4話.8 カウントダウン
外は寒い。
マンションのエントランスを出れば、一気に自分の吐く息が真っ白になった。
何故か急に……
「……一人だー」
当たり前の現状を呟いた。
足を止めて見上げれば、紺色の空が私に更なる暗闇を感じさせる。
一人で空を見上げて、そのまま突っ立っていたって、迷子になることもない。
一人でも歩いていける。
それが大人になったってことなんだろう。
「……寒い」
呟いても、何も変わらない。
この感じ……以前も、体験したことがある。
兄貴と住んでいたアパートを出る前の感覚。
散らかった部屋で大の字になって過ごした夏の日。
私は……
「やっぱり寂しいのかも」
最初から、居候の話……断っとけば良かった。
そしたらこんなややこしいことにも、面倒なことにも捲き込まれることなく……自分のペースが崩れることなく、こんな得体も知れない感情を味わずに済んだのに……
でも、そんなことをごちゃごちゃと考えて足踏みしている時間はない。
中学も高校も卒業した。
家族が一生一緒にいられるわけでも、一生子供でいられるわけじゃないんだから。
揃えてた足の片方を前へ踏み出した。
いい加減、彩花に電話しよう。
こんな夜中にいきなり彩花に会いに行くなんて、高校ぶりかも。
スマホを出した途端、スマホのバイブが震えた。
「……げ」
光る画面に番号と『玲二』の文字が浮かび上がった。
ここ最近、玲二の過保護を疎ましく思う。
……とりあえず無視しよ。
でもこれじゃあ彩花に電話出来ないだけど。
まぁいっか。
玲二が諦めるの待とう。
無理矢理ポケットに入れ直して、駅に向かって歩いていく。
着信が途絶えたから、今度こそ彩花に…と、スマホを開くとまた震えた。
切れるのを待って、切れたらまた着信が来る。
しばらくそれを繰り返した。
あー、くそっ!!
うぜーっ。
電源ごと切ってしまいたい。
「……」
震えるスマホを眺めていたら、途絶えた。
今度こそ途絶えた。
玲二も諦めたか。
つーか、いちいち干渉しすぎ。
溜め息をついて、今度こそ彩花の番号を……
─とかって、油断している時に掛かってくるんじゃないだろうな?
震え出すんじゃないかと警戒しながら、ゆっくりとボタンを押していく。
……
……
あ、ホントに諦めたんだ。
スマホはウンともスンとも鳴らない。
しばらく黙ってスマホを眺めていた。
玲二は色々と大袈裟で強引だし、理一さんとも一緒にいるのは疲れるし……
一人暮らしになったら、こんなことは無くなるのだ。
『“ただいま”でいいんだよ』
『ゆずるさんのこと…………嫌いではない』
玲二と理一さんの言葉を交互に蘇ってくる。
『今日の夕焼け空、美味しそう!!』
『本当だ。こんがりだな』
『だろ!!今日の夕飯だ!!』
なんてことない会話も覚えている。
私は……
『心配すんな!!大丈夫だ!!ゆずは俺が守ってやるから』
玲二から貰った白い手袋を着けた手は、スマホを握りしめた。
寒い。
玲二、私は──
「怒るよ、マジで」
突然投げ掛けられた言葉は、私の名前が含まれていなくても、声の焦点で私に言われたってわかった。
驚いて振り向く。
「玲二……」
「こんな時間に一人で出歩くとかあり得ないよ?」
玲二がニコリと笑った。
笑ったけど、暗闇に浮かぶソレが笑っているように見えなかった。
えーっと、うん。
むちゃくちゃ恐い。
怒り方が理一さんソックリなんですけど!?
