第9話 奇妙

 裂鬼れっき謳声うたごえはまるで人間の鼓膜を砕くかのように教室全体を包み込んだ。その異質な音は人々の神経を直接刺激するようで先生は悲鳴すら上げる間もなく目と耳から血を流して崩れ落ちた。


 生徒達の中には頭を抱えて床に座り込む者もいれば叫び声を上げながら出口に殺到する者もいた。


「な、何……!」


 紗彩は両耳を押さえながら恵一を見た。だが恵一は既に立ち上がり、裂鬼に向けて鋭い視線を投げかけていた。


コイツ――ッ!今までとはまた違う。別の異形!!


 次の瞬間、裂鬼はぎょろぎょろと動く三つの目で教室内を見回し、逃げ惑う生徒達を捉えた。


 すると襤褸衣ぼろぎぬが凝縮され、瞬く間に無数の針のような形状に変わり、逃げ出そうとする生徒の脳天を狙って伸びて行った。


「くっ……!!」


 迷いなく動いた恵一の体は一瞬で変身し、変貌を遂げた。


 恵一は裂鬼の襲撃を寸前で察知し、瞬時に前へ飛び出すとその鋭利な針を片手で受け止めた。衝撃で教室内に強風が吹き荒れるが彼はびくともしない。


「オマエみたいな奴はぜってえ敵って知ってんだよ!!」


 恵一の声が怒りに震えていた。


 裂鬼は人間とは思えない恵一の変身した姿に一瞬たじろぐが、すぐに体を振り回し、さらに鋭利な襤褸衣を次々と繰り出した。それでも恵一は迷わずその全てを捌き、逆に裂鬼に向かって拳を振り下ろした。


 その一撃は教室の床を揺るがすほどの威力だったが裂鬼は奇妙な動きで後方に跳び、間一髪で回避する。


「鏖鰲鼇媼~戌櫂世~」


 不気味な謳い声を再び響かせ、教室中のガラス窓を一斉に割った。


 恵一が険しい表情で裂鬼を追いかけると紗彩が震えながらも立ち上がって他の生徒達に肩を貸した。


 すると裂鬼が再び攻撃態勢に入り、三つの目が赤く光り始めた。それを見た恵一は深呼吸をし、拳を強く握りしめる。


 だが瞬きした瞬間には裂鬼の襤褸衣が恵一の胸部を深々と貫き、その衝撃で恵一は床に膝をついた。口元から滴る血を拭う間もなく、彼は必死に突き刺さった襤褸衣を両手でしっかり掴み、その動きを封じ込めた。


「神楽、今だ……!!」

「任せろ!」


 恵一の声に反応して神楽は素早く動いた。右腕に装着されたスマートウォッチに触れると画面から光の粒子が溢れ出し、次第に形を変えてスナイパーライフルとなった。その動きは流れるようで一瞬の躊躇ちゅうちょも無かった。


