第7話 時の差と生業

 黒猫怪異は不気味な笑い声を響かせながらその場で軽く体を揺らし、夏桜恵一とルカを嘲笑うかのように見下ろしていた。その異様に伸びたり縮んだりする身体は明らかに常識を超えている。


「打撃が通じないなんて、厄介すぎるぜ……!」


 恵一は歯を食いしばりながら立ち上がり、冷静さを保とうと努めていた。


 ルカは腕を組み、黒猫の動きをじっと観察していた。その瞳には冷静な分析の光が宿っている。


「どうやら、単純な物理攻撃は全部無効化できる体質みたいだね」

「そんなの見たらわかるわ!」

「なら、どう対処すべきか君が考えてごらん」

「人任せかよ!!」


 苛立ちを覚えつつも恵一は鋭利な鉤爪を輝かせ、一気に間合いへと詰めた。空気を切り裂くような速度で繰り出した一撃は黒猫怪異の腰を正確に断ち斬った。


 ――だが、その傷口は一瞬の内に塞がって元通りになってしまう。


「名案だと思ったのにっ!」


 悔しげに舌打ちする恵一。その間にも黒猫怪異は腕をぐにゃりと伸ばし、蛇のような動きで彼に襲いかかる。だが、腕が伸びる速度はそれほどでも無かった。


そんぐらいの速度なら空中でもかわせる!!


 空中で身をよじって腕を躱した恵一だったがその伸びた腕は壁に激突した反動で方向を変え、勢いを増して彼の胸を強打した。


「ぐっ!」


 衝撃で吹き飛ばされ、床に叩きつけられる恵一。痛みに顔をしかめながらもすぐに立ち上がろうとする。


 その様子を見た黒猫怪異は、ますます愉快そうにケラケラと笑い声を響かせた。


「クソが!!どうしたらいいんだ!?」


 恵一は苛立ちながらも思案するが答えは見つからない。ルカもまた、隙を狙おうとしていたが黒猫怪異の異常な動きに翻弄され、手を出せずにいた。


 その時、闇の中から静かに見つめていた影が動き出した。すると謎の人物が低い声で恵一達に呟いた。


「手伝ってやるよ」


 恵一とルカはその声に気付き、一瞬だけ視線を向けた。その瞬間、黒猫怪異もまたその声の主に注意を向ける。


「気は逸らしたぞ少年」

「!!」


 謎の人物が作ってくれた一瞬の隙を逃さなかった恵一は黒猫怪異の首を強く掴み、鋭い爪で抑え込みながら天井を突き破って一気に空高く跳び上がる。


「テメェは退場だ!!」


 恵一の叫びと共に視界に捉えた体育館目掛けて黒猫怪異を全力で投げ飛ばした。その体は矢のように一直線に飛び、体育館の屋根に激突しながら内部へと突き進んでいった。


 その瞬間、音楽室を覆っていた黒い縄がふっと力を失い、クラスメイト達が解放された。


「キャッ!」

「助かった……!」


 黒い縄はまるで意思があるかのように黒猫怪異が消えた方向へと吸い込まれるように去っていった。クラスメイト達は恐怖に震えながらも命を拾ったことに安堵していた。


 ルカは自分の獣耳を見られないようフードを被って素早くクラスメイト達の無事を確認し、一人一人の顔を見て声をかけた。


「もう大丈夫だ。こんなところにはもう来るなよ」


 その間に恵一も再び音楽室へ降り立った。自分の力を徐々に収めながら、クラスメイト達の無事を確認してほっとした表情を浮かべる。


 ふと目線を影の方へ向けた彼は間を置いて眉をひそめた。さっきまでそこにいたはずの謎の人物の姿は霧のように消え失せていたのだ。


誰なんだろう……まぁ、良い奴なんだろうな。


 クラスメイト達を安全な場所へと誘導しようとする恵一とルカ。しかし、その中の一人のクラスメイトが何かを思い出したかのように驚き、恵一に指をさしながら叫んだ。


「お、お前って……もしかして、あのニュースになってた奴じゃないか!?」

「は? 何のことだよ……」


 恵一がいぶかしげに聞き返すとクラスメイトはポケットからスマホを取り出し、画面を操作して見せた。


「これだよ! 見てみろ!!」


 スマホの画面には変身した恵一がぬえと戦っている様子を撮影した動画が映し出されていた。それだけではなく、その動画はすでにネット上で拡散されており、再生回数やいいねの数が異常なスピードで増えていくのが確認できた。


