彼女

2話.3  彼女


「お金がほしい」


「何言ってんの?そんなん私だってほしいし」



切実な願いを口にしたのに、彩花に軽ーく流された。



「彩花さん、真剣に聞いてよ」


「お金でしょ?私も欲しいよ」


「うん…なんというか、つまり早く引っ越ししないとな…って話がしたいわけ」


「ん?引っ越し?」



授業が終わった教室で、彩花はスマホを打つ手を止めてこっちを見た。



「引っ越しもだけど、スマホの通信費と…来年の授業料も貯めないといけないし。お金ほしい」


「やっぱお金の話じゃん。それにせっかく居候していいよって言ってくれてるんだから、無理に今引っ越ししなくてもゆっくり貯めれば?」


「……」


「昨日のルール決め会議に相当疲れた…ってわけね」



別に嫌だったわけじゃない。


お風呂、トイレ、門限などなど。


他にも家事の役割分担。


きちんと決めておかないといけないことがあったから、昨日の会議は確かに必要不可欠だった。


ただ……



玲二はまだ中学生。


理一さんは女恐怖症。



気を付けなくちゃいけないことが多すぎて……


多分、普通の共同生活よりもルールは偏っていたり、細かかったりすると思う。


しかもメモ帳、もしくは玲二を通して会議は行われたから、なかなか話も進まず、長引いた。



……えぇ、そうですとも。


疲れました。


彩花さん大正解。



しかし玲二はニコニコ笑いながら、『ルールも決まって、これで気兼ねなくゆずもここに住めるね!!』と言っていた。


玲二は私のことをよくわかっているが、空気は読まない。


恐ろしい子。



「……とはいえ、やっぱ居候は迷惑だろうし……」


「ん?ゆずはお兄さんに出ていけって言われちゃったの?」


「……いや、それは言わない」


「じゃあ何も問題ないじゃん。よかったね」


「うん。いろいろ指図はしてくるけど、出てけとかは言わない……」


「へぇ、意外」


「しかも生活費とかも気にしなくていいって言われた。……メモ帳で」


「えぇ!!めっちゃ優しいじゃん!!」


「だから余計に申し訳ない感じで居づらいんだよぉ……」


「え……?そう?」


「え……そうじゃない?」


「私ならラッキーって思うけどな」


「私はいたたまれない。しかも事実、払えるお金がないからこそ、甘えてしまいそうなのが怖い」


「あ……ラッキーとは思うけど、私も一応断るよ?最初は。そんで建前でそう言いつつ、結果払わない」


「……すげぇな」



教室に残っていた何人かの女子がこちらに「ばいばーい」と手を振った。


彩花も笑って手を振り返したけど、私は力なく片手を上げただけだった。


そしてすぐに机にまたうつ伏せた。



「あー……バイト増やさないと。でもそれも憂鬱」


「時間削られるから?」


「……その前の電話とか面接とか。また新しい人間関係も作らないといけないし……」


「ゆずは人見知りだもんね」


「……」



しかし実は、このバイト掛け持ち案でも昨日、一悶着があったのだ。



…ー


『ゆずが頑張る必要ないよ!!俺が頑張る!!』



そう玲二に言われたのだ。



『は?頑張るって……』


『高校生になったら俺がバイトするから』


『……は?』


『だから掛け持ちしないで、それまではちょっと我慢してて』



目が点になる。



……えぇ!?


何故、そうなる?



玲二は良い提案だと言わんばかりの笑顔だった。



『受験終わるまで。なっ!!バイトしていいだろ?兄ちゃん!!』


『バイトして……どうするんだ?』


『ゆずのためのお金は俺が稼ぐ。そもそも同居の言い出しっぺも俺だし』


『玲二、そんな『拾ったのは俺だから、ちゃんと散歩には連れていく』とはわけが違うんだぞ?』



淡々と理一さんは玲二をなだめる。


てか、なにその例え。


私、犬?


理一さんにやんわり反対された玲二はブーブーと口を尖らせた。



…ー


「良い子なのはわかるけど、確かに無謀な発想だね。可愛いぐらいじゃん」



昨日の玲二の発言を彩花に言ったらクスクス笑った。



「……うん。良い子だけどね」



……玲二は



優しい



……けど、怖っっ!!



あいつの優しさは根拠もないのに果てしなさすぎる!!


怖いっ!!



これが兄貴の記憶を持ってしまったが為の影響のせいか?



