第16話 バイオレットと関係修復①

 青々とした庭園に咲くバラが、風に揺れているなかで、バイオレット・グレイスフィールドは考え込んでいた。


 ——舞踏会で会ったセレーナは、以前とかなり雰囲気が変わってた……なんだかとても聡明で、セバスチャンのような目をしていた。……まさか別人?そんなはずあるわけないわよね——


「セレーナ様が突然会いに来る理由は、何かしら?」


 少し不安げに声を上げる。彼女は、目の前のテーブルに美しく並べられたティーセットを見つめ、焦る様子もなく静かにその言葉を口にしていたが、心の中は騒いでいた。


 その隣に控えている執事らしき人物は一瞬視線を外し、落ち着いた口調で返答する。


「セバスチャン様がおっしゃるには、おそらくアルト様との件でしょう」


「アルト様……の?」


「セバスチャン様は、バイオレット様へ“過ぎた時間は巻き戻せない”——と伝えて欲しいとも」


 そう言うと執事らしき人物はニコリと微笑んだ。


「私は、個人的にセレーナ様に興味がありますけどね。その美貌は王国の秘宝と言われていますから」


「まあ、キリコったら……セバスチャンにまた怒られますよ!」


「あはは、それは困るな……今のは秘密にしといてください、バイオレット様」


 風になびく青い髪、誰もが美男子と形容するであろう美しい顔立ち。凛とした姿勢に完璧にしつらえた細身のスーツが似合うこの人物は、キリコ・ヴァレンティナ。今日はセバスチャンからの指示で代理として同席している。


 ちょうどその時、バイオレットの屋敷に到着したセレーナとメイドのアリサが、茶会の準備が整った庭園の広間へと案内された。


「はじめまして、セレーナ様。私は執事セバスチャンの代理でキリコと申します。本日はバイオレット様のお付きとして参りました」


 広場の入り口で待っていたのは、整った顔立ちをした美しい執事だった。やや長めに整えられた青髪と涼しげな瞳。優雅な身のこなしは、セバスチャンと同様の上品さを漂わせているが、彼と違い温和でどこか親しみやすさがあった。


(裏表なく人懐っこい印象……でも、一見は優雅な貴族の執事って感じね)


 セレーナは警戒しつつも、その穏やかな笑顔に少し気を緩めた。


 バイオレットが待つ庭園に案内されると、美しい花々が咲き乱れる中で、優雅なティーセットが並べられていた。バイオレットは純粋な微笑みを浮かべ、セレーナを歓迎した。


「セレーナ様、お越しいただきありがとうございます。お話したいことがあるとお聞きして……」


「こちらこそ、お時間をいただき感謝します。まずは座ってお話ししませんか?」


 二人は向き合うように丸テーブルに座り、それぞれの脇にはアリサとキリコが立っている。紅茶や菓子類が揃い、最初の一口をお互いが飲んだタイミングでセレーナが口を開く。


「実は、今日は少し、アルト様についてお話させていただきたくて」


「え……なぜ私に?」


 セレーナは、バイオレットに最近のアルトの心の虚無感を述べ、舞踏会でのバイオレットとのダンスを見た際、彼がまだ未練を抱えているのではないかと感じたことを伝える。


 バイオレットはその言葉に驚いた様子を見せたが、すぐに微笑み、答えた。


「でも、アルト様が選んだのは貴女です。私はもう……過去にこだわるつもりはありませんので……」


 その言葉には強い決意が込められていたが、セレーナはその背後にある微かな揺らぎを見逃さなかった。バイオレットの真っ直ぐな誠実さに、セレーナは思わず尊さを感じてしまう。


(ああ、この子……本当に欲がない!ヒロイン度が高すぎる!良いわ……こういう会員ばかりなら婚活カウンセリングも楽なんだけどなぁ)


 セレーナ(真奈美)は心の中で興奮を抑えきれなかった。なにを隠そう彼女は前世で中世ヨーロッパを舞台にした少女漫画や恋愛演劇のオタク的ファンなのだ。社交ダンスを習っていたのもその影響だ。特に不幸な純愛ヒロインに弱く、バイオレットにはその趣味性が擽られる。


