第10話 陰陽師

「知ってるんでしょ?滝夜叉姫たきやしゃひめの居場所」


 瑠偉るいの一言は重々しく響き、恵一達の胸に冷たい刃を突き刺したようだった。


 隣に立つ伸二しんじも鋭い視線を恵一達に向けてきた。その目は全てを見透かすかのようで三人は思わず硬直してしまう。


 滝夜叉姫の居場所を知っている――


 だが、それを口にすれば彼女は殺されてしまう。


 言葉を飲み込む恵一、神楽、紗彩。彼らの脳裏に様々な思考が駆け巡るが答えを出せないまま沈黙が続いた。


 その時、不意に背後から声が響いた。


「どうしたのみんな?」


 驚いて振り返るとそこには見慣れた制服を着た女先輩の姿があった。


 背筋が伸び、整った表情の彼女は一見普通の先輩に見える。しかし、恵一達はその顔に見覚えがあった。


 ――滝夜叉姫だ。


 その姿は化けたつもりの滝夜叉姫そのものだった。


「ここで何をしてたの、恋バナ?」


 その先輩はごく自然に話しかけてきたが恵一達は明らかに違和感を感じ取っていた。その一方で瑠偉と伸二もただ冷静に彼女を見据えていた。


「隠れるつもりならもう少し工夫したらどう?」


 瑠偉が冷ややかに呟く。


 滝夜叉姫は微笑みながら少しだけ首を傾げて答えた。


「隠れているつもりなんてないよ、むしろ話せて嬉しいくらいだ」


 その言葉に場の緊張がさらに高まる。


 滝夜叉姫の平然とした態度はこれから何かを仕掛ける意図を感じさせた。


「さて、どうするの?私を殺すと言ってたよね?」


 滝夜叉姫の挑発的な言葉に瑠偉の目が鋭く光る。伸二も手を弓の影にかけ、臨戦態勢に入る。


 恵一達はその状況に挟まれながらただ次の一瞬を見守るしかなかった。


 瑠偉と伸二は目の前の異常事態に反応するよりも先に迷いなく動き出した。


霊装れいそう着衣ちゃくい


 瑠偉の制服は液状の影に包まれるように変形し、戦闘服へと変化する。


 足元には例の車輪が再び現れ、高速回転を始めた。伸二も同様に影を纏い、弓を構える。だが、目の前の滝夜叉姫は挑発するかのように自信満々の微笑みを浮かべているだけだった。


「強そうだね~、出来れば君達は巻き込みたくないかな」


 次の瞬間、恵一達は滝夜叉姫とともに廊下の奥へと飛ばされていた。


「えっ!? なんでここに……!?」

「!?」

「どうゆうことだ……!」


 驚いて周囲を見渡す恵一達だが瞬間移動のような気配すらなかった。ただ、気付けば先程まで立っていた場所から滝夜叉姫の手によって“移動”させられていたのだ。


「これで大丈夫かな」

「「!?」」


 そして気配を察知した瑠偉と伸二が振り返って廊下の奥に立つ滝夜叉姫に目を向けた。


「奴の能力なのか……?」

「どの道、ここで倒せば終わりよ!」  


 瑠偉は迷いなく脚を振り上げ、回転する車輪を滝夜叉姫に向けて素早く振り下ろした。その鋭さはまるで鎌のように空間を切り裂くかのようだった。


 だが――。


 滝夜叉姫は静かに前へ進み、瑠偉の攻撃を片手で受け止めた。


「……嘘」


 瑠偉の脚に取り付けられた車輪はなおも回転を続けている。しかし、滝夜叉姫の手は微動だにせず、その威力を完全に封じ込めている。


「少し脚を振り上げる動作を速くした方が時短になるよ」


 滝夜叉姫は涼しげな声でそう言うと軽く手を振り払った。瑠偉の体はそのまま後方へ弾き飛ばされ、空中でくるっと一回転して着地をする。


「俺がる!!」


 伸二は即座に矢を放つ。影で作られた黒い矢が滝夜叉姫へと向かい、鋭い速度で飛んでいった。


 矢は驚異的なスピードで滝夜叉姫の腹部を貫く筈が手前で霧散して塵と化して消えてしまった。


「何っ……!」


 伸二の顔に一瞬、焦りの色が浮かぶ。それを見て滝夜叉姫はゆっくりと首を傾げながら小悪魔のような笑みを浮かべた。


「影の矢ね。面白いけれど私には通じない」


 言葉が終わるや否や、瑠偉と伸二は同時に滝夜叉姫へ近接戦を仕掛ける。瑠偉の車輪が鋭く唸りを上げながら彼女を狙い、伸二の弓は鋭利な短剣のように変化して横腹へと刃先を振るった。


