第8話 滝夜叉姫

 次の日の朝、紗彩はぼんやりとした頭で朝食を口に運んでいた。昨夜のことを思い出そうとするものの記憶の断片が霧の中に消えていくようで何か大切なことがあった気がするのに思い出せない。


 彼女の視線の先では神楽とルカがソファに並んで腰掛け、軽い朝食をつまみながら重火器について語り合っていた。


「あの銃、威力も精密さも申し分ないし改良の余地はあるけど実際どうやってできてるかわかんないんだよね」

「そうだね。人間がより扱いやすくするための反動の軽減、後は威力とかも底上げするとより便利な武器になるよ」


 真剣な話題なのに、どこかリラックスした雰囲気が漂う。


 一方でダイニングテーブルの近くではまったく別の光景が繰り広げられていた。


 恵一、エマ、そして鵺がサンマをめぐって激しい攻防戦を繰り広げていたのだ。


「このサンマ、俺が先に箸をつけたんだぞ!」

「いやいや、サンマは私が焼いたんだから優先権は私にあるでしょ!」

「貴様らどちらも間違っておる!サンマを食うのは一番強いこの我じゃ!!」


 鵺がを能力の戦鎌振りかざす真似をして、半ば本気の表情で言い放つ。


「ちょ、鵺!?能力ここで出してんじゃねぇ!!」

「だったら我に渡すんじゃな!」

「いいや、私が食べるべきだから!!」


 恵一が突っ込むがエマも負けじと箸を構え直して一歩も引かない構えだ。


 そのやりとりをぼんやり眺めていた紗彩はふと笑みを浮かべた。このにぎやかな日常は彼女にとって心地よくもあり、どこか不思議な感覚を覚えさせた。


 昨夜の記憶が完全には戻らないままでも目の前の光景が少しずつ彼女を現実に引き戻していく。そして、仲間たちの声が温かな空間を満たしていく中で紗彩の胸にほんのりとした安心感が広がっていった。


 紗彩は目の前の光景をぼんやりと眺めていたがふと現実に引き戻されるとルカの方を二度見して大きな声で叫んだ。


「え、誰ェェェ!!?」


 その瞬間恵一、エマ、そして鵺は驚き、取り合っていたサンマを空中に放り投げてしまった。


 エマが慌てて手を伸ばしたがサンマは見事に弧を描き、鵺の口の中に吸い込まれた。


「はむっ!」

「「おい!」」


 恵一とエマが同時に声を上げ、鵺の両頬を引っ張る。


「なんひゃ! にゃげ捨てたのはきしゃまらだろ!!」


 口の中のサンマを飲み込みながら鵺が抗議するが二人は手を緩める気配がない。


 その騒ぎの音に反応して、神楽とルカも驚いて振り返る。


「あ、そういえば……」

「紗彩にルカのこと、まだ説明してなかった!」


 ルカは穏やかな笑みを浮かべる。


「いやー、お邪魔してます」


 紗彩は混乱した様子でルカを指さしながら後ず去る。


「 いつから!? ていうか、誰なの!? どっから来たの!?」


 神楽が軽く咳払いをして場を落ち着けようとする。


「えっとルカは昨日から一緒にいるんだ。まぁ、色々あってね。説明するから座って落ち着けよ」

「色々って何!?」


 紗彩はまだ半信半疑の様子でルカを見つめたがルカは手を振りながら柔らかい声で言った。


「そんなに警戒しないで。ぼくは危ない奴じゃないから、ちゃんと話すよ」


 そして、にぎやかな朝の一幕は説明会の雰囲気に変わっていった。


 恵一達は朝の光を浴びながら学校への通学路を歩いていた。朝はずっと紗彩に事情を説明していたから神楽と恵一はげっそりとしていた。それからはルカをひとまずエマと鵺と共に留守番させて来たのだ。