「玲二……なんで、」
「なんで出てこうとすんの?なんで今日なの?」
「いや、だからなんで怒って…」
「怒るよ!!何時だと思ってんだよ!?危ないだろ!!」
妙に兄貴ぶる玲二の態度にイラッとした。
「ちゃんと理一さんに言ったし。今日は泊まりに出てくって」
「兄ちゃんも『いい』とも言ってないって言ってたし、ビックリしてたよ。ゆずがいつの間にか出ていってて」
「でも、」
「しかも俺が風呂入ってる間に出てくとか……ホントないから」
始めは笑っていた玲二の口も笑いが消えていき、今じゃハッキリと睨まれている。
私にはそこまで怒られる意味がわかんない。
「玲二こそ、何回言えばわかるの?私、子供じゃないから」
「関係ないから!!ゆずは無用心にも程がある!!襲われてからじゃ遅いからな!?」
「はいはい、それこそないから」
「……もういいよ。ほら帰るよ」
玲二が私の腕を掴んだ。
その強引さに、いつも以上にムカついた。
その手が煩わしい。
「なんでいっつも私の意見ムシすんのよ!!」
「無視とかじゃない。とにかく今日はダメ!!」
「なにそれ?つーか、私は玲二のために出てったんだから」
「は?」
「一日、親子水入らずで過ごせばいいじゃん」
「ゆずがそこまで気を遣う意味がわからないから。ほら、帰るよ。マジで寒いから」
力を込めて引っ張った玲二を突き飛ばした。
「ゆ……」
「だからやめてよっ!!」
胸の奥で疼く痛みは、引っ掻き傷程度な痒さだったはずなのに……ズクズクと膿んで広がっていく。
「私に構わなくていいから!!」
違和感も浮遊感も虚しさのナイフとなって、傷を広げる。
「玲二には本当の家族がいるんだから早くそっちに行けよ!!」
「ゆず?」
「行け!!」
何か言われる前に玲二から目を背けて歩き出した。
走って逃げたかった。
だけど、すぐに捕まった。
後ろから強く抱き締める玲二の腕に捕らえられた。
「ちょ…離して」
「無理。今日だけは絶対に譲れない」
触れている玲二の肌の表面が、むちゃくちゃ冷たい。
「……玲二、湯冷めしちゃうよ?」
「うん、すんげぇ寒い。だから早く帰ろう」
「だから家族でゆっくりしなよっつってるのに…」
「はぁー……ゆずは本当に頑固」
玲二は力を弛めて、私と向かい合わせるように体を回された。
玲二の手を肩に乗せられた。
「ゆずがどうしてもそういう一日作りたいって言うなら、泊まってもいいよ。ゆずの気持ちは嬉しいし」
「じゃあ……」
「でも今日はダメ」
はぁ?
私の呆れた顔を見る前に、玲二は私の手を引いて歩き出した。
ちょ……どこ行く気?
だってマンションとは逆方向だ。
辺りの住宅は静かで、たまにある居酒屋ぐらいが灯りを
そしてもうひとつ光っているところ。
24時間営業のコンビニ。
玲二は私の手を引っ張り、コンビニに入った。
冷たい風が遮断されて、それだけでも温かくなった気がする。
手袋越しの玲二の手は、それでも私の手をギュッと離さなかった。
そのまま玲二はデザートコーナーまで来て、商品をジッと眺めた。
「玲二、一体何がしたいの?」
玲二はようやく私を見下ろし、ニコッと笑った。
「まだ気付かない?」
「は?」
玲二は2ピース入ったショートケーキを手に取り、レジへ向かった。
……ケーキ。
たかがコンビニの商品だけど、イチゴが乗っているそれを見て、玲二が言いたいことがようやく見えてきた。
「あ……、フォーク二本お願いします」
そう言いながら、玲二が支払いを済ませる。
私はポケットからスマホを出して時間を見た。
もうすぐで今日一日が終わる。
「ゆず、行くよ」
玲二にまた手を取られ、コンビニを二人で出た。
ケーキが入っている袋を持って。
「玲二」
「ん?」
鼻が赤い玲二は私に向かって微笑む。
胸が苦しい。
可愛い笑顔だけど、胸が苦しいのは顔が格好良いからとか、そんな理由じゃない。
俯いて喋った。
「別に今じゃなくて、いいじゃん」
「やだ!!俺は今じゃなきゃ、やだ!!」
「……」
なんでいつも強引なのか。
だから嫌だ。
玲二の傍にいると、いつも調子を狂わされる。
胸が苦しい。
玲二はいつも、私の気持ちなんかわかっちゃいない。
「ゆずを一人にしないって決めたんだから、今日は絶対譲れない!!それが出来るのは俺だけだろ?」
でも玲二の笑顔で胸が苦しい。
私の気持ちなんかわかってない玲二だけど、
欲しい言葉をいつもくれる。
スマホで時間を確認した玲二が、画面を閉じてもう一度私を見た。
「ゆず」
「……」
「お誕生日おめでとう」
居てほしい時にいつも傍にいる。
それは、兄貴の記憶が成せる偶然なの?
それとも……
「え……ゆず…」
『それとも……』の続きの感情を言葉に表せれない。
掴みきれない感情は涙となった。
両腕で顔を隠して、泣いた。
「ありがとう」
それでも、それは口に出来た。
私は玲二と誕生日を迎えた。
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