第三章

第10話 綾乃の一人旅

 綾乃のいない夜はいつ以来だろうか。一泊二日の一人旅。綾乃は明日の日中の用事のために前乗りしている。


 

 あるとしたら、今夜――。



 偶然とはいえ、目的地は関西。あの時以来T君の話題は出ていないが、綾乃は連絡を取ろうと思えばできる状態にある。亮介もあえて触れずにいたのは少しでも二人の再会の可能性を高めたいからだ。


 綾乃なら、きっと秘密裏に計画を進めてくれるはずだ。一樹によって目覚めさせられた亮介は、日頃から寝取られのどこに興奮するかを綾乃に説明している。綾乃もその会話の中で気づき、そして学んでくれているのではないかと淡い期待をしている。


 言葉の端々ににじみ出る寝取られのエッセンス――。


 それを綾乃が拾っていてくれているならば、今夜、T君とのセックス中に電話をかけてくるはずだし、それまではおくびにも出さないはずだ。



 午後8時過ぎ、綾乃からの電話がかかってきた。予想より早い時間帯だが、亮介は、期待が声に出ないように注意しながらボタンを押す。



 

「亮介? ご飯食べた?」


(周囲が騒がしい。居酒屋か?)「あぁ、さっきね。綾乃はどう?」


「うん、仲間で集まって飲んでるの。前夜祭って感じでね」



 亮介は、ちょっと自分の妄想が走り過ぎたと反省したのだった。そもそも寝取られは亮介の趣味であって綾乃のそれではない。そうであったら困るといえば困る。


「そっか。じゃ、楽しんでね。飲み過ぎないようにな。皆さんによろしくね」


「はーい。それじゃまた明日ね」


 互いにおやすみと言いながら電話は終わった。しかしまだ夜はこれからだ。明日に備えてそう深くまではならないだろう。亮介は、綾乃がという期待を捨てずに連絡を待ち続けた。


 風呂から上がると携帯のメール着信ランプが点滅しているのが見える。少しだけ胸を高鳴らせてメールボックスを開く。5件受信。


 深呼吸して開封する。店の人に撮ってもらったであろう集合写真。綾乃を含めて6名ほどの女性が笑顔で写っている。無事解散した報告ということだろうか。他にも、楽しそうな会話の様子、料理のアップ等の画像が添付されていた。



「ま、そりゃそうだよな」




 左眉頭だけ上げて微笑む亮介。さすがに今回は諦めよう、そう思った瞬間に目に飛び込んできたのは綾乃のバストアップ画像、それもセックス中と思われるものだった。


 髪を乾かしてもいない亮介だったが、慌てて綾乃に電話をかける。


(こちらはNT……)


 電源オフで繋がらず。まさしく自分が一樹にしたことと同じだ。この絶望感――。

 

 誰といるかはわかっている。

 どこにいるかもわかっている。

 何をしているかもわかっている。

 なぜ繋がらないかもわかっている。

 

 わかっていることだらけ。それなのに、画像1枚と回線断絶というシンプルな発火装置によって亮介の火薬は爆発してしまった。


「なんてつらいんだ……。怖い……」


 涙が頬を伝う。反比例するかのように亮介の男性自身は上を向きながら硬度を増していく。ある種コミカルなこの構図を嘲笑あざわらうかのように着信音が鳴る。


「綾乃!?」


 まだ電話に出てもいないのに亮介は声をかける。


「綾乃? 今……今なにしてる!!」


「もうそろそろお休みしようと思ってるよ……」


 気怠そうな、それでいて笑みがこぼれそうな綾乃の声。


「え、今、今、いま、ひと……り?」


「違うよ……二人」


 普通の人との分岐点だ。亮介の場合は、怒り狂い、電話を叩きつけんばかりのエネルギーを発散させる……とはならない。


「T君……と? 一緒……ってこと?」


「うん!」


 亮介の脳内では、ドーパミンが盛んに分泌されている。されまくっている。


「……綾乃……楽しんだの? 一緒に……」

 

「……燃えちゃった……」


「そう……よかったね……」


「ふふ、全然よかったって感じじゃないみたいだよ……?」


「いや、心の底からよかったって思ってる」


「そうなんだね。亮介が喜んでくれるのならあたしうれしい」


 長い友人でもない、しかも隣県ほど近くに住んでいるわけでもない全くの他人。そして一定の信頼が置け、相性の良い男性が存在している。そんな不思議な関係。綾乃にとって、亮介にとって掛け替えのない尊い存在だ。


「綾乃、愛してる。ありがとう。


「あたしもよ。愛してる」


「またこれから愛し合うの?」


「そうかも……」


「そうかも?」


「うん。ほんとはもうそろそろT君帰んなきゃだけど、あ……」


「帰んなきゃだけど?」


「……また……入ってきてくれた……から」


「綾乃……そのまま電話を置いて。ずっと聴かせて」


(ゴトッ)


 厚みのある木材の上に携帯を置いた時のような音が今宵の遊戯のスタート。そこからは綾乃とT君の息遣いと甘い言葉の応酬。湯冷めしそうな亮介の体は芯から熱くなっていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る