第6話 黒猫
ルカは焦った表情で息をつきながら額の汗を拭った。そして、恵一に急かすように目を向ける。
「急がなきゃ、廃校に行こうとしてる生徒たちを止めないと!」
「わ、わかったよ!」
恵一はまだ完全に理解できていなかったが、危機感が伝わってくるルカの必死な様子に何か重大なことが起こりそうだと察していた。そして恵一は急いで屋上の階段へ向かおうとする。
すると、ルカは肩を大きく落としてため息交じりに言った。
「階段なんて使う暇ないよ。全く……」
「じゃあどうしろって!?」
彼は真剣な顔で屋上の縁を指差した。
「おいおい、まさか飛び降りるってのか?」
恵一は驚いてルカの提案に目を見開いた。しかし、ルカは迷いのない目で頷くと同時に軽く微笑んだ。
「大丈夫だよ。君だって既に人間じゃないんだし」
恵一は一瞬ためらったが自分の中にある
「ハアァァァ……」
瞬く間に恵一の姿は獣のような異形に変化していき、鋭い牙と爪が生えて顔は仮面に覆われると六つの赤黒い瞳はギラリと正面を向いた。
その変身の間際、恵一はスマホを取り出すと神楽に素早くメッセージを送った。そして、素早くスマホをポケットにしまうとルカの顔へと視線を向けた。
ルカは満足そうに頷くと恵一と一緒に屋上から地面を踏みしめて大ジャンプをした。二人は風を切り裂くように空を舞い、地面に向かって落ちていく。
「着地しっかり頼むよ!」
「わかってる!!」
着地した二人は勢いよく通学路を駆け抜けるが夢中で走っているうちに思わず大通りへ飛び出してしまった。その瞬間、正面から大型トラックが猛スピードで迫ってくる。危機一髪の状況に、恵一は瞬時にルカの手を強く掴んだ。
「飛ぶぞ!!」
恵一は足を踏み込むとその瞬間に体内の呪いが足一点に集中すると空気抵抗を無視して一気に二人は空へと跳ね上がった。風が激しく体を吹き抜ける中、トラックはすれすれで通過していった。事故を免れたことに安堵する暇もなく空中で体勢を整えた二人は再び地面へと安全に着地した。
しかし、その異常な速度と派手な跳躍は通行人たちに目撃されてしまった。驚いた表情で立ち止まる人々の視線が二人に集中するが、ルカは特に気にする様子も無かった。
恵一も視線を逸らしてルカに着いて行く。ルカは走っている道中で恵一に助けられた礼を言った。恵一も小さく頷いて二人は脇道を駆け抜け、廃校に向けて一層スピードを上げる。
それから脇道を抜けて山道に入るとしばらくして小高い丘に辿り着いた。そこには「立ち入り禁止」と書かれた看板が無造作に倒されており、誰かが通った痕跡がくっきりと草をかき分けて道を作っていた。荒れた道は不自然なほど新しく、最近人が入った形跡が明らかだった。
「ここだな……」
ルカが低く呟くと恵一も鋭い目で周囲を見回した。
変身を解いた恵一は一歩踏み出して草むらを掻き分ける。その瞬間、視界の端に何かが映った。足を止め、振り返ると草の間に埋もれるようにして古びた石壁が立っていた。よく見るとその石壁には錆びた文字で「
「これが、あの廃校か……」
恵一は小さく息を飲む。
辺りには不気味な静けさが漂い、二人の背筋をじわりと冷たい感覚が走る。まるで校舎そのものが彼らの侵入を拒んでいるかのようだった。
迷わず恵一が覚悟を決めて前進するとルカも無言で頷き、二人は足を踏み出して廃校へと続く道に入った。奇妙な緊張感の中、草むらを進むたびに心臓の鼓動が少しずつ速くなっていく。
草むらを抜けると視界が一気に開けた。そこには広い校庭が広がり、奥に古びた校舎が異様な存在感を放ちながら立っていた。
校庭は荒れ果て、雑草が無秩序に生い茂り、風に揺れる音が耳に届く。かつて子どもたちの笑い声が響いていたであろう場所は不気味な静寂に包まれていた。校庭の中央には錆びた鉄棒と倒れた遊具が残されており、時が止まったかのような光景を描いている。
「……この静けさ。嫌いだぜ」
