第45話 死者の証言

 王国貴族議会の場は、一瞬の静寂の後、激しいざわめきに包まれた。

 ヨハネス・フォン・クロイツネルと名乗る男の登場に、議員たちの動揺は隠しきれない。


「ヨハネスだと?そんなはずはない……」

「彼はすでに亡くなったはずだ……!」


 ベルトラムが冷笑を浮かべ、議場を見渡した。


「静粛に!」


 ベルトラム議長の声が響き渡ると、騒然としていた場内は徐々に収まっていく。


「皆様、こちらにおられるヨハネス・フォン・クロイツネル殿こそ、長らく秘匿されていた真実を語る人物です。そして、彼の証言によって、この裁判の全容が明らかになることでしょう」


 その言葉に、改革派の議員たちから拍手が巻き起こる。


 ヨハネスが一礼し、ゆっくりと証言台に立った。


「皆様、ご静聴ありがとうございます。私はかつて、兄であるセバスチャン・フォン・クロイツネルの元で、帝国へのスパイ工作を行っておりました」


 その一言で、議場は再びざわめきに包まれる。


「セバスチャン・フォン・クロイツネル。この発言に関して事実確認をお願いします」


 ベルトラムが冷徹な声で促すと、セバスチャンがゆっくりと立ち上がり、低い声で答えた。

 

「それは事実です。しかし、それは国家のための行動であり——」


「セバスチャン殿、それだけで十分です」


 ベルトラムが遮り、満足そうに笑みを浮かべる。


「国家のための行動?それは興味深い主張ですね。だが、ヨハネス殿が証言する内容を聞けば、その実態がどのようなものであったか、より明らかになるでしょう」


 ヨハネスは証言を続けた。


「セバスチャンの指揮の下、私は帝国の穏健派貴族と接触し、情報収集と交渉を行いました。しかし、その活動の一部には、王国にとって不利益をもたらすものも含まれていたのです」


「不利益とは具体的に?」


 ベルトラムが問うと、ヨハネスは冷静に答えた。


「私が帝国で得た情報の一部は、セバスチャンで止められ報告されず、そのまま隠匿されていました。それがどのように使われたのかは、未だ明らかではありません」


 セバスチャンの眉が僅かに動く。その変化を見逃さなかったベルトラムは、議場全体に向けて声を張り上げた。


「皆様、この証言を聞いてもまだ、セバスチャン殿の潔白を信じられると言うのでしょうか?」


 改革派の議員たちが一斉に声を上げる。


「その通りだ!」

「セバスチャンには説明責任がある!」


 セバスチャンは冷静に反論する。


「外交には多くの機密があります。そのような事は皆さんもご存知のはず。……それよりもこの男はヨハネスではありません。彼はすでに亡くなっております」


 セバスチャンの言葉を遮るように、ヨハネスが再び口を開いた。


「では、私がセバスチャンの弟ヨハネスであることを証明します」


 彼の口から語られるのは、セバスチャンと幼少期に交わした些細な会話や、クロイツネル家にしか伝わらない秘密だった。


 議場内の空気が次第にセバスチャンへの疑念で満たされていく中、バイオレットが立ち上がった。


「議長、発言を許可いただけますか?」


 その声に場内が静まり返る。ベルトラムが意外そうに頷くと、バイオレットは力強く語り始めた。


「セバスチャン公爵の潔白を証明するため、彼の行動と意図を説明させていただきます」


 彼女の言葉に、体制派の議員たちから期待の視線が集まる。


「セバスチャン公爵は、王国の未来を守るため、誰よりも危険な任務を背負い、その重責に一度も屈したことがありません。その事実を、私たちこの場にいるすべての者が知っているはずです。そして、その行動の裏にある覚悟と正義を見失うことこそ、王国の本質を危うくするのではありませんか?」


 バイオレットは議場を見渡し、体制派だけでなく改革派の議員たちの目もじっと見据える。


「議員の皆様、私たちがこの場で裁くべきは、真実を追い求めた者ではなく、真実をねじ曲げようとする者ではないでしょうか。この裁判が真実に基づいて進められるのならば、セバスチャンへの追及は、すでに無意味であると断言します」


 その言葉には冷静さと力強さが宿り、改革派の中にも一瞬の動揺が走る。バイオレットの声は、議場全体を覆う緊張を一気に引き締め、静寂の中にその響きを刻み込んだ。

 

 中でも中立派の議員たちが納得したように頷く、しかしベルトラムは微笑を崩さなかった。


「バイオレット令嬢、感動的なスピーチですが、それもまた、体制派の利権を守るための方便ではないのですか?」


 その時、ルミナスが立ち上がった。


「議長、私も発言させていただけますか?」


 ベルトラムは一瞬の逡巡の後、許可を出す。


「アリシア令嬢とアレクセイ殿との縁談が陰謀であるとの事ですが、アリシア令嬢が国家にどれほど貢献してきたか——彼女を知る者なら、彼女が国家に反する謀略に加担するなどありえないと分かるはずです」