「疲れた……」

「そうゆうことならちゃんと言って欲しかったんだけど!!」

「ゴメンて……」


 すると遠くから怒号が聞こえてきた。道の先を見るとバイクにまたがった二人の男が高校生らしき生徒を囲んでカツアゲしているのが見えた。


「カツアゲか?」

「いい男が何してやがるッ!」

「ちょっとけいちゃん!能力使わないでね!!」

「わかってるわ!」


 恵一は即座に制服の袖をまくり上げて足を一歩踏み込んだ。


 しかし、その瞬間だった。道の曲がり角から別の学生が現れた。


 彼は明らかに高校生らしき姿だが制服らしい服装とは言い難かった。黒い長ズボンに赤いシャツと黒いパーカーという自由すぎる格好。


 ポケットに手を突っ込み、何とも気だるげな表情を浮かべている。髪も染めているようで先端が少し明るい茶色になっている。


 そのヤンキー風の学生はカツアゲしている二人をちらりと見ると一言も発さないまま近付ていく。そして、突然そのままのポケットに手を突っ込んだまま軽く片足を振り上げた。


 一瞬でバイクにまたがっていた二人の男は学生に蹴られて吹っ飛び、地面に転がった。バイクもバランスを崩してガシャンと音を立てて倒れる。


 恵一達はあまりの光景に思わず立ち止まる。


 ヤンキー風の学生は倒れた男たちを見下ろし、ポケットから手を抜くとポキポキと指の関節を鳴らし始める。


「朝っぱらから騒がしいんだよほら、金寄こせや」

「コイツ、の将軍じゃねぇか……!」

「すみません!今、これしか持ってなくて!!」


 その冷たい声に怯えた二人の男はさっきカツアゲした奴の財布を渡すと慌ててバイクを起こして逃げるように走り去った。カツアゲされていた生徒はその場に座り込んで震えている。


