何も知らない

2話.4 何も知らない


今さら思うけど、不思議な話だ。


会ってから、たかが一ヶ月ぐらいだから、私は玲二のことをよく知らない。


だけど玲二は私のことをよく知っている、19年分しっかりと。



他人なのに。



「兄貴……とんでもないことしてくれたな」



ポツリと部屋で一人言をもらした。


改めて気付いた当たり前なこと。



部屋で床に寝転がりながら、引っ越す時に一緒に持ってきてしまった兄貴の論文を広げる。



別に何てことないけど、何故かお腹にポッカリと穴が開いていて、どんな食べ物も飲み物も聞いた話も、漏れだして落ちていくみたいな……


まるでそんな感じ。



うーん……


なんだ?


この感情



そんな風に頭を悩ませていた日曜日の昼下がり。



ドアがノックされた。



理一さんが私の部屋を訪れることは100%ありえないから、おそらくノックしたのは玲二だ。


重たい体を起こしてドアを開けた。



案の定、玲二がいた。



あ…なんかこの構図、玲二と初めて会った時に似てるな。



あの時はただ『兄貴』と言われるのが信じられなかったけど


今は他人って気付いたことの方が違和感って……


変な話だ。



「ゆず?」


「あぁ、ごめん。ボーッとしてた。何?」


「今から気分転換でコンビニ行こうと思うんだけど、ゆずもなんかいるもんある?ついでに買ってくる」


「……気分転換?」


「うん、テスト勉強の」


「へー、テスト近いんだ」


「あれ?言わなかったっけ?」


「……」



一度気付くと、些細なことも知らないことだらけだって気付く。



そう思うと、私がここに住んでるのって、不自然……なんかな。



「……ゆず?」


「あぁ、ボーッとしてた」


「また?」



クスッと笑う玲二の手が私の額に触れた。



「んー……熱はないよな?」


「……」



こういうところ。


めちゃくちゃ兄貴っぽいのにな……



溜め息と共に玲二の手首を掴んで、額から外した。



「別に大丈夫だから。ちょっと考え事してただけ。あと、必要なのも特にない」



外したはずの手が、すぐさま私の手を掴んだ。



「……玲二?」



玲二はニッと笑っている。



「じゃあ、ゆずも気分転換♪」


「はあ?」


「一緒にコンビニ行こう!!」


「ちょっと!?」



玲二によって、強引に外へ連れ出された。



外は肌寒い。


玲二と初めて会った時はまだ暑かったのに…季節が流れるのは早い。



「もうこのまま夕飯の何か、買って帰る?」



玲二はコンビニをスルーしてスーパーに入っていく。


仕方なくパーカーに手を突っ込んだまま、玲二のペースに合わせて一緒にスーパーに入った。



「俺、何か作ろうか?」


「……逆に何が作れるの?」


「いや……料理とかしたことないんだけど、」


「は?」


「満さんの記憶で何か出来るかなって」


「え、そんなこと出来るの?」


「多分!!」


「へー」



玲二は野菜や肉をカゴの中に入れていく。


わりとランダムに。


……多分、何を作るとかまだ何も考えてないんだと思う。



玲二が入れたものをとりあえず戻していった。



『満さんの記憶で』



玲二の言葉が気になって、その背中に声を掛けた。



「ねぇ、玲二」


「何?」


「兄貴の記憶があるんならさ、今度のテストも楽勝なんじゃない?」



兄貴、勉強は出来たもんな。


何せ、あのややこしい発想の論文も書いたくらいなんだから。



「え、あぁ。俺も最初はそう思ったんだけど」



玲二は頬を掻きながら、どこか遠くを見た。



「そこらへんはあんま関係ないのかも」


「え?そうなの?」


「脳を動かそうとしても、心臓の記憶は自分の意志じゃ引き出せない……的な?」



脳と心臓は別。


なるほど、言いたいことはわかる。


でもその理屈からいけば…



「じゃあ料理、無理じゃん」


「だから言ったじゃん、多分って」



えへへと笑って誤魔化す玲二に呆れた。



「……わかった。私が作るよ」


「あざーすっ!!」



ニコニコ笑っている玲二。


作ると言っても、何作ろう。


玲二の好きなもの……は、知らないしな。



笑顔の玲二は知らない人。


比喩とかじゃなくて、本当に知らない顔。



