第7話 舞踏会という名の序章

 舞踏会へ向かう豪奢な馬車の中、セレーナは静かに目を閉じていた。車輪のリズミカルな音が心地よく、彼女の思考は過去へと遡っていく。


(婚約を成立させる天才だった私が、婚約の破棄に挑まなければならないなんて……どういう運命のイタズラよ)


 前世である佐藤真奈美はセレーナへ転生する以前、天才婚活カウンセラーとして活躍していた。


 真奈美を天才と言わしめた最大の理由は、その成婚率の高さだった。

 成婚率とは、入会者や会員の数を、成婚(婚約)に至り退会した人数から割ったもの。婚活マッチングアプリの成婚率はわずか3%以下、大手結婚相談所でも40%がやっとというその中で、彼女の誇る95%という数字は、業界全体を震撼させていた。


(私がこれまで培った成婚のノウハウと洞察力、そして強化チートされた人の心を読む力。それを活かせば——このミッションも不可能ではないはず……結局、それが私の、生きる道なのかな)


 セレーナは今日、ある計略ミッションを実行しようとしていた。彼女はそれを頭中でシミュレーションしながら薄く笑みを浮かべた。




 馬車が徐々に減速し、窓の外には煌びやかな王宮の姿が現れた。夜空に浮かぶシャンデリアのような明かりが、舞踏会の華やかさを物語っている。


 扉が開かれると、冷たい夜風が頬を撫でた。階段の下で待っていたアルトが、彼女に向かって歩み寄る。


「セレーナ、来てくれて嬉しいよ」


 彼の瞳には温かな光が宿っていたが、どこか躊躇いが見え隠れしていた。セレーナはその微妙な変化を見逃さない。


「お招きありがとうございます、アルト様。今宵はとても楽しみにしておりましたわ」


 彼女が微笑むと、アルトは一瞬言葉を詰まらせた。彼の視線がセレーナのドレス姿を捉え、何かを言おうと口を開く。


「セレーナ、その…今日も君はとても美しく…その」


 しかし、途中で言葉を飲み込んでしまう。セレーナはその様子に気づき、軽く首を傾げた。


「あら、こういう場面では素直にお褒めいただいても良いのですよ、アルト様」


 彼女の茶目っ気たっぷりの言葉に、アルトは頬を赤らめた。


「す、すまない。君の美しさに見とれてしまって…うまく言葉が出なかったんだ」

「ありがとうございます。とても嬉しいですわ」


(ん?今の言葉に嘘はないわね、もしかして本音?)


 セレーナは優雅に礼をし、彼の腕に手を添えた。アルトはその手の温もりを感じながら、胸の鼓動が速くなるのを抑えられなかった。


(セレーナは本当に変わった。以前よりも知的で、魅力的だ…)


 彼女の微笑みの裏に秘められた知性と自信に、アルトはますます心を奪われていく。


 舞踏会場へと続く廊下を進む二人。豪奢な装飾や絵画が並ぶ中、セレーナの視線は細やかに周囲を観察していた。


 会場に足を踏み入れると、華やかな音楽と人々の笑い声が響いてきた。色とりどりのドレスやタキシードに身を包んだ貴族たちが、優雅に踊り、談笑している。


「あらセレーナ様、ごきげんよう」


 一人の貴婦人が微笑みかけてきた。彼女は「カミラ・フォン・ローゼンベルク」高名なローゼンベルク侯爵夫人であり、社交界でも影響力を持つ人物。


 私は資料で見た人物の詳細を完璧に記憶出来る。これは婚活カウンセラーとしての特技のひとつだ。


「ごきげんよう、ローゼンベルク侯爵夫人カミラ様……今宵もお美しいですね」


 セレーナは完璧な笑顔で応じる。しかし、その瞳は相手の微細な表情の変化を見逃さなかった。夫人の目尻に僅かな皺が寄り、口元が硬直している。


(私に対する警戒心ね。それだけじゃなく…底知れぬ嫌悪すら感じる)


 すると隣にいたもう一人の貴婦人が声をかけてくる。


「今日はバイオレット令嬢もいらっしゃるとか、お二人は少しお辛い立場でしょう」

(修羅場という意味でね、さぞかし自慢するのでしょうね下品なアバズレ女め)


「いえいえ、私は彼女と会うのを楽しみにしておりますわ」

(露骨な嫌味と内面にある軽蔑心……セレーナって、ここまで嫌われてたのね)


 こっちは「イザベラ・フォン・リヒテンシュタイン」リヒテンシュタイン伯爵夫人であり、社交界で噂好きとして知られている人物。カミラと親しい間柄で、共に行動することが多い。


 セレーナは二人に軽く会釈し、その場を離れた。背後で夫人が他の貴婦人たちに何か囁く声が聞こえる。


(彼女らが嫌ってる私にあえて話しかけるのは、自分の地位を守るために必要だから。でも、それを上手く利用すれば……こちらも有利に動ける)