 恵一は勇気を振り絞って止めに入ろうとするが、ヤンキーは怯えた生徒の前に屈みこむと財布を持ち主に返したのだ。


「ほら、コレオメーのだろ」

「は、はい……」

「次からは取られんなよ」

「あ、あぁりがとうございます!」


 生徒は震えながらも感謝を述べた。その場を立ち去ろうとするヤンキーの後ろ姿を見つめている内に恵一と紗彩は薄々気付いていた


 彼はただの人間ではない。その内側には化け物のような何かが潜んでいると――


 生徒が埃を払って学校に駆けていくのを遠くで見送った後、恵一たちもほっと胸を撫で下ろし、通学路を再び歩き始めた。


 高校ではいつもと変わらない日常が始まった。


 ホームルームが終わり、授業が流れて昼休みになった頃恵一、紗彩、神楽の三人は一緒に弁当を広げようとしていた。


 だが、昨日の騒動から助けたクラスメイト四人組が恵一の元に集まってきたのだ。


「昨日は本当にありがとう! おかげで助かったよ!」

「なあ恵一。お前、本当は何者なんだ?」

「もし良ければ私と連絡先交換しない!」

「恵一って変身できんのか!?見してくれよ!!」


 次々と感謝と疑問の声が投げかけられる。恵一は焦りつつも苦笑いを浮かべながら周りを見渡す。視線がこちらに向いて目立ちたくなかった恵一はふと一つの言葉を口に出した。


「まぁ、ヒーローってことで……」


 それ以上の詮索は避けるように軽く流すと彼らも納得したのかそれ以上追及してくることはなかった。ほっと一息つきながら、三人でようやく昼食を始めようとする。


 だが、紗彩は突然動きを止めた。箸を持ったままの手が止まり、少し険しい表情を浮かべる。その姿にふと神楽が声をかけた。


「紗彩、どうした?」


 紗彩は首を振るが、頭の中に響く声に戸惑っていた。


 ねぇ、ちょっと話しがあるから来て欲しいなぁ~。


 その声は昨日旧校舎で会ったあの謎の女の人のものだった。頭の中に直接響く声に困惑する紗彩は突然立ち上がると無言で弁当を持つとそのまま教室を出て行ってしまった。


「え、ちょっと紗彩!? どこ行くんだよ!」


 驚いた恵一が慌てて声を上げるが紗彩は振り返りもせず廊下を歩き去る。


「どうする?」


 神楽が尋ねると、恵一は弁当を手に持ちながら答えた。


「追いかけるしかないだろ! 今日アイツなんか変だし!!」

「だな!」


 二人は急いで弁当を片手に持ち、紗彩の後を追いかけた。


 追跡の末、辿り着いたのは学校の旧校舎だった。ひんやりとした空気が漂う中紗彩は迷うことなく足を進め、二階へと向かう。その後を恵一と神楽が着いて行く。


「どこ向かってんだろ……」

「さあな……」


 恵一と神楽は後ろで喋りながら紗彩の背中を追って行くと一番奥の角部屋の前で立ち止まった。


 扉の前で一瞬ためらった後、紗彩は深呼吸をして扉を開ける。


 その瞬間、昨日と同じ光景が広がった。


 窓際に寄り掛かる謎の女性。


 白と黒を基調に赤い線が入った巫女装束のようなものに優雅な着物の美しい柄が加えられたようなデザイン。黒の長いスパッツに腰に巻かれた紺色の帯は長くたなびいており、袖がない変わった物で美しい紅緋色の目を青空に向けながら腕を組み、悠然とした雰囲気を纏っている。


 その姿を目にした瞬間、紗彩の脳裏に昨日の出来事が鮮明に蘇った。


「あの人……誰だ?」

「わかんねぇけど、多分。人間じゃねぇ」


 女の人は柔らかな微笑みを浮かべながら一歩ずつ三人へと歩み寄った。


 その瞬間、恵一が紗彩の前に立ちはだかり、片手を突き出して女の人を制止させる。彼の目には警戒の色が宿り、全身が緊張で張り詰めていた。


「それ以上近づくな!」


 鋭い声が教室の空気を切り裂く。


 女の人はその様子を見て立ち止まり、表情は崩さないまま腰に手をやった。


「流石だね」

「あ?」

「君みたいな人間うつわの存在に対する警戒心が普通の人より強いのは凄いことだ。……私の存在に何かご不満でも?」


 そう呟き、腰から自分の胸に手を当てる。そして恵一と神楽に視線を向けながら自己紹介を始めた。


「私は滝夜叉姫。かつてこの地でまつられていた存在だよ。心配しないでね、君達を襲って食べちゃおうって考えは無いから」


 そう言ってニヒヒと笑う顔にはどこか妖しさが漂うが敵意は全く感じられない。


 その言葉を聞き、恵一の緊張は少しずつ和らいでいった。


 彼は変身しようと構えていた体を緩め、片手を下ろすと紗彩の前から庇うような姿勢を解く。


「……信じていいのか?」


 恵一の問いに、滝夜叉姫は小さく頷いた。


「信じるかどうかは君達次第。私はただ、この時を待っていただけだから」


 滝夜叉姫が再び紗彩に歩み寄るとその場の空気が少し柔らかくなったように感じられた。紗彩は勇気を振り絞って滝夜叉姫に聞いた。


「貴方はどうして私を呼んだの?」


 滝夜叉姫は笑みを崩さず穏やかな声で答えた。


「んーそれはね、ここでは話すにはちょっと居心地が悪いからさ」


 彼女はそう言うと紗彩の肩に軽く手を置きながら答えた。


「とりあえず、私の部屋でゆっくり話そうよ」


 その言葉に戸惑いつつも紗彩は頷いた。滝夜叉姫は振り返って軽い足取りで部屋を出て行く。紗彩と恵一、神楽はその後を追い、旧校舎の廊下を進んでいった。


 辿り着いたのは反対方向の空き教室。滝夜叉姫が扉を開けるとそこには予想外の光景が広がっていた。


 教室の中はまるで誰かの個人部屋のように飾られており、生活感すら漂っていた。床にはふわふわのカーペットが敷かれ、部屋の隅には多くの漫画が最新話まで本棚に並んでいる。壁際には大きなテレビが置かれ、その隣には最新のゲーミングPCが光を放っていた。中央には小さなテーブルと座椅子があり、ベッドの上には可愛らしい人形が何個か置いてあった。