「え、いつ撮影なんかされてたんだ……」


 恵一の顔から血の気が引いていき、蒼白になった。


 ルカは画面を覗き込み、再生されている動画を目にすると苦笑いを浮かべた。


「いやー、これはまずいね。君の正体バレバレじゃないか」


 画面には次々と流れるコメントが映し出されていた。


『この力、人間じゃないだろ!!』

『新しいヒーローか?』

『いや、コイツ絶対ヤバいやつだよ!』

『あの戦ってる子めちゃ可愛くない!?』


「うわぁぁぁっ!!!」


 恵一は頭を抱えながらその場にしゃがみ込み、現実を受け止めきれずに声を上げた。


「こんなのバレたら普通の生活なんて終わりじゃねえか! 誰が撮ったんだよ!!」

「おそらく逃げ遅れた人かもしくは野次馬やじうまだろうね」


 ルカは冷静な顔で恵一に呟いたが内心では状況の深刻さに気付いていた。


「とりあえず、君達を安全な場所に届けてからどうにかこの状況を考えよう」

「もうヤダ、誰かころちて……」

「弱気にならない。ほら、みんなも着いて来て~」


 ルカはズルズルと恵一を引っ張りながらクラスメイト達を校舎の外まで案内した。


「この世の終わりだよ。俺、平凡な学生生活送りたかっただけなのに……」


 そのぼやきにルカは笑いを堪えきれず、クスッと声を漏らした。


「まぁ、平凡じゃないのは今に始まったことじゃないでしょ?」


 こうして二人は改めてクラスメイト達を安全な場所に連れて行くことを優先しつつ、ネットニュースの問題をどうするか悩むことになった。


 クラスメイト達を校舎の外まで送り出すと彼らは何度も振り返りながらも一目散に元いた場所へ駆けて行った。その後ろ姿を静かに見送る恵一とルカ。


 しかし、その視線の先で問題の黒猫怪異がどうなったのかを確かめようと校舎に目を向ける。


 すると校舎の入り口付近に一人の男が立っていた。黒髪の髪先だけが黄色く染まり、オレンジ色の瞳が妖しく光っている。男は黒を基調としたジャケットを羽織り、白いシャツに紫の市松模様のネクタイを合わせたスーツ姿だった。


 その姿はただの人間には見えない不気味な雰囲気を纏っていた。


「やぁ、螺旋塔都市ティンダロスの猟犬の飼い主と神の使いさん」

「「!!」」


 男は薄く笑いながら恵一とルカに視線を向けた。そして、手を軽く挙げると軽やかに口を開いた。


「本当はもう少し観察する方がにはベストだったけど……。まぁ、一度顔を合わせておきたくてね」


 次の瞬間、空間が歪むと恵一とルカは体育館の中に転送された。


 足元には古びた木製の床、そして目の前にはさらに異形と化した黒猫怪異がいた。


 その身体は異様に肥大化し、腕の数が増えて全体の形状がますますおぞましく複雑になっている。


 体育館の二階部分に立っていた男が片手を黒猫怪異にかざすと黒猫怪異はさらに変貌を遂げ、その口元からは不気味でより重々しい笑い声が漏れる。


「これで少しは遊び甲斐が出たかな?」


 そう言って男は手を軽く振り、恵一とルカの前から姿を消した。


「待て、あの男……!」


 恵一が叫ぶが男はもうどこにもいない。そして、目の前に立ちはだかるのは巨大化した黒猫怪異だった。


「ルカ、これどうする……?」

「どうするって、やるしかないでしょ!」


 ルカが拳を握りしめて強く言うと恵一も再び変身しようと構えたその時――。


「恵一ィィィィ!!!」


 耳をつんざくような破壊音と共に体育館の窓ガラスが割れた。ガラス片が舞い散る中、そこに現れたのは神楽とエマ、葬祭惨禍そうさいさんか朱棺しゅかんの『焔鴉ホムラガラス』を使用する鵺だった。


