第8話 舞踏会〜華麗なる駆け引き

 豪奢なシャンデリアがきらめく王城の大広間。


 舞踏会の始まりを告げるセレモニーが静かに進行していた。大勢の貴族たちが華麗に着飾り、笑顔を浮かべながらも、互いに鋭い視線を交わしている。


 ここは権力と地位を象徴する場であり、舞踏会はただの社交の場ではなかった。


「デビュタント」と呼ばれる若い貴族たちが、華やかに装い、堂々と行進している。彼らはこの世界の次世代を担う存在であり、その初々しさが会場全体を明るく照らしていた。


 続いて、「名誉ゲスト」と呼ばれる貴族社会の重鎮たちが、ゆったりとレッドカーペットを歩き始める。彼らの歩み一つひとつが、この場所の権威を象徴している。


 そして、その中にアルトとセレーナの姿もあった。


 セレーナは大きく開いたドレスの胸元を気にしながら、表情に気をつけていた。


 前世の「佐藤真奈美」としては胸が強調されすぎて気恥ずかしい。しかし貴族令嬢としてそれを顔に出さず、それでいて目立ちすぎず、弱みも見せないように気を遣う。


 この世界で生き残るためには、美しさだけでなく、賢さとカリスマ性が必要なのだ。


 彼女の横にはアルトが控え、いつものように笑みを浮かべている。


 ——その時、アルトの目が鋭く動いた。


 彼が向けた視線の先にいたのは、セバスチャン——バイオレットの執事であり貴公子が、穏やかな微笑を浮かべながら無言でアルトに目線を送る。


 それは「計画を進めろ」という無言の指示にも見える。


 セレーナは視界の端で、その二人の視線を捉えていた。しかし表情には出さず、ただ内心で冷ややかに微笑む。


(やっぱり……セバスチャンも関わっている。これはただの舞踏会じゃない、何か企んでいるわ)


 その時、会場がざわめいた。「アレス・ヴァルツァー!」という主催者の一声で、オーケストラが優雅なワルツを奏で始めた。


 音楽が空気を切り裂くように広がり、待ち構えていたゲストたちが次々にダンスフロアに出ていく。


 ——ここからが舞踏会の本番だ。


 アルトがセレーナに向き直る。彼の手が差し出され、セレーナはそれを受け入れる。


 真奈美セレーナは現代で社交ダンスは習ったことがあるものの、貴族として踊るなど当然初めてだ。


 だからこそ事前にワルツだけは徹底的に予習してきた。しかし、実際やってみると足元に若干の不安が残る。


「セレーナ、あなたと踊るのは光栄だ」


 アルトの言葉はいつも通りの甘さだったが、彼の手の触れ方、その表情には、以前の様な欺瞞が無い。


 セレーナは今までとは違うアルトの変化を感じていた。


(今日のアルトは、いつもより誠実に見えるわね。舞踏会だから?」


 ワルツが始まったものの、やはりセレーナ真奈美にはリズムに動きを完璧に合わせるのは難しい。

 

 足取りが重く、自然に動くことができない。そんな彼女に気づいたアルトは、そっと耳元で囁いた。


「今日は体調が悪いのかい? もっと私に身を預けて……」


 アルトの言葉とともに、彼の手がセレーナを引き寄せる。


 その力強いリードに任せ、無心で身を委ねると、驚いたことに体が自然に動き出し、アルトに引かれるままに優雅なステップを踏むことができるようになった。


(こんなにうまくリードしてくれるとは……アルトがこんなにダンスが上手だなんて思わなかった)


 アルトに対して抱いていた印象が少しだけ変わり、彼の優れたダンス技術に感心したセレーナだったが、心の中で冷静に計画を進める。


「アルト様、お願いがあるのですが……」


 踊りながらセレーナはアルトの耳元に囁く。


「お願い? なんだい?」


「次にバイオレット様と踊っていただけませんか?」


 アルトは一瞬驚いたように目を見開いた。


「え!?……バイオレットと? なぜ?」


 セレーナは柔らかく微笑みながらも、その瞳に強い意志を宿して答える。


「私のフィアンセとして、ノブレスオブリージュを示してほしいのです。バイオレット様は、まだあなたに未練があるように感じます。

彼女の心を癒し、和解を果たしてあげてください。それが、貴族の務めではありませんか?」


 セレーナの頼みには、甘美でありながらも、鋭い意図が込められていた。


 アルトはその言葉に圧倒され断ることができなかった。


「……セレーナがそう望むのなら、仕方がないな」


 アルトは不本意そうにしながらも、バイオレットにワルツを申し込むことを決意する。


 貴婦人たちが注目する中、アルトはバイオレットに近づき、手を差し出す。


 バイオレットは一瞬戸惑いを見せたが、やがてその手を取った。


 二人がワルツを踊り始めると、会場全体の視線が二人に集まり、貴婦人たちはささやき合った。


 その様子を意味深に見つめるセバスチャン。


 彼の表情には一切の感情が読み取れないが、その静かな微笑の裏に何かを隠しているのは明らかだった。


 アルトとバイオレットが踊っている間、セレーナはほっと一息ついて椅子に腰を下ろそうとした。


 しかし、その時、背後から静かな声が聞こえてきた。


「セレーナ様、私とワルツを踊っていただけますか?」


 振り返ると、そこにはセバスチャンがいた。


 彼は完璧な礼儀を保ちながらも、どこか意味深な微笑を浮かべ、深々とお辞儀をしていた。


 そして差し出された手を取り、軽くその甲に口づけをする。


 セレーナは一瞬、身が強張るのを感じた。


(……この男、何を企んでいるの?)


 セバスチャンは冷静で優雅な動きを見せながらも、内心で何か別の計算をしているに違いない。


 セレーナは内心で警戒しつつも、微笑みを浮かべて彼の手を取った。


「貴婦人はたくさんいらっしゃるのに、どうして私をお誘いになるのかしら?」


 セレーナは探るように尋ねた。


(裏で何を考えてるのか、表情からは読み取れないわ)


 セバスチャンは一瞬もためらうことなく、微笑んで答えた。


「私の目には、あなたがもっとも興味深いからです。

それ以上の理由が必要でしょうか?」


 その答えは巧妙でありつつ嘘がない。その素直さがセレーナにさらなる疑念を抱かせた。


 セバスチャンの瞳の奥には、表情には表れない何かが潜んでいる。


(この男……やはり一筋縄ではいかない)


 セレーナは慎重に言葉を選びながら、セバスチャンの動きを探っていた。


 彼の目的は何なのか、そして次に何を仕掛けてくるのか。


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