第4話 鬼神と狂犬の激突

「俺は夏桜恵一なざくら けいいち。ちょっと恵まれてないただの高校生だ」

「ケイイチか。良き名じゃな」


 ぬえは名を聞くと愉快そうな笑みを浮かべた。その目には狂気と楽しさが入り混じり、手にした焔鴉ホムラガラスを片手で軽やかにクルクルと回した。


 彼女はゆっくりと視線をエマたちへと移したが再び恵一へと戻し、ついに一騎打ちへの集中を見せた。


一対一タイマンじゃケイイチ。なに、我が女だからと言って手加減など要らぬぞ」

「知ってるさ」


 鵺はそう言うと焔鴉を両手で握り締め、力強く縦振りをするとその刃から紅蓮の炎をまとった斬撃が放たれ、猛烈な勢いで恵一へと襲いかかる。


 恵一は咄嗟に青黒い鋼の鎧を纏った腕を前に突き出して炎の斬撃を弾き飛ばした。しかし、炎は鎧にしがみつくように燃え移り、消えることなくそのまま鎧の一部を焼き尽くそうとしていた。


き、消えねェ!?


 熱さと痛みが徐々に体に染み渡り、悶絶するがそれでも恵一は歯を食いしばりながらその燃え盛る炎を気にせず前へと突き進んだ。


「ほう、炎を消さぬと来たか」

「猟犬の呪いで体中火傷したみたいに痛いんだよ……!! それに比べちゃこんな火なんて我慢できんだよ!」

「いつまでその余裕が続くかのぉ」


 恵一は力を込めて一歩前に踏み出し、鵺との距離を縮めようとする。炎が燃え広がる中でも彼の決意は揺るがず、再びその鋭い瞳で鵺を捉えてまた一歩踏み出す。


 彼は燃え盛る鎧の熱さをものともせずに鵺へと肉弾戦を仕掛けた。彼の鋭い鉤爪は焔鴉の刃と激しくぶつかり合い、火花が激しく散って爆音が響く。


 互いの攻撃が衝突するたびに地面が砕け、空気が切り裂かれるかのような衝撃が周囲を包んでいく。


 そして恵一は一瞬の隙をついて拳を繰り出し、その打撃が鵺の顔面に直撃した。


 重い音と共に鵺はよろめきながら後退し、その顔に驚きと興奮の入り混じった表情が浮かび上がった。


「もっとじゃ……! まだ足りぬぞ!!」

「タフだな」


 すると焔鴉はさらに灼熱を増し、紅い光を放ち始める。炎のエネルギーが限界まで高まり、焔鴉は凄まじい力を溜め込んでいた。


その光景に恵一は危険を予測していた。


ヤバイ!? アレは食らいたくな――!


 その瞬間、どこからともなく時計の音が鳴り響いた。同時に世界が一変する。


 恵一の視界には灰色に染まった景色が広がり、空気が重くよどんだように感じられた。驚いた彼が辺りを見渡すとなんと鵺を含む全ての存在が完全にしていたのだ。


「どういうことだ…………?」


 恵一は自分以外の時間が止まっていることに気づくと息を呑んだ。冷たい空間が静寂に包まれる中、時計の針が進む音だけが響き続けていた。


 すると突然肩を叩かれたことに驚いて振り返った。だが、そこに立っていたのは恵一より身長がやや低くて同い年くらいの少年だった。そして、もっとも謎だったのは少年の頭の上でぴょこぴょことウサギの耳が動いていたのだ。


