4話.2 目の前の兄貴
「……玲二」
だけどすぐに誰だかわかったから、落とさずに済んだコップをゆっくりとシンクに置いた。
「脅かさないでよ」
「ビックリしたのはこっち。急に夜中にゆずの部屋から叫び声聞こえたから。しかも電気も点けないで……何してんの?」
目覚めた時の声が隣の部屋の玲二に聞こえたらしい。
月明かりに照らされて、玲二がこっちにやってきたのがわかった。
「あー……ごめん。起こして」
「別にいいよ。何?寝れないの?」
「……」
寝れないというか、起きた。
でも夢の内容がぐちゃぐちゃすぎて、説明する気になれない。
黙っている私に玲二が少し屈んで私の顔を覗き込んだ。
「寝れないなら少し話す?」
昨夜の玲二は、理一さんのお祝いご飯に無邪気にはしゃいでいたのに、今は別人みたいに穏やかな笑顔で、急に兄貴の影をちらつかせる。
私はストールを握って視線を反らした。
「いいよ、別に。玲二は眠いでしょ?」
「眠くないよ」
ニッコリと笑って顔を近付けてくる玲二の言葉が嘘か本当かはわからない。
どっちだとしても玲二の優しさに変わりないのだけど。
相変わらず玲二には調子が狂わされる。
慣れない。
「昨日はゆずにケーキも貰ったし、これぐらい付き合うよ」
「……これがホワイトデーだとしたら、なかなかショボいね」
「えぇっ!?違うよ!!」
玲二はムーッと拗ねた顔をする。
「……俺、ケチじゃねぇもん。これでホワイトデー済まそうとなんか思ってねぇし」
「わかってるってば」
玲二の優しさだってことぐらいわかってる。
兄貴みたいと思った矢先に中学生に戻る。
ちょっと笑った。
本当に調子狂う。
玲二が温めるように自分の腕を擦った。
「ていうか、ホワイトデーの前にあるでしょ」
「……は?何が?」
「とりあえず寒いから俺の部屋で話そ」
確かに寒かったから、賛成して玲二の部屋に入った。
部屋の電気を点けて、暖房もついて、ホッとした気持ちでベッドに腰掛けた。
玲二も勉強机の椅子を反対向きに座った。
「ゆずと夜更かしって初だな」
修学旅行のようなテンションで玲二は妙にウキウキしている。
「玲二って夜更かしするの?」
「おぉ!!たまに。兄ちゃんにバレないようにゲームとか。ゆずもゲームとかする?」
「あー、するよ。スマホアプリとかで」
「わかる。っぽい感じする」
「どんな感じよ」
「リビングとかでよくスマホ触ってんじゃん」
「あー……そうだね」
「さっきもゲームしてたん?」
「今日は普通に寝てたよ」
「……じゃあ」
玲二が背もたれに組んだ腕をかけて、顎を乗せた。
「恐い夢でも見たの?」
「……え?」
「さっきのゆずの叫び声」
「……」
玲二ってなかなか侮れない。
私は溜め息をついて、そのまま寝転がった。
「うん。だいたいそんな感じ」
クリーム色の天井の視界に椅子から降りて来たらしい玲二がひょっこり加わって、私を見下ろした。
「どんな夢?」
「……夢は夢。なんかすっごくわけわかんない夢」
「じゃあなんで叫んだの?」
「……」
何が恐かったのかと聞かれるとハッキリとはわからない。
ただ夢の中でしか味わえない雰囲気に鳥肌が立ったのは確か。
「恐かったというか……気味悪かったというか?久々に兄貴の夢見たから情緒不安定ってのになっただけかも」
「満さん?」
「うん……『抱っこ』とか言われて、恥ずかしくて遠慮したけど……夢なら気にせず、しときゃあ良かったかな?」
ほんの少しおどけて、片っ方の口角を上げた。
断った次の瞬間、兄貴が壊れて、倒れた……。
本当にどーでもいいような些細な……たかが夢なのに。
……くそっ、妙に後悔。
あの時、素直に兄貴に甘えることが出来たら、違う結末だったのかな。
まぁ…夢の結末が変わったところで、現実に何の影響はないんだけど。
そうわかっているのに、胸の中がモヤモヤしてしまう。
寝転がる私のすぐ近くに玲二も腰掛けた気配で、ベッドが軋んだ。
「じゃあ精算しとく?」
「……は?」
「俺も一応、ゆずのお兄ちゃんだろ?」
起き上がった私の目に飛び込んだのは両手を広げて待っている玲二だった。
「……ん?抱っこだろ?」
思わず顔をしかめた。
「……そういう話をしてたわけじゃないんだけど」
「恐い夢を見た時は誰かと一緒にいるのが一番じゃん?俺も小さい時、兄ちゃんにしてもらった!!」
だから……と玲二が私に笑いかけた。
……確かに心残りじゃないけど、後味が悪いのは残っている。
これぐらいでチャラになるなら、楽なモンかな?
