4話.10 隠れた気持ち


微かに体が震えた。


私はことなかれ主義で、ずっと流されたままに生きてきたのに……自分の願望をハッキリと口にすることが怖いなんて、初めて知った。


だって叶うかもわからない。


それに対して相手がどう受けとるのかもわからない。



周りに合わせて、正しいことをするのがどんなに楽か……。



だけど、自分の気持ちに鈍感であることに慣れるのももっと怖いって知った。


自分の本当の気持ちに気付かないフリをして毎日を過ごしていたら、こんなにもどうしようもない気持ちになってしまった。


自分のことがどんどん嫌いになっていくだけ。



自分の気持ちに鈍感って……自殺行為なんだ。



「お金は必ず払います。いつでも出ていける準備もします……だけど…もしなっちゃん達が許してくれるなら……もう少しだけ、玲二達とココに住ませてください」



理由らしい理由なんてない。


あったところで、未来に何かメリットがあるものでもないと思う。



ただ、幼い頃に置いてきたモノがあるだけ。



甘えられる場所。


暖かい腕が待っている。


吐き出した感情の行き場がある。



心地良い心音が聞ける。



引っ越してからも、会えばいいと言われても……離れることに変わりはなくて、寂しいのだ。



両親もいなくて、兄貴もいなくなって、本当の孤独の中、残された最後の甘えられる場所。


いつか大人にならないといけないけど、許されるなら、もっとゆっくりと、傷を癒しながら、宝物を増やしてから、大人にならせてほしい。



なっちゃんは納得いっていない顔で私を見ていた。


そら、そうだろ。



願いを言ったからって必ず叶うわけじゃないんだし……、家主達がNOと言えば、無理なんだ。



変なワガママを言ってしまった。


やっぱり取り消そうかな……。



「別にいいんじゃないかな?」



ゆるーい声が私に向かって、そう言った。


え?セイくん?


