初めてのこと

3話.4 初めてのこと


とりあえず玲二が言っていた場所まで理一さんと歩いた。


その間もずっとお互い無言だった。



なんでこんな無駄な時間を過ごすのか。



噴水の周りでは友達や恋人と待ち合わせをしている人達がそわそわしているのを、ちらほら見かける。


みんな楽しそうだね。



溜め息をつきたくなるのを我慢して、噴水の縁の大理石に腰掛けた。



冬の外気温のせいで、キンキンの冷えた大理石はケツを一瞬で冷やした。


むしろ痛い。



立ち上がろかと迷ったら、理一さんも隣に座った。



会話はないけど、いつもとは違う距離の近さに驚いた。


ヒト一人分ぐらいは空いてるけど、今までの理一さんでは考えられない距離だった。


女の私が隣にいるんですよ?



ビックリして、立つタイミングを見失った。



「……」


「……」



気まずい空気が流れる。



「……」


「……」



だけど、いつもの感じの悪さはない。



そういえば忘れるところだったけど、今日は理一さんの女性恐怖症克服のためだった。


仕方なしにチラリと視線を隣に向けた。


克服の協力で話題提供ぐらいはしようか。



「理一さんは……」



声を掛けたら、理一さんはビクッとしたあと、こっちを睨んだ。


しかしいつもよりも近いので、涙目がよくわかる。



だから別に怖くもないし、ムカつかない。



「学校では何を教えてんですか?」



基本的なことから聞いていこう。


ほんの少し会話をしただけでも、今日の目標は達成みたいなもんだし。


玲二もきっと喜ぶ。



私からの質問が意外だったのか、理一さんは数度、瞬きをしたあとカバンの中を探った。



メモ帳を探してるのか?


会話するだけで目標達成とか考えてたけど、会話も難しそうだ。


しかし理一さんの手がふと止まった。


止まったと思ったら前へ向き直った。



メモ帳がなかったのか?



「……物理」


「……は?」



ポツンと言われたことに一瞬、反応できなかった。



「物理を中心に理科を教えている」



前を向いたまま、こっちを一切見ないが、理一さんが喋った。



……会話が成り立ったよ。


この距離のまま。



マジで?



「物理……ですか。頭良いんですね」


「……」



そう簡単には続かない。



「えーっと、何歳なんですか?」


「……」



ホント、今さらすぎる質問だったりするけど知らないし、そんぐらいの質問が簡単だ。



「……27だ」


「はぁ!?」



私の奇声に理一さんはビクッと震えたあと、こちらを見て眉間に皺を寄せた。



「何故……怒鳴る?」


「いや、別に怒ったわけじゃないです。ビックリして」


「何故驚く?」


「もっとこう……若く見えるんで。意外に年齢上なんだ」


「……」


「27か……」


「……何だ?」


「兄貴と同い年です」


「……」



それだけでほんの少しだけ、なんだか親近感がわいた。


そうかー…兄貴と同い年か。



「私と兄貴でも結構、年離れてる方だと思いますけど、それじゃあ玲二と理一さんってかなり離れてんだね」



確か私と玲二で4つ差だから、玲二と理一さんは……


指を使って数えていたら、理一さんの声が聞こえた。



「俺からも……ひとつ」


折っていった指を止めて、理一さんを見た。



「メモ帳で事を済まそうと思ったが、やめた。ひとつ……君に質問したいことがあるから」



黒目がユラユラと揺れているが、懸命に私と視線を合わせて理一さんがそう言った。



そんな理一さんを見て、何を聞かれるのか大体わかった。


理一さんがこんな底力を出す時の理由はひとつしかないから。



「玲二のことで君に聞きたい」



やっぱりね。



足を組んで、行き交う人を眺めた。



「どうぞ」



玲二の何を聞かれるかはわからないけど、思い付く限り別に私は悪いことしてないので、何を聞かれたところで構わない。



「玲二と君は親しげだ」


「まぁ」


「アイツはもともとそういう……人に壁を作らずに接することが出来る子だから、それ自体は別におかしくはないんだが…」


「……」


「だが、不思議だ」


「何がですか?」


「あまりにも……短期間とは思えない雰囲気というか……以前からの知り合いのような…」



それは玲二と私の二人にしか通じない世界。



「二人には何か秘密でもあるのか?」



秘密?



兄貴の心臓と記憶。



これって秘密なんだろうか?


