こーりゅー

2話.2 こーりゅー


『ゆず!!外見てみろ!!こっちの空も美人だぞ!!』


『兄貴…いい加減、妹の私に構うんじゃなくて、彼女でも作りなよ。』


『お前…痛いとこ突くな…』


『ははは、ドンマイ!!』



◇◇◇



スマホのアラームが鳴ってもないのに目が覚めた。



玲二の家に住むようになって一週間。



ちょっとした物置として使っていた空き部屋をもらい、そこで寝ている。


アパートから持ってきた薄っぺらい布団に入ったまま額に腕をあて、天井をボーッと見つめた。



兄貴の夢なんて久々に見た。


そういや兄貴って見た目も中身もそこそこに悪くなかったのに、彼女いなかったな…。


いや…家に連れてこなかっただけかな。



スマホで時間を確認した。



いつもより一時間も早く起きてしまったみたい。


もう一回寝ようかなぁ…


しかし



「うぎゃああぁぁーっ!!!!」



布団に潜りこもうとしたら、叫び声が聞こえてきて、ビックリして飛び起きた。



何事!?


叫び声!?



布団から抜け出して、ゆっくり扉を開けて廊下の様子を見た。



そして顔を出した瞬間、



「レージッッぃうぎゃああぁぁー!!」


「ひゃっ!?」


「ぎゃああぁぁー!!」



理一さんと鉢合わせてしまった。



「玲二!!玲二ッッ!!」


「うるせー!!」



トイレから出てきた玲二も叫んだ。



「朝から一体何……あ。」



玲二は急に物事を理解したような顔付きになったが、理一さんに落ち着きなんてものはなかった。



「こいつ、ど…どどどっ、どーにか、しろぉ!!」


こっちを一切見ようとせず、ただ指だけ私を指して玲二に訴えかける。


玲二はお腹をポリポリと掻いた。



「どーにかって言われても…」



玲二の言葉は私の言葉でもある。



私は何もしてない。



理一さんが女嫌いだからとはいえ、反応が異常だと思うのは私だけ?



「…兄ちゃん、それよりその前になんか違うことで叫んでなかった?」



玲二はそう聞きながら、私を後ろに隠してくれた。


そう言われた理一さんは思い出したかのように顔を青ざめさせた。



「そ…そうだ…玲二…大変だ…あっちで…」



理一さんは洗面所がある方角を指した。



思わず玲二と顔を見合わせる。



…ゴキブリか?


そのあと二人でゆっくりと洗面所を覗いた。



そしてそこにあったのは…



「え…」


「ぎゃあぁっ!!!!」



今度は私が叫ぶ番だった。



その場に落ちていたのは私のパンツだったのだ。


洗濯の忘れもの!?



速攻で落ちていたものを掴んだ。


涙目になりそうなのを我慢して勢いよく振り返る。


振り返った私を見て、玲二はやけにシャキッと背筋を伸ばした。



「み…見てない。何も見てない。」



赤い顔をしながら否定されても説得力ないわ!!


いや…忘れてた私が悪いのだけど!!


私の方が恥ずかしい!!



丸めた新聞を手に持った理一さんも恐る恐る顔を出した。


なんで新聞紙?



