第32話 交錯する感情
今宵の催しも終盤に差し掛かろうとしてた。
社交界の会場の中央に立つアリシアは、内心ではまだ落ち着かない気持ちを抱えていたが、見た目には堂々とした立ち姿を保っている。
彼女のそばにいるのはルミナスとバイオレット、そしてその美しい姿を遠巻きに見守る男性たち。中でもアリシアの存在感は圧倒的で、視線が彼女に集まっていた。
その時、アリシアの前にゆっくりと歩み寄ってきたのは、アレクセイ・フォン・ルーベンスだった。帝国貴族である彼は、帝国式の作法でアリシアの目の前に立ち、穏やかに微笑んだ。
「今宵はご一緒できて光栄でした、アリシア令嬢」
アリシアはその所作、言葉を聞いて、わずかに目を細めた。帝国貴族――つまり敵対国からの使者であるアレクセイと、こうして丸腰で、しかも一対一で話をすること自体が異常だと感じていたからだ。
しかし、彼の表情には特に敵意はなく、むしろ落ち着いた優雅さが漂っていた。
(帝国の貴族がこんな場に現れるなんて……これが社交界の日常なの?私たちが命を削り合ってる側で?彼の目的は一体何なんだ?)
アリシアは警戒心を抱えつつも、表面上は冷静さを保ちながら口を開いた。
「帝国からのお忍びでのご参加、さぞ意図があるのでしょう。こちらとしては歓迎しますが……その狙いについては疑わしい限りです」
アリシアは皮肉めいた言葉で返したが、アレクセイの微笑は崩れない。むしろ彼の瞳には、一瞬の憂いや悲しみが浮かんだ。ルミナスはその微妙な感情の動きを見逃さず、アレクセイの言葉の裏にある何かを感じ取った。
(この男……一体何を抱えているのかしら。彼の目には、ただの敵国の使者という以上の何かがある……)
ルミナスは彼の目に浮かぶ「憂い」と「覚悟」を読み取りながらも、あえてその感情に触れず、話を進める。
「貴族同士の社交の場ですもの。これも一つの外交の一環なのでしょう。でもアレクセイ様……公式な招待ではない、何か特別な目的があったのでしょうか?」
ルミナスは穏やかに会話を進めつつ、彼の真意を探るために質問を投げかける。だが、アレクセイは柔らかく微笑み、表面的な答えにとどめた。
「ただ、王国の美しい文化に触れたかっただけです。特にアリシア令嬢の噂は帝国でも広がっていますから、是非とも一度お会いしたかった」
その穏やかな返答に、アリシアはますます不信感を抱く。彼女の警戒心はむしろ強まっていた。アリシアの胸の中には、戦場での記憶が甦る。戦いの中で感じた緊張感と、互いに命を削り合うあの感覚――それが今、目の前のこの貴族とのやり取りに重なって見えたのだ。
「文化に触れたい……ですか?ずいぶんと優雅なお言葉ですが、戦場で見せる顔とは随分違いますね、アレクセイ様」
アリシアは軽く皮肉を交えて返す。その言葉に対し、アレクセイは一瞬驚いたような表情を浮かべたが、すぐに穏やかな顔つきに戻り、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「戦場と社交界は全く別の場所ですからね。それに、令嬢も戦場では随分とお強いと聞いていますが、こうしてドレスをお召しになると、また違った一面をお見せになる」
アレクセイの言葉には穏やかさがあったが、その裏には確かに挑発めいたものが隠れていた。アリシアはそのことを敏感に感じ取ったが、ルミナスがさりげなく手を置き、彼女を落ち着かせた。
(アレクセイは何を隠しているのかしら……?しかもこのタイミング、偶然にしては出来過ぎてる。まさか……セバスチャンが絡んでる?ならばなおさら、ここで二人が感情的になるのはまずいわね)
場の緊張感が高まり始めたその時、不穏な空気を察したバイオレットが、ふわりとその場に割って入った。彼女は柔らかい笑顔を浮かべながら、二人の間の緊張を一瞬で和ませるような言葉を投げかける。
「まあまあ、お二人とも。せっかくの素敵な夜ですもの、そんなに堅苦しくならずに楽しまなくちゃ。ね、アリシア様?」
バイオレットの無邪気な口調と、明るい笑顔にアリシアは肩の力を抜き、わずかに微笑んだ。
「そうね……バイオレットの言う通りだ。今夜は戦場じゃないし、無駄に力を入れる必要はないわね」
落ち着きを取り戻すアリシアを見て、ルミナスは絶妙なタイミングと言葉で仲裁したバイオレットの『和ませる力』に改めて驚嘆した。
(あの一瞬で雰囲気を変えた?……天然なのかもしれないけど、仮に狙ってやってるならバイオレットには底知れぬ政治力とカリスマがあるってことだわ)
その後アリシアはバイオレットの存在に救われたように、アレクセイに微笑んだが、心の中ではまだ警戒を解けずにいた。
一方、アレクセイは内心で自分の感情が揺れ動いていることに気づき、困惑していた。
(なぜだ……こんな場面で感情を乱すなんて、これまでの私ならあり得なかったのに。彼女を前にすると……)
アレクセイはアリシアに対してだけ、感情が抑えられなくなっている自分に気づき、戸惑っていた。
これまでどんな交渉や戦いの場でも冷静さを保ってきた彼が、アリシアと向き合うとその感情が揺らいでしまう。
だが、その理由が何なのか、まだ自分でも理解できていなかった。
アリシアの純粋さ、実直さ——それが彼の心に強く響いていることだけは、確かに感じていた。
こんな出会いの二人が、この後に急接近するなど、まだ誰も予想していなかった。
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