「君、誰だ……?」


 恵一は混乱しつつも疑問をぶつけた。時間が止まったこの異様な空間で現れた謎の少年に答えを求めずにはいられなかった。


「ぼくのことはルカと呼んでくれ。、会う時からでいいよ」

「……どうして俺の前に?」


 恵一は少し声を不安そうな声を出したが少年はそのまま恵一の耳元に近づいてそっと囁いた。


「明日、学校の屋上でゆっくり話そうか。勿論、放課後でね」


 その瞬間、鐘の音が遠くから鳴り響くと空気が震え、瞬く間に鵺の腹部に強烈な衝撃波が発生した。


「ぶッ……!!?」


 耳をつんざくような打撃音が鵺の体に響くと彼女はその場に倒れ込んだ。


 恵一は何が起こったのか理解できなかったが、腕の炎はいつの間にか消えており、振り向けばあの少年の姿は消えていた。


 周囲の時間が戻り、すべてが正常に流れ始めた。エマや神楽に紗彩も何が起きたのかわからない仕草をしていた。


 そして恵一は倒れ込んでいる鵺に近づきながら少年が与えた打撃だと勘づいていた。すると彼女が高笑いをし始めるがどこか哀しげにも見える。


「どうしたんだよ急に……コワいぞなんか」

「いやぁ、楽しかった時間とはあっという間じゃな。実に尊く感じてな」


 鵺が握っていた焔鴉を手放すと灰のように消え去り、その力が失われたことを告げていた。


 そのまま彼女は虚ろな目で空を見上げながら恵一に対して戦意を示すことなく、戦う意志がもう無いかのように感じた。


 恵一は鵺を見つめ、そして一度深く息を吐いた。彼もまた変身を解いて力を使い果たしたかのようにそっと彼女の隣に座り込んだ。


 どうすればわからず恵一は途方に暮れていたが、固く閉ざしていた口をゆっくりと開いて鵺を横目で見た。


「お前はどうして封印されたんだ?」

「そんなに知りたいのか?長話しになるぞ??」

「構わねぇよ」


 すると鵺は空から恵一の顔へと視線を移して何気ない顔をしながら千年前の苦い記憶を語り始めた。その過去は悲しみと怒り、そして一瞬の幸福が交錯するものであった。


 千年前、貧困と絶望にまみれた一人の少女がいた。


 彼女はその姿の通りとてもみすぼらしく、痩せ細った体に傷を負いながら地べたに座り続ける人生だった。


私に……生きる価値なんて無かったんだ。


 村の誰からも無視され、助けを求めても返ってくるのは冷たい視線と無慈悲な拒絶だけ。村人たちは彼女をゴミのように扱い、無情にも追い払った。少女の小さな心はひどく傷つき、誰も彼女に手を差し伸べようとはしなかった。


 神でさえ、彼女を見ていなかったのだ。


 しかし、そんな暗闇の中で小さな奇跡が起きた。たまたま村に訪れた一人の将軍がその少女を拾い上げたのだ。それから彼は彼女を自らの娘のように大切に育てた。


「御主!まるで花のように綺麗じゃな!!」

「えっ…………」

「そんな顔も我は好きじゃぞ!」


 薄汚れたぼろ衣は美しい浴衣へと変わり、将軍の后は彼女の髪を優しく洗い、綺麗な三つ編みを作ってくれたのだ。その日には将軍の城で宴が開かれ、少女は温かな人々に囲まれながら笑顔を見せるようになった。


「貴方は本当にやさしいのですね」

「なに、当たり前なことをしただけじゃ。彼女が困ってたら迷わず手を伸ばす。それが”将軍”という者だろう?」

「ふふっ。そうですね」


 まるで夢のような、幸福に満ちた日々が続いていた。


「将軍様はどうして私を拾ったのですか?」

「そうじゃのぉ。御主が我を呼んでいたのかもしれんな」

「そうなのかな?」

「あぁ。そうじゃ」


 将軍と蹴鞠けまりをして遊んだり、后に寝る前には昔話をしてもらったり、時に将軍といたずらをしては后に叱られ、時に失敗して一人で泣いていると将軍はその頭を優しく撫でては寄り添ってくれたりと少女の中にあった暗闇はいつしか消えており、笑顔が溢れる一瞬一瞬を過ごした。


 だが、気付かない間にその夢は無残にも砕け散った。


「将軍の首を討ち取れェ!!!」


 別の国からの敵軍が将軍の首を狙い、ある夜に城を取り囲まれたのだ。炎が轟々と燃え盛り、絶望の叫びが空を引き裂く中、将軍は必死に少女を逃がそうとした。


「イヤです! 離して下さい!!」

「駄目じゃ!! 御主は生きろ!!」

「后様は!? 后様はどうしたんですか!!?」

「…………もぅ、気にするな」


 城の中は戦乱の炎に包まれ、燃え盛る屋敷の裏から将軍に追い出されてしまい、鵺は溢れる涙をこぼしながらその足で逃げ出すが運命は彼女を逃がさなかった。


 敵兵に捕らえられて逃げ場を失った少女は彼らの冷たい刀に命を奪われそうになった。刀が柔らかな首に触れて彼女はまぶたを強く瞑った。


 恐怖と怒り、愛した者たちを守れなかった無力感。それらが少女の中で一つの塊となり……やがてそれは負の感情となって爆発した。


 悲しみと憎悪ぞうおが彼女を変えたのだ。


 人間の姿は消え去り、彼女の姿はやがて鬼となると掴まれていた敵兵の腕を容易く引き千切り、炎の中で少女は敵軍を数分で絶滅させ、死体の山の上で将軍に教わった舞を踊った。


 彼女の怒りは止むことを知らず、すべてを焼き尽くしていった。だが、その暴走もついに終わりを迎え、朝日と共に現れた術師によって封じられた鬼神は永遠の眠りへと沈められた。