「玲二…終わったか?他は?もうなくなったか?」


「私のパンツ、ゴキブリ扱い!?」


「あはは、ゴキブリって。ゆず、上手いね。」


「笑い事じゃねぇッッ!!」


「ぎゃああー!!!!下着それを前に出すなあぁー!!」



須藤家はうるさい朝を迎える。



◇◇◇◇



「あはははは!!朝から災難だったね。おもしろ!!」



教室で彩花は机を叩きながら爆笑していた。



「当事者達は疲れたけどね」



授業が始まる前に今朝の話をして、思い出しただけでも疲れた。


机にうつ伏せた。


でも彩花はニヤニヤと笑って楽しそう。



「もういっそのこと、毎日勝負下着にしちゃえば?」


「は?」


「ゴキのごとく、パンツもブラも真っ黒に…」


「…おい。」



もう突っ込むのも疲れた。



「でもゆずがそんなに叫んでるとか珍しいね。」


「あの家にいたら誰でも叫ぶよ。おもに理一さんのせい。」



頬杖つく彩花は「かもね~」なんて言って笑ってる。



「いっそのこと、私がなんとかしてあげようか?」


「なんとかって?」


「ショック療法的に私が理一さんに会ってキスのひとつやふたつしてあげて…」


「やめて…多分、理一さん本当にショックで死ぬかもしんないから、やめてあげて。」


「あはは~、冗談だって。」



たとえ冗談でも、聞くだけで理一さんは気絶しそう。


玲二も止めるよ。


…それとも笑うかな。



私は息を吐いた。



「…で、今回みたいなことが起こらないように、今日帰ったらルール決めることになった。」


「ふーん、まぁ当然かもね。普通に。」


「当然?」



そのタイミングで先生が教室に入ってきた。


でも彩花は小声で話し続けた。



「だって男と住むんだから、ルールは必要でしょ?彼氏との同棲でもルール決めるところは多いよ」


「…なんで?」


「お風呂とか洗濯物とか…男と女で気を付けなきゃいけないこと、たくさんあんじゃん?」


「でも兄貴と暮らしてた時、そんなん気にしなかったし。」


「はあ?ゆず、あんたバカ!?」



先生に「おい、授業もう始まってんぞ」と注意されたが、彩花に気にせず喋り続ける。



「今一緒に住んでんのは兄貴じゃないでしょうが!!」



兄貴じゃない…って、


玲二は兄貴のようなもんなんですけど


とは言えないから、「あぁ…」と、とりあえず頷いた。


頷いたのに彩花は呆れたように溜め息をついた。



「ダメだ、お前。」


「は?なんで!?」


「そんな危機感なかったら、普通すぐ喰われるわよ?良かったね、今一緒に住んでるのが中坊と女嫌いで。」



バカにされたような気がして、少しムッとした。


でもそんな私の顔を見て、彩花はなだめるように頭をポンポンと軽く撫でた。



「まぁ、異性交流だと思って、ゆずには良い経験だね。」


「イセーコーリュー?」



先生が「そこ!!いい加減に静かにしろ!!」と怒鳴ったので、話はそこで終わった。



◇◇◇◇



今日はバイトで遅くまで残っていたので、帰るのも遅くなった。


家に帰れば、玲二の靴も理一さんの靴も揃っていた。



「……ただいま。」



まだ、この家で『ただいま』と言うのは慣れない。


ただいまっていうか、お邪魔しますっていうか。



部屋へ行くのにリビングを通る。


その時、ソファに座っている理一さん一人だった。



「あれ…玲二はいないんですか?」


「…」



ふとした疑問を口にしただけなのに、理一さんは黙ってこっちを見ていた。



…ダメだ。


玲二が帰ってくるまで、部屋で大人しくしてよう。


また朝みたいに騒がれたら、こっちもたまらない。



しかし背中を向けたとたん、バサッと紙が落ちた音がした。



振り返ると自分の足下にメモ帳が落ちていた。


理一さんの方を見ると、変わらずこっちを黙って睨んでいる。


ん?

理一さんがこのメモ帳を投げつけてきたのか?


不信に思いながらも、メモ帳を拾って中身を見てみた。



“玲二はフロ。それまで君は動くな。何もするな。”



顔を上げると理一さんがやっぱりこっちを睨んでいる。



軽くこめかみが痙攣したのを感じた。


イラッと来たのだ。



だからわざと一歩踏み出してやった。



相手はビクッとなったが、構わない。



「あの、お世話になっているのもご迷惑になっているのも重々承知ですけど、そんな一々睨まれる筋合いもないですし、そんな風に命令される筋合いもないです。」



わざとぐいぐいと近付いていく。


敵は後ろに下がろうとするが、ソファーという狭いエリアで追い込まれてそれ以上医動けずにいた。



「しかもそれをメモ投げつけて…私は獣か何かなんじゃありません。」



そこまで文句を言ったところで理一さんの様子に気付いた。


相変わらず睨んでくるが、遠くからでは気付けないくらい微かに体を震わせている。



…怯えてる?