 二人の息の合った攻撃は鋭く、滝夜叉姫に迫るが彼女はそれをあまりにも軽々と受け流し続けた。


「二人は息ぴったりだね、付き合ってんの?」


 彼女は全く表情を崩さない。むしろ、どこか楽しんでいるようにさえ見えた。その圧倒的な強さと自信に、恵一達の胸には再び恐怖が押し寄せる。


 瑠偉と伸二は息を合わせて同時に回し蹴りを繰り出して滝夜叉姫の顔面を狙う。


 攻撃の鋭さとスピードはまさに一瞬で決着をつけようとする勢いだった。


 その瞬間、滝夜叉姫は余裕の笑みを浮かべながら後方の恵一達に向けて軽く振り返ると一言だけ呟いた。


「耳を塞いだ方がいいよ?」


 その声に反応した恵一、紗彩、神楽の三人は条件反射的に耳を強く塞いだ。その直後、滝夜叉姫が拍手を軽く打ち鳴らす。


パァン――!


 鋭く高い音が旧校舎全体に響き渡り、瞬く間に空気を震わせる。その音波はまるで見えない刃のように周囲を切り裂き、空間そのものを揺るがす程だった。


「ぐっ……!」

「がっ……!」


 瑠偉と伸二はその音波をまともに受け、耳や鼻から血が滴り落ちた。二人はその場に膝をつき、痛みに耐えるように肩を震わせる。


 後方の恵一達も耳を塞いでいたものの完全に影響から逃れることはできなかった。


 耳の中に響く鈍い痛みとともに手のひらを見れば赤い血が滲んでいる。


 滝夜叉姫はその様子を見ても微笑みを崩さず小さな遊びに興じるかのような余裕を見せている。


「どうしたの? もう終わり?」


 その言葉に瑠偉と伸二は顔を上げようとするが体が言うことを聞かない。


 滝夜叉姫の力の前に二人はもはや抵抗する気力を失っていた。


「……降参」


 瑠偉は悔しそうに顔を歪めながら呟いた。


「俺たちじゃ、相手にならない……ってことか」


 伸二も静かに続けた。


 二人が降参を口にした瞬間、彼らの体を覆っていた服が液体のように流れ落ち、元の制服姿へと戻った。


 滝夜叉姫は満足そうに微笑むと手を軽く振って旧校舎の静寂を取り戻す。


「これで少しは私の話を聞く気になったかい?」


 その声には一切の焦りや苛立ちは感じられなかった。


 ただ圧倒的な支配者としての威厳が漂っていた。


 恵一達の胸には新たな恐怖と共に疑問が渦巻いていく……。


 滝夜叉姫は、一体何者なのか――。


 そして、滝夜叉姫の自室に案内された恵一達。全員、耳や鼻の血が乾きかけた状態で応急処置を受けた。


 滝夜叉姫は意外にも器用な手つきで包帯を巻いて薬を塗りながら微笑みを絶やさなかった。


「ほら、じっとして。……これでよし!」


 その明るい声とどこか人間味あふれる様子に緊張していた雰囲気も少し和らいだ。


 部屋の中を見渡すとそこには滝夜叉姫の趣味が色濃く反映されていた。壁にはポスターや絵が飾られ、本棚には漫画やゲームソフトがぎっしり詰まっている。


「さて、じゃあみんなでゲームしようか!」


 滝夜叉姫が軽く手を叩くと棚からコントローラーを取り出し、全員分を配り始める。唐突な提案に瑠偉と伸二は一瞬驚いた顔をしたがため息をついて了承した。


「仕方ないな……」

「まあ、負ける気はしないけどね」

「俺達もやるの?」

「当たり前じゃん!」


 ゲームが始まると滝夜叉姫の腕前はまさに超人的だった。あらゆる操作を完璧にこなし、全員が束になっても太刀打ちできない。