なんで気付かなかったんだろ。


私は……一人だ。


兄貴がいなくなって、それをわかっていたのに、なんか……まだ兄貴がいる錯覚をしてた。



とりあえず「何作んの?」って言っている玲二を無視して、私は自分が好きなものを入れていった。



会計を済ませ、半分ぐらいの荷物は玲二が持ってくれた。



スーパーを出る頃には影が伸びていた。



「なぁ、ゆず」


「何?」


「今日の夕飯、当てようか?」



玲二はニヤリと笑う。


いつもの無邪気な感じと違うせいか、夕日の色味のせいか、玲二が大人びて見える。



「ポテトサラダ!!あと豚汁!」



そしてあっさりと当ててしまう玲二がとても遠い。



「だろ?ゆずの好物だし、作るのも楽だからって、昔から満さんに作ってあげてたし」



玲二のことを知らない。


玲二がどこまで私のことを知っているのかさえ、私はわかっていない。


いつもと違って、玲二が遠い。



……


……"いつも"じゃないか。


"最初"からか、本当は。



空を見上げる。



今日の夕日も美人なのに……


それを分かち合える人なんて、どこにもいないような気がする。



きっと口にすれば、玲二は頷いてくれるかもしれないけど、今はそれが余計に寂しい。



それは兄貴との思い出であって、玲二とは……



「……ゆず?」



私は無意識の内に立ち止まっていたらしく、私の元へ戻ってきた玲二が顔を覗き込んできた。



「やっぱ、今日のゆず変。気分悪い?大丈夫?」


「……」


「それとも……何かあった?」


「玲二……」


「気分転換に……ならなかった?」



玲二が不安そうに見てくるから、私は自分が少し情けなくなった。


私は玲二よりも年上なのに。



フッと笑ってみせた。



「大丈夫、ありがとうね。むしろ玲二の気分転換のはずが、こんな長い時間の買い物してごめんね」


「ゆず、」


「さぁ、早く帰ろうか」


「ゆず!!」



帰ろうと足を進めたのに、玲二に手を取られて、止められた。



「何それ。ゆずのその笑顔」


「は?笑うのがおかしいの?」


「違ぇよ」



玲二はジッと見て、手を離そうとしない。



「始めの頃みたいな笑顔だ」


「……始め?」


「ゆずがウチに住む前の時みたいな……」


「なにそれ」


「ホントだよ。何か誤魔化す時の笑顔だ」


「は?何よ!!知り合ったの最近のくせに、知ったような口利いて……」


「何って、」


「帰るよ」



歩き出したけど、玲二に引っ張られて無理矢理向かい合わせにされた。


逃げられないように腕も掴まれている。



「ゆず、言えよ。何があったんだ?」


「離して!!」


「無理!!」


「なんで!?」


「ゆずが頑固だからだろ!?」



こんな公共の場で言い合いなんて恥ずかしいから、早く離してほしいのに、玲二もそこそこ頑固。


周りも「喧嘩か?」とチラチラこっちを見ている。



「離してって!!こんなとこで恥ずかしいじゃん!!」


「やだ!!」


「離せ!!」


「やだっ!!」


「離せっつってんじゃん!?」


「むしろ話せっ!!」


「はあぁっ!?」


「何があったか話せ!!」


「やだ!!離せボケ!!」



スーパーの袋を手離してしまいそうなほど、お互いに抵抗して、両手の掴み合いの攻防戦を繰り広げる。


早く家に帰りたくて玲二から顔を背けたけど、玲二は両手を使って私の頭を押さえこんで、玲二の顔へと向けさせられた。



「ゆず!!」



私はまだ何も言っていないのに、



「玲二ッッ!!」



誰かが玲二の名前を呼んだ。



その声に私も玲二もビックリした。



「え……未唯?」



玲二にそう呼ばれたのは紛れもなく、私に『オバサン!』と言い去ったあの時の女だった。


今日は制服じゃない。


……あの子、本当に『未唯』っていう玲二の彼女だったんだ。


玲二の彼女とか……やっぱ、信じられん。



「未唯……なんか久しぶり」


「久しぶりって……玲二がなかなか連絡くれないからでしょ!?そんなことよりも!!」



相変わらずのキンキン声に思わず眉間に皺が寄った。



「玲二は何してんの!?」



顔を玲二の方へ無理矢理に向かされているせいで、顔の距離が近い。