「ふぅん、どうやら面白いことになってるね恵一」

「敵どこじゃァァァ!!」


 エマが微笑みながら鵺の背から降り立ち、神楽も鋭い目つきで黒猫怪異を見据えた。


「お前ら……!」

「はいはい、恵一は休んどけって」

「君は恵一の友達かい?」


 エマの質問にルカは小さく頷いて目線を背けた。


 神楽はエマに向かって小さな声で指示を出した。


を頼む!」

「おっけ~~」


 エマは静かに頷くと手から青い光の粒子を放った。それらは宙を舞いながら神楽の両手の間で集まり始めた。瞬く間に粒子は形を成し、黒を主体としたボディに赤いラインが入ったスナイパーライフルへと変貌した。


 神楽は即座にライフルを構え、黒猫怪異の巨体を狙った。そしてスコープを覗いて神楽がトリガーを引くと――。


 轟音と共に撃ち放たれた銃弾は真紅の炎に包まれて音速で黒猫怪異の腹部を貫いた。貫通した弾痕だんこんから黒い液体が噴き出し、苦しげに唸り声を上げる。


 その瞬間、黒猫怪異は無数の異形の手を素早く伸ばして神楽とエマに襲いかかろうとする。


 だが、そこに鵺が猛然もうぜんと駆け込んだ。


 彼女の手には刃が紅蓮に燃え盛る戦鎌が握られている。鵺は強靭な脚力で地面を蹴り、無数の手の間をすり抜けると一閃でそれらを粉々に斬り裂いた。


「攻撃が甘いぞ!!」


 鵺の声が体育館内に響き渡る。その隙を見逃さず、エマが前に一歩進み出る。彼女は右手を鉄砲の形に構え、黒猫怪異の頭部を正確に狙うと静かに呟いた。


削除デリーション


 その一言が引き金となったかのように黒猫怪異の頭部が突然破裂し、断末魔の叫びを上げながら巨体が崩れ落ちた。


 体育館の床に響く轟音と共に黒猫怪異は完全に動かなくなった。


 神楽がスナイパーライフルを肩に担ぎながら冷静な表情で怪異の残骸を見下ろす。


「これで終わり……か?」


 エマが微笑みを浮かべながら鵺に目を向けた。


「まぁ、これくらいなら朝飯前ってところかな!」

「神は恐ろしいのぉ~」


 恵一はその光景を呆然と見つめながら改めて三人の実力に驚かされるのだった。


 ぐちゃぐちゃになった黒猫怪異はもはやまともな形を保てず、床に散らばっていた。が、そのうちにゆっくりと回復し始め再び元の姿を取り戻しつつあった。


 復活しようとする様子に恵一は再び変身しようと動き出すが突然エマが手を前に突き出して止めた。


「ちょっと待って!」

「なんで俺の変身阻止すんだよ!!せっかく使えるようになったのに!」


 エマは静かに確かな意志を持って言った。その視線はルカに向けられており、ルカはその呼びかけに少し驚いた表情を見せた。


「君、強いでしょ?なら、助けてほしいなぁ~」

「完璧に成り済ましたかと思ってたのに……」

「バレバレだよ~~~」


 エマが微笑んで言葉を続けるとルカは少しだけ間を置いてから頷いた。無言でフードを外し、兎の耳が現れて同時に顔を見せると彼の両目に異様な光が灯り始めた。


 その目にはまるで時計の針のように回る不思議な軸が現れ、カチカチと音を立てるたびに周囲の空間が微かに歪んでいく。ルカは静かに黒猫怪異へと歩み寄り、その足音が響くたびに周りの空気が一層重くなるようだった。