玲二に近付き、その胸に耳を当てた。
「聞こえる?」
「……うん」
心臓がドキドキ早いのが聞こえる。
ホッとする。
暖かい腕に包まれる。
そのぬくもりにちょっぴり泣けそうだった。
夢の中なのに、ちょっとじゃなくて自分でも気付かないくらい後悔してたみたい。
そして自分が思うよりずっと恐かったみたいだ。
だからホッとして、泣けた。
こんな感じで玲二の心臓を聞くのは、兄貴が死んで、初めて玲二の腕の中で泣いたぶりかな……。
安心して暖まった心と体に、自然と欠伸が出た。
「ゆず、眠い?」
「……うん、寝れそう」
「うん。じゃあ寝ようか」
私の肩を掴んで、体を離した玲二が私をベッドから立たせた。
そして部屋の扉を開けた。
「うん。ゆず、おやすみ」
「……」
なんだか急に離れたのを恋しく思う。
兄貴の心臓のせいか、肌寒さからくる人肌恋しいせいか……
体温が名残惜しくて、黙って玲二を見上げた。
「……ゆず?」
「……」
「……」
「……」
「……一人で寝るの恐い?」
そんなことを言う年齢じゃないっつの。
だけど強く言い返す自信がない。
玲二は困ったようにコメカミを掻いた。
「……あー…っと、」
「……」
ちょっとだけ期待する目で玲二を見上げた。
「……一緒に寝る?」
……もう一回、兄貴の心臓音が聞きたかっただけなのに、思っていた要求を越える提案を玲二は言った。
だから夢を恐がって寝れなくなる年齢じゃねぇっつの。
……
……まぁ、いっか。
一個一個説明するのも面倒だし、一人で寝るより湯タンポが付いてきたみたいで暖かそうだ。
だから私は頷いた。
すると、玲二はプッと笑った。
「なんかゆず、捨てられた猫みてぇだな」
「……何その例え」
「んー、じゃあ寝るよ」
ベッドに入った玲二が掛け布団を持ち上げた。
出来たスキマを見て、私も潜り込んだ。
いつもは床に布団敷いて寝ているから、すごくフカフカに感じる。
ベッドって羨ましい。
「消すよー」
玲二がリモコンで電気を消して、視界が真っ暗になった。
……眠い。
何も見えないけど、隣で玲二も布団に潜り込んだ気配がした。
「ゆず、ちょっと頭上げて」
言われるまま首を持ち上げたら、玲二の腕が入ってきたのがわかった。
あ……腕枕だ。
「俺ん時、いつも兄ちゃんこうしてくれてた」
「うちの……兄貴も」
私の答えに玲二がクスクス笑った。
「うん、知ってる」
だけど兄貴と一緒に寝たのも小学生の話で、こうして人に甘えるのも何年ぶりなんだろーって感じだ。
あったかい。
ウトウトして、もう一度欠伸をもらす。
「……兄ちゃんには内緒な?」
小声で囁かれてから、玲二は私をグッと抱き寄せた。
その時、初めて『あっ』と思った。
玲二に言われた『内緒』というフレーズも
見えなくても聞こえる玲二の息遣いの近さにも……
気にしていなかったはずなのに、急にドキドキし出した。
兄貴の心臓よりも自分のしか聞こえない。
冷静に考えると、結構な年下相手に何甘えているんだろうって恥ずかしくなる。
普通に考えて、この体勢はヤバくない?
うっかりおでこにチューされたこともあるのに……。
腕枕をしてくれている手が撫でるように髪を掬った。
なにこれ?
何で私の心臓がバクバク言ってんの?
ギュッと目を瞑ると玲二のもう片方の手が背中に回ってきた。
反射的に私は体を固くした。
「玲二?」
「おやすみー」
背中にある手が眠りを誘うように一定のリズムで叩いてきた。
その手にポカンとした。
……どんだけ子供扱いしてんの。
お前のが子供だろうが。
だけどあれこれ考えた私を知ってか知らずか、玲二の手は優しい。
アンバランスでぐちゃぐちゃでも、甘えられるのも『妹』の特権ってやつかもしれない。
体を固くした自分がバカらしくなって、玲二にすり寄って目を閉じた。
…ー
……ピピッ、カシャッ
……ピピッ、カシャッ
まぶたの向こうに薄黄色の眩しさを感じて、もう朝か……と思ったけど、それよりも謎の機械音で目が覚めた。
──ピピッ、カシャッ
……カメラ音?
ゆっくりと目を開けるとデジカメを構えているおばさんがいた。
綺麗に巻かれた黒髪に黒のタイトなパンツをスラッと着こなし、明るいインナーにゆったりとしたボーダーセーターの上からでもスタイルの良さが伝わってくる。
おばさんって言っても主婦感とかはなく、オシャレで美人だ。
関西の某歌劇団出身と言われたら納得するようなカッコいい雰囲気も纏うおばさんは、私と目が合うとキリッとした目元を少し下げた。
「あら、起きちゃった?でもごめんね。スマホ待ち受け用も撮りたいから、もう少しそのままでいてね?」
「……」
おもむろにスマホを取り出す彼女を尻目に、隣に寝ているはずの玲二に目を向けた。
玲二はこっちに顔を向けて、スヤスヤと心地好さそうに眠っている。
……うん、ここ玲二の部屋で合ってるよね?
このおばさんは誰?
──と聞きたいところだけど、なんとなくわかってる。
顔の造りの感じとか……あとは消去法で。
寝起きの頭でそこまで考えられて理解しても、この状況で言える第一声が思い付くほどの頭は回らない。
──シャラリンッ
写メも無事撮れたらしい効果音を聞いて、玲二を揺らした。
「玲二……玲二?」
「…………ん?」
まぶたに力が入って少し震えた目はゆっくりと開いた。
「……ゆず?」
まだ眠いらしい玲二は目をこすった。
だけど私が黙って指を差すと、ちゃんとその方向を見た。
「え……あれ?」
「おはよっ!!玲二!!」
「……母さん?」
……ですよね?
玲二とベッドに入ったまま動けなかった。
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