幕間
魔王の娘の追悼
あれだけ脅せば十分だろう。
少女は魔王城の方角へと向かいながら一人、溜息を漏らす。
本来ならば、言葉による交渉を行うべきだった。しかし思っていたよりも上手くいかない。
彼女、レ=ゼラネジィ=バアクシリウスの目的は、父を殺した敵を討つこと。つまり勇者の殲滅だ。他の無関係な人間とはできるだけ争いたくはなかった。
しかしこちらがそう思っていても、相手がそのことを認めてくれるとは限らない。そもそも、話し合いにすらならなかったのだ。
人間との対話は難しいものだ、と。シリウスは空を飛びながらしみじみと思う。
「――思えば、ウェゼンは随分と話しやすい類だったのかもしれぬな」
今はもういない老翁のことを思い出す。
父を失い、それまで住んでいた家を失い、今までの当たり前を失ってから。
ずっと彼が支えてくれていた。復讐に身を焦がしそうになった時も、新しい魔術を学ぶ時も、新しい食料を持ってきてくれた時も。
全て平等に、時間と空気を分かち合った。
そのことがひどく懐かしく思え、同時に暖かくも虚しい感情が胸に去来する。
「惜しい人間を亡くしたな……」
魔王城へと辿り着くが、シリウスは目もくれずに上空を通り過ぎる。向かう先は、先刻ウェゼンと戦った北方の荒れ地だ。
やがて、辿り着いた彼女は適当な石を見繕い、宙に浮かせ地面に突き刺した。
「余のためだけの、お主の墓標だ。感謝するがよい」
そう、腰ほどの背丈の石に向けて、彼女は言う。
人間は死ぬとこのようなモニュメントを建てるとウェゼンより聞いていた。まさかその教えてもらった相手に実行することになるとは思わなかったが。
空が青い。風は強く、魔王領域へ春の気配が忍び込んでいた。
「……色気も飾り気もない、荒野で悪いな」
きっと彼は、この方が私に似合う、と。そう言うだろう。
目を瞑ると彼の影がチラつき、ピントが合うようにやがてくっきりと映った。
会話が成り立っていく。一挙手一投足が想像できる。死んだというのに、ここにはいないというのに、頭の中でシリウスは言葉を並べ、ウェゼンがそれに応える。まるですぐそばで見ているかのように、隣にいるように、振る舞う。
そうして目を開き、それが幻影であることを知った。
ただ心には、魂には。
確かに彼と過ごした時間と、思い出。
そして、彼を喪ったのだという感情が、残っていた。
「何が最後の贈り物だ、ウェゼンめ。もっと重いものを残していきおって……」
髪留めに触れる。それはただのモノでしかない。意志も思念も持たない、無機物だ。
しかし彼女は、愛おしそうにその髪留めを撫で、そこにある温もりを感じ取る。
死者への弔い方について、シリウスは何も知らない。どういう想いでいればいいのか、どのように死んだ者へ語ればいいのか。正しい弔い作法などないのかもしれなかったが、いつまでも立ち止まって過去へ縋ることが正解ではないと、そう思えた。
だから――
「……余は先へと行く。お主が怯え、そしてできなかったことを成し遂げよう」
黒い外套を翻し、背を向ける。ここへはきっと戻ってくることはないだろう。この地には何もない。草も生えないし、動物も生きられない。
誰の目から見ても価値の無い場所だ。それはシリウスもそう思う。
ただ、ここに魔王がいて、ウェゼンがいて、自分がいた。その記憶だけがあればよかった。
「――達者でな」
別れの言葉は風に紛れて。
蒼空に滲み、溶けていった。
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