 彼女の言葉に議場が静まり返る。


「そもそも、当初に帝国側からアリシア嬢との縁談相手に指定された貴族にアレクセイ・フォン・ルーベンス侯爵の名前はありませんでした。この矛盾はどう説明されますか?」

  

その説得力により、議会の雰囲気が徐々に拮抗し始めた。しかし——。


「ふん、それもまた方便に過ぎません」


 ベルトラムが冷たく笑い、言葉を続ける。


「この騒動に加担している参考人がすべて体制派であることが何よりの証拠です。ヨハネス殿がその歪みを憂い、体制派の一員でありながら改革派に告発を行った。それだけで、どちらに正義があるかは明らかでしょう!」


 彼の言葉に議場は再び騒然となる。


「特に、その仮面の女——ルミナス!あなたの出自が不明である時点で、帝国のスパイ、あるいは魔女であることは明白です。この神聖な議場において身元を明かせないのなら、もはや言葉を重ねる必要はありません!」


 ルミナスを見下ろしながら、勝ち誇ったように言い放つベルトラム。


 議場の空気が再び改革派に傾き、体制派も返す言葉を失っていた。


 その時、ルミナスはゆっくりと立ち上がった——。


 王国貴族議会の場は、再び緊張感に包まれていた。

 その流れをさらに加速させるように、ベルトラムが声を張り上げる。


 「さて皆様、ここで改めて問いたい。この議場に立つ人物たち——この騒動に深く関わる者たちが、すべて体制派の一員であるという事実を、どうお考えですか?」


 彼の言葉に改革派の議員たちが頷き、会場には賛同の声が広がる。


「そうだ!これは体制派の内部問題ではないか!」

「体制派自身が国家を危機に陥れているのだ!」


 ベルトラムはさらに言葉を続けた。


「この中立を保つべき議場において、容疑をかけられている人物すべてが体制派という構図が、何を意味するのか——明白ではありませんか?」


 その視線は、仮面をつけたルミナスに鋭く突き刺さる。


「つまり、この仮面の女こそが帝国から援助を受け『結婚相談所』なるもので改革派の崩壊を図る中心人物なのだ!」


 場内の空気が一層重くなり、改革派の貴族たちからの歓声が巻き起こる。ベルトラムは勝ち誇ったように微笑み、追撃を加える。


「彼女が、いや、この『魔女』が!王国を騒乱に陥れ、帝国に通じているという証拠がある以上、政権転覆を企てた大罪人であると私は主張しておるのです!」


 

 ルミナスは仮面の奥で目を閉じた。その場の重圧が肌を刺すように感じられる。しかし、彼女の心は揺れていなかった。


(今、この仮面を外せば——)


 ルミナスの正体がセレーナ・フォレスターであるという事実が、議場全体に知れ渡ることになるだろう。


 ——改革派の主軸であるフォルスター家の悪役令嬢であり、体制派の天敵であるセレーナが正体と知れれば、ベルトラムの主張はその瞬間に説得力を失い、「魔女」の疑惑は完全に無意味になる。しかし——


 ——嫌われ者のセレーナとして体制派からの支持は一気に失われる。


 ——そして改革派からも裏切り者として、その後弾劾されるだろう。


 彼女の瞳が仮面越しにバイオレットとセバスチャンを捉えた。


(でも魔女疑惑が消えれば、会員達の成婚に意義を立てる事はできない。バイオレットとセバスチャンを守ることもできる……)


 彼女の決断が固まった瞬間、心の中で前世のセレーナへ謝罪した。


(セレーナ……ごめんね。私、あなたの無念を晴らすことは出来なかった……でも、このベルトラムを、私もろとも葬り去ることはできるよ)


 仮面の奥で、彼女の唇がわずかに動いた。

 

「あーあ……結局、ざまぁ回避はできなかったか」


 そして覚悟を決めた力強い瞳で、壇上のベルトラムを一瞥する。


「確かに、私の正体を明らかにすることが、真実を知る唯一の方法なのかもしれませんね」


 彼女の言葉に、議場が息を呑む。


 「ダメよ、ルミナス……やめて」その空気を察したバイオレットが首を振りながら小さく呟いた。


 ルミナスの手が、仮面にそっと触れ、ゆっくりと動き始めたその瞬間、場内は完全に静まり返る。


 仮面が持ち上がる一瞬前、ルミナスが低く呟いた。


「さあ、真実を知る覚悟はおありですか?……ベルトラム議長」


 その言葉が終わると同時に——場内には張り詰めた緊張が漂う。

 

 仮面の奥に隠された真実、それが明らかになるまでの静寂が、永遠のように続いていた——。

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