第12話
乗り気。という訳ではない。ただ、父から求められるためにこうするしかないなら。そう頭の中で何度も唱え、反応を繰り返す身体に言い訳をした。
太ももを伝い、膝の下まで捻じられながら降りていくそれを感じ、華奈はふっと息を吐く。何か、抗いがたいものが喉から込み上げて、息が詰まりそうになる。それは普段感じているような恐怖心からくる身体の強張りと似ていたが、どこかそれとは違うものを感じている。
ひたり。父が華奈の恥骨を覆う。その冷たい手はがさがさとして、女性的な華奈の身体とは正反対な存在のように感じられた。その違和感に彼女は少し身を捩って抵抗を示すが、まるで建前上の動きに感じられた。やがて父は、華奈の知らぬ間に電気を消した、部屋の薄暗がりの中、小さなその身体をじっくりと嘗め回すように見つめ、手にゆったりと力を籠める。
普段の父からは想像も付かないような、優しい手つきで何度か揉み解すような動作が繰り返され、やがて華奈は静かに湿り気を感じていた。それが体温の上昇に伴う汗ではないことを、本能的に理解もしていた。
太い中指を軽く曲げ、父は密着させた手をゆっくり、下から上へなぞり上げる。そこでとうとう、華奈は耐えきれなくなって、背中を浮かせた。
小さく胸を反らせ、小鳥の囀りのような声を漏らす。それが父の耳に入った時、彼もまた、耽溺した様に吐息を漏らした。
蕩けるような目は僅かに潤んで、天井を見上げる。口は微かに開き、熱っぽい息がそこから漏れている。父はそんな様子の華奈を見つめながら、ゆっくりとその入り口に指を掛けた。
微かな水音の後、入り口を湿らされたその中へ、父の節ばった指が吞まれていく。それは狭い道を進み、華奈の体格同様、浅い所で終端を迎える。華奈は初めて感じる異物感と、燃えるような熱を感じて、思わず声を上げた。
「っ……」
眉を寄せ、表情が苦痛へ歪む。父はそれを認めて、それ以上奥へは進もうとせず、指の腹へ心ばかりの引っかかりを感じながら、手の動きを止めた。
「痛いか、華奈?」
その声に思わず意識を取り戻した華奈は、熱っぽい視線を彷徨わせ、やがて父の顔を見た。その表情はいつもの怒気に塗れたものではない。まるで、愛おしい何かを見つめるように細められた目は、男としての父が顔を覗かせているようだった。
きっと。
華奈は火照る身体を感じつつ、その一方でどこか冷静な思考を巡らせていた。それは、きっと母も同じように父のこんな表情を見ていたのだろう。という、嫉妬によるものだった。
不意に、華奈の心の中で、一つの小さな何かが音を立てて燃え始める。それは瞬く間に勢いを増し、思考すら乗っ取らんとするばかりだった。
きっと、わたしにお母さんを重ねているんだ。
そう気付いた時には、もう遅かった。
華奈は途端に、これまでされた仕打ちのどれよりも強い屈辱を、父に対して受けたような気になった。お父さんがわたしに対してこんな目を向けるわけがない、という現実的な観点。お母さんもこんな気持ちだったんだ、という共感。そして、父を独り占めしたい、という、ある種、父と同じような独占欲。
華奈は俺の物だ。という父の気持ちと、殆ど同じ類の感情であることに、14歳である華奈は気付けない。しかし、抱く気持ちにも、嘘偽りはなかった。
「大丈夫、です。続けてください」
気付けば、華奈は腕を伸ばしていた。いつの間にか父が緩めていた手を抜け、痩せ細った両腕を父の首へ絡める。そうして、せがむ様な声音で、父へ訴えた。
それは自らが置かれている環境への順応か。それとも。
華奈はその日、初めて丸一日、学校を休むことにした。
轟は昼休み、いつものように図書室へと足を運んだ。ドアを開け、靴を履き替えて中へ進む。いつも昼休みになればすぐにここへ来ていたが、今日は少し遅れての到着だった。
途中で購買部に寄り道して買ったパンを手に持ち、図書委員のカウンターを曲がり角から覗き込む。
「おはよー……って」
居ないし。そう独り言ちて、肩を落とす。いつもそこに座って本を読んでいる筈の、図書委員の華奈。その姿がカウンターに見えない。少し遅れてくるのか、と思い、轟は手に持っていたパンをカウンターの上に置くと、中に入っていつもの席に着いた。
水を打ったように静まり返った図書室の中、椅子がぎしりと軋む音がやけに大きく響く。
そのまましばらく辺りを見渡したり、華奈が一度来て、トイレにでも行ったのかと訝しんで引き出しを開けたりした後、轟は背もたれに身を預け、だらしなく座った。
折角、いつも昼を食べていない華奈の為にと思って買ったパンだったのだが、これでは仕方ない。轟はそれに手を伸ばし、中身を一口食べて、読書を始めた。
勿論、館内は飲食厳禁である。理由は言うまでもなく、本を汚す可能性があるためだった。だが轟は、別に本が好きで昼間にここへいるわけではないし、それに図書委員も、それが一番気楽そうな担当だったから立候補しただけである。普段、華奈が熱心に読書へ励んでいるから、自分も少し合わせて読んでいただけで、別に興味もそれほどない。
また一口パンを齧り、時計に目をやる。珍しく一人で過ごすことになった昼休みの時間は、轟にとってどうも退屈だった。
結局、持ってきたパンの一つを食べ終わる頃には飽きて、図書室を後にした。退屈そうな足取りで職員室へ戻り、自分のデスクへだらりと座り込む。周りの教師数人は、そんな轟の方へ一瞬目をやるが、また元の喧騒が職員室を埋める。雑談に花を咲かせるもの。教育者としての悩みを相談するもの。勉強にこっちが置いて行かれそうだと愚痴を溢すもの。
轟は相変わらずやる気が湧かず、自分のデスクに置かれた書類の山と、そこから無造作に飛び出るカラフルな付箋に目をやる。まるでアクションゲームのステージみたいだな。と思い、そこをぴょんぴょんと飛び跳ねるキャラクターを妄想する。
そんな一人遊びに耽る一方、頭の片隅では華奈の不在が気になっていた。
——まあ、たまにはそんなこともあるだろう。
そう思い直し、無意識に華奈の担任を探していた視線を天井へ向けた。思い直そうと深く溜息を吐く。彼女がたまたま図書室に居なかったというだけで、わざわざアクションを起こそうなんて、自分らしくもない考えだ。年頃の少女が考えることなんて、自分のような朴念仁には理解出来ないが、たまには図書室以外で暇を潰そうと考えたのだろう。
だがその時、タイミングが良いのか悪いのか、華奈の担任である教師の方から、ちらりと気になることが聞こえてきた。
須々木さんも今日、初めて欠席してた。なにか風邪でも流行ってるのかな。
それはどうという事もない、ただの雑談だったのだろう。事実、轟が盗み聞きしている話題も、欠席が最近多く、体調不良者が続出している。という話だった。
それを聞いた時、折角意識の外へ追いやろうとしていた華奈への心配が、また浮き上がってくる。轟は、どうしてこう心配ばかりしてしまうのかと、自分の妙な性分を恨んだ。
無気力で、情熱などという言葉の対極に位置している様な性格の癖に、妙なところで色々と考えてしまう。今も、そうだった。どうしても昨日の華奈が頬に貼っていたガーゼと、轟も敢えて言及はしなかったが、ストッキング越しに見えていたふくらはぎの傷。それに言及するのは、まるで轟が普段から華奈の足を見ているように思われても仕方ないので、敢えて言及しなかったが。
轟は勝手に進んでいく思考を止めようと、椅子に深くもたれ掛かり、目を瞑る。
華奈なら大丈夫だろう。自分が何か行動を起こさなくても、問題無い筈だ。そもそも、こういうのは担任の教師が務めるべきで、ただ図書室で一緒に暇を潰す程度の間柄である自分が出張るものでもない。