 そして時は流れ、現代に至り再び目を覚ましたのだった。


 話を静かに語り終えた鵺の瞳には失われた幸福とその代償の苦しみが色濃く刻まれていた。その話しに恵一は嘘偽りの無い真実だと気付かされ、自分の過去もふと頭に浮かび上がった。


 鵺の言葉が途切れ、彼女の瞳には過去の苦しみがにじんでいた。その時、恵一はそっと鵺を抱きしめた。


「……!」


 彼の温もりが凍りついていた鵺の心に染み渡っていく。近くにいたエマや神楽、紗彩もその話に涙を浮かべていた。


 鵺は恵一の温かい抱擁ほうように包まれながらかつて将軍に抱きしめられた時の心地よさを思い出した。優しさに溶けるような温かさが彼女の中に蘇り、鵺は震える手で恵一を優しく抱きしめ返した。


 その姿は鬼神ではなく、ただ一人の幸福な少女のように見えた。


彼女がまた、あの時の幸せを思い出せますように…………。


 紗彩は自分の胸に優しく手を当て、鵺へ慈悲を投じたのだった。


 そして、家に戻った恵一たちは戦いの疲れを感じながらも安堵の表情を浮かべていた。


「やっと帰れたぁ~……ア”ァ”!?」

「どうしたー恵一ィ!?」

「おかえり」


 靴を脱いで恵一と神楽が先陣きって上がるがリビングルームの前に知り合いであり、家賃を払ってくれている女性が怒りの表情を浮かべて立っていた。


 それからエマと鵺はダイニングテーブルに座り、料理を作る紗彩の背中をぼんやりと見つめている。紗彩はフライパンを手にしながら慣れた手つきで手早く料理を進め、キッチンには美味しそうな香りが漂っていた。


 一方、その後ろでは恵一と神楽が正座をさせられていた。二人を叱っているのは、恵一の両親の知り合いでもあり、有名な高級スイーツ店で働く店長の娘・日葵ひまりさんだった。


 日葵は普段の職場姿とは違い、肩を片方だけ出した白いTシャツに赤い眼鏡をかけ、オフの日を満喫するように缶ビールを片手に持っている。彼女は仁王立ちしながら険しい表情で二人を睨みつけていた。


「紗彩ちゃんを危険な場所に連れてっておまけに知らない子が二人いるんだけどどうゆうことだよ。お前ら……」

(ヤベェ、酒回ってるぞあの人!)

(知らねぇよ。大体恵一がスマホの通知見ねぇのが悪いだろが!)

「スマホに電話しても出ねぇわ。家行ったら誰もいなければ飯も食ってない。風呂も入ってない。高校の課題も終わしてねぇって、テメェら私が何の為に此処に来てると思ってんの?」


 日葵は声に圧を掛け二人を圧倒する。彼女の言葉は鋭く、それはまるで包丁のように二人の心に突き刺さった。神楽と恵一は小さくなりながらひたすら謝るしかなかった。


そんな日葵さん怒らなくてもいいのに……。


 紗彩は三人の方に目をやりながら料理を手短く済ました。


 ようやく長い説教が終わり、日葵が溜め息をついて許してくれると二人の緊張が一気に解けて痺れた足でテーブルへと歩き出す。その後、全員が一緒にテーブルに集まり、紗彩の作った夜食を囲んで日葵に事情を説明しながら食事を始めた。


「成程な。つまり、この子達は人間じゃなくて恵一はその神話生物に呪われたと?」

「そうですね」

「説明ありがとう紗彩ちゃん。おら、恵一と神楽!!」

「「ん”フ”ッッ!!」」


 飯を食べていた二人は日葵の声に驚いて口に入っていた物を吐き出しそうになったのを必死に手で抑え込んだ。


「テメェらは何縮こまったまんまなんだよ」

「「……サーセン」」


 それから夜食を済ませてからは恵一と神楽、紗彩は高校の課題を急いで終わらせ、風呂と着替え、歯磨きを日葵を見送り、全員はそれぞれの部屋に入った。


「疲れたァァァ~!」


 部屋のドアを閉めてベッドに顔をうずめる恵一。それからベッドに入って就寝しようと部屋の明かりを消そうとするとパジャマ姿のエマと鵺が入ってきた。


「なんでお前ら来たんだよ。紗彩のところで寝んじゃねぇのかよ……」

「紗彩は私たちを抱きしめて寝るので苦しいし、顔が恐ろしかったので」


 エマの説明に鵺も腕を組んでうんうんと必死にうなづいた。それから少し考えた挙句、恵一は結局二人をベッドに入れて就寝したのだった。














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