢の中で…とかだから、全部を知ってるわけじゃないから」


「そっか」


「特に穂香の記憶は曖昧なことが多い」



あ……今こいつ、『穂香』って呼び捨てにした。


それは兄貴がそう呼んでたんかな。



「それで玲二は結局、何しに来たかったわけ?」


「んー……穂香に会ってもよくわからなかったけど、行ってよかったとは思った。ホント、モヤモヤしてたから」


「……ふーん?」


「それに今日会って思ったけど、」



玲二が落ち着いた声で少し笑った。



「あの人、なんかほっとけないしね」



胸の奥が……ズキッと鳴った。



ほっとけない……か。


それは玲二のいつものお節介?



モヤモヤモヤモヤ。



もう一度、穂香さんの顔を思い出した。



兄貴の恋人だった……かもしれない人。



とりあえず今は玲二がどんな顔して穂香さんの話をしてるかなんて、見たくなかった。

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