 結局、恵一、紗彩、神楽、そして瑠偉と伸二の全員が滝夜叉姫に敗北を喫した。


「おかしい……あれは人間の反射神経じゃない……!」


 伸二が疲れたように呟くと滝夜叉姫は勝ち誇った笑みを浮かべた。


「当然でしょ! 私、こう見えてもゲーム大会出てるから!」

「人間じゃないのに出たんですか……」


 その言葉に全員が驚愕しつつも納得するしかなかった。


 しばらくゲームを楽しんだ後、瑠偉がふと滝夜叉姫に問いかけた。


「……なんで貴方はそんなに人間が好きなんです?」


 滝夜叉姫は少し考える素振りを見せた後、あっさりと答えた。


「だって人間の作る娯楽って面白いじゃない? ゲームとか漫画とか音楽とか。こんな素晴らしいものを作れるんだから人間って凄いよ。だからこそ、死なせたくない」


 その理由のシンプルさに全員がなんとなく考えていた答えだった。


 その間際に恵一は瑠偉にふと思い出したかのように尋ねた。


「そういえば俺達の教室に異形が出た時、倒してから幻覚のように全部もとに戻ってましたけどアレって何ですか?」

「あぁ、あれは伸二に一時的な時間の操作をすることが出来る陣を作ってもらってその結界内で私達は戦ってたんだよ。それとあの異形は裂鬼れっきっていう異魂いこんが集まって一つになったものでね。あの時の奴はまだ弱い方だけど中にはめっちゃ強い奴もいるから気を付けて!」

「は、はい……」


 数十分が経ち、そろそろ帰ろうという雰囲気になった頃、紗彩がふと提案した。


「今日も祓屋はらいやの仕事があるから神楽と恵一は先に帰ってていいよ」


 その言葉を聞いた瑠偉が何かを思い出したかのように口を開いた。


「そういえば、私達も祓屋というか陰陽師おんみょうじの組織に属してるんだよ」


 その発言に神楽と恵一は多少驚きつつも表情を大きく変えなかった。しかし紗彩は目を丸くし、絶叫するように反応した。


「えええっ!?陰陽師!!?」

「私は征伐隊せいばつたいの五番リーダーで伸二は二番リーダーなの」


 その話を聞いた紗彩は口をぽかんと開けたまま固まり、神楽と恵一は互いに顔を見合わせて苦笑した。


「陰陽師ってなんだ……?」

「多分凄い組織なんだと思う」


 こうして、滝夜叉姫と過ごした奇妙な時間は終わり全員それぞれの思いを抱えながら旧校舎を後にしたのだった。


 ◇◆◇◆◇ 


 東京の街中にある一軒の古びたビル。その中にひっそりと佇む事務所のドアを瑠偉と伸二が無言で押し開ける。


 中は薄暗く、天井の蛍光灯の一部が切れているため陰鬱いんうつな雰囲気が漂っていた。


 室内の奥には長机を囲むようにして三人の人が集まっていた。


 最初に口を開いたのは乱れた黒髪に無精ヒゲ、そして深緑色の瞳を持つ男。目元のクマは疲労の蓄積を物語り、年配者特有の威厳が漂よわせながらソファに腰を下ろしたまま、彼は二人を見上げて尋ねた。


「滝夜叉姫はどうだった?」


 瑠偉と伸二が答えようとした瞬間、突然ズガァァァン!!と机が音を立てて壊れる。見ると、机に踵落としを食らわせた一人の女性が腕を組み、椅子に座っていた。


なんじらは滝夜叉姫を殺せなかったのか?」


 その声は冷たく鋭い。彼女はサラサラの黒髪ロングに三つ編みを一本加えた独特な髪型をしており、黒髪には返り血のような赤い斑点が散っている。その目は狂気にも似た光を帯び、瑠偉達を睨みつけていた。