なっちゃんはセイくんのことを睨んだ。



「ちょっと、無責任に言わないでくれる?ゆずちゃんは女の子なのよ!?私達がいるならともかく、無責任に男しかいない家におけるわけないでしょ?」


「あー…そっか。確かにそうだ。……でもリイくんはしっかりしてるし、レイくんは優しいから、危険と思わないって言うか、もう少し僕らの息子達を信じてあげても……」


「何を呑気なこと言ってるの?だから、ゆずちゃんがここにいてもゆずちゃんのためには──」


「じゃあ、なっちゃんはゆずポン追い出す?」


「……へ?」


「なっちゃんは優しいから、そこまでは出来ないよね。それに……」



セイくんが私に微笑んだ。



「ゆずポンにとって此処が“居場所”となったのは、僕も嬉しいよ」


「“居場所”……?」


「正しいことよりも楽しいことを選んだって……それもいいんじゃないかな?」



楽しい……



あぁ、そっか。


寂しくないんじゃなくて…


私…ここにいるのが、楽しいんだ。


セイくんに言われて、初めて自分の気持ちに気付いた。


だけど少し慌てて我に返った。



「あの……だけど、いつまでも甘えたままでは」


「孤独にへっちゃらになることが自立することでもないんだしさ。ゆずポンも焦らなくていいんだよ……ね!なっちゃん」



セイくんに呼ばれたなっちゃんはやっぱり「でも……」と言った。



「僕らがこども達にしてあげれることは柵を作るぐらいだけで、首輪をつけちゃダメなんだって……なっちゃんもいつも言うじゃない」



その妙な名言はなっちゃん自身の名言なのか、本人はグッと口を閉じた。



「ゆずポン」



セイくんの優しい微笑みも、アダ名のせいで力が抜ける。



「僕らはしょっちゅう帰ってこれないから…リイくんレイくんのこと、宜しくね」



力が抜けた状態だったから、一瞬理解できなかった。



「……え?」


「うん?」


「住んで……いいの?」



クスッと笑ったセイくんはなっちゃんを見た。



「ゆずポンがそう言ってるけど……どうするの?」


「……」



ムーッと口を尖らせているなっちゃんはマジで年齢を感じさせない。



……なっちゃんは、本当に最初から反対してたわけだし、やっぱダメなのかな。


でも……


今はココを離れたくない。



「住んじゃ…ダメ?」



なっちゃんの顔をおそるおそる覗き込んで、聞いてみた。


すると力強くギュッとされた。



「え?……え?」


「心配!!ゆずちゃん可愛いから私すっごく心配よぉ!!」


「……」



この数日で、一体私のどこを気に入ってもらったのか……ちょっと謎。


なっちゃんも物好きだ。



だけど



「なんかあったらすぐ言ってね!!なんとかして帰って来るから!!」



ギューッと抱く力が強すぎて、軽くケホッと咳が出ても、その腕は全然不快じゃなかった。



「……うん、ありがとう」



自然と目をつむって、なっちゃんの暖かい腕の中にいた。



家族って……いいな。



そうしていたら、ベッドで動く気配がした。



「…………みんな、何してんの?……ゆず?」



かすれ声で名前を呼ばれた。



あ……玲二、起きたんだ。



「玲二……具合は?」



ベッドに近付くと、玲二はぼんやりとした眼でただ私を見た。


具合が良くなったわけじゃなくて、たまたま目が覚めただけっぽい。



「玲二」


「……うん?」


「……家族っていいね」



思っていたことを玲二に伝えた。



玲二になら素直に言えた。


まだほのかに熱っぽい顔の玲二は私をジーッと見るだけで何も言わなかったけど、私は充分だった。



なっちゃんも玲二の傍に来て、ニッコリと笑った。



「ゆずちゃんも家族になろうと思えばなれるわよ?」


「え?」


「ゆずちゃんなら、いつでも娘歓迎だから」


「は?」



ベッドの縁に腰掛けたセイくんもなっちゃんに便乗するかのようにクスクスと楽しげに笑った。



「ゆずポン、お好きな方選んでね」


「……さっきから意味が…」


「お嫁に来たら須藤家に仲間入りだよってこと」


「……はあぁーっ?」



ちょっと待て



この夫婦が今ものすごくメンドくさい感じになってる。



「レイくんは大穴だよー!!将来有望だよー!!」


「それを言ったらお兄ちゃんのが良物件よ!一度手懐けたら多分浮気とか出来ないだろうし」



どんどん…ものすごく絡みたくない感じの話の方向に行ってない?



「ゆずポンにマンションをプレゼントしてあげて、須藤家にローンって手もあるね!ちょこちょことお金を返しに会いに来てくれる……その名も舞姫作戦!」


「セイくん、Nice idea!!」



恐ろしい作戦を立て始めた二人に「やめてくれ」とツッコんだ。



少し汗かいてる玲二はそのまま目を閉じた。


だけどその寝顔は私達の様子に笑っているように見えた。



◇◇◇◇



玲二が熱を出した次の日、玲二の具合はマシになったのに…土曜日の今日、なっちゃん達が帰ってしまう。



「一週間なんて一瞬ねー」



なっちゃんが言うように一瞬だった。


なっちゃん・セイくんを見送るために、全員が玄関先に集まった。


こんな広い玄関でも、5人+スーツケース2つもあっては、さすがに狭くなった。



セイくんは本当に悲しそうに呟いた。



「あー、もっとゆっくり居たかった」


「……セイくん、今度は仕事投げ出さずに来てね」


「ゆずポン……お主、なかなか言うね~」



ニヤッとしたセイは私の頭をグリグリ撫でた。



うわー…髪がボサボサになるんですが。



靴を履き出した二人と一緒に車のカギを持つ理一さんも出る準備をした。



「じゃあ空港まで二人送ってくるから」



玲二はブスッと口を尖らしている。



「俺も見送り行くって言ってんのに……」



しかし具合がマシになったと言っても、そのオデコにはまだ冷えピタが貼ってある。



理一さんとなっちゃんが同時に「ダメ!」と言った。



「またぶり返したらどうすんだ!?俺らが家出たらカギ閉めてベッドに行くこと!!いいか?」



理一さんが厳しく言ったあと、なっちゃんが玲二のオデコを撫でた。



「このまま帰るのは本当は心配なんだけど……体調が治るまでは大人しく寝るのよ?いいわね?」



玲二は仕方なしといった感じで黙って頷いた。



末っ子らしい光景がなんだか微笑ましかった。


私にとっては、そんな玲二がむしろ新鮮。



「次に会う時はレイくんは高校生だね」



セイくんに玲二は「うん」と返事をした。



「リイくんが働いている学校だから、万が一の場合も安心だけど……体には気をつけてね」


「うん、わかってる」



セイくんと玲二のやり取りを眺めていたら、セイくんは急にこっちを見た。


な……なんスか?