多分、そのことについて、この女は突っかかってきてるんだろうけど、その時点でめんどくさい気持ちになった。



「何って……何が?」



玲二は私を離さないまま、キョトンと女に首を傾げた。


相変わらず、玲二の空気の読めないっぷりは恐ろしい。


そしてさっきまでの言い争いなんてなかったみたいに、穏やかな声色だ。



「未唯、悪いけど今取り込み中だから。また明日、学校でな」


「……意味わかんないんですけど!!」



女はサンダルのヒールをカツカツと響かせながら、玲二の近くまでやってきた。



「『学校で』って、最近学校でも会えてないじゃん!!」


「まぁ、クラス違うし、テスト前だし…」


「前はそれでも会ってたじゃん!!」


「それは部活でだろ。今は引退してるし」


「ふざけないでよ!!それでも会いに来てよ!!今日みたいな休日とかでも会えばいいじゃん!!」


「テスト前だろ。俺ら、受験生だし」



……おもいっきり修羅場なんですけど。



なにこれ。


めんどーだ。



巻き込まないでほしい。



そんな思いが顔ににじみ出ていたのか、女がキッと睨みながらこっちを見た。



「何なのよ!!このオバサン!!」



……こいつ。


一度ならず、二度までもオバサンといいやがって。



私がムカッときているのを知ってか知らずか、玲二はキョトンとする。



「……この人は、戸田弦さん」


「名前聞きたいわけじゃないのよ!!」



もっともなツッコミに、もはや同情する。


だけど女はキンキン叫び続けた。



「この人がいるから、私のこと避けてるんでしょ!?」



明らかに私を指を差してきた。


だから思わず「は?」と言ってしまった。



「玲二はこの女に騙されてるのよ!!まさか……別れたいとか思ってんの!?ちゃんと話しさせて!!」



玲二は何も言っていないのに、ヒステリック女は喚き続ける。


向こうが喚けば喚くほど、私はやたら冷めた気持ちになる。



とりあえず玲二の手を、自分の顔から離した。



「……玲二」



私に名前を呼ばれて、玲二は「うん?」と瞬きをした。


……当人とは思えないほど、呑気だな。



「とりあえず、二人で話してきなよ」


「へ……でも、」


「私は先に家に戻っとくからさ」



そう言って、玲二と女に背中を向けると、



「何よ!?逃げる気?」



未唯がはっきりと喧嘩を売ってきた。



は?


本格的にカチンときた。



あんたの為に気を利かせたんでしょーが!?私は。



「……クソガキ、さっきから黙ってれば……」


「わーっ、ゆず!!ストップストップ!!」



玲二は後ろから、両手で私の口を押さえ込む。



おかげで文句の続きもモゴモゴとなってしまった。



しかしその密着した体勢が火に油を注ぐ形となった。



「ーッッ離れなさいよ!!」


「いや……だって、」


「その人は玲二の何なのよっ!!!!」



玲二の何?



そう聞かれて、ヤバい!!って思った。


こいつ、まさかいつものトーンで言うんじゃないだろうな?



いつもの笑顔で『ゆずは俺の妹』って言うんじゃあるまいな!?



こんな訳のわからない修羅場の中で、更に他人には理解されないようなそんな発言されたら、余計に面倒になるのは、目に見えている。



それは避けたいと思うのに、玲二に口を押さえられているから、私は呻くことしか出来ない。



「ゆずは……」



ダメだ。


面倒くさいことになるの確定してしまう。


玲二の口が動いた。



「俺にとって、大切にしたいって思っている人だ」




……



一瞬、理解出来なかった。



多分、目の前でビックリしている女と同じ顔を私もしたと思う。



……今、なんて?



女もそれはそう思ったらしい。



「……どういう、意味?二人はもう、付き合ってるってこと?」


「違うよ、そんなんじゃない。」


「じゃあ、一体……」


「俺がそう決めただけ。ゆずを守るって」



何を言っているんだと思ったけど、




『大丈夫だ!!ゆずは俺が守ってやるから。』




玲二はずっとそういう奴だったから…



恥ずかしいのか、嬉しいのか、自分でもよくわからない。



わからないんだけど


なんだか少し泣きそうになった。

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