「いまさら信じられないかもしれないけど、今の私は、貴女にも、アルトにも不幸になってほしくないの。だからもし、彼があなたの元に戻りたいと言い出したら、私は止めないつもりよ……」


(やっぱり不幸なヒロインが愛しい男と大逆転で復縁!これ鉄板よね)


 心の中で納得しつつ、冷静を装うセレーナ。だが、その時、横に立つキリコがニヤリと微笑んで近づいてきた。


「セレーナ様は本当に魅力的お方ですね。アルト様が惹かれるのも納得です……」


 その言葉に、セレーナは一瞬驚いたが、それ以上に反応したのはアリサだった。彼女は真っ直ぐにキリコを見て、少し立腹したように声を上げた。


「キリコさん、セレーナ様には婚約者がいらっしゃいます!惑わさないでください!」


 キリコは明るく笑いながら肩をすくめる。


「思ったことを言ったまでですよ、聞いてた噂と……だいぶ違いますからね」


 セレーナはキリコをじっと見つめた。その軽妙な言葉、仕草、歩き方、姿勢を見て——ある確信が胸に湧き上がってきた。


「……キリコさん、あなた、女性でしょう?」


 一瞬、場が静まり返った。アリサは驚愕の表情を浮かべてキリコを見つめたが、キリコはしばしの沈黙の後、少し恥ずかしそうに笑った。


「さすがですね、セレーナ様。一目で見抜かれたのは初めてです!」


 セレーナはすっと微笑みながら、キリコの姿勢や動作を指し示した。


「だってあなたは——歩く時に重心がやや後ろ寄りよね……それってスカートをはく女性特有の動き方だと思うの」


 キリコはその指摘に感心しながら頷いた。


「あと声のトーン。意識的に低くしているつもりでも、話しているうちに自然と高くなる。あなたの本来の声が無意識に出ているんじゃなくて?」


 アリサは驚きのあまり口を開けたまま、キリコとセレーナを交互に見つめていた。


「すごい……じゃあ、本当にキリコさんは女性?でもどうして?」


 するとキリコはアハハと笑いながらアリサを見つめた。


「深い意味にとらないでくれ、私はこういう格好が好きなんだ。あと余計な虫がつかないからね。ただ家にいる時は女性に戻るんだけどね……」


 そう言ってアリサにウインクをする。するとアリサは驚き、顔を真っ赤にして俯いてしまった。


「私は……あなたのその趣味、好きよ。とても似合ってるし、良いと思うわ」


 セレーナはキリコを見て肩をすくめ、軽く笑った。

 キリコは頷き、穏やかに微笑んだ。


「あのセバスチャン様が気にされるのも納得です。私もセレーナ様を好きになりました」


 セレーナは軽く笑みを浮かべたが、セバスチャンの名を聞きすぐに冷静さを取り戻した。


「さて、少し席を外させていただきます。化粧室をお借りしても?」


 バイオレットが頷き、セレーナは立ち上がってその場を後にした。


 化粧室に入ると、セレーナは思わず深呼吸した。


「ああああああ……やばい、キリコって、まさに私の推し設定なんですけどぉ!?」


 一人になると、彼女は抑えきれない興奮が噴き出してきた。実は前世の真奈美は某女性歌劇団の大ファンで、特に男役に惚れ込んでいた。そのオタク気質が、今の状況で完全に発揮されてしまったのだ。


「あの表情、あの仕草、あの女を抑えた低音ボイス……うわぁぁもう完璧すぎる!」


 セレーナは鏡の前で悶絶し、子供の頃の関西弁が思わず出てしまう。


「これ、ほんまにヤバい……目の保養やん!あんなん近いと耐えられへんて!」


 しかし、すぐに自分を落ち着かせた。


「……違う、今はそんな場合じゃないわ。私はここに何をしに来たのか忘れないで!」


 深呼吸し、顔を両手で挟むように叩くと、その痛みがジワジワ引いていくのを感じつつ心を鎮めた。


(よし……しっかりするのよ、セレーナ。今日はバイオレットとの信頼を築くために来たんだから)


 落ち着きを取り戻し。再び気を引き締めたセレーナは化粧室を後にし、バイオレットとキリコ、そしてアリサが待つ庭園へと戻っていった。

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