「…理一さんって、女の人が嫌いなんですか?それとも…怖いんですか?」


「…」



素朴な質問をするだけなのに、返事は無理そうだ。


諦めて、いい加減に意地悪は止めてあげようと、一歩下がった瞬間…



「女は…」



視線を合わせないように遠くを見つめ、固い表情の理一さんは口を動かした。



「女は…怖い。」


「…え。」


「……だから近付きたくない。」



何か言おうか迷っている間に理一さんは隙を突いてリビングから出ていった。



…なんだ。


嫌いというより怖いんだ。


何もしてないのに騒がれるのって気分悪い。


それに変わりはないけど、少し反省。


やっぱ多少なりとも気を付けてあげなきゃ…ね。



私は結局のところ、居候なんだから。



「ゆず?」



突然声を掛けられたから、少しビビった。



「玲二…おフロから上がったの?」


「うん!!お先~!!そんでゆず、おかえり~。あれ、兄ちゃんは?」



濡れた頭のままバスタオルを乗せ、シャツも着ないで半ズボンしか履いていない玲二がソファーに座った。



「理一さんは…私を見て逃げた。」


「ふーん。」


「…玲二、そのままだったら風邪ひくよ。」



頭も乾かさず、上半身裸のままの玲二はタオルの隙間から「ん?」と私を見上げたあと、ニヤッと笑った。



「やだ、ゆずさん。照れてるの?」



限りなく冷めた目で見てやった。



「何が?ガキの体見たところで何とも思わないし。」


「え!?何気にショックなこと言ってない!?しかもガキって!!」


「玲二、まだ義務教育じゃん。」


「そうだけど!!」


「それに兄貴と住んでたから、男の人の裸は見慣れてるし。」


「…どうせ言うならそこだけにしてほしかった。」



私も玲二の隣に座った時、“それ”が目に入った。



「玲二…」


「何?」


「これ…」


「ん…あぁ。うん、手術の時の傷。」



胸の真ん中にまっすぐと切り目と盛り上がった縫い目が残っていた。


心臓移植の傷。



その傷を覆うようにして触れた。



ドクン…


ドクン…



兄貴の鼓動。



「聞こえる?ゆず。」


「…うん。」



気持ちがすごく落ち着く。



「…玲二。」


「うん。」


「耳当てて聞いてもいい?」


「…………え?」



玲二の顔を見たら、物凄く驚いた顔をしている。


目だって見開いてるし。


私は首を傾げた。



「嫌なの?」


「嫌…っていうか、ダメじゃない?」


「…何が?」



何がダメだって言うんだ?


ただ単に心臓の音をよりはっきりと聞きたいだけなのに?


どこらへんがダメなんだ?



それでも玲二は困った感じに狼狽うろたえた。



「いや…だって、ゆずは女の人…じゃん?」



ん?


玲二の言った意味が余計にわからなかった。



「何言っ…」



その時、おでこに向かって何かが飛んできた。



「痛っ。」



バサッと当たったあと、落ちたものを見ると…


メモ帳。



“家のルール。不純異性行為禁止。玲二から離れろ!!!!”



「口で言えっ!!」



こっちを伺っている理一さんに向かって思わず叫んだ。



理一さんはビクビクしながらこっちを睨んでいる。



「だから、睨まないで口で言ってください。そもそも不純異性行為なんてしてませんからね。」



するとわざとらしくニヤニヤしながら玲二が自分の手で体を隠した。



「俺…危なかった…ゆずに狙われてたのね。」


「おい、殴るぞ。何言って…」


「玲二!!今すぐ逃げなさい!!」


「だから違いますって。」



この二人とまともに交流するのは当分無理そうである。

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