第5話 忍び寄るライバルの影

 アルト・デュラハンは、自室の窓辺に立ち、昨日の出来事を思い返していた。


 セレーナ・フォルスター……フォルスター侯爵家の正当な継承者。己の欲に素直で世間知らずな令嬢。今までなら、容姿に優れた自分が甘い言葉を囁けば、簡単に虜にできるはずだった。特に、セレーナのように自尊心が高いタイプは、簡単に操れると信じていた。


「どうして急に、こんなに厄介な女になったんだ…?」


 アルトは大きく息を吐き出した。昨日のセレーナは違っていた。彼女の微笑みの奥には、今まで感じたことのない冷静さが見え隠れしていた。今までは自分を崇拝するような態度を取っていたはずの彼女が、まるでこちらの心の奥底を見透かすかのような言葉を投げかけてきたのだ。


「これではまるで…俺が追い詰められているみたいじゃないか…」


 アルトは苦笑したが、その笑みもすぐに消えた。セレーナは、ただの駒だったはずだ。彼女との婚姻が成立すれば、フォルスター家の財産は自分のものになるはずだった。その計画は周到に練り上げられていた。それが今、崩れようとしている。


 そして、それ以上に彼を困惑させているのは、彼自身の心の変化だった。


「なぜ…俺は、こんなに彼女のことが気になっているんだ……」


 アルトは頭をかきむしりながら、セレーナの笑顔を思い浮かべた。彼女は以前よりも美しさを増している。そして、知性を帯びた冷静さと底知れぬ魅力が彼の心を捕えて離さなかった。


(こんなはずじゃなかった。俺は財産が目当てで近づいただけだ。だが、彼女をもっと知りたいと思う自分がいる)


 そんな時、扉が静かにノックされた。


「アルト様、お客様がお見えです」


 執事が恭しく扉を開けると、そこに現れたのは——セバスチャンだった。セバスチャンは、主人公令嬢バイオレットの執事であり、知略知謀に長けた男だ。彼は33歳で凛々しく、容姿端麗。感情をほとんど表に出さず、冷静で優雅なその姿には隙がない。


「おお、セバスチャン……わざわざすまないな」


 アルトは彼の姿を見て、少し安堵した。セバスチャンならば、この計画をすぐに軌道修正できるはずだ。なぜなら、この策略を考えたのは他ならぬセバスチャンなのだから。


 アルトはすぐにセバスチャンを部屋に招き入れ、執事が準備した椅子に座らせた。


「久しぶりだな、アルト。お前が何か困っているようだと聞いて、来てみた」


 セバスチャンは静かに話し始めたが、その眼差しはアルトを冷静に観察していた。彼は一見すると穏やかだが、その内側には常に計算が働いている。


「実は、昨日セレーナとの話で少し…いや、大いに戸惑っているんだ」


 アルトは、自分の執事に100%ダージリンのアールグレイとミルクを別で用意するよう指示をする。このセバスチャン、紅茶に異様なこだわりがあり、このセットでしか飲まないと知っていた。アルトにはよくわからないこだわりだが、彼の策略には必要な儀式ルーティンなのだという。


 紅茶の準備が整うまでの間、アルトは昨日のセレーナとの会話を思い返しながら、その変化について話した。セバスチャンは静かに耳を傾け、時折頷きながら、アルトの言葉を聞いていた。


「彼女は以前と違って、妙に冷静で、まるで俺を見透かしているような気がした。まるで別人みたいに…」


 アルトの言葉に、セバスチャンは薄く微笑んだ。


 そして、アールグレイのフレーバーを確認し、ミルクを3滴垂らすと(その数は香に対して決まっているらしい)、ゆっくりと紅茶を口に含み、しばらく余韻を楽しむ。


「セレーナが変わったのかもしれない。しかし、それに惑わされるな、アルト」


 セバスチャンは落ち着いた声で語り始めた。


「私が教えた通り、セレーナとの婚約はお前の勝利への鍵だ。彼女の財産はお前にとって必要不可欠だろう。だが、今のままでは彼女に主導権を握られてしまう。だからこそ、新たな手を打つ必要がある」


「新たな手…?」


 アルトは興味を持ったようにセバスチャンを見つめた。彼の頭の中には、次の一手が明確に組み立てられていた。


「次にお前がすべきは、セレーナをさらに追い詰めることだ。彼女のプライドの高さを利用するんだ。今度、王城で開かれる舞踏会にセレーナを誘い出し、公の場で親密な関係を見せつけろ。王族や貴族たちが見守る場で、彼女に引けない状況を作り出すのだ」


 セバスチャンの言葉に、アルトは一瞬躊躇した。だが、その意味をすぐに理解する。セレーナはプライドが高い。そんな彼女に、公衆の前で親密さを演じさせれば、彼女は後に引けなくなる。断ることなどできなくなるのだ。


「だが、今のセレーナが思惑通りに動くかどうか…」


 アルトの不安げな顔を見て、セバスチャンは静かに笑った。そして、さらにもう一つ重要なことを告げる。


「心配するな。今回の舞踏会には、バイオレットお嬢様も出席される。彼女がいることで、セレーナはお前との親密さを見せつけざるを得ないだろう」


「なるほど、バイオレットがいれば必ずセレーナは、俺との関係を誇示しようとするはずだ。そして、いよいよ婚約を拒むことができなくなる」


 アルトは納得し、満足げに頷いた。セバスチャンの計略はいつも完璧だ。これまで、彼の指導の下でアルトの計画は順調に進んでいた。だが、アルトは一つだけ気になることがあった。


「あと……セバスチャン、じつは昨日から、セレーナに対して今までと少し違う感情を抱いているんだ……」


 その言葉に、セバスチャンは一瞬目を細めた。彼の表情に変化はないが、これまでの会話の中で既にアルトの心の動きを察知していたからだ。


「感情に流されるな、アルト。彼女はただの駒だ。お前が得るべきものを手に入れるために存在している。そのために、私はお前をサポートしているのだ」


 セバスチャンの言葉は冷静で、感情の揺れを一切見せない。彼の目的は、主人であるバイオレットを幸せにすること。そして、セレーナとアルトを巧みに操ることで、バイオレットの未来を守るという策略の一環だった。


「分かったよ、セバスチャン。俺は計画をしっかり遂行する」

(どちらにしても、彼女は俺のものになるのだから同じことか)


 アルトは決意を新たにし、セバスチャンの指示に従うことを誓った。次に彼がセレーナを誘い出すのは、王城で開かれる舞踏会だ。セバスチャンの計画通り、彼女に親密な関係を演じさせ、後戻りできない状況を作り出す。


 セバスチャンは立ち上がり、軽く微笑んだ。


「では、私は準備を進めよう。舞踏会には私も同行する。お前の計画を完璧にするためにな」


 アルトは深く頷き、セバスチャンの背中を見送った。その凛々しい姿には、一切の隙がなく、全てを掌握しているような自信に満ちていた。


「セレーナの変化か……念のため、警戒したほうが良さそうだな」


 月夜の中を颯爽と歩きながら、セバスチャンは薄ら笑みを浮かべていた。

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