「次は夏ぐらいには帰ってくるから、皆で流しそうめんでもしようね?」



セイくんが言ったことに、ちょっと間だけポカンとした。


……みんな?



聞き返した。



「みんな?」


「うん、そう。ゆずポンも一緒に」



みんな……に私も入っている。



「……うん」



ちょっとニヤけるのを堪えて、頷いた。


なっちゃんも私を見た。



「ゆずちゃん!!次こそ一人暮らしの決意出来たら、部屋探そうね!!」


「…………はい」


「決意が出来てなくても、どっか二人でまた買い物行こうね」



満面の笑みのなっちゃんにも私は頷いた。



「あと、いつでも須藤家は歓迎だから♪」


「…………ん?」



そう言ったなっちゃんの笑顔に「?」となった。



「その時はリイくんかレイくんか…どっちなのか教えてね」



セイくんの言葉はもはや無視した。



「じゃあもう乗る便の時間も近いから、父さん母さん行くよ」



理一さんが言ったことに、ようやく二人は動いた。



「じゃあね!!」


「レイくん、ゆずポンまたね!!」



パタンと扉が閉まり、玄関で玲二と二人残った。



「なっちゃんもセイくんも案外あっさり行っちゃったね」


「……うん」


「……寂しい?」



玲二は眉を下げて微笑んだ。



「ちょっとだけ」


「……うん、私も寂しい。でも──」


「ん?」


「夏……約束したから。楽しみだね」



玲二は満面の笑顔で頷いた。


それはなっちゃんにも似ているし、セイくんにも似ている。



玲二はこんな温かい場所で育ったんだな。


温かい家族と過ごしたんだな。



理一さんが良いお兄ちゃんなのはわかっていたけど、セイくん・なっちゃんと会って、もっとそう思った。



「─で、玲二はまだ寝るの?」


「……うん。また熱出して、卒業式出れなかったら悲しいし」



玲二は大人しく自分の部屋へ向かった。



「……玲二、なんか飲む?それとも何か作ろうか?」


「あー……今はいいよ」



扉を開けっ放しで玲二はベッドにゴロンと横になった。


廊下でその様子を眺めていた。



“玲二はこんな温かい場所で育ったんだな。


温かい家族と過ごしたんだな。”



彩花のお母さんの話とか、須藤家の食卓とか……


前なら、それを羨ましいと卑屈な心で逃げてきたけど……



羨ましいと思うだけじゃなくて……。



玲二の部屋へ足を踏み入れた。


そして寝ている玲二の隣に私も寝転がった。



「ん?ゆず?」



玲二の肩に少しだけ頭を乗せた。



「私も……お昼寝する」


「え…ここで!?俺の風邪移るよ」


「私、バカだから大丈夫。風邪引かない」



玲二がプッと笑った。



「自分でバカとか言うなよなー。つーか、開き直んな。勉強しろ」



受験を終えたばかりの奴が何を笑いながら兄貴面して言ってるのかと思っている内に、玲二は腕を動かして、私に枕をしてくれた。


その手が私の頭を撫でる。



「ゆずはバカじゃねぇよ。俺の妹なんだから」



トクン


トクン


トクン



玲二のリズム。



まだ微熱が残る玲二の体を抱きしめた。



温かい。



“羨ましい”


じゃなくて


ないものねだりで嘆くより、今ある大事なものを守っていく努力も必要だ。




『一人にしない。頑張って俺が守るよ』




私の中にも、ちゃんと大事なものが存在しているんだから。



玲二のリズム。


それは兄貴の心臓。


でも玲二の血がかよっている……玲二にしか出せないもの。



私にとって、この暖かさは、兄貴だからとかいう理由じゃない。



玲二だから……心地好いリズム。



私の大事な居場所。


離れたくない。



本当にお昼寝をするつもりはなかったけど、ウトウトとする。



トクン、トクンと聞こえる。



「ねぇ…ゆず」


「んー?」


「最後の母さん、父さんが言ってたさ…」


「うん」


「俺か兄ちゃん選ぶって……何の話?」


「…………なんでもない」



その心臓に記憶がなかったとしても、私は安らぐことは出来たのかな…。



トクン、トクンと……自分の心臓の音に耳を傾けた。



─四話完─

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