第34話 ベルトラム議長の陰謀

 ラインハルト侯爵領の壮麗な城郭に立ち、辺りを見渡したベルトラム貴族院議長は、一瞬、感慨にふけるように見えたが、その唇には薄笑いが浮かんでいた。


「あいかわらず堅牢なだけで美意識に欠ける城郭だ。しかしまあ、まもなくこれも私の傘下となる……そう思えば愛着も湧いてくるか」


 彼は誰にともなく呟き、軽く鼻で笑った。あくまで冷ややかで、品格を気取った佇まいでありながら、その目には利己的な野望が見え隠れしている。


 この一族の持つ広大な領地や軍事的な威光を、己の支配下に置くことへの期待が、彼の目を不気味に輝かせていた。


 ちょうどその時、アリシアが姿を現し、彼の視線が鋭く彼女を捉えた。


 赤い軍服とマントを纏うアリシアの足取りは壮麗かつ毅然としており、その目はベルトラムに対する嫌悪感を隠そうとはしていない。


「わざわざお出迎えですか、これは光栄ですなアリシア令嬢」


 ベルトラムはわざと丁寧な声でそう言うが、彼女を見下すような視線は隠しきれていない。


「議長殿がこんな国境の地へ赴くなど珍しいですな。本日は私にどのような要件ですか?」


 アリシアは淡々とした声で問いかけるが、その口元には嫌悪と怒りが僅かに滲んでいる。


「この度は王家より、重大な話をお持ちしました。貴族院議長として、そしてあなたの未来のために、ぜひとも聞いていただきたい」


 ベルトラムの目には冷たい光が宿り、その一挙手一投足が周囲の空気を冷え込ませた。

 

(ふん、おそらく自分に都合の良い縁談の話なのだろう?この男とっての私の価値はそれだけだからな)

 

 だがこの時点でのアリシアには、それが単なる「縁談」の持参ではなく、もっと深い策謀と意図を孕んでいることに気づいてはいなかった。


 ——ベルトラムと対面する応接室にアリシアがテーブルを叩く音が室内に響く。


「今、なんと?」


 怒りが混じるアリシアの声に、同席する家臣や従者達の顔に緊張感が走る。

 

 ベルトラムは淡々とした口調を装いながらも、すでに勝ち誇ったかのような微笑を浮かべ、アリシアを正面から見据えた。


「ですからアリシア令嬢……あなたにお伝えしたいのは、王家から帝国貴族との縁談を推奨する旨の指示が届いたことです。これはあなたの未来だけでなく、この国の未来を左右する重大な決定となります」


「帝国との……縁談?ふざけてるのか?」


 アリシアの眉がわずかに動く。その言葉には、彼女にとって到底受け入れがたい響きがあった。


「ええ、すでに帝国側から、数名の貴族があなたとの縁談を申し出ています。その中には帝国の中心部に位置する家柄も含まれ、まさに平和的な外交の象徴となり得るものです」


 ベルトラムは冷静に説明するが、その口調の裏にはアリシアを軽視するような冷たさが滲んでいた。


「つまりこの私を……帝国から国境を守護する将を、帝国の貴族に嫁がせると?」


 アリシアの声が硬くなる。


 「そのようなこと、到底受け入れられない!王国の一員であり、そして戦士として尽くし生きてきた私が、敵国の貴族と結婚して何になるというのか!?」


 彼女の言葉には強い拒絶の意思がありありと表れていたが、ベルトラムはその反応を冷笑で受け流した。


「アリシア令嬢、何度も言いますが、これは単なる縁談ではありません。国家間の平和と安定を築くための重要な『手段』なのです。あなたが帝国に嫁ぐことで、我々は戦争を防ぎ、平和の橋渡し役として王国の威厳を保つことができるのですよ」


「つまり私を……人質として帝国に差し出すということか?」


 アリシアは鋭い視線をベルトラムに向けた。


 「貴族院議長としてのあなたは、この王国にとって何が本当の平和かを見失っているのではないか?」


 その言葉に、一瞬、ベルトラムの瞳にわずかな怒りの色が浮かんだ。しかし、すぐにその感情を消し去り、冷静を装って口を開いた。


「平和には犠牲がつきものです。時には、あなたのような軍人でさえも、国のために個人の幸せを犠牲にする覚悟を持たねばならないのですよ」


 その最もたらしい言葉にアリシアは唇を噛みしめ、内なる怒りを抑え込んだ。

 だが、ベルトラムの不遜な態度は彼女の心の奥にくすぶる反発心を燃え上がらせるばかりだった。


「それに……」ベルトラムはにやりと笑みを浮かべ、さらに続けた。


「こうした外交のための縁談に応じることで、あなたの一族は大貴族としての立場と名声をより王国内で強固にすることができる。拒む理由など、どこにもないでしょう」


「あいにく私は、名声や栄誉などという餌に興味はない」


 アリシアの返答に、ベルトラムはわざとらしくため息をつきながら、軽く肩をすくめた。


「なるほど。ではもうひとつ、貴女にとってより現実的な選択肢を提案しましょう」


 アリシアは眉をひそめ、彼の言葉に耳を傾ける。


「もしも帝国貴族への嫁入りをお望みでないならば……私の弟であるエルドラド男爵との縁談を先に進めることですな」


「それは前にも断ったはず……」


「こちらを先に成婚させれば、貴女は王国側へ正当な意向を示しつつ、帝国の面目も立てることができる。そうすれば、あなたは帝国に送られることなく、この国での安定した生活を手に入れることができますな……」


 アリシアは息を飲んだ。まるで罠のような提案にしか聞こえない。彼の言葉は巧妙に装飾されているが、明らかに彼女の自由を奪うための選択肢に過ぎなかった。


「つまり、私には帝国か……あるいはあなたの弟か、そのどちらかと結婚しろということか?」


「その通りです。どちらも国のためになる選択肢ですし、帝国嫌いのあなたにとっても悪い話ではないでしょう?」


 彼女は唇を引き結び、再びベルトラムに向き直った。冷ややかに笑みを浮かべる太ったその顔が、今まで以上に不快に感じられた。彼が全てを支配しようとするその姿勢が、アリシアの心に深い怒りを呼び覚ます。


「私にとって悪い話ではない……といったが、私の人生にとっての『最良』があなたにわかるのですか?そもそもあなたは……」


 アリシアは怒りを抑えながら淡々と話しを続けようとしたが、その言葉を最後まで言い切ることなく、肩をすくめるようにして黙り込んだ。


 ベルトラムは表情を崩さないまま、薄笑いを浮かべて立ち去ろうとする。


「貴女の考えが変わることを期待していますよ、アリシア令嬢。どうぞご自分の立場をよく考えてみてください」


 ベルトラムが去った後、アリシアは強く握りしめた拳を見つめた。


 心の中で湧き上がる怒りと無力感に打ちひしがれる思いだったが、ここで折れてはならないと自分に言い聞かせる。


 彼女はすぐにルミナスセレーナを呼び寄せた。

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