第31話 アリシアと社交界
「やっぱり足元が見えないのが不安だな」
アリシアは困惑した表情でスカートを見つめながら呟いた。彼女にとって、ドレスは戦闘服とは違い、動きにくいし、自分から足元が見えないのは不安要素だった。
だが、そんな彼女を見かねたバイオレットが優雅に一歩前に出る。
「アリシア様、こうやってスカートを少し持ち上げるのです。歩くときは優雅に、微笑みながら……」
バイオレットは優雅にスカートを持ち上げ、軽やかに一歩を踏み出す。彼女の動作には、無駄のない流れるような美しさがあった。アリシアは真似をしようとするが、どこかぎこちなく、歩く動作にはまだ戦士の力強さが残っている。
「こうか?な……」
彼女は一瞬スカートを引っ張るようにして持ち上げ、気合を入れて歩き出すが、その動きはどう見ても優雅というよりも、戦場に向かう武将のような迫力がある。
「もう少し柔らかく……そう、ゆっくりと。口角を上げれば、印象がさらに良くなりますわ」
バイオレットは微笑みながら、さらにアリシアにアドバイスを送る。だが、アリシアは首をかしげ、訝しげに問い返した。
「なぜ笑ってやる必要があるんだ?」
そこへルミナスが助け舟を出すように、冷静にアリシアへ説明を始めた。
「それは、相手を油断させて、こちらに引き込むための戦略です。笑顔というのも一種の武器なんですよ」
(バイオレットはそれが無意識で出来る……ある意味で才能よね)
アリシアはルミナスの言葉に一瞬考え込んだ。戦略と聞いて、彼女の興味がようやく湧いたようだった。しばらくの沈黙の後、アリシアは納得したように頷いた。
「なるほど、笑顔で相手を油断させるってわけか。そういうことなら、理解できるな」
バイオレットの優しい指導とルミナスの戦略的な説明により、アリシアも少しずつ社交界という「戦場」に興味を抱き始めたのだ。
◇ ◇ ◇
その頃、社交界の会場では、貴婦人や貴族の男性たちがアリシアの登場を待ちながら噂話を始めていた。彼らにとって、アリシアは戦場では有名だが、社交の場では未知数だった。
「今日はあのアリシア令嬢が来るらしいぞ」
「まさか、戦場と勘違いして軍服でも着てくるんじゃないか?ははは」
「戦争しか頭にないモンスターが、どんな顔してくるのかしら? ちょっと見ものね」
「そもそも、社交界に連れ添える友人なんていないでしょうに」
周囲から飛び交う嫌味な言葉や笑い声。彼らの目には、アリシアが戦場にいる姿しか想像できていなかった。
——しばらくして、扉が開き、アリシアがゆっくりと会場へ入ってきた。
その瞬間、周囲は一瞬で静まり返った。先ほどまでの嘲笑や侮蔑は消え、目の前に立つアリシアを見つめる人々の表情には驚きが浮かんでいた。
「……あの美女は誰だ?」
「まさか……あれ……アリシア令嬢なのか?」
彼らの目の前に現れたのは、凛々しさを持ちながらも、赤く優雅で洗練されたドレスを身にまとったアリシアだった。いつもとは違う彼女の姿に、貴婦人たちも貴族の男性たちも、思わず息を呑んだ。
「驚いた……隣の美しい連れは……バイオレット令嬢か?!」
「あのマスクの女性は誰だ、素顔はわからないが、かなりの美貌だ……」
予想を覆す優雅で洗練されたアリシアが、この国を代表する美貌の持ち主である、バイオレットとルミナス(セレーナ)を引き連れての登場は、場の空気を一変させるに十分だった。
アリシアは一歩一歩、緊張を隠しながらも堂々とした足取りで会場を進んだ。彼女は確かに不安を抱えていたが、ルミナスの指導とバイオレットのアドバイスを思い出し、少しずつ社交界の振る舞いを体得していく。
だが、アリシアは、先ほどからの男性陣からの視線や声がけにどう対処すべきかまだ分からない。アリシアの心の中で、戦場とは違う種類の緊張が広がっていた。
「どうするんだ……こんな場での戦い方なんて……私は知らない」
アリシアが戸惑っていると、背後からバイオレットが小声で助言を送る。
「微笑んでください、アリシア様。相手を安心させるんです」
「笑うのか……?本当にこれでいいのか?」
バイオレットの言葉に、半信半疑のまま微笑を浮かべてみると、目の前の男性が驚いたように顔を赤くしながら、すぐに深々と頭を下げた。
「これは驚きました……アリシア令嬢、まさかこんなにお美しい方とは……」
アリシアはその反応に戸惑いながらも、もう一度ルミナスの方をちらりと見る。ルミナスは、軽く頷きながら微笑んでいた。その笑顔が、まるで「あなたは大丈夫」という安心感を伝えるかのようだった。
「よし……これも一つの戦い方か……」
彼女は心の中で自分に言い聞かせ、少しずつ場の雰囲気に馴染んでいった。社交界の華やかな戦場に、一歩ずつだが確実にアリシアはその足を踏み入れていく。
会場がアリシアの美しさと強さに感嘆している中、もう一つの注目すべき存在がいた。隣国、帝国領からのお忍びのゲスト、アレクセイ・フォン・ルーベンス侯爵が、密かにこの社交界に参加していたのだ。
彼はアリシアの姿に興味を引かれ、彼女に歩み寄る。その優雅な振る舞いと冷静な目つきが、ただの貴族ではない雰囲気を漂わせていた。
「初めまして、私は帝国から参りました侯爵、アレクセイ・フォン・ルーベンスと申します。あなたがアリシア令嬢ですか? 噂には聞いておりますが、実に見事なお姿です」
その言葉に、アリシアは少し警戒しながら軽く頭を下げる。彼の名を聞いた瞬間、彼女の心に警鐘が鳴り響いた。帝国貴族というだけで、彼女の中にある防御本能が働いてしまう。
(帝国の侯爵がここにいるだと?何か企んでいるのか?)
アリシアは即座に警戒を強め、表情が少し硬くなった。だが、バイオレットがその変化にすぐ気づき、優雅に会話を続けることで、アリシアをサポートする。
一方、ルミナスは彼の顔に見覚えがあることに気づく。かつて街道で助けた旅人……あの彼が、帝国側の侯爵だったのだ。
(……あの時の旅人? まさか、彼がこの場に……——見覚えのある紋章は帝国貴族のものだったのね)
幸い、マスクのお陰でアレクセイはルミナスが自分を助けたセレーナであることに気づいていない。
(彼がお忍びで旅をしていた理由が分からない以上……私の正体は伏せた方がいいわね)
ルミナスの脳裏に浮かんだ疑念。しかし、この出会いが大きな物語の転換点となることを、彼女はまだ予測していなかった。
「アレクセイ侯爵、はるばる遠方からようこそ。アリシア様は、戦士としても令嬢としても非常に優れたお方です。今日この場でお会いできることを、私たちも光栄に思います」
ルミナスの言葉は柔らかく、しかし確実に場の緊張を和らげた。
アリシアも彼女の援護に感謝しつつ、再びアレクセイに向き直る。
(油断はできない……でも、今はルミナスの戦略に従おう)
アリシアは心の中でそう決意し、社交界での「戦い」を続けることにした。
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