 神楽は冷静に銃を膝に乗せて裂鬼の動きを見極めながら狙いを定めた。


 そしてトリガーを引くと発射された銃弾は裂鬼の肩を正確に捉え、鋭い音を立てて貫通した。


 その衝撃で裂鬼の体が一瞬揺らぐ。


 が、その傷口はすぐさま襤褸衣で覆われ、瞬時に修復されてしまう。


「チッ!もう一発――!」


 神楽は苛立ちを抑えながらコッキングレバーを引いて空の弾薬を外に出させて再度狙いを定めたその時、裂鬼の顔に異変が起きた。


 顔の中央付近、口の無い筈の部分が円を描くように襤褸衣を収縮させ始めた。


 やがて、そこから発せられたのは破壊的な超音波だった。その音波は神楽の体を直撃し、彼を容赦なく後ろのロッカーへと叩きつけた。


「がっ……!」


 木製のロッカーが破壊され、中の物が崩れ落ちる音と共に神楽も体勢を崩してしまう。銃を握った手が震えてまともに立ち上がることができない状態だった。


「神楽!!」


 紗彩が叫びながら駆け寄ろうとするが裂鬼の三つの目が鋭く光り、彼女を睨みつけた。


 その不気味な視線に恐怖を覚え、一瞬動きが止まる。


 廊下で避難した生徒達の間には動揺と恐怖が広がる中、何人かは震える手でスマホを構えてその異様な光景を撮影していた。


 その間にも裂鬼の動きは止まることなく、襤褸衣が蛇のようにうねりながら紗彩に向かって伸びていく。


 紗彩は恐怖に震えながらも両手を前に突き出し、何とかそれを防ごうとしたがその瞬間、旧校舎の一室で目を閉じていた滝夜叉姫が静かに目を開いた。


「私が行く必要があるかと思ったけど……どうやら大丈夫そうね」


 彼女の唇から紡がれるその言葉と同時に教室の床に鋭い亀裂が走り始めた。その音に恵一も神楽も裂鬼も目を向けると次の瞬間――


 床から巨大な丸鋸まるのこのような物体が飛び出し、裂鬼の襤褸衣を一瞬で切り裂いた。裂鬼は苦痛の叫びを上げながら後退し、その異変に恵一達も驚愕きょうがくした。


「な、何だ……?」


 神楽がうめくように言葉を漏らす中、床を突き破り現れたのは一人の女性だった。


 その女性は制服姿ではなく、異世界の戦士のような独特な装いを纏っていた。


 全体的に黒を基調としたデザインに深い紺色のアクセントが施され、高めの襟元が印象的だ。


 胸元や肩には金属製のチェーンや飾り紐が掛けられ、ボタンも同じく金属製で軍服を思わせる風格が漂う。


 腰にはミニスカートを合わせつつもコートのような裾が広がり、動きやすさと威圧感を両立している。太ももや胴体にはストラップ風の装飾が施されており、その姿は洗練されたデザインの中に力強さを感じさせるものだった。


「さて、ここからは私の出番よ!」


 その言葉と共に彼女の足元で常に回転している車輪のような物体が鋭い音を立てた。よく見るとそれは炎で形作られたチャクラムのような武器だった。


 黄色と黒の炎が絡み合い、実体のない不思議な質感を持つその武器は一瞬の隙も見せず彼女の動きを支えている。


 その車輪は彼女の外側の右足にくっついていたが内側にも一つ、更に左足の内外にも二つずつ装備されており、計四つが常に回転していた。


 その奇妙な装備はただの装飾品ではなく、彼女の能力そのものを象徴するかのように輝きを放っていた。


 裂鬼は瞬時に彼女へと標的を変え、すぐに恵一から襤褸衣を無理やり引き離してそれをぐるぐると巻き上げ始めた。


 やがて襤褸衣は巨大なドリルのような形を作り上げ、裂鬼はそれを回転させながら勢いよく彼女に向かって撃ち出した。


「危ない!」


 恵一が叫ぶ。


 だが、彼女は微塵みじんも動揺することなく、余裕の表情を浮かべたまま足を振り上げた。


「遅いわね!」


 次の瞬間、外内に取り付けられた二つの車輪が一つに重なって一気に回転を加速させ、火花を散らしながらドリルに立ち向かう。


「ギャリギャリギャリッッ!!」と鋭い金属音と炎の車輪と襤褸衣のドリルが相殺し合い、激しい火花が周囲に飛び散る。


「これで終わりよ!」


「バキンッッ!!」とドリルを弾き返した彼女は一気に裂鬼との距離を詰める。


 彼女の足元に回る二つの車輪がさらに加速して目にも止まらぬ程の速度で彼女の動きに合わせて炎の刃が音速を超える勢いで裂鬼へと足を振りかざす。


 影双荒輪えいそうこうりん壱番いちばん 天裂アマノサキ 


 空気が少しだけ揺らぐと裂鬼の体は真っ二つに裂け、そのまま勢い余って校舎の壁まで切り裂かれる。


 大きな断裂音だんれつおんと裂鬼の断片が地面に崩れ落ち、襤褸衣はゆっくりと消滅していった。


 風が入ってくる教室の中、彼女は足元の車輪を静かに停止させると振り返りながら恵一達に一言だけ呟いた。


「無事でよかった」


 すると目の前の光景が一瞬で変わり、校舎は何事も無かったかのように戻っており空も快晴で恵一達は席に座っていて授業もいつも通りに進んでいった。


 途中、恵一は紗彩や神楽の方を見るとやはり二人は動揺していたがそれ以外のクラスメイトや先生は普通にしていた。


あれは夢だったのだろうか――。


 自室で目をゆっくり開けた滝夜叉姫は晴れた空を見上げながら後ろの気配に気付いてゆっくりと話し出した。


「やぁ、女神様。私に何か用でも?」


 滝夜叉姫の後ろに居たのはエマであり、エマは少し真剣な顔で滝夜叉姫の背中を見つめていた。


「いえ、特に理由はありませんが貴方はどうしてになってまで人との関わりを得ようとしてるのかなって……」

「ふーん、バレてたか。まぁ君も遠隔で此処に居るんでしょ?」

「勿論。私は留守番をしなくちゃいけないので」

「そうなの、偉いねぇ~~」


 滝夜叉姫は振り向いて拍手をした。しかしエマは真剣な顔を変えようとしなかった。


「本当に貴方は人に危害を加えないって言いきれるの?」

「まぁ私はね。は無理だろうけど……その内、結界が破れて復活するからね。此処は一つ。私と協力してくれない?」

「一緒にまがを倒せと?貴方だってその一体なのにどうして?」

「……鳴間紗彩あの子じゃ無ければ私の能力は使えないの。それに人間が死んじゃうのも悲しいからねぇ~~」


『禍』

 五つの地区にそれぞれ封印された日本の人口の約七割を消した神に近い歪んだ存在達。その内の一角である高校ここに封印されている滝夜叉姫。その本体は誰も姿を見たことが無いと言う…………。