秘密かはわからないが、わかってもらえるとは思えないけどね。



「……私達だけに秘密があるのは、何かマズイんでしょうか?」


「……」



敢えて質問で返したのが気に食わなかったのか、もう一度睨まれた。


だって何て言えばいいのかわからない。


溜め息をついた。



「別に何もないです。本当に」


「……本当か?」


「ないものはないです」


「……二人は実は、」



理一さんが真剣な目で見てきた。



「付き合ってるとかではなくてか?」


「……は?」



付き合ってる?


玲二と?



「あ…り…え…ない」



ホントあり得なさすぎて、絶句しそうになったのを堪えたような声を出してしまった。



理一さんは理一さんでビックリしている。



「違うのか?」


「ありえないです」



もう一回言うと、理一さんは「…そうか」と呟いた。



「理一さんが言ってるのは…クリスマスにたまたま一緒にいるってだけなのに、私と理一さんが付き合ってると勘違いされるのと同じですよ」


「……なるほど、それは…ありえないな」



理一さんが少し笑って目を細めた。



だからビックリした。



この人も笑うんだ。



人として当たり前のことだけど、理一さんが私に向かって初めて笑ったからビックリした。



ガン見をしていたから、理一さんもそれに気付いて、気まずそうに視線をそらして咳払いをした。



「いや……別に二人が付き合ってようが付き合ってなかろうが、俺はいいんだが……」



それは多分、嘘だ。


でも黙って続きを聞いた。



「なんというか、心配でな…」


「理一さんはいつも何かに心配してません?ハゲますよ」


「うーん……しかし、年頃の男女がひとつ屋根の下とは…いかがなものかと」



……え?今さら?



「それは玲二の教育上……良くないのではと…」


「玲二の教育よりも私のテーソーを気にしてほしい…」


「誰も君の心配などしてない」


「……ひどい」



だけどこんなに会話が続いたこともない。


イラつきよりも不思議さが先行して、特に普通な感じだった。


理一さんは玲二のことになると、ホントよく喋る。



「少なくとも…君から玲二に何か仕掛けるということはないと、信じてもいいんだな?」



理一さんの念押しに溜め息をするのを堪えて、「はい」と返事をした。



仕掛けるって何をだって話だし。



「私は感謝してますけど、そんなに玲二が心配なら、なんで私との同居……認めたんですか?」


「……」



理一さんは真っ直ぐ前を向き、眼鏡を押し上げた。



「初めてだったんだ」


「は?」


「君が玲二の初めての我が儘だったんだ」



初めてのワガママ?