 アルトと共に会場の中央へ進むと、遠くに一際美しい女性の姿が目に入った。紫のドレスを纏った主人公バイオレット令嬢だ。


(なんて美しい人…セレーナと同格か、愛嬌って部分ではそれ以上ね)


 彼女の隣には黒髪の男性が立っていた。冷たい瞳と鋭い表情が印象的だ。


(「セバスチャン・フォン・クロイツネル」王家で参謀を務める有名貴族、クロイツネル公爵家の三男。継承権は低いけれど、貴族として扱うべき地位の人物。)


 セレーナはセバスチャンの冷たい瞳を見つめながら思考を巡らせた。


(それにしても、なぜ彼がバイオレットの執事を務めているのかしら。自らの希望で彼女に仕えているというけれど、その真の理由がわからない)


 彼の存在は謎めいており、その得体の知れない雰囲気がセレーナの警戒心を刺激していた。


 クロイツネル公爵家は、王家に近い名門。彼の地位と影響力も無視はできない。


 するとセバスチャンの視線がこちらに向けられた。まるで心の奥底を覗き込むような鋭さに、セレーナは一瞬だけ息を呑んだ。


(この感覚…この目、私と同類かもしれない。彼の前での思考には気をつけないと)


 気を引き締めたセレーナはすぐに微笑みを取り戻し、アルトに囁いた。


「アルト様、バイオレット様にご挨拶されてはいかがかしら」


 アルトは表情を曇らせ、視線を逸らす。


「いや、今はいいんだ……」

「紳士的ではありませんわ。過去と未来は切り離せません、いまこそ新たな関係を築くべきです」


 セレーナの言葉に、アルトは戸惑いを見せた。


「でも、僕は彼女に…不義理をした人間だよ」

「大切なのは今と未来ですわ。お二人が和解されることを、私は心から願っています」


 彼女の真摯な瞳に見つめられ、アルトは言葉を失った。


「セレーナ、君は本当に変わったね。まるで別人のようだ」

「人は成長するものですから」


 その時、バイオレットが彼らの方へと歩み寄ってきた。セレーナは内心の緊張を抑え、微笑みで迎えた。


「ごきげんよう、セレーナ様、アルト様」


 バイオレットの声は澄んでいて、心地よい響きを持っていた。


「ごきげんよう、バイオレット様。お会いできて嬉しいですわ」


 セレーナは礼をしながら、彼女の表情を細かく観察した。


(瞳の奥に孤独と悲しみが見える。アルトへの未練が…まだあるようね)


 一方、セバスチャンの視線は依然としてセレーナに向けられている。


(この人、私の内面を探っているのね。でも、そう簡単には見せる気はないわよ)


「バイオレット様、そのドレスはとてもお似合いですね。まるで夜空に輝く星のようです」


「あ、ありがとうございます、セレーナ様。貴女様も……お美しいです」

「ありがとうございます……バイオレット様」


 そして二人の間に微笑みが交わされる。


(彼女、困惑してるわね。以前のセレーナとまるで態度が違うから当然よね)


 アルトは落ち着かない様子で視線を彷徨わせている。


「では、私はこれで失礼いたします。また後ほど」


 バイオレットは一礼し、セバスチャンと共にその場を離れた。セレーナは彼らの背中を見送りながら、静かに息を吐いた。


(バイオレット令嬢……彼女は思った通り裏表のない素敵な女性ね。やはり問題はあのセバスチャン……か)


 セバスチャンが最後に振り返り、再びセレーナに視線を送る。その瞳には警戒と興味が混ざり合っていた。


(お前を見ているぞってこと?でもまあ、それも計画の一部よ)


「セレーナ、君は本当に大丈夫かい?バイオレットにあんなに丁寧に対応するなんて、らしくないというか……いや悪い意味にとらないでくれ」


 アルトの声に、セレーナは振り向いた。


「ご心配ありがとうございます、アルト様。私は大丈夫ですわ。ただ、皆が幸せになれるようにと願っているだけです」


 彼女の言葉に、アルトは微かに微笑んだ。


「君は本当に、優しくなったね……もしかして、それが本来の」

「そんなことはありませんわ。ただ、できることをしているだけです」


 セレーナは再びダンスフロアに目を向けた。


 華やかな舞踏会の喧騒の中、セレーナの心には燃えるような決意と挑戦心が渦巻いていた。彼女の視線の先には、再びバイオレットとセバスチャンの姿があった。


(セバスチャン、あなたが何者であろうと負けるつもりはないわ)


 お互いに警戒し合う視線が交差する。


(この舞踏会を機に、私のミッションの全てが動き出す)


 ——私は、バイオレットとアルトを再び成婚させる。

 天才婚活カウンセラーの名にかけて。


 それは己に課された運命と、未来に争う挑戦だった。

 セレーナの夜は、まだ始まったばかりだ。

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婚期を逃した婚活カウンセラーの私が政略結婚で没落寸前の悪役令嬢に転生しちゃた物語 月亭脱兎 @moonsdatto

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