 そして、ルカの目から放たれる視線が黒猫怪異を捉えると突然、時間の流れが狂い、時空がひとしきり歪んだ。周囲が揺れ、次の瞬間には黒猫怪異の姿が完全に消え去っていた。


 その場に残るのは、静けさと頭に残る頭痛だけ。


「何が起こった???」


 恵一は驚きの表情でその光景を見守ったがすぐにルカが静かに振り返り、落ち着いた声で言った。


「これでいいでしょ女神様」

「うん、ばっちぐー!」


 月時つきどきルカの能力。それは時間の女神『月詠つくよみ』の力の一部であるもの。しかし、その破片でさえも強大な能力でありこれにはエマも少々驚きを隠せなかった。


まさか、一部の力でもこんなに強いなんて、流石月ちゃんだね……


 その頃、紗彩が一人祓屋の依頼を終えて帰宅途中だった。何か不思議な感覚に引き寄せられるように彼女の足は勝手に動き始めた。


 普段なら帰路を急ぐところだがなぜかその日だけは何かに導かれるように学校に戻ることに決めた。


「早く終わったし、序に神楽と帰ろうかな~」


 彼女はぼんやりと呟きながらいつも通る道とは違う方向へと足を向けた。意識の中で違和感があったがそれを無視して、学校の校舎に着くが何故かその奥にある今は使われていない旧校舎へと足を運んだのだ。


あれ、神楽の入ってる電子科学部ってどこだったっけ……?


 気付けば紗彩は旧校舎の中に入っており、足音が響き渡る中、彼女は迷うことなく二階の角部屋へと向かった。


 扉に手をかけるとなぜかそれが開く感覚があり、紗彩はそのまま中に踏み込んだ。部屋の中は夕日によって照らされており、窓から漏れる風がカーテンを揺らしている。その風に身を任せているように立っている人物がいた。


え、誰だろう…………?


 彼女の姿は紗彩が見たことのない美しい女性だった。


 黒髪に一部の赤髪が風に揺れ、右頭の先には翼のような黒い一角が生えており、左頭には青い彼岸花のような花飾りが刺さっていた。


 彼女の服装は白と黒を基調に赤い線が入った巫女装束のようなものに優雅な着物の美しい柄が加えられたようなデザイン。黒の長いスパッツに腰に巻かれた紺色の帯は長くたなびいており、袖がない変わった物で彼女の衣装はとても複雑で異質だった。


 その瞬間、紗彩はその女性の瞳に吸い込まれたような感覚に襲われた。美しい紅緋色の目が僅かに動くと紗彩をじっと見つめた。


 そして、女の人は微笑みながら手を振り、優雅に振り返ると紗彩に向かって静かで優しい声で呟いた。


「ずっと待ってた甲斐があったよ。を扱える人間が此処を見つけてくれるなんて何十年ぶりだろう」


 その言葉が紗彩の心に響いた。『魂魄』。それは紗彩が知っている言葉だった。魂と魂が交わる力、古くから伝わる武術の一種。


 だが、魂魄を扱える人間は限りなく少ない。


 その言葉が意味することは簡単に理解できるものであったが、女の人は紛れもなく――。


 人間では無いことは確信していた。


 この女の人、間違いなく人間じゃない。敵意はなさそうだけど彼女を見ているだけで体の震えが止まらない……!


 心の中では恐怖と警戒が入り混じった感情が湧き上がっていた。


 女性は微笑みを崩さず、少しだけ歩み寄りながら答えた。


「私の名前は滝夜叉姫たきやしゃひめ。呼び方は何でもいいよ~」

「滝夜叉姫……」

「君が使うその『魂魄』の力。実は色々な事が汎用性があってね、私の目的に協力して欲しいの」


 心の中に強い直感が湧き上がる。それが何か恐ろしいことを意味しているのではないかと少しだけ警戒心が高まった。


「あなたの目的……?」

「そう、おのずと説明するからまた今度ね」

「は、はい……」


 紗彩はまだ気付いていない。


 彼女の正体、それは古くから伝わる最恐の◆◆であることに――。

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