1話.2 兄貴の論文の証明がやってきた


…ー


兄貴からその話を聞いたのが中学生の時で、あれから数年も経ったのだが…未だによくわからない。


見つけた論文を一人読み返してみるが、やっぱりわからない。


そもそも書いてある単語がわからない。



兄貴の部屋で紙をめくる音だけが虚しく耳につく。



「…はぁ、どれ捨てたらいいのかなんてわかんねぇっての。」



一人言だって虚しい。



でも事実、『必要な分だけ残しときなさい。』と親戚のおばちゃんが言ってたけど、どれを捨てて、どれを残しとかないといけないとかわからないから、呟きたくなるわけで…。



兄貴の服なんて、私には着れないし。


ここにある難しい本達も兄貴が使わないのなら、私には用ナシなわけだし。



荷物整理って言っても、私一人だとどこを整理させればいいかなんてわかんないよ。


兄貴がいなけりゃ…。



読めるはずもない兄貴の卒業論文を手に部屋で寝転がり、続きを読んだ。


昼過ぎだから、電気を付けなくてもカーテンを開けとけば、日の光で充分に部屋は明るい。


節電、節電。



兄貴がいなけりゃ、ここの家賃も払えないし…早く別のアパートも探さなきゃな。



兄貴がクモだかクマだか、なんかが原因で死んでから何日経ったんだろう。


それとも何ヵ月?


わかんないや。


短いような…長いような…。



この部屋は、まだ兄貴の影や匂いが残ってるというのに。


私にはこの部屋は広すぎる。



……


……



もう全部捨てようかな。


私は使わないわけだし。



つーか売る?


本とか服とか机とか…リサイクルショップにでも出せば、そこそこのお金が…




…ーピンポーン




家のインターホンなんて久々に聞いた。


くすんだリビングとキッチンを通り過ぎてから、兄貴の靴を踏んで、ドアを開けた。



「はい、どちらさ…ま…」



そこに立っていたのは学生服姿の男の子だった。



「ん?アンタが?元気か?」



背が高い。


でも顔はまだ幼さが残る。


短い黒髪がフワフワしている。



大きな目はタレ気味で鼻筋も通っているから、小さい頃は可愛くて、大きくなったら男前になるんじゃないだろうか。



いやいやいや…少年の顔面を観察しているばあいじゃなくて、


というか、



「……誰?」



突然現れた男の子と数秒見つめ合った後、やっとそれだけ言えた。



男の子は目を半分の月みたいに細めて笑った。



「誰って…お前のお兄ちゃんだよ。」



バ ン ッ !!!!



扉を閉めると同時に謎の少年は咄嗟に手と足を出して、体を使って閉めるのを阻止したから、すごい音が出た。



「ちょっ!!!!いきなり閉めんな!!!!つーか痛ぇ!!!!」



少年は体をねじ込み、ググググッと力ずくで扉を開けようとするが、私も負けじとドアノブを両手で握りしめてググググッと閉めようとする。



「兄の葬式も終わりましたし、宗教も間に合ってますんで…」


「違ぇよ!!!!そういうスピリチュアル的勧誘じゃないから!!!!」


「セールスも間に合ってますんで…」


「セールスが間に合ってるって何!?来まくりなのか?おかしいだろ!?」


「あと、お兄ちゃん喫茶とかも興味ないんで…」


「はは~ん…妹喫茶ならぬお兄ちゃん喫茶?需要はあるかもね…ってだから違ぇよ!!!!つーかお兄ちゃん喫茶って何!?これ何!?出張お兄ちゃんってか!!!!なるほどね…って、なんねぇよ!!!!落ち着け!!!!」



さっきからなんか色々言ってるけど、一番おかしくて怪しいのはどう考えてもこの子だ。


お兄ちゃん?


何を言ってるの?


つーか怖い!!


関わらないのが一番!!


早く閉めて、鍵かけたい。


てか、こいつ力強っ!!


だが少年はラストスパートをかけやがった。



「~ッッ…は、な、し、を、…ーッッきけぇー!!!!」



動かなかった扉は少年の力ずくでついにこじ開けられた。



「わっ…」


「きゃあっ!!」



力の釣り合いが突然崩れて、私は前へ、少年は後ろへと、二人は玄関から飛び出した。



「…痛ぅ~。」



私は完全に白シャツ少年の上に倒れ込んでしまっていた。


私以上に少年は背中と頭をもろに打って、悶絶している。



「わ…ごめ…」



彼から退こうとしたら、少年は片腕で私を引き寄せた。



「え?ちょっと…」



黒目がちの瞳が至近距離でジッと私を見た。


「…ちゃんとイチから話すから、聞いてもらえない?」


「…はなして。」


「俺の名前は…」


「そっちの『話して』じゃなくて、手を『離して』!!」


「無理。」


「はあ?」


「結構マジメな話だから、逃げてほしくないし。」


「…」


「俺は須藤玲二すどう れいじ。あんたのお兄さん…戸田満とだ みつるさんは俺の提供者ドナーだったんだ。」


「…え?」


「満さんの心臓を俺は貰った。」


「ちょっと待って、心臓って…」


「そしたら俺は満さんの記憶も貰っちゃったみたいなんだ。」



少年こと…玲二は振り出しに戻ったようにニッコリと笑った。



「だから俺は妹であるお前に会いにきた!!ゆず、元気だったか?」



全くの見ず知らずの男の子。


私の兄貴と言い張る年下の男の子。


兄貴は言った。



『人の体について証明させるというのは、遥かに難しい。だから何が起きるかなんてわからないんだ。』



だからって…


だからって…



「…嘘でしょ?」



兄貴の論文は、まさか兄貴自身の心臓を使って証明させてしまったのだ。

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