 エマは滝夜叉姫に鋭い視線を向けながら消えていったのだった。


 授業が終わって休み時間となり、教室内がざわざわと生徒達の会話が溢れる中、恵一は紗彩と神楽を目で促して教室の隅に集まった。


「なぁ、さっきのって夢なのか?」

「どうだろうな。でも、俺と恵一の傷が無くなってるから何とも……」

「まぁ先生や他の人達何事も無かったかのように過ごしてるから夢なのかも!」


 恵一も神楽も言葉を詰まらせた。あの出来事の現実味と今の平穏な教室のギャップに戸惑うばかりだ。


 その時、教室の扉が静かに開く音が響いた。


 三人が視線を扉の方に向けるとそこにはあの先輩が立っていた。


 彼女は普段の制服姿であり、無言のまま三人に手招きをしている。


 恵一達は顔を見合わせて扉の方へ向かった。


 彼女は何も言わず、無表情で手に持っていた紙を恵一に渡した。


「これは…?」


 恵一が紙を開くとそこには黒々とした文字でこう書かれていた。


『放課後、旧校舎の空き教室集合 瀬川瑠偉せがわ るいより』


 その名前を見て三人は顔を見合わせた。


「貴方って……」


 恵一がと呟こうとする前に先輩は笑顔で手を小振りさせながらきびすを返し、廊下の向こうへと去って行った。


「放課後……旧校舎か」


 恵一は紙を握りながらこれがただの偶然ではないことを悟っていた。


 午後の授業も終わって放課後に恵一達は旧校舎に足を踏み入れる恵一は一瞬、冷たい空気に包まれたような感覚を覚えた。


 突然、耳元で「ギリギリギリッ……!」と弓を引く音がした。


 思わず振り返ると目の前には黒髪で短髪、緑がかった毛先と青い瞳を持つ先輩らしき人が立っていた。


 彼もまた、先ほどの女先輩と同じように黒と深い紺色が基調の衣装を着ていた。


 だが、女先輩のものとは少し違い、袖を折り返しラフに着こなしている。カジュアルでありながらどこか威圧感のある姿だ。


 その人の肩に乗っている小さな狼が恵一をじっと見つめているのもまた、不気味だった。


 青年は冷たい眼差しで恵一を見つめ、彼の存在を認めていないかのようだった。


 恵一は思わず固まってしまう。だが、壁に寄り掛かっていた女先輩が冷徹な声で叫んだ。


「やめなさいよ、嶺岸君みねぎしくん!」


 その声に弓を構えていた嶺岸と呼ばれた彼は少し驚いた様子で弓を下ろし、冷徹な視線を恵一から外した。


「……すまない。少し、警戒しすぎた」


 恵一は肩の力を抜いて深呼吸をした。


 先ほどの緊迫した空気から一転、女先輩がにっこりと笑顔を浮かべたことで少し心が落ち着いたような気がした。


「ごめんね、びっくりしたでしょ?」


 恵一は少し戸惑いながらも軽く頷いて返事をした。心の中で少しだけ安堵するがまだ警戒を解くことはできなかった。


「いえ、大丈夫です……」


 その間に嶺岸と呼ばれる男が持っていた弓を畳むと影のように消えていった武器に恵一は目を見張った。あの武器が実体を持たないというのはただの幻覚ではないだろう。


 嶺岸は冷たい目で恵一達を見守るように立っていたが女先輩は話しを続けた。


「うーん、ここで話すなら問題ないね!」

「さっさと済ましてくれ」


 女先輩は恵一達を見ながら軽やかに続けた。


「私は君達に手紙を渡した瀬川瑠偉せがわ るいって言うの。先輩だけど軽く接していいよ」

嶺岸伸二みねぎし しんじだ」


 恵一達は戸惑いながらもその言葉に少しほっとし、少し姿勢を整えて返事をしようとした。


 しかし、まだ自分達がどうしてここに呼ばれたのか疑問が多かった。そんな恵一を横目に瑠偉はすぐに続けた。


「私は君達のこと、知ってるよ!」


 その言葉に恵一は一瞬、目を丸くした。紗彩と神楽も驚いた表情を浮かべており、明らかに予想外の反応だった。


「えっ、どうしてですか?」


 紗彩が思わず聞くと瑠偉はにっこりと笑って、さらに語りかけた。


「それはネットに今君達がつい最近、東京駅付近で暴れている動画が拡散されているからだよ!」


 その言葉に恵一はルカとの話しを思い出して少し息がしずらくなった。


「さて、それじゃあ本題に入ろうか!」


 瑠偉が手を叩くと制服を着ていた筈が上から黒い影が覆いかぶさるとあの時の戦闘服に一瞬で変わっていた。


 驚く三人だったがすると瑠偉は指を恵一達にビシッと指してその口から意外な言葉が発せられた。


「滝夜叉姫はどこだい?」


 その瞳の奥では何かが渦巻いてるように見え、三人の背筋は凍った。


「滝夜叉姫?」


 神楽の聞き返しに瑠偉がコクリと頷いた。


「そいつは人間に害をもたらす存在だから殺さなくちゃいけないの」

「…………」




























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