確かに私の面倒を今まで兄貴がしてくれてたけど…


でもそれを玲二がする問題じゃないんだけど。



…いや、玲二には感謝してるけど、うん。



「それで掛け持ち反対されたんだ?」


「うん、2人に反対された」


「……2人?え?お兄さんも?」


「うん。『学生の本分は勉強だからバイトばかりに時間をかけるのは感心しない』って。メモ帳で」


「あ……お兄さんって学校の先生だったっけ?さすが教師の言うことは真面目だね~」


「だね~」


「女子校じゃないだろうね」


「……へ?」


「勤務先だよ。女子校だったらお兄さん死んじゃうよね?」



彩花は意地悪そうに笑っている。


理一さんに会ったこともないのに、初対面からイジメそうだな…彩花なら。



「男子校かな?それか小学校とか…」



彩花の予想に首を傾げた。



「どうなんだろうね。確かに理一さんって何の先生だろね~」


「知らないの?」


「まあ……そもそも喋らないし」


「少年から聞かないの?」


「そんな話もしないな~」


「……ゆずは人見知りの前に人に興味持ちなよ」


「違うって。それは理一さんのせいでしょ!?あの人が拒否してんだから、知れるもんもわからないじゃん」


「じゃあ少年とは仲良しなんだ?」


「まぁ……そうかな」



理一さんと比べたら、そうなるな。


それに玲二の心臓は兄貴。


これって大きい


私の中で。



理一さんのことを知らないのは仕方ないことだし、これからも必要ないことだしね。



その時、スマホが鳴った。



「あ……れ、玲二?しかも電話」



通話ボタンを押すと、すぐに玲二の声が聞こえてきた。



『もしもし!!ゆず今どこ!?』


「えっ、まだ学校だけど?」


『あ!!よかった!!外に下りてきて!!』


「……は?」



玲二に言われて、彩花と一緒にビルを出た。



「あ……ゆず!!……と、こないだのお姉さん!!」



ガードレールに腰掛けて待っていた学ラン姿の玲二が、笑顔で手を振った。



「よぉ、少年!!久しぶり」


「久しぶりです!!お姉さんと初めて会った時、まだ暑かったもんね」


「最近、ちょっと寒いよね。あ……私のことは彩花でいいよ。」


「よろしく彩花ー!!俺、玲二って言います!!」


「知ってるー!!」



玲二と彩花はキャッキャッと笑いながら、話を弾ます。


何気に二人って気が合うのかな。


てか、二人ともコミュ力あるな。



「そんなことより、どうしたの?わざわざこっちに来るとか……」



腕を組みながら、玲二を見た。


玲二も私に言われて思い出したかのように、カバンからごそごそと何かを出した。



「俺、一旦学校に戻るよ。だから……鍵!!」


「……鍵?」


「今日は多分俺の方が家に蛙の遅くなるから、渡しとく!!」



私に鍵を渡すや否や、玲二はすぐに走っていった。



「ゆずも気を付けて帰れよ~!!」



振り向きながら手を振って、走っていく様はなんだか危なっかしかった。



彩花は口笛を吹かした。



「へぇー……少年君は優しいね~」


「……まぁ、玲二は優しいよ」


「中学生だけど、アレなら有りじゃない?」


「……はい?」


「まだ成長中だろうけど、背だってゆずよりか高いし、優しいし、何よりカッコ可愛いじゃん!!」


「……バカじゃない?何言ってんのよ」


「でも二人良い感じだと思うよ?シチュエーションも同居とか美味しいし……行っちゃえ!!私が許す!!」


「何の許し!?」


「光源氏みたいに育てるってのもアリだな」



別に彩花も本気で言ってるわけじゃないことぐらいわかるけど、彩花のからかいってたちが悪い。



呆れて溜め息を出そうとしたが、



「あのッッ!!」



後ろから突然叫ばれて、溜め息は飲み込んだ。



あの彩花でさえもビックリしたって顔をしている。


だってそれぐらい突然だった。


ゆっくり振り返ると、一人のセーラー服姿の女の子がいた。



茶髪に弛くパーマを当てたショートカットの女の子。


格好は垢抜けているが、顔立ちに幼さが残っている。


中学生かな?


こっちを睨んでいる。



……え?私達?



彩花と顔を見合せたあと、周りを見渡した。



もしかしてさっきのって私達に向けて?


なんで睨まれているのか、意味がわからなくて瞬きをしていたら、彩花が先に口を開いた。



「何?あんた、誰?私達に用?」



思っていたことの全てを言ってくれたので、私も一回頷いた。



女の子は彩花の強気な態度に一瞬たじろいだが、深呼吸してからまたこっちを睨んだ。



「あ、あなた達は……玲二の何なんですか!?」



玲二の知り合い?


