第33話 真夜中の予期せぬ訪問者

 夜も更け、ルミナスセレーナはアリシアが用意したゲストハウスに戻り、一人静かに今夜の出来事を振り返っていた。


 貴族令嬢として貴賓用の迎賓室に案内されたバイオレットとは違い、ひっそりとしたこの離れで一息つけることが、彼女には心地よかった。人払いされたゲストハウスは不便ではあるが、身分を隠しているセレーナにとって、マスクを外して心の仮面も解ける、いわば「自由な時間」を持てる貴重な場所だった。

 

 初めての社交界に出たアリシアは堂々と自らを示し、想像以上の注目を集めた。中でも、アレクセイとアリシアの邂逅は予想外の展開で、何か得体の知れない緊張感が彼女の胸に残っている。


 その時、ノックの音が静寂を破った。誰も来ないはずの夜更けに誰が、と少し身構え、マスクを装着しつつドアを開けると、そこに立っていたのはセバスチャンだった。


「失礼します……レディ・ルミナス」


 セバスチャンは誰も従えず、ただ一人で現れた。まさか彼が突然訪れるとは——予想外の来訪者に、ルミナスセレーナは一瞬慌ててマスクをしっかりと調整する。

 

 しかし内心では、これがほとんど意味をなさないと分かっていた。どうせセバスチャンは既に、自分の正体がセレーナであると気付いているのだから。


「これはこれはセバスチャン様、なぜ一人でお越しに」


「用があるのは、貴女一人だけですからね」


 そう言って微笑むセバスチャンの表情には、特に感情の色が見えない。


 ルミナスセレーナは彼を部屋に招き入れ、テーブル席を促すが、長居はしないので立ったままで良いと言うので自分も立ったまま向かい合って話を聞くことにした。


 するとセバスチャンが、早速口火を切った。


「それにしても、アリシア様を社交界に送り出したとは驚きです。あの方がそんな場に出るなど想像もしていませんでしたよ」


 彼の冷静な目がこちらを見つめ、軽く笑みを浮かべている。ルミナスセレーナは平静を装い、淡々と答えた。


「彼女の成長を促すためです。戦場以外の貴族の役割を理解してもらうために」


 セバスチャンは微笑みを浮かべたまま、少しだけ顔を傾けた。


「ですが、タイミングが良すぎるように感じましてね。貴女はもしかして、アレクセイ侯爵がお忍びで来ていたことをご存知でしたか?」


(知らなかったけど、偶然旅路で会ったという話しをすればややこしくなりそうね)

 

 ルミナスセレーナは心の中で息を飲み、表情に出すことなくすぐに返答をした。


「アリシア様の社交会デビューに合わせて彼が現れたのなら、それは単なる偶然でしょう。または誰かの策略中にたまたま合致したとか、かしら?」


「では貴女にとって、アレクセイ侯爵の存在は完全に『想定外』だったと?」


 セバスチャンの視線は微妙に細まり、その目はまるでこちらの全てを見透かすように鋭く光る。ルミナスは一瞬たじろいだが、冷静な態度を崩さずに答えた。


「アリシア様のデビューに注目が集まるのは当然かと。ですが、まさか帝国からの客人がその場に現れ、アリシア様に興味を示すとは予想外でした」


 内心では彼の真意を探ろうとするルミナスだが、セバスチャンの淡々とした表情からは何も読み取れない。


(やはり、アレクセイの参加をセバスチャンは知っていた?……いや、もしかすると何か別の策で仕組まれていたものだったかもしれないわね)


 セバスチャンはルミナスセレーナの様子を見つめたまま、ふっと気配を変えるように微笑むと、突然距離を詰めた。


 ルミナスセレーナが一瞬身を引こうとした瞬間、彼の低く鋭い声が静寂を破った。


「貴女は本当に魅惑的だ。とくにその瞳……いったいどこまでを見通しているのですか?」


 セバスチャンの目が彼女を射抜くようにじっと見つめる。ルミナスセレーナは冷静を装いながらも、その視線に動揺を隠せなかった。


 すると彼の手がそっとルミナスセレーナの腰に触れ、もう一方の手が頬に伸びてくる。


「……」


(え?待って、何する気?)


 すぐに距離を取るべきか、いや、冷静に応じるべきか……瞬時に判断が迫られる。しかし、ルミナスセレーナが次の行動を決める前に、彼の顔がさらに近づき、その唇がル彼女の唇に触れた。


(えっ、ちょっと何!?)


 ルミナスは瞬間的に言葉を失ったが、微動だにせず、何もせずにただその状況が過ぎるのを待った。


 彼の唇が離れ、視線を交わすと、彼は何事もなかったかのように冷静に問いかけた。

 

「抵抗するつもりはなかったのですか?」


「……抵抗すべき理由があったかしら?」

 (抵抗する暇がなかったのよ!)


 ルミナスセレーナはできるだけ平然を装いながらも、内心では強い驚きと混乱を隠している。まさかこんな展開になるとは想定外だったのだ。セバスチャンは彼女の反応を楽しむように目を細めた。


「そうですか、怒らないのですね?」


「何に対して怒るのかしら」

 (びっくりしてるのよ!)


 彼女は感情を殺したまま、素っ気ない返答を返すが、心の中では想定外の出来事に戸惑いが渦巻いていた。


「まるでこれも….予想していたかのようですね」


「まさか、私は魔女ではありませんよ」

(んなの予想出来るか!!)

 

 対して、セバスチャンは冷静なまま、再び口元に薄い笑みを浮かべている。


「貴女は、どこまでを見通して動いているのか……その答えを知るために、またお会いすることになるかもしれませんね」


 セバスチャンがそれだけを言い残し、去ろうとすると、ルミナスセレーナは無意識にその姿を目で追ってしまった。その余裕たっぷりな背中が、夜の静寂の中に溶け込んでいく。


 セレーナはルミナスの面を外すと深呼吸し、顔にかかった髪をゆっくりとかき上げた。


 彼の本当の意図を探ることは、まだまだ先が長くなりそうだった。


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