首を傾げた私を気にすることなく、理一さんはぼんやりと人混みを眺めていた。



「玲二は二十歳まで生きられるかもわからないって言われていた」


「……心臓の病気でですか?」


「そうだ。両親はもちろん俺も、玲二に出来ることは何だってやってやろうと必死だった。だけど、手術する前も後も特に違いもなく、あのように明るく笑う子だった」


「……」


「我が儘を口にすることはなかった。俺ら家族は逆に不安になって…俺らが物足りないくらいだった」



理一さんは「まるで自分達の為にやってるみたいだな」と自嘲気味に笑った。



「だから玲二が最初にお願いしてきた時は躊躇ためらいもなくOKを出したよ」


「お願い?」


「『戸田弦さんを住まわせてやってほしい』って」


「……あ」



私だ。



「俺が女ダメってわかっているのに、玲二が言ってきたことに本当に驚いた」


「……」


「しかも食い下がらないときた。本当に、」



理一さんの乾いた笑いがこぼれた。



「本当に初めての我が儘だったよ、玲二の」


「初めて…」



理一さんはそんな玲二が初めてだって言うけど、私にとっては普通のように思えた。


玲二は会った時から強引で頑固だったから。



「だからそんな玲二の我が儘を聞かないわけにもいかんだろう」


「最初反対してたのに」


「最終的には納得したじゃないか」


「……」


「あと玲二は何かと気にかける。君に執着しているようにさえ見える」


「執着?……まぁ、確かに…」


「逆ならまだわかるんだ。君が玲二に執着するのなら…」


「は?なんでですか?」


「死んだ息子の臓器提供した男の子に自分たちの息子と重ねて見るというケースがあるらしい」


「……あぁ、なるほど」


「だから……玲二がそこまでなる君に…一体、何があるというのか?」



何があると……聞かれても困る。


あるとしたら私じゃなくて、玲二にある。


玲二の心臓にある。


もうメンドーだから言ってしまおうか…



だけど言葉を選んで迷っていたら、沈黙が出来てしまった。



「あと……」



そうしたらまた理一さんから切り出された。



「玲二との結婚が目的で近付くのならやめてくれ」


「結婚っ!?」



話が飛びすぎて思わず叫んだ。



理一さんがフンと鼻息をひとつ鳴らす。



「女なんて何を考えているのかわからないからな」


「それが結婚って……」



私は理一さんが何考えてるのかわからない。



「なんでそんなに女の人を嫌がるんですか?」



理一さんは眉を一瞬ピクリと動かしてから、溜め息をついた。



「……女は不可解だ」


「は?」


「泣いたと思えば急に笑い、笑いながらも腹の底では怒っていて、怒っていてもその裏ではほくそ笑んでいる」


「……」


「全くもって……不可解だ」


「それって人間なら誰しもじゃないですか?」


「とりわけ女は不可解だ」


「……へー」



理一さんが言う固い表現にもはや言い返す気力もなく、生返事をしたら睨まれた。



「君のことを言っているんだぞ?」


「え……はぁ?私?」


「君という存在が俺にはよくわからない」



玲二との関係がどうだとか、ぶつくさ言っていたが……お互いさまだと思う。


理一さんはよくわからん。


ぶっちゃけ玲二のこともよくわかんない時もあるけど……



「理一さんはよくわからないから女の人が苦手なんですね?」


「……まぁ、そうなるかな」


「"不可解"だから」


「女は結婚が絡むと凄まじい力を生み出すからな」


「……なんか結婚で失敗したことあるんですか?」


「……は?」


「バツイチ?」


「はっ!?違う!!未婚だ!!」



理一さんは焦ったようにこっちを見たあと、我に返ったようで頭を抱えて溜め息をついた。



「って、俺は君相手に何を喋っているんだか……」



確かに。


こんなに長く喋ったのは初めてだ。


せっかくだから…と、ある質問が頭に過った。



「ちなみに……ですけど」


「……」


「女の人が嫌だからって……その、男の人が好き……ってことはあるんですか?」


「は!?」


「……」



理一さんは本当にビックリしたみたいで、メガネの奥の目を大きく見開かせた。


でもすぐに冷ややかな目で私を見据えた。



「あぁ…そういう意味か?」


「は?」


「その趣向はない」


「は?」


「男性に対して性的興奮は覚えないと言っている」



性的……興奮?


ぶはっっ!!!!



思わず吹き出した。



「ぶあはっ、はははー!!性・的・興・奮っ!?なんすか!!その表現!!!!」


「は?」


「言い方固すぎて、逆にエロすぎですよ!!!!」


「は!?ちょ…」


「あははは!!!!性的興奮!!お腹痛い!!」


「君、声がでかい!!」


「だって理一さんが!!あははは!!理一さん、いやらしいっ!!!!」



お腹を抱えて本気で笑っていると、理一さんがメガネを押し上げて、眉をひそめた。



「本当に……君は不可解だ」



理一さんは立ち上がった。



あ…


笑いすぎて怒ったのかな?



そして睨まれた。



「ともあれ、玲二に何かしたら許さないからな」



見下ろされて言われたそれが、普通に怖かった。



お兄ちゃんパワーってやつかな?



ふと…兄貴の顔が頭に過って、胸に風が通る。


兄の姿ってやつだよね…



私が黙ったことに理一さんは少し困ったようにキョロキョロと挙動不審になった。



「な…何か文句あるか?」


「は?いや…別に。文句ないです。むしろ──」


「むしろ?」


「…むしろ良いと思います。理一さんの、そういうお兄さんの顔……カッコ良いと思います」



そう言って溜め息をついた。



理一さんは、初対面の時からお兄さんの空気を持っていた。


玲二のためにいつも頑張って…


そんな姿を見る度に兄貴を思い出す。



性格は全然違うけど、兄貴はいつだって私を気にかけていたし……



いつも忙しくても私のことを考えていてくれた。



それは今になってわかること。


いなくなった今だから気付いたこと。


去年のクリスマスだって忙しくても帰ってきてくれた。



でも私は…



「フライドチキン…」



その場で一緒に、食べてあげればよかった。


無意識で呟いた言葉に今度は理一さんが「は?」と眉をひそめた。



あ…


私こそ、何言ってんだ。



「なんでもな──」



すべて言い切る前に理一さんは背中を向けて、どこかへ行ってしまった。



え……?なんで?



突然、一人にされたことにボーゼンとなった。



でも追いかける気力もなくて、鼻で大きく息を吐きながらポケットに手を突っ込んだ。

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