恵一が呟くとその声は風にかき消されるように薄く響いた。
校舎は黒ずんだ木造の壁と割れた窓ガラスが時間の経過による崩壊が至る所に見られる。しかし、それ以上に異質なのはその建物が醸し出す得体の知れない気配だった。まるで生きているかのように校舎全体がわずかに脈動しているように見える。
「嫌な感じだ……」
ルカが低い声で言いながら、一歩前に進んだ。
足を踏み入れるべきか、何かが心の奥で警鐘を鳴らしていたが二人の決意は揺るがなかった。そして彼らはその異質な校舎の入口へと向かっていった。
昇降口に足を踏み入れるとそこはすでに異様な空気に包まれていた。壁や天井にはびっしりとツタが絡みつき、自然光を遮っているため、ほとんど暗闇に近い。さらに中から吹き抜ける風は凍える寒さとは違い、何か不気味な冷たさを含んでいて恵一の肌をぞわりと逆立てた。
「暗すぎるな……」
恵一はスマホを取り出し、ライトを点けて前方を照らした。
「気を付けて。何が出てもおかしくないから」
ルカが低く呟き、鋭い目で辺りを警戒する。
二人は息を殺しながら一階の廊下をゆっくりと進み、教室のドアを一つずつ開けていった。机や椅子は散乱し、
「誰もいない感じがするが?」
「でも確かに君のクラスメイトたちの行動は視えていたんだ……」
すべての教室を確認した後、二人は階段へ向かい二階のフロアを同じように探索し始めた。しかし、ここでも特に異常は見当たらない。ただ、廃校特有のカビ臭さと不気味な静けさが二人の気を重くするだけだった。
「此処もなんもねぇ……」
「なら後は三階だ――」
「キャアアアアアッ!!」
「「!?」」
突然、三階から女性の悲鳴が響き渡った。驚きで一瞬固まる二人だったがすぐに我に返ると一気に階段を駆け上がった。重い足音が廃校の静寂をかき乱し、手に汗が滲む。
三階に辿り着くと廊下の奥から何かを引きずるような不快な音が微かに聞こえてきた。
引きずる音の正体を突き止めようと二人は音のする方向に足を急がせた。その先にあったのは音楽室のプレートがかかった古びたドア。廊下全体に漂う湿気と腐敗臭が音楽室の前で一層強くなっている。
「ここからだな……」
ルカが眉をひそめ、ドアノブに手をかける。しかし、扉は固く閉ざされていてびくともしない。
「開かない!」
「俺がやる!こういうのは力業で行くしかねぇだろ!!」
そう言うと恵一は思い切り扉を蹴り飛ばした。
「ガンッ!」と古びた扉は勢いよく外れ、鈍い音を立てて内側に倒れ込む。その瞬間、室内の異様な光景が二人の目に飛び込んできた。
「なんだこれ……!!」
思わず声を漏らす恵一。
音楽室の中央、埃をかぶったピアノの近くには黒い縄のようなものが
よく見ると、それは恵一のクラスメイト四人組だった。彼らは黒い縄に縛り上げられ、無力に吊り上げられている。目は閉じられているが時折苦しそうに顔を歪める姿から完全に意識を失っているわけではないことが分かった。
「おい!お前ら、大丈夫か!?」
恵一が叫ぶが、返事はない。
すると背後から突然、冷たい何かが恵一の肩を掴んだ。その感触に一瞬ゾクリとしたが反射的に体を捻って掴まれた手を振りほどく。そして恵一瞬時に振り返るとそこには天井からぶら下がる異形がいた。
それは音も無く現れ、黒猫の姿をしていたがどこか怨念の集合体のような不完全な形をしていた。手には幾つもの傷があり、大きな丸い目は白目が際立ち黒い瞳孔が細く鋭く光る。
さらに恐ろしいのはその口だ。笑みを浮かべたかのように大きく開かれた口の中には人間の歯がぎっしりと並び、そのほとんどが血にまみれていた。
「コイツがッ……!!」
恵一は喉が渇くような感覚を覚えながら、声を絞り出した。
黒猫の怪異は首を不気味にぐにゃりと曲げながらゆっくりとこちらを覗き込む。その首の動きは蛇のようで異常に長く、伸縮自在のように見えた。
「君が噂の黒い化け猫だね」