「すみません、やなぎさん。斑鳩いかるがさん……」


 隣で伸二が謝ると瑠偉は彼女の視線を正面から受け止めつつ、静かに言葉を紡ぐ。


「やっぱり……滝夜叉姫は殺さなくてもいいと思います」


 その言葉に柳と呼ばれる男は顎に手を当てて深く考え込む。


「いいか、……滝夜叉姫は【妖神ようじん】の一種であり、【まが】の一極だと説明した筈だぞ。全く……」


 彼の声には怒気は含まれていないがどこか諦念ていねんのような色が混ざっていた。


 その言葉を聞いた瑠偉も視線を伏せて答えにきゅうする。


 一方、部屋の隅でソファに横たわっていたもう一人の男が楽しげな声で口を開く。


「柳さん、今度俺とり合いませんか?」


 彼は鮮やかな赤と黒のツートンカラーの短髪に赤と黄色のオッドアイという奇抜な見た目の青年だ。彼の軽薄そうな笑みと態度が部屋の空気を更に歪ませる。


 柳は手をひらひらと振りながら、軽く彼をあしらう。


「後でな」

「えぇーまたですか??」


 そのやり取りが一旦収まり、再び沈黙が訪れる部屋。その緊張感の中で瑠偉と伸二は次に何を言うべきかを迷っていた。


 滝夜叉姫を殺すべきか、あるいは彼女を見逃すべきか――。


 答えの見えない問いが重くのしかかっていた。


「なら、僕が行くよ」


 静寂を破る声が響いた。


 先程机を破壊した女性、斑鳩がソファから立ち上がる。その動作は無駄が無く凛とした佇まいから彼女の確固たる決意が伝わってくる。


 柳は彼女に視線を向け、少し意外そうな顔をしながらも言葉を漏らす。


「行ってくれるのか」


 斑鳩はその問いに対して迷いのない表情で軽く頷いた。


 彼女の黒髪が動きに合わせて揺れ、微かに光を反射する。


「滝夜叉姫を放置すれば日本壊滅。それに……僕には僕なりの目的があるから」


 そう言い放つ彼女の目には冷たい光が宿り、彼女がただ命令に従うだけの存在ではないことを感じさせた。


 部屋の空気が一瞬にして緊張感に包まれる。


 柳はその表情をじっと見つめるが、やがて静かに目を閉じ、短く言葉を返す。


「……任せたぞ」


 そのやり取りを聞いていた赤と黒のツートンヘアの青年は、にやりと笑みを浮かべながら斑鳩に声をかける。


「面白そうですね、手伝ってほしかったら声をかけてくれていいんですよ?」

「結構です。夜久間やくまさん」


 斑鳩は彼を一瞥いちべつしたが彼女は適当に返して静かに部屋を後にした。その背中からはただならぬ覚悟と冷酷さが滲み出ていた。


 背中を見送った瑠偉と伸二は下を向きながら心の隅で滝夜叉姫の心配をしていた。


斑鳩狂麼いかるが くるまさん。彼女は他と違いました……だから、殺さないで欲しいです…………。


 ◇◆◇◆◇ 


 日も暮れて暗くなった頃、恵一は風呂から上がってパジャマに着替えながら濡れた金髪をタオルで拭いてリビングに戻った。そこでは日葵さんがテーブルに肘をつきながらスマホを器用にいじっている姿が目に入った。


 キッチンではエマと紗彩が楽しそうに協力しながら鍋料理を作っており、リビングのホットカーペットではルカ、神楽、鵺の三人がトランプで遊んでいた。


「風呂でたぞ」


 恵一が軽く声をかけると神楽がカードを手元に伏せながら軽く返事をした。しかし、その動作に反応した鵺が若干強めに抗議する。


「まだ勝負ついてないぞ、カグラ!!」

「風呂入ってからでいいだろ~」


 神楽は軽く受け流すと勝負そっちのけでリビングを後にした。


 そのタイミングで夕食の準備を終えた紗彩がエプロンを脱ぎながら元気な声を上げ、ルカと鵺の元へ駆け寄った。


「私が代わりにトランプ参加するよ!」

「ならいいじゃろう」

「相手別に神楽じゃなくていいんだ」


 鵺の切り替えの速さに思わずルカは口を隠して小さく笑った。


 そんな賑やかな光景を横目にしているとエマがひょいと近寄ってきた。彼女は何か言いたそうに恵一を見上げ、耳元でささやくようジェスチャーをする。


 少し身を屈めて耳を傾ける恵一にエマは衝撃的な事実を告げた。


「滝夜叉姫っていう妖神いるでしょ?」

「なんだ、知ってるのか?」


 恵一が少し驚きつつ応じるとエマは一瞬間を置き、透き通った声で続けた。


「前に少しだけ話したことがあるんだけど……今、彼女が殺されかけてるよ」

「え……?」


 その一言は心臓を掴まれるような衝撃を与えた。


 恵一の表情が一瞬で硬直する。


 賑やかだったリビングの喧騒も彼にとっては遠く感じられるようだった。







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