 紗彩は思わず目を見開いた。


「ここで住んでるの?」

「そうだよ。私は学校ここから出れないからね~、友達に装飾を手伝って貰ったんだ~へへへっ!」


 恵一と神楽は呆然とその部屋を見渡しながら滝夜叉姫の奇妙な生活ぶりにただ驚くばかりだった。滝夜叉姫は空いている椅子を指差しながら自分もベッドに腰掛けた。


「さ、座って座って!話はそれからだよ!」

「…………」


 三人は中心の座椅子に座り込んで弁当を下に置くと滝夜叉姫はそれを見て呟いた。


「もしかしてお昼まだだった?いいよ、食べな!」

「え、でも……」

「いいの、いいの!」


 三人が持ってきた弁当を机に並べると滝夜叉姫はその様子をじっと見つめていた。紗彩達は食事を始めたがふと恵一が視線を感じて振り返ると滝夜叉姫が弁当に釘付けになっていることに気付いた。


 滝夜叉姫の瞳は輝き、よだれこぼれそうな様子を隠しきれていない。恵一は少し口元が緩み一言尋ねた。


「食うか?」

「……ハッ!だ、大丈夫だよ~気にしないでぇ~」


 我に返り、首と両手を激しく振りながら笑顔を作るがその瞬間、腹の音が部屋中に響いた。


 紗彩と神楽が思わず顔を見合わせて吹き出しそうになりながら恵一が声を掛ける。三人はそれぞれのおかずを少しずつ分け、滝夜叉姫に差し出した。


「わざわざごめんねぇ~。ありがとう」


 滝夜叉姫は目を輝かせながら紗彩がくれた割り箸を割って早速おかずを一口食べる。


「おいしいね!これ、君が作ったのかい?」


 明るい声と表情をしながら滝夜叉姫は紗彩に尋ねる。紗彩は少し戸惑いながらも小さな声で答えた。滝夜叉姫はその様子に満足げに頷き、意気揚々と宣言した。


「じゃあ後でしっかりお返ししないとね!」


 そんな微笑ましい雰囲気の中、四人は和やかに弁当を食べ進め、気付けばあっという間に完食していた。滝夜叉姫の賑やかな様子に最初は警戒していた恵一や神楽も次第に打ち解けていく。


 昼食を終えた滝夜叉姫は満足げに腹をさすりながら微笑んだ。その姿に紗彩達は不思議な親近感を覚えた。


 だがチャイムの音が校舎から聞こえ、紗彩達は慌てて立ち上がった。そして、滝夜叉姫に別れを告げると三人は慌てて教室を目指して走り出した。


 なんとかチャイムと同時に自分たちの教室に滑り込むことに成功した。


 授業が始まり恵一達は安堵するが滝夜叉姫は旧校舎の窓辺に立ち、空を見上げながら静かに呟いた。


「……気を付けてね。これから忙しくなるよ」


 彼女の目線の先では高校の上空を中心に黒い雲が渦巻き始めていた。その様子は不気味で何かを予兆しているかのようだった。


 同じ頃、理科室では制服を着た一人の女子先輩が実験器具を準備しながら外の空を見つめていた。淡黄色たんこうしょくの髪に水色のリボンで結んだその先輩は目を細めると小さく呟いた。


「この気配、まさか”三慱怪さんだんかい裂鬼れっき”が出た!」


 その不気味な気配は学校中に広がり、恵一達のクラスにも異変を伝えていた。紗彩が窓の外を何気なく見上げるとさっきまでの晴天が嘘のように暗雲が広がり始めていた。それを見たクラスメイトたちもざわざわと動揺し始める。


 だが突然、雲が一瞬で晴れて日差しが戻ったかのように静けさが訪れた。まるで何事もなかったかのような一瞬の平穏。


 しかし次の瞬間――。


 教室の空気が凍り付いた。恵一がノートから黒板に目をやると教卓の上には灰色の襤褸衣ぼろぎぬまとった不気味な存在が姿を現していた。は四肢が鋭く、異常に長い体をしており、顔の片側に三つの目がぎょろぎょろと動いていた。


 その光景に目の前の先生や生徒達は固まり、先生がチョークを落とした瞬間だった――


「蔼爱暧鰲媪䢙頒鈑ー」




















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