ルカが身構え、恵一の隣に立つ。彼の目は鋭くすでに戦闘態勢に入っている。
黒猫怪異は首を左右に揺らしながら笑い声をあげた。だがその笑い声はどこか異常で不気味さが背筋を凍らせる。
「恵一も変身して!」
「応!!」
すると体全体がゆっくりと持ち上がり、細長い手足が壁を這いながら伸びていった。音楽室全体がその存在に飲み込まれるような圧迫感に包まれる。ルカは目の前の異形を見据えながら、低く呟いた。
「奴はネットの都市伝説で空想上の存在のはずなのに……」
「空想だろうが現実だろうが、今は関係ない!!!」
恵一はそう叫ぶとティンダロスの猟犬の力を呼び覚まし、「バキバキッ!」と音を立てて瞬く間に変身を遂げた。その体には闇の力が宿り、俊敏さと凶暴さが増していく。
そして恵一は爆速で化け猫に突進し、その異様に長い首を掴んだ。だが、奴の体はまるでゴムのように柔軟で掴んだ首はゴムのように伸びていく。
「なっ……!?」
恵一は掴んだ手ごたえがどんどん消えていく感覚に驚くも、そのままの勢いで止まることができず、反対方向の壁に強く体を打ち付けてしまう。
「ぐっ……!」
「恵一!!」
壁の衝撃で少し目が回った恵一だったがすぐに体勢を立て直して振り返る。そこには、不気味な笑みを浮かべた黒猫怪異が首を再びぐにゃりと曲げながらこちらを見下ろしていた。
「どうすればいいんだよ。こんな奴……」
しかし、その背後には建物の暗闇から観察している謎の影が恵一とルカを見つめていた。
その頃、校内の一角にある電子科学部の部室では神楽が部員たちと新しい装置の試作品について議論を交わしていた。机の上には工具や配線が散らばり、電子音が微かに響いている。
「よし、この回路をもう一度確認してみてくれ。動作不良がどこかに――」
ふと神楽はポケットから取り出したスマホに目を落とした。通知のアイコンに気づいて画面をタップすると、恵一からのメッセージが表示された。
『山奥の廃校に助けに来て!』
その短い文章を読み終えた瞬間、神楽の表情は一変した。眉間に
なんだよいきなり……。てか、またトラブルに巻き込まれてるのかよアイツ!!
神楽は深いため息をつくと部室にいる先輩や他の部員たちに向き直った。
「悪いけど、ちょっと抜けるわ!」
「え、神楽?試作品のテストが――」
先輩が声をかけるが、神楽は軽く手を振って制した。
「急用なんです!」
そう言い残すと神楽は部室を飛び出して校舎を駆け抜けた。自宅に戻るため、全速力で通学路を逆走する。
「ったく、どうせまた無茶してるんだろ……!でも、放っとけないんだよな」
そう独り言を漏らしながら、神楽は急ぐ足を止めることなく家路を目指した。
家に着くとリビングからテレビゲームの効果音と笑い声が聞こえてきた。神楽が扉を開けるとエマと鵺がソファに座り、対戦型のゲームに夢中になっていた。
「おかえり、神楽。あれ、部活はまだ終わってないんじゃないの?」
「ケイイチは何処じゃカグラ?」
エマと鵺がコントローラーを握りながら顔を上げた。
神楽はバッグを床に置くと無言でスマホを取り出してエマと鵺に画面を見せた。
恵一のメッセージを目にした二人は一瞬硬直し、そして二人は瞬時に立ち上がっていた。
「なんで恵一はそうやって勝手にィィィ~!!」
エマが「キィー!!」と怒りながら頭を抱える。
しかし、神楽は冷静な表情でスマホをもう一度取り出すと別の画面をエマに差し出した。そこには電子科学部の試作品である特殊装置の設計図が映っていた。
「これを作れるかエマ」
「これって……重火器か?」
「なんじゃコレ??」
神楽は少し得意げに笑みを浮かべて答えた。それから過去に怯える恵一の姿を思い出すとその笑みは決意の表情へと変わって強く拳を握り締めた。
「これがあれば俺だって戦える。
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