いつまで彩花に任せるわけにもいかないので、しぶしぶ一歩前へ出て片手を上げた。



「玲二と知り合いなのは私。こっちの人は関係ないの。私がちょっと……今たまたま玲二の家にお世話になってるだけで」


「お世話って何!?それが何で鍵渡されてるんですか!?」



女の子はキャンキャンと甲高く叫んだ。



……あ、ダメだ。


私……この子、無理なタイプ。



おそらく彩花もそれは私と同じで、彩花は、


「だからあんたは何?名乗れば?玲二の友達?」


と、ハッキリとした物言いで凄んだ。


女の子は完全に怯んだ。


うん


私から見ても若干怖いよ……。



そんな迫力バツグンの彩花さんを眺めている間に何やらモゴモゴと言葉が聞こえてきた。



「私は」


「……え?」


「私は玲二の彼女です!!」



……


……彼女?


……


……えぇっ!?


玲二の!?



「へー、彼女。ゆず知ってた?玲二くんの彼女」


「いや、聞いて……ない」



呆然とした。


この子が?


見た目はオシャレだし、顔も可愛いし……お似合いでなくもない?



彩花は可哀想な目で見るようにして言った。



「一応聞くけど……あんたの妄想じゃなくて?」


「し……失礼なっ!!付き合ってます!!」



女の子はさすがに激怒した。



私はまだビックリしている。


玲二に……彼女。


別に玲二に彼女がいてもいいんだけど……ビックリした。


それ以外、言葉が出ない。


そんな私を置いていって話は続く。



「夏休み入ってから、玲二が冷たくて、夏休み明けても……様子がおかしいって思って……今日の放課後着いてきてみれば」



呆然としてる私なんてお構い無しで女の子はこっちに近付いてきて、私を睨んだ。



「あなたが玲二をたぶらかしてるんですか!?」



たぶらかしって言葉に少しカチンときたから、やっと動けた。



「……違うけど」


「はあ?」


「たぶらかしてないし」



女の子は納得いっていない顔で睨んでくる。


そこまで来るならこっちも黙っていられない。



「そこまで文句あるなら、今すぐ玲二呼んで、来てもらう?そもそも、玲二と上手くいってないのは、本人に文句言えばいいでしょ?」



玲二の名前を出すと、ようやく女は勢いを無くした。



「と、ともかく……、おばさんが玲二にちょっかい掛けないでください!!」



女はとんでもない言い逃げをして去っていった。


文字通り、瞬く間に。



……おばさん?


マジで?



彩花は信じられないって顔をしている。



「何?何あれ!?ゆず、聞いた!?今の!今時の中学生は礼儀ってのを知らないの?」


「いや……皆がそうじゃないでしょ?あれは多分あの子の性格」


「嫌な性格ッッ!!」


「……」



私は彩花みたいに大声を張れなかった。




…ー



「え……彼女?」



家に帰ってきた玲二にさっそく聞いてみた。



あのヒステリック女は本当に玲二の彼女なのか聞きたくて。


後ろを向いてソファーの背をもたれながら玲二を見た。



「そう。彼女って名乗る女の子に会ったの」


「みい?」


「……え?」


「その子の名前。未唯みいだった?」


「それは……わからない。え……彼女なの?」


「その子が未唯ならね」



……へー。


ホントに彼女いたんだ。


あ、まただ。


ビックリしすぎて、頭の中が白くなる。



だってあまりにも彼女がいることを匂わす行動を見なかったし……



「……ゆず?」


「あ、いや……ビックリしただけ」


「まぁ、最近はあんまりまともに会えてないけどね。受験だし、クラス違うし、部活も引退したし」


「部活?」


「うん。同じ部活だったんだ」


「……」


「それで?未唯がどうしたの?」


「……たまたま会った」


「たまたま?ふーん」


「玲二……彼女、いたんだ。聞いたことなかったから…驚いた」


「へへ、だって妹に言うのとか恥ずかしいじゃん」


「……そうだね」



玲二の言い分はわかる。


なんか気恥ずかしい気持ち。


でも、思ったんだ。




私達は『兄妹』ではない。


玲二は私のことをわかっている。


兄貴のように……。


でも私は玲二のことを何も知らない。




どんな職場で働いている兄を持っているのかも、知らない。


玲二が何の部活に入っていたのかも、知らない。


彼女がいるのかも、何て名前かも、



私は全く知らない。



玲二を知らない。



私は玲二の妹ではない。



なんてことない。


当たり前な話。

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