そう何度も言い聞かせようとするが、頭から華奈の傷跡の光景が消えない。考えたく無いと思っていても、無意識に華奈の事を心配する気持ちが消えてくれない。そんなことを考えたところで、何か出来る訳でも無いだろうに。そもそも、人を思い遣るなんて、自分の性分に合っていない。
——仕方ない。
眉を顰めて頭を掻き、轟は意を決して姿勢を正す。そして眠たげな眼を、女性教師が集まっているグループに向けた——華奈の担任が属しているグループだ。
「あの、すみません」
人とのコミュニケーションに慣れていない轟は、楽しそうに椅子を寄せて会話している華奈の担任の後ろへ立つ。ふと、自分の視界に影が差したことに気付いた彼女は、何事かと辺りを見渡した時、上から轟が覗き込んでいた。
「きゃあ」
目が合った担任は、甲高い悲鳴を上げ、慌ててその場を立つ。轟は相変わらず、半開きの目を彼女に向け、長身を起こした。
「鯖江先生。突然すみません」
そういって申し訳なさそうにしたつもりだったが、鯖江と呼ばれた彼女は、まだ驚きで鼓動が落ち着かないのを感じながら、轟を見返していた。
轟よりも年の若い彼女は、今年で教師歴が2年になる、新米だった。しかし持ち前の明るさと人懐っこさから、教師生徒共に人望が厚く、身長も低くてかわいらしい見た目から、人気もあった。ある種、轟とは正反対である。
少なくとも、鯖江から見た轟は、長身痩躯。ゆるいパーマがかった髪の毛で、重たい前髪から覗く眠たげな目つきは、そういうのが好きな層からは人気がありそうだったが、少なくとも自分とは正反対とすら思っていた。だからこそ、今日まで大した会話も行わず、敢えて接点を持とうとも思っていなかった。
その轟が、突然座っている自分の上へ覆いかぶさるようにして覗き込んでいたのだ。鯖江はようやく落ち着いてきた胸を撫でつける。
「は、はい。どうかしましたか?」
「須々木さん。今日、休んでるんですよね。いつも一緒に図書室で過ごすのですが、今日は居なかったから……なにか理由、ご存じですか」
轟は抑揚のない声で尋ねた。質問自体は至って普通、それこそ思い遣りのある発言だが、その場に漂う妙な緊張感と、彼の無気力そうな態度に鯖江は少し当惑した。普段、轟がこうして誰かと会話する姿を見かけない。特に、わざわざ誰かに生徒の事を尋ねるなんて。
「あ、はい、須々木さん。彼女、ちょっと体調が優れないみたいで。今日は家で休んでるって連絡がさっきありましたよ。特に深刻なことではないみたいですけど」
鯖江は努めて明るい調子で答えた。だが、緊張感が抜けない。轟はその言葉を受けて、少しだけ眉を上げた。だがそれは驚きや心配から来るようなものではなく、単に事実の確認をする為の、微かな反応だった。
「そうですか。わかりました」
不愛想とすら思える態度で、轟は鯖江から視線を外すと、踵を返してデスクに戻ろうとする。鯖江はそのあまりにあっけない態度に戸惑いを隠せないまま、その背中を見送る。
「びっくりした……」
蚊帳の外にされていた、鯖江の先輩二人が少し離れていたところから戻ってくるのを感じながら、鯖江は軽く笑みを浮かべた。だが、その表情とは裏腹に、彼女の心には轟に対する微かな違和感が残っていた。わざわざ須々木華奈の事を気にかけているというのは、彼女にとって不思議だったし、それ以上に轟の普段見ている態度——無気力で気怠そうな——と、わざわざ彼女の事を聞きに来た、という行動のギャップがあまりにも大きく感じられたからだった。
轟先生って、ああ見えて優しいんですね。
鯖江は先輩二人にそう言ったが、その二人とも、反対意見だというようにおどけて顔を顰めた。
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