まさおの口

 まさおの口には、ちょっと特徴的な歯が生えています。

 それは、ただの八重歯というにはあまりにも鋭く、まるで肉食恐竜の爪のように、つるんと内側へそり返ってもいるのです。


「おい、まさお! お前、人間じゃないだろ? ほんとは、ドラキュラの子だろ!」


 クラスのいじめっ子、だいすけくんはそんなまさおを笑います。

「違うよ! 僕は人間だよ!」

 まさおも負けじとそう言い返しますが、心の中ではちょっと不安です。というのは、まさおのお父さんとお母さんにも、同じような歯があるからです。



「──ねえ、僕は、人間なの?」


 家に帰って、家族で夕飯を食べているとき、まさおは堪りかねて言いました。

「ほんとは、ドラキュラの子なの?」


 一瞬の間があって、テーブルのご両親が笑います。

「何をいっているの、まさお? そんなこと、ある訳ないでしょう?」とお母さん。

「そうだぞ? 誰に何を言われたのか知らないが、人の身体の特徴を悪く言うのは最低だ。気にせず放っておきなさい」とお父さん。


 まさおは、とても安心しました。

 考えてみると、たしかにそんな訳ありません。

 なんてつまらないことを悩んでいたんだろ!

 まさおはパジャマに着替えると、さっさとベッドに入りました。ただ、いつもならすぐに寝るはずのお父さんとお母さんが、いつまでも、居間でなにやら話しこんでいるのが気になりました。



「ドラキュラってさ、血を吸うじゃん? てことは、きっとまさおも好物だ!」


 先生がプリントを取りに実習室をはなれたとき、だいすけくんがそんなことを言い出しました。

 だいすけくんには、やっぱり同じような友だちがたくさんいて、だいすけくんがはやし立て始めると、だいたいそれに加わります。


「ほんとキモいんだけど!」とたけしくん。

「てゆうかゲームの敵じゃん!」とひろゆきくん。

「言えてる言えてる!」とまた、だいすけくん。


 こうなると、クラスのみんなも笑います。クラスが笑うと、三人はよけいに勢いづいて、まさおをいじめるのが止められなくなるのです。


 三人の誰かが、本当に血を飲ませよう、と言いました。

 でも、誰の血? とまた誰かが言うと、

「まさおにまさおの血を飲ませよう」とだいすけくんが言いました。

 そのとき、ドアが開いて先生が戻って来ましたから、それ以上は何もありませんでしたが、まさおの心はどきどきでいっぱいでした。


 単に、怖かったからではありません。

 ご両親から、「絶対に人間の生き血を口にしてはいけないよ?」と注意されていたからです。



「そりゃ当たり前さ。血液を介した怖い病気、いっぱいあるからね?」

 夕食をつついて、お父さんが言いました。

「そうよ、まさお。別に人間だけじゃなくて、動物の血だって病原菌でいっぱいなのよ? 危ないものに注意するのは当たり前でしょう?」お母さんも言いました。

 

 言われてみれば、当たり前のことでした。

 なるほど、そうか!

 まさおはまたパジャマに着替えると、ベッドに入りました。

 ただ、せっかく寝ようとしているのに、何度もご両親がドアを開けて、すき間からこちらの様子を見てくるのが少し気になりました。



「おい、まさお。ちょっとこっち来いよ」

 

 ある夏の夕方のこと。

 神社の境内でやっているお祭りに行ったとき、まさおは運悪く、だいすけくんに出会ってしまいました。


 引っ張られるようにして神社のうらの雑木林に行くと、そこにはいつもの、だいすけくんの友だちが集まっています。


 けれども今日はその中に、別の顔がありました。

 なんだか身体がくさいので、みんなから「ゾンビ」と呼ばれている、けんたろうくんです。

 けんたろうくんは今にも泣き出しそうな顔をしていて、たけしくんにしっかりと手首をつかまれていました。


「オレさ、いっしょうけんめい考えたんだ!」だいすけくんが言いました。「誰の血を、お前に飲ませようかなって」


「そうしたらぴったりなヤツ、見つかったんだよね」たけしくんが言います。

「言っとくけど逃がさないぞ」

 後ろから近づいてきたひろゆきくんが、まさおにぎゅっと抱きつきました。


 だいすけくんはポケットを探り、真新しいカッターナイフを取り出します。

 辺りが暗くなってゆく中、その刃はやけにギラギラと光って見えました。


「や、やめてよ」

 まさおは言いました。

「もう帰らせてよ!」

 

 これから起こること、そしてカッターナイフが恐ろしかったのではありません。

 ご両親から、「一ヶ月のうち、この日は絶対見てはいけないよ」と教えられていたからです。

 そしてまさおは、生まれて初めて言い付けを破り、それを直接見てしまいました。

 

 暗い夜空にさん然とかがやく、を──



 次に気が付いたとき、まさおは自分の身体が、荒々しい毛並みに覆われていることを知りました。

 辺りには濃く甘い鉄のような匂いが漂っていて、それは自分の口の中からも感じられます。

 月明かりに照らされた雑木林のあちこちには、幾つものばらばらになった腕や足が落ちていました。

 まさおは、それが自分のやってしまったことだとすぐに解りました。


「ごめんなさい、ごめんなさい」まさおは泣きました。


 他の三人はともかく、けんたろうくんを巻き込んでしまった事がどうしても許せませんでした。


「また一から始めなおしだな」

 茂みの奥から、四つ足歩きで現れたお父さんが言いました。

「そうね。新しく棲む場所を探さないと」お母さんが言いました。

「さあ、まさお。いらっしゃい。あなたは悪くない。何も悪くないのよ──」

 まさおは泣きながら、その二匹を追って駆け出すと、林の向こうに広がる深い闇の中に消えて行きました。


 こうして雑木林からは誰も居なくなりました。

 むっくりと、けんたろうくんだけが身体を起こします。


「ああ、びっくりした。本